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あいあいのひとりごと

ローマ在住あいあいの暇つぶし日記。

久々にスペイン広場(2)

2008-12-01 19:39:02 | ローマの平日
暗くなるまでぶらぶらしていると、聖母マリアの像のあるオベリスクの広場に人だかりができてました。近づいてみると・・・



オベリスクの下に聖母マリアの絵が置かれ、それをローソクを持った人々が囲んでいて、どうやらお祈りを捧げているらしい。

しばらくするとその人々が一定の方向に移動し始めました。聖母マリアの絵も移動しています。先頭には派手な衣装の神父らしき人がいるのがちらっと見えました。どうやら聖母マリアの絵を掲げながらの行進らしい。
ローソクには色とりどりの紙が逆さまのランプのかさのようについていて、まるで提灯行列のようでした。


右の方に移動しています。シスター方もいますね。


泥棒に注意しながらの撮影で、移動している人々がブレブレです。(泣)
提灯のようなローソクもぶれていますが、少しわかりますかね?

ついていくとその広場から一つ先の道にある教会につきました。

Sant'Andrea delle fratte教会です。
有名な建築家ボロミーニの手も入った教会で、ベルニーニの天使の彫刻が二つあることで特に有名な教会です。
中に入ろうと試みましたが、入口まで人がいっぱいで諦めるしかありませんでした。

後で調べてわかったのですが、掲げられていた絵は「奇跡のマリア」と呼ばれていて、教会内には「奇跡のマリア」のチャペルがあります。このマリアの由来は、1842年にユダヤ人の銀行家の前にマリアが現れ、このユダヤ人はカトリック信者に改宗、宣教師になったという話です。この日は11月27日でしたが、毎年この日なのかどうかは不確かです。

奇跡のマリアのお祭りはきっとローマだけでもたくさんあるだろうし、イタリア中にありますね。似たりよったりではあるのだろうけれど、私は伝統的なお祭りに結構興味があります。

ぶらっとでかけた久し振りのスペイン広場でしたが、ちょっと儲け気分でした。


久々にスペイン広場(1)

2008-11-30 23:39:19 | ローマの平日
姪っ子のお土産に皮の手袋を買う約束をしていたので、久し振りにスペイン広場の辺りに行きました。そうローマの観光のハイライト、スペイン階段のあるところです。その土地に住んでしまうと、どうも観光スポットに行かなくなりますが、前回のサンピエトロもそうですけれど、たまに観光客になってみるのもいいです。

せっかくスペイン広場に来たので、観光客気分で写真を撮りました。


確かに「スペイン広場」ですよ。


たしかに人を惹き付ける美しさはありますね。最近上の教会とオベリスクがきれいに清掃されて、随分白くなった感じがします。この清掃期間が長かったです。かなりの間、階段の上部分は覆われていて、写真を撮るにもあまり美しい被写体ではありませんでした。


シーズンオフですね。こんなに人の少ないスペイン広場も珍しい。普通は噴水の周囲は人でいっぱい、水のあるところまで近づけません。日本人の旅行者もなんだか少ない感じです。ここに来れば必ず日本人の方々をお見かけするのに。


スペイン階段に向かって左側部分。観光用の馬車の停留所です。


乗ってみたいような気もしますが、なんだか様にならないだろうからやめておきます。


階段に向かって右側方面にはお隣の広場が見えます。聖母マリア像を載せたオベリスクがあります。
確か12月8日の聖母マリアの日だったと思いますが、ローマ法王がこのオベリスクの下でミサをあげます。何年も前ですが、この機会に前ローマ法王を生で拝見致しました。


階段の向かい側から続くのは、ローマのブランド通りで知られるコンドッティ通りです。東京の銀座の方が何十倍も立派ですけどね。
観光客でいっぱいなので、「こんな格好では入りにくい」を感じなくてすむ長所あり。私はもっぱらウインドーショッピングのみですけど。

姪っ子のお土産の方はですね、結局買えませんでした。12歳の子供用に皮の手袋はお作りしていませんとのこと。希望の赤の手袋の一番小さいサイズを見せてもらいましたが、なんと私の手でも指先が2cmほど余っていました。「私の手でもサイズを見つけるの難しいですね」と言うと「そのようですね・・・」と言われてしまいましたよ。

このお店、日本人には有名なセルモネータではなく、聖母マリアのオベリスクのある広場を突き抜けて、左側の道を少しいった右側にある手袋専門店です。セルモネータもその近くにある手袋のお店も、お店の人の対応が商業的で私はあまり好きじゃありません。私の行ったお店は昔からのお店っぽくて、最初入りにくかったのですが、お店の人がとても感じよかったです。

これからお土産探しにまた出かけますので、続きは後ほど。




夕闇のサンピエトロ

2008-11-27 04:31:20 | ローマの平日
毎週水曜日にダニィの姪っ子(12歳)に日本語を教えています。お互い家が離れているので、ヴァチカン市国の近くのダニィの実家での家庭教師です。学校ではフランス語の授業があるのだそうですが、12歳で日本語を勉強している子はまだ少ないでしょう。今回で4回目ですが、まだやる気は続いています。

若いうちに異文化に接するのはとても良いことだと思いますね。語学の勉強を通して別のことも気付くようになります。イタリアでは普通なことが外の世界では違うことなど、小さいうちから感じ取る機会があるのは幸せなことだと思います。

今日は「~はどこですか」を勉強したわけですけど、世界地図を見せて「アメリカはどこですか」のようにやっていた時のことです。私の地図は日本の教科書からのコピーでしたから、当然アジアが地図の中心にある。でも彼女はヨーロッパに住んでいて、学校で見る世界地図はヨーロッパが真ん中なのです。なんだか変な世界地図だと最初に思ったようです。そんな小さな違いもずっとイタリアだけにいたら気付きませんね。

さて、折角ヴァチカン市国の近くまで来ているので、帰りにサンピエトロ寺院の郵便局に行くことにしました。ダニィパパがバイクで送ってくれたのですが、バイクでローマを走るというのはいいですね。ローマにいるって感じがしますよ。


郵便局前からのサンピエトロ寺院の正面。着いたときはまだ明るかったですよ。
水曜日は法王謁見の日なので、スクリーンや法王席などがまだ残っていました。

郵便局は寺院の両側にあるのですが、正面に向かって右側の方は知らない人が多いですね。なので比較的人が少ないのは右側。ただ寺院を訪問した後、出口が左側になってしまうので、訪問前に行かないと面倒臭いですね。
ここから手紙を出すとヴァチカンのきれいな切手が貼れるので機会があると寄ることにしています。今回はバースデーカードを出したのですが、クリスマス向けの切手でさらに美しい。郵便局の中には手紙を書く机もあります。いつも観光客でいっぱいなのに今日はなんと私一人でした。

そんなわけでバースデーカードが長文のお手紙化してしまったために、外に出るとすっかり夜でした。証明に照らされたサンピエトロ寺院はなんと神秘的!
 ちょっと怖い感じも!?

オベリスクの下に囲いがされているのは、クリスマスの準備中だからです。プレゼーピオというキリストの降誕のシーンが等身大で飾られます。大きなクリスマスツリーも横に設置されるはず。去年と同様、私は日本にいるので見られない・・・。


このプレゼーピオ、クリスマスには色々なところで見られますが、このサンピエトロ寺院のはかなり素晴らしいですよ。またスペイン階段上に設置されるのも立派です。一般家庭でも飾るので、そのお店がナボナ広場にたくさん出ます。見てまわるだけでも楽しいです。プレゼーピオは特にナポリが有名で、一年中パーツを売るお店がたくさん並ぶ有名な通りがあります。一見の価値ありですよ。

 噴水もイルミネーション


何か神の啓示!?ちょっと怖い空模様。
この建物の間には、サンピエトロ寺院の表参道というような道が続きます。この道沿いにある教会で私とダニィは結婚式をあげました。なぜサンピエトロ寺院を背景に写真を撮らなかったんだろうとこれが最大の後悔です。

最近夜の写真ばかりですね・・・。





お茶目?

2008-11-20 03:44:40 | ローマの平日
昨日こんなニュースがありました。ネット新聞La Reppubblicaの動画はこちらです。

トリエステでの首脳会談にイタリアを訪問中のドイツのメルケル首相を迎えるベルルスコーニ首相。動画タイトル"Berlusconi fa cucu' alla Merkel"のfa cucu'というのは、普通は赤ちゃんに対してする、日本で言えば「いない、いない、ばあ~」のことです。つまりメルケル首相に挨拶に迎え出たベルルスコーニ首相が一瞬広場のモニュメントの後ろに隠れ、メルケル首相を驚かすという行動に出たのでした。

「こんなのが自分の国の首相かと思うと恥ずかしい」と言う人もいますが、なんだかこんなお茶目なベルルスコーニ首相に最近、少々親しみを感じてきました。首相の政策は別として、人としてはなかなかかわいらしい人かもしれませんね。今回のことも確かに子供っぽくはありますが、いかにもイタリアらしいし、堅苦しい首脳会談の雰囲気を和らげ、返って良い結果が出たりして。(そちらの方はチェックしていませんが。)
先日のオバマ氏に対する発言も、首相にとってはこのレベルのジョークのつもりだったのかもしれませんが、残念ながら失敗でしたね。

少々関心がわいたので、ベルルスコーニ氏についてネットで検索してみたら、テレビ局のビジネスを始める前には、歌手だった時期もあるのだそう。もしかしたらお笑いへの道もあったのかもしれませんね。

最近のイタリア、あまり良い状況ではない様子。シルヴィオさん、次に何をしてくれるのか楽しみでもありますが、笑いを取る方にばかり気を入れすぎていると、みんな本当に怒ってしまうかも!?






ジンガリ

2008-11-16 00:46:41 | ローマの平日
前回の「ショーペロ」に続いて、「ジンガリ」もイタリアサバイバルのキーワードでしょうね。ジンガリ(zingari)とはジプシーたちのことです。引き続きイタリアの悪口を書くのもなんですが、昨日乗ったバスになんと15人ぐらいのジンガリ集団が乗ってきて、降りるまでの10分間ほど血が凍る思いでいたもので。

恐らくご存知の通り、イタリアは泥棒が多いことでも知られていますよね。残念ながらこれは本当・・・。泥棒はジンガリだけではないのですが、私は数年前にジンガリの女の子達4人にお財布を盗られて、現行犯でそのうちの一人の捕まえたのですが、私のお財布はすでに他の子が持って逃げてしまったということがありました。それ以来、ジンガリを見ると鳥肌が立ってしまい、足がガクガクしてしまうのです。彼らは服装だけでなく、私には顔も皆同じに見えてしまい、怖い思い出がよみがえってしまう。あの時迂闊にも結構な大金をお財布に入れていたのも悔しかったのですが、それ以上に個人的に大切にしていたものが入っていたので、余計に嫌な事件でした。「お金はいいからお財布だけ返して」と頼んだのですが、捕まえた女の子は「知らない」の一点張り。

私の被害歴は、この事件よりも何年も前、イタリアに初めて旅行したときに、友人のバッグの中に入れておいてもらったカメラが最初です。私のカメラは大して立派なものでもなかったので、旅行中の写真が無くなったのが一番悔しく、実際は上等なバッグを切られてしまった友人の方が被害が大きかったかもしれません。それに旅行中たくさんいい思いしたので、カメラはその代償かなくらいに思えるほどだったんですけれど・・・。

実際に物を盗られてしまったのはこの二度だけですが、鞄を切られたこと1回、鞄の中に手が入っているのを振り払ったことが1回あります。ここ数年は注意の仕方がわかってきたので何も起こらないのですが、やはりいかにもジンガリ姿の人々が近くに来ると背筋が凍ってしまいます。この前も、地下鉄に乗ろうとしたときに、扉近くのおじさんが鞄をしっかり抱えたので、私が泥棒と思われたのかとカチンときて、泥棒ではない!という風に私も大げさに鞄を抱えると、一緒にいた友人が「あ~よかった、降りて行ったよ」と。実は私と友人の後ろについてジンガリ少女が二人乗り込んできたんですね。おじさんはそれで鞄を抱えたわけで、そこへきて私も大げさに鞄を抱えたので、その二人はチッと舌を鳴らして去っていったわけです。

そして昨日。学生や教師達の大型デモがあったために、バスに遅れが出たにでしょう。バスの中は既に満員で、私が乗ったバス停の次のバス停でジンガリの集団が乗り込んできたときには、逃げて降りることもできず。私の後ろには二人のジンガリがぴったり。込んでいて彼らにむしろ押されているような状況で、鞄はなるべく上の方に掲げるように持って頑張りました。幸い私の降りるバス停では何人も降りる人がいたので、その人たちについてジンガリたちを掻き分け下車。一緒に降りた女の人が「あ~悪夢だわ!」と一言。降りた後も私は膝がガクガクでした。

このバス71番は少々治安の悪い鉄道の駅ティブルティーナ行きで、彼らが集団で乗ってきたところには有名なPiazza Vittorioの近くのメルカート(市場)があるので、ティブルティーナからメルカートにジンガリたちが買い物に行くのだと後で友達に聞きました。観光客が乗るようなバスではないので、彼らも盗みが目的ではないし、日本人にも思われないだろうから大丈夫だとダニィにも言われましたが・・・一体それはどういう意味じゃ!

前日にジンガリや貧しくて犯罪をおかすような外国人たちを扱った映画を見たのもいけませんでした。ちなみに"Il resto della notte"(Francesco Munzi監督 2008年 イタリア)という映画です。カンヌ映画祭の監督週間とかいうのには出品されていた作品のようですよ。

日本公開、ちょっと怪しいかな?

ショーペロ

2008-11-14 03:44:32 | ローマの平日
イタリアに来られる方、ショーペロというイタリア語は知っておくことお薦めです。ご存知の方も多いかと思いますが、ショーペロ(sciopero)とはつまりストライキのこと。イタリアはストが多いことで有名ですが、色々計画を立ててやってきた旅行客たちには本当に迷惑なことだと思いますよ。国外では簡単に情報を得られないでしょうし、イタリアに着いて突然、「ショーペロですから、交通機関はありません」では頭の中は何?何?何?でしょうね。住んでいる者は、ある程度慣れてしまっていて、「仕方がない、家で何かをするか」、なんて感覚だったり、緊急の場合は車では移動できますからね。

ところでこの間の日曜日の夜から月曜日のストの時には、アメリカから知り合いが来ていました。ナポリ方面のガエタという海辺の町の親戚を訪ねてきていたのですが、イタリアに着いて一週間が経っていたにも係わらず、ストの話は知りませんでした。私がその話をすると、やはり、何てこと、どこにも移動できないの、という剣幕で"Why?Why?"とすぐに受け入れられない。気持はわかるのですが、私がいつも受ける対応、つまり「イタリアですから」とか「仕方がないですね」を私もするしかなく・・・。この国って、本当に悔しい思いをすることが多くて、それでも自分に降ってこない場合は、ヒトゴト~になっている冷たい自分がいます。

ここ数日もアリタリア航空の従業員のストで出発がキャンセルになり、空港で立ち往生の人々が「イタリア人でいることが恥ずかしい」とか「もう絶対にアリタリアは使わない」と怒りをぶちまけているのがテレビに映されていました。全くひどいな~、ずっと前から旅行を楽しみに計画していた人や、緊急の用事で移動が必要な人、このことで大損害を受ける人々はどうなるのだろう、etc.etc.テレビの前でダニィにいつもの「イタリアって全く・・・」のコメントをしていたわけですが・・・。

「12月12日もストらしいよ」とダニィ。「全くストばっかり、どうなってるのこの国は。日本なんてね・・・」を始めた私に、「出発12日だったよね」とダニィ。なんとこともあろうに私が日本帰国を予定している12月12日にゼネラルストが予定されているとのニュースが流れたのでした。今までヒトゴトのストが、急展開私ごとになり、パニックですよ。「そんなバカな・・・」です。

私が乗ることになっているのは英国航空なので、ロンドン・東京間は問題ないはずですが、12日に空港で働く人々がストに皆参加してしまったら、当然ローマ・ロンドン間の飛行機は出発しません。ストなんてぎりぎりにならないと、実際に行われるのか、何時から何時までなのか、どの程度のストなのかわかりませんよね。もしかしたら問題なく出発できるかもしれないわけです。でも電車で国内旅行をするというレベルではないので、当日になって、「返金されますが、日本にはいけません」では絶対に困る。

私としては前日にロンドンまで行ってしまった方が安心と思うのですが、ダニィの知り合いの旅行代理店の人は「大丈夫、心配ない」という。つまり乗るはずだった飛行機に間に合わず乗れなくても、後のに乗せてくれるし、ロンドンで泊まることになれば宿泊代も出してくれるはずだと。万一席がなかったらどうするの?お金の問題より日本に行けなくなることの可能性のほうが心配なのよ~。

「万一の場合には英国航空に知り合いがいるから何とかしてもらうわよ」との話も。この「知り合い」もくせもの。どこまで当てになるのか。イタリア人はすぐに「大丈夫、大丈夫」というけれど、責任をどこまで持ってくれるのか。確実でないなら「大丈夫」は聞きたくない。

何か問題があるとイタリアではスムーズに行かないので、リスクがあるのならロンドンまで行っておいた方がいいのではないかと思うのですが、いかがなものでしょう。ストで私だけでなく、多くの人が移動をストップされてしまったら、解決を求めようにもカウンターで私の番は永久に来ないと思うのですよ。(日常生活でも、自分の番が来ないことが多い私。)

もし、どなたかこんな経験のある方にお読みいただけたら、アドバイスコメントお願いします。


あ、ところで間違えがありました。少し前にベルルスコーニ首相の任期が7年と書きましたが、7年は大統領で、首相は5年でした。すみません。



Sorry, Mr.Obama

2008-11-10 09:12:31 | ローマの平日
次の米国大統領に対して「日焼けしていてかっこいい」・・・なんとも呆れた一言。ベルルスコーニ首相に失言が多いことは有名らしいですが、そんな首相の国に住んでいる者としては、こちらまで恥ずかしくなりますね。おまけにその失言に対して攻撃されると、自分は賛辞のつもりで言っただけ、そんなユーモアのセンスがわからない者こそがバカだと言い返したとか。ああ間抜け。こんな発言がユーモアのセンスとは、首相はご自身の品を下げただけ。一国の首相の公の言葉は、自分の言葉だけで留まらないことの認識もないのかしら。
これから7年もこの方がイタリアの首相かと思うと、近々イタリアは先進国首脳会議にも登場しなくなるのではないでしょうか・・・。先が不安です。

ところで、この一件にベルルスコーニ首相へ非難する人々の写真が新聞に出ていました。


掲げている英語の文がおもしろかったです。
"Why USA has Obama and we have Berlusconi??"
"In Italy we have a dangerous virus...Berlusconi!!! Sorry, Mr. President"
"Silvio is not my president."
etc.,etc.

ところでオバマ氏はさっそく他の国々の首脳方に電話連絡をいれているのですが、最初に連絡した国々の中にイタリアはありませんでした。日本の麻生首相は確か5番目以内に入っていたんじゃないですか。ベルルさんはこういうことにはかなり悔しい思いをする方のようで、それを知っている国民も「ああ、今頃悔しがっているよ」と笑いものにしているのも、なんだか変な感じです。

首相にしろ、危機感のない国民にしろ、将来の不安なお国であります・・・。

うえをむ~いて あ~るこお~~

2008-11-04 08:40:23 | ローマの平日
外国にいると日本のことが話題になることがよくありますよね。気を遣って話題にしてくれるときもあるのでしょうが、時に「それってなんだっけ?」とむしろ恥ずかしい状況に直面することもあります。

先週モザイク教室で、いつもニコニコ挨拶をしてくれるおじさんが「これって日本の歌でしょ?」って坂本九さんの「上を向いて歩こう」を歌ってくれました。意味もわからずよくあれだけ歌えるなと感心しただけでなく、さすがはオペラの国の方、お声の出方が違うようです。

私はカラオケに行っても断固として歌わない嫌なタイプですが、外国にいる時は皆民間外交官でしょ、仕方なくおじさんとドゥエット。お恥ずかしながらおじさんの方がかなりうまかったんですけどね。さて、最初の方は覚えていたのですが、「幸せは~空の???どこだっけ?」、モゴモゴの私におじさんもわからなくなってしまいました。

この歌1960年代に"Sukiyaki"というタイトルで外国でもヒットしたんですよね。アメリカなんかでは知っている人も多く、日本語の授業(以前日本語教師をしてましたから)でも教材としてよく使われていました。でもイタリアで聞いたのは初めて。モザイク教室の他の人は知らなかったし、イタリアには来なかったのでしょうか。

家に帰ってイタリア語訳がないものかと探しましたが、英訳しか見つかりませんでした。なかなかいい歌詞ですよね。「涙がこぼれないように上を向いて歩く」なんて日本ぽいではありませんか。少なくともイタリア人には「涙をこらえる」なんて感覚がなさそう。すぐに泣いたり怒ったり、それも大袈裟に表現してくれる。

誰にでも一度はこんな悲しい夜道の経験ってありますよね。涙でにじんだ星を数える・・・うん、ある、ある。歌詞が良くて外国でもヒットしたのか、曲が良かったからか。でも日本語で歌われたようですね。

ところでこの”Sukiyaki”というタイトル、名づけた人が知っていた日本語の言葉が”Sukiyaki”と”Sayonara”だけだったからだそうです。日本語風に聞こえればなんでも良かったのかもしれませんが、歌詞の意味がわからず、sukiyakiを食べたことがある人には一体どんな歌だと思われていたのでしょうか。

歌の披露のあと、またこのおじさんに「箏と三味線には何弦あるの」と聞かれてまたオロオロ。三味線に関しては漢字を考えればわかることのなのに、私の頭の中は聞いたままkoto? Shamisen?の状態でした。なんともお恥ずかしい。
伝統的な箏は13弦だそうですよ。

おじさん、これからも勉強させてください。

停電?

2008-10-30 05:33:44 | ローマの平日
映画の試写会に行きました。Quattro Fontane (「四つの噴水」という意味)という映画館に行くときはなぜかいつも雨が降ります。今夜も嫌~な予感がしていましたが、やはり雨。それも雷も伴ったちょっとした嵐となりました。

車を駐車してから走ること10分。傘をさしていたにも関わらず映画館に着いたときはダニィも私もずぶ濡れ状態でした。映画館の中にいても雨の音が聞こえていたほどです。(映画館は通常外の音なんて聞こえないようにできていると思っていましたが。)

作品は"Il passato e' una terra straniera" (「過去は見知らぬ地」)というイタリア映画で、同名小説をもとにした映画のようです。ストーリーはまじめな普通の学生ジョルジョがポーカーのイカサマ師フランチェスコと出会うことで犯罪の世界に引き込まれていく・・・というもの。


"Il passato e' una terra straniera" ダニエレ・ヴィカーリ監督 2008年 イタリア

少し前にも"21"という学生がギャンブルの世界に引き込まれるアメリカ映画を見ました。邦題は「ラスベガスをぶっつぶせ」と言うらしいですね。
数学力で優秀なMITの学生達が教授の指導でカードゲームの攻略法をマスターし、ラスベガスに乗り込んでいくという話。最後は悪者は制裁されるハッピーエンドのありがちな映画です。

 
「ラスベガスをぶっつぶせ」ロバート・ルケティック監督 2008年 アメリカ 

それに比べると今回のイタリア映画の方は、結構荒々しい展開になります。終わり方がちょっと中途半端の印象でした。
私の好きなタイプの映画ではなかったので、映画の話は今回はこのくらいで

さて、映画が終わって外に出ると雨は降っていませんでしたが、まだ稲光が時折見えました。もうずぶ濡れは懲り懲りということで、ダニィに車までまたも1全力疾走させられました。あちらこちらにかなり大型の水溜りがあり、大嵐だったようです。途中倒木もありました。

そしていつもの道を家に向かう途中のことでした。ダニィが「この辺電気が消えて真っ暗だけれど停電かなあ」と言う。ローマはいつも薄暗いので私は気がつきませんでしたが、そういえば街燈が消えている。確かに雷も凄かったようだし、停電になった可能性はあるなあ、でも建物の中を見ると電気がついている所もある。

そして次に気がついたのは、信号が消えている!でした。結構遅い時間でしたが、まだ交通量はかなりありました。信号無しでもなんのその、通行が滞ることもありません。ダニィも普通と変わらない様子で運転を続けてましたよ。
普段からめちゃくちゃなので、こういうときでも何ともないということですか。

停電と言えば、以前住んでいたところではよくありました。天気が理由でなく、突然電気が停まるんです。日本では時に「○時から×時までこれこれの理由で停電になります。ご了承ください。」なんてお知らせがあったりしますが、イタリアではそんなのはないようです。なので突然電気製品が使えなかったりすると、まずは壊れたかなと思うのですが、冷蔵庫を開けると真っ暗というところで、異変を確認します。夜でないと外を見ても変化がすぐにわかりません。ドアを開けて、エレベーターが使えないとなると、うちだけではないとさらに停電を確認。洗濯機が途中で止まったりとか、炊飯器でご飯を炊いている最中だと、電気が戻ってきたときにどうなるのだろうなどと心配したものです。
近所の人と話しても、「停電らしいね~。早くすんでくれるといいけどね~」とのんびりしたものです。

今の家では電話が使えなくなる事件が2度ありました。こちらの四苦八苦の試みをよそに、数時間後に突然使えるようになりました。

「他の惑星に嫁いでしまったのか」といまだに思わされるローマの日常です。


イタリアは変われるの???

2008-10-26 23:26:28 | ローマの平日
マニフェスタツィオーネ(manifestazione)とは、イベントや催しという意味の他に集会やデモといった意味がありますが、イタリアでは後者の意味のマニフェスタツィオーネが頻繁にあります。これがあると、普段公共の交通機関が通る主要な通りも車が通行禁止になり、バスはルートを変えて走行することになります。(問題はそのルートが乗ってみるまでわからない、車内のアナウンスはない、などで土地勘の無い人には乗ってから「このバスは一体どこに行んだ?」とオロオロ状態になります。)

ここ数日間もそんな日が続いていました。というのも学校などの教育機関への予算が削減されたことで、学生や教師達が抗議のマニフェスタツィオーネを大学や学校などで行ったからです。

そして昨日(25日)は、Partito Dimocratico (英語で言えばDemocratic Partyですか)の大きな政治集会が開かれました。今のイタリアのベルルスコーニ首相とは反対の政党の左派の政党です。ベルルスコーニ首相の政策への抗議集会ですね。イタリア中から賛同者が集まる大集会と聞いていましたし、家の近くのチルコ・マッシモで開かれるということもあり、興味半分見学に出かけました。

地下鉄B線ピラミデの駅前と、A線レプブリカの共和国広場の2ヶ所がデモ行進の出発点で、最終的にチルコ・マッシモに結集すると聞いていました。私はピラミデの隣の駅に住んでいるので、一駅地下鉄に乗り(「そのくらい歩けよ」とも言われますが・・・)、行進が始まる14時を少し過ぎた頃に着きました。いつもは車通りの激しい駅前の広場が・・・

政党の旗を掲げた参加者でいっぱい。

ピラミデっていうくらいですから、小さいですがピラミッドはちゃんとありますよ。

古代ローマ時代の遺跡だそうです。このモニュメントの裏には、外国人墓地(ノンカトリック墓地)があって、有名人のお墓もあるそうです。
ここも通行止めになってます。

ここからチルコ・マッシモまでは1Km位。旗を掲げた人々が、歌を歌ったり、音楽を流したりしながら歩きます。


私は興味本位の旅行者みたいなもので、列からはずれてついて行きました。デモ行進といっても、前日の大学や学校での抗議集会と違って、かなり穏やかなまるでハイキングのようなデモでした。確かにイタリア中から来ているようで、よく見るとグループごとに自分の町の名前を掲げて歩いていました。

私はデモの最前列について行ってしまったので、チルコ・マッシモに到着したときには、まだ人が少なく・・・。

ステージ近く部分。


後ろの方。風船がいっぱいで、お祭りみたいですね。

チルコ・マッシモもまた古代ローマ時代に遡りますが、当時の一番大きい競技場でしたから、(今はただのだだっ広い広場ですけれど)かなりの人数を収容できるスペースがあります。向かい側の丘はパラティーノの丘で、丘の上の宮廷(遺跡が残っています)からローマ皇帝は競技を眺めたのですね。

今までに私はスティングのコンサートと、サッカーのワールドカップでイタリアが優勝した際に、この広場が人で一杯になったのを見ました。ただただ凄いです。

これだけ人が集まるのですから、警備も厳重?おしゃべりに忙しそうに見えましたけど。


行進の人々が全て到着するまで、ステージの上ではコンサートが催されていました。私はもっと後に来るんだったと後悔しながら、1時間ほどぶらぶら。

ステージ近くに人がこの程度集まったところで帰ることにしました。この日はかなりの夏日で、帰ってジェラートを食べようという誘惑が頭の大部分を占めてしまいました。

歩いてきた道を逆行したわけですが、デモ行進の列はまだ続いていて、ピラミデについてもまだこれから出発するグループでいっぱい。

家でテレビを付けると生中継をやっていました。集会が始まり党首のヴェルトロー二さん(前ローマ市長、首相の候補者でもありました)の演説が始まる頃には、チルコ・マッシモは隙間なく人で埋まっていました。(これを目で見たかったんだけれど・・・)。2,500,000人集まったそうですよ。

ジェラートを手にテレビで演説を聴いていましたが、おっしゃることはごもっとも、この集まった人々が本当に心からイタリアを改善しようと思ったら可能なんじゃないかなあとは思いましたが、実際は半分お祭りみたいで、この機会にローマを見に行こうじゃないかなんて人が大半なのではという印象を正直受けてしまいました。
ダニィも「政党の支持者もサッカーのチームのファンと同じだよ」とのこと。

この皆さんが、政府がこうだからできないって文句を言っているだけじゃなくて、それぞれの仕事場などで、それぞれがちょっと真面目に、そして「賢く」働いてくれれば、そこからでもイタリアは改善すると思うんですけれど。