先日お知らせしたこのイベントも6日で終わってしまいました。私は結局二か所行ってきました。
一つ目はInsula Romana Sotto Palazzo Specchi。このPalazzo Specchiは現在はローマ市の子供図書館のある16世紀頃(その証拠にその時代のスタイルの窓の跡が壁に見られる)の建物ですが、この地下に古代遺跡が残っています。
すぐ近くにテベレ川があり、当時は川を使って物を運んでいましたから、川沿いには当然運んできた物を収納する倉庫が作られたわけです。そしてこの建物の下からも当時の倉庫が発見されたわけですね。今はこの建物とテベレ川の間には他の建物がありますが、倉庫だった頃は川に面した側に扉があり、そこからは川まで坂になっていたそうです。
地下は二階構造になっていて、地下二階にはその倉庫部分があり、地下一階部分にはどうやらアパートとして貸していたという部屋もあり、床のモザイクが残っていました、当時は黒の石の中に白い石をちりばめるという模様がはやっていたとか。当時の柱なども残っています。
何よりも興味深いのは洗濯屋さんの跡。普通の洗濯と染物業を営むお店だったそうです。当時の皇帝の散財のおかげで市民は苦しい生活を強いられていました。そこで町を立て直すための税金の獲得源として洗濯屋が目をつけられたそうです。
さて、理由はなんでしょう? なんと「尿」です。当時、洗濯には尿を使ってました。染物にも、染める色が尿によって定着するとかなんとかで、こちらでも尿が活躍していました。そこで洗濯屋は尿を集めなくてはなりません。(当時のバールのようなところのトイレなどからも集めたとか言っていたように思いますが、拙いイタリア語能力なので私の想像上の理解かな?)とにかく、尿に税金がかけられたのだそうです。当時洗濯屋は数多くあったそうで、政府の恰好の財源になったんでしょうかね。
イタリア語のわかる方、詳しくはこちらをどうぞ。
二つ目はIl Colombario di Pomponius Hylasという古代のお墓の跡です。ローマの城壁の門の一つPorta Latinaの近くにScipioni公園がありますが、その中にあります。入口は小さな小屋のようで、知らなければ気がつくのは難しいでしょうね。私たちも見つけるのに手間どって、かなり歩き回りました。そのおかげで日本大使の公邸を見つけましたが。(あんなところにお住みだなんて、やっぱり外交官はいいですねえ。)
Scipioni公園 ボーイスカウト達がイベントをやってました。
この入り口から地下へ降りる。普段は閉まっています。
さて、こちらの見学も大変興味深かったです。実は家にあるローマの地下というようなタイトルの本の中で写真を見たことがあったのですが、一体どこにあるのか、と思っていた場所でした。ガイドの人の説明もとてもわかりやすかったです。ただ一度に最高7名まで
と聞いていたのに、15人は一緒に入りましたね。なので身動きとれず状態でした。
ローマの城壁は実は二重になっていて、ローマが拡張した結果もう一つ外に城壁を作る結果になったそうです。今も立派に残っているこのPorta Latinaのある城壁は実は後から作られた方で、このお墓は以前はローマの城壁の外にあったことになります。というのもお墓は城壁の外に作られなければいけない法律でしたから。なので二つ目の城壁が作られた時、このお墓は埋められてしまったようです。
そして1831年に芸術愛好家のピエトロ・カンパーナという人が発見したのだそうです。発見された当時もかなり完璧な状態だったようですが、現在もかなりよい状態ですよ。
狭い階段を下りて中に入ります。階段の途中の壁には、家で言えば表札のような夫婦の名前の入ったモザイクがあります。名前の一つのPの上にVの文字が付いているのは、当時この方がまだ生きている人であったことを表わすのだそうです。モザイクはガラスの石と貝で作られたもので色もかなり鮮やか、ほぼ完ぺきな状態で残っています。
階段を降り切るとそこは小さな空間で、壁伝いに遺灰を入れていたテラコッタのお櫃(正面のお墓のお櫃だけ大理石製)とそれを置くための棚状のモニュメントがあります。一番奥の部分が一番古いようで、時代によって様式も違うために後から作られたものは明らかです。一番奥の立派なお墓は夫婦の墓で、そこに描かれている二人の人の絵が右手をお互いに差し出しているので、それが夫婦の証拠だそうです。その時代は火葬だったのですね。恐らく後の時代に置かれた棺もあって、その中からは骨状の女性の遺体が見つかっているそうです。
天井や壁の絵もかなりきれいに残っています。神話などをよく知っている人にはガイドさんの説明も「ほ~なるほど」と思えるんでしょうね。階段近くのお墓のモニュメントに描かれた男の人とロバの話がおもしろかったです。この男性は生きている間にお金を散財し、(きっと人に迷惑をかけたのでしょうか)その罪で死後、永久に縄を編まなければいけない罰を与えら得ました。しかし縄を編んでも編んでもそのそばからロバが食べてしまう、そんな話を描いたものだそうです。
写真は厳重に禁止でした。それでも撮ろうとする人はいるもので、ダ二ィも一枚くらい大丈夫だよといいましたが、先に撮ろうとした人が注意され、私は勇気が消滅。インターネットに写真があるよ、とガイドの方が言っていました。
私が見つけたのはここにあります。こちら
Roma Nascostaは昨年同様満足でした。もっと色々なところの予約をとれば良かったと思いましたが、来年に楽しみを残しておいたほうがいいですね。来年も開催されることを祈って。
お勧め度、五つ星☆!
一つ目はInsula Romana Sotto Palazzo Specchi。このPalazzo Specchiは現在はローマ市の子供図書館のある16世紀頃(その証拠にその時代のスタイルの窓の跡が壁に見られる)の建物ですが、この地下に古代遺跡が残っています。
すぐ近くにテベレ川があり、当時は川を使って物を運んでいましたから、川沿いには当然運んできた物を収納する倉庫が作られたわけです。そしてこの建物の下からも当時の倉庫が発見されたわけですね。今はこの建物とテベレ川の間には他の建物がありますが、倉庫だった頃は川に面した側に扉があり、そこからは川まで坂になっていたそうです。
地下は二階構造になっていて、地下二階にはその倉庫部分があり、地下一階部分にはどうやらアパートとして貸していたという部屋もあり、床のモザイクが残っていました、当時は黒の石の中に白い石をちりばめるという模様がはやっていたとか。当時の柱なども残っています。
何よりも興味深いのは洗濯屋さんの跡。普通の洗濯と染物業を営むお店だったそうです。当時の皇帝の散財のおかげで市民は苦しい生活を強いられていました。そこで町を立て直すための税金の獲得源として洗濯屋が目をつけられたそうです。
さて、理由はなんでしょう? なんと「尿」です。当時、洗濯には尿を使ってました。染物にも、染める色が尿によって定着するとかなんとかで、こちらでも尿が活躍していました。そこで洗濯屋は尿を集めなくてはなりません。(当時のバールのようなところのトイレなどからも集めたとか言っていたように思いますが、拙いイタリア語能力なので私の想像上の理解かな?)とにかく、尿に税金がかけられたのだそうです。当時洗濯屋は数多くあったそうで、政府の恰好の財源になったんでしょうかね。
イタリア語のわかる方、詳しくはこちらをどうぞ。
二つ目はIl Colombario di Pomponius Hylasという古代のお墓の跡です。ローマの城壁の門の一つPorta Latinaの近くにScipioni公園がありますが、その中にあります。入口は小さな小屋のようで、知らなければ気がつくのは難しいでしょうね。私たちも見つけるのに手間どって、かなり歩き回りました。そのおかげで日本大使の公邸を見つけましたが。(あんなところにお住みだなんて、やっぱり外交官はいいですねえ。)
Scipioni公園 ボーイスカウト達がイベントをやってました。
この入り口から地下へ降りる。普段は閉まっています。
さて、こちらの見学も大変興味深かったです。実は家にあるローマの地下というようなタイトルの本の中で写真を見たことがあったのですが、一体どこにあるのか、と思っていた場所でした。ガイドの人の説明もとてもわかりやすかったです。ただ一度に最高7名まで
と聞いていたのに、15人は一緒に入りましたね。なので身動きとれず状態でした。
ローマの城壁は実は二重になっていて、ローマが拡張した結果もう一つ外に城壁を作る結果になったそうです。今も立派に残っているこのPorta Latinaのある城壁は実は後から作られた方で、このお墓は以前はローマの城壁の外にあったことになります。というのもお墓は城壁の外に作られなければいけない法律でしたから。なので二つ目の城壁が作られた時、このお墓は埋められてしまったようです。
そして1831年に芸術愛好家のピエトロ・カンパーナという人が発見したのだそうです。発見された当時もかなり完璧な状態だったようですが、現在もかなりよい状態ですよ。
狭い階段を下りて中に入ります。階段の途中の壁には、家で言えば表札のような夫婦の名前の入ったモザイクがあります。名前の一つのPの上にVの文字が付いているのは、当時この方がまだ生きている人であったことを表わすのだそうです。モザイクはガラスの石と貝で作られたもので色もかなり鮮やか、ほぼ完ぺきな状態で残っています。
階段を降り切るとそこは小さな空間で、壁伝いに遺灰を入れていたテラコッタのお櫃(正面のお墓のお櫃だけ大理石製)とそれを置くための棚状のモニュメントがあります。一番奥の部分が一番古いようで、時代によって様式も違うために後から作られたものは明らかです。一番奥の立派なお墓は夫婦の墓で、そこに描かれている二人の人の絵が右手をお互いに差し出しているので、それが夫婦の証拠だそうです。その時代は火葬だったのですね。恐らく後の時代に置かれた棺もあって、その中からは骨状の女性の遺体が見つかっているそうです。
天井や壁の絵もかなりきれいに残っています。神話などをよく知っている人にはガイドさんの説明も「ほ~なるほど」と思えるんでしょうね。階段近くのお墓のモニュメントに描かれた男の人とロバの話がおもしろかったです。この男性は生きている間にお金を散財し、(きっと人に迷惑をかけたのでしょうか)その罪で死後、永久に縄を編まなければいけない罰を与えら得ました。しかし縄を編んでも編んでもそのそばからロバが食べてしまう、そんな話を描いたものだそうです。
写真は厳重に禁止でした。それでも撮ろうとする人はいるもので、ダ二ィも一枚くらい大丈夫だよといいましたが、先に撮ろうとした人が注意され、私は勇気が消滅。インターネットに写真があるよ、とガイドの方が言っていました。
私が見つけたのはここにあります。こちら
Roma Nascostaは昨年同様満足でした。もっと色々なところの予約をとれば良かったと思いましたが、来年に楽しみを残しておいたほうがいいですね。来年も開催されることを祈って。
お勧め度、五つ星☆!