たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

井村君江著『ケルト妖精学』より_フェアリーランドへの道(1)

2014年02月08日 14時00分51秒 | 井村君江著『ケルト妖精学』
 それまでにケルト民族が、先史時代から持っていた土着の信仰は、ドルイド教であった。ジュリアス・シーザーがこの古代信仰について書いた記録が残っているが、その中で彼は「ドルイドたちは、霊魂は滅びず、一つの体から他の体へと移っていくことを信じている」と言っている。

 これはすなわち、ドルイドたちが「霊魂不滅の思想」と、生命は「転生」し再生しめぐっていくという考えを持っていたことを示していよう。彼らの信仰は太陽崇拝であり、占星術を重んじ、自然は霊的な力を持つという汎神論であった。自然すなわち太陽・星など天体の軌道の上の運行、四季の移ろい、そうした悠久の円環の動きを崇拝し、すべての霊はこの軌道と同じサイクルを迎えるとドルイドたちは信じていたのである。こうした霊魂不滅・転生思想が、今日までケルト民族の根元に流れており、彼らの死生観や自然観を形成しているのである。

 ケルト民族たちは死というものを終わりとは見ず、もう一つの生への入口とし、また死は永い生の中心であるとする。従って人間の生命と自然や動植物の生命には、密接な関係があり、さらに眼に見えぬ力が生命のすべてを支配し、動かしているという考えが生まれてくる。われわれが死んだとみなす魂も、それは次の転生を待つ間の休息状態にあるのだと考えた。

(講談社学術文庫 1996年発行39頁より引用)

春の雪の日に

2014年02月08日 13時59分48秒 | 日記
母の三回忌を心静かに迎えたいという思いはかなわなかった。
新幹線に乗らなければいけないのだけれど、ここを離れるとネットがつながらないし、
部屋を出る時不安におそわれるので、なかなか出られないでいる。


年始早々に始まり一方的に振り回されてきたことの意味が、最後に行くべき所に行ってようやくわかった。
人を要らないとなれば雇用形態に関わらず、だいたいこういうものだそうだ。
本当に真実を知ろうとしたら、残念ながら裁判を起こすしか方法はない。


いろいろと調べた。相談にいった。もういいやとひこうとしていたところを、ほんのわずかのタイミングで、もう少しがんばってみたらと後押しをしてくれた人たちがいてふんばることができた。心ある人に出会うこともできた。たくさんのことを学んだし、社会に向けて発信すべきことがたくさんある。無駄ではなかったと思う。


間違ったレールの上を走り始めてしまって、間違っていることに気づいた時には後戻りできない。そのまま走り続けようとしている。どこかで脱線するのではないか・・・。
自分はその列車から降りなければならない。やれることはだいたいやった。


ただ長くいて慣れ親しんだ人たちが惜しんでくれるので、気持ちの切り替えまでにはまだまだ苦しい。


人にあったかい、数字だけじゃない、私を本当に必要としてくれる所はあるのだろうか。
考え続ける。具体的にはまだ描けない。ただ考えているだけだ。