『THEハプスブルク』展、2009年9月25日から12月14日まで六本木の国立新美術館で開催されました。『エリザベート』が宝塚で1996年に初演、東宝で2000年に初演されていたので盛り上がりました。音声ガイドは東宝『エリザベート』でルキーニ役をシングルキャストで長く務めた高嶋政宏さん。ようやく分厚い本を読みながら少しずつ振り返り。
「実質的にハプスブルク家最後の皇帝として玉座についたのが、フランツ・ヨーゼフである。生真面目すぎて魅力に欠け、仕事ぶりも勤勉な官僚そのもの、おかげで人気は薄いが、しかしその一生を振り返ったとき、運命はまるで彼の地味な性格を補うかのごとく、実にドラマティックな出来事を次々繰り出してきた。
フランツ・ヨーゼフは古めかしい小説の清廉な主人公のように、さまざまな難事や敵の仕掛ける罠をくぐりぬけ、あるいはひたすら耐え続け、決して自暴自棄にならず、ショックを受けて人格が変わることもなく、仕事の手を止めることはさらになく、歴史における自らの役割と淡々とこなしていった。
18歳での戴冠だが、まずそこからして異例だった。なぜならフェルナンド一世が世継ぎを残さず亡くなったとき、次は当然、継承順位一位の実弟カール大公に王冠がゆくと誰もが思った。ところが「無能な人間ではだめだ」と、他ならぬカールの妻ゾフィーが強力な横槍を入れる。後に「ハプスブルク家唯一の<男>」と呼ばれる猛女ゾフィーは、こうして自分の夫を蹴落とし、可愛い長男フランツ・ヨーゼフを皇帝に仕立て上げたのだ。そのためフランツは生涯、母に頭が上がらなかったと言われるが、むしろ母の政治力に頼ったというのが本当だろう。国民感情が王制廃止へと向く中、颯爽と登場した若き皇帝は-ゾフィーの思惑どおり-人々の心を、一時的とはいえなだめることができた。
孝行息子のフランツが母に逆らったのはただ一度、自らの結婚相手の選択においてだった。ヴィンターハルター描く《オーストリア皇妃エリザベート》を見ると、フランツの燃える恋心も納得させられよう。とはいえ長い目でみてこの結婚が正しかったかどうかはわからない。少なくとも幸せな夫婦生活ではなかった。エリザベートは窮屈な宮廷に窒息させられ、四人の子どもを生んだあとは(ひとりは早逝)、カイザーリン(=皇后)ならぬライザーリン(=旅人)と揶揄されるほど、旅から旅の日々を送り、夫や宮廷をほとんど顧みなかった。
フランツ・ヨーゼフは妻の支えなく、難局に立ち向かう。オーストリア・プロイセン戦争で大敗し、ハンガリーの半独立を譲歩し、イタリアからも撤退するなど、帝国の領土は減ってゆく。私生活でも、メキシコ皇帝になった弟マクシミリアンの処刑に続き、一人息子ルドルフのマイヤーリンクでの心中という悲劇が襲う。
ハンガリーを代表する画家ムンカーチの手になる老皇帝の肖像からは、義務にがんじがらめにされた男性の、ひとつの典型を見る思いがする。この時点ですでに十分痛ましいのに、二年後にはエリザベートのスイスでの暗殺が控えていた。皇后死去の報を受けた彼は「わたしはもうあらゆる辛酸をなめ尽くした」とつぶやき、仕事にもどったという。まだ終わりではない。後継者に選んだ甥のフェルディナント皇太子夫妻まで、セルビアで暗殺される(これが第一次世界大戦の引き金となる)。
在位68年、激動のヨーロッパ情勢を鑑みれば、よくぞ続いたという長さである。フランツ・ヨーゼフは半ば気づいていたのではないだろうか、自分は王朝終焉の役割を担わされた身なのだと・・・。」
(家庭画報特別編集『ハプスブルク美の遺産を旅する』より)
「実質的にハプスブルク家最後の皇帝として玉座についたのが、フランツ・ヨーゼフである。生真面目すぎて魅力に欠け、仕事ぶりも勤勉な官僚そのもの、おかげで人気は薄いが、しかしその一生を振り返ったとき、運命はまるで彼の地味な性格を補うかのごとく、実にドラマティックな出来事を次々繰り出してきた。
フランツ・ヨーゼフは古めかしい小説の清廉な主人公のように、さまざまな難事や敵の仕掛ける罠をくぐりぬけ、あるいはひたすら耐え続け、決して自暴自棄にならず、ショックを受けて人格が変わることもなく、仕事の手を止めることはさらになく、歴史における自らの役割と淡々とこなしていった。
18歳での戴冠だが、まずそこからして異例だった。なぜならフェルナンド一世が世継ぎを残さず亡くなったとき、次は当然、継承順位一位の実弟カール大公に王冠がゆくと誰もが思った。ところが「無能な人間ではだめだ」と、他ならぬカールの妻ゾフィーが強力な横槍を入れる。後に「ハプスブルク家唯一の<男>」と呼ばれる猛女ゾフィーは、こうして自分の夫を蹴落とし、可愛い長男フランツ・ヨーゼフを皇帝に仕立て上げたのだ。そのためフランツは生涯、母に頭が上がらなかったと言われるが、むしろ母の政治力に頼ったというのが本当だろう。国民感情が王制廃止へと向く中、颯爽と登場した若き皇帝は-ゾフィーの思惑どおり-人々の心を、一時的とはいえなだめることができた。
孝行息子のフランツが母に逆らったのはただ一度、自らの結婚相手の選択においてだった。ヴィンターハルター描く《オーストリア皇妃エリザベート》を見ると、フランツの燃える恋心も納得させられよう。とはいえ長い目でみてこの結婚が正しかったかどうかはわからない。少なくとも幸せな夫婦生活ではなかった。エリザベートは窮屈な宮廷に窒息させられ、四人の子どもを生んだあとは(ひとりは早逝)、カイザーリン(=皇后)ならぬライザーリン(=旅人)と揶揄されるほど、旅から旅の日々を送り、夫や宮廷をほとんど顧みなかった。
フランツ・ヨーゼフは妻の支えなく、難局に立ち向かう。オーストリア・プロイセン戦争で大敗し、ハンガリーの半独立を譲歩し、イタリアからも撤退するなど、帝国の領土は減ってゆく。私生活でも、メキシコ皇帝になった弟マクシミリアンの処刑に続き、一人息子ルドルフのマイヤーリンクでの心中という悲劇が襲う。
ハンガリーを代表する画家ムンカーチの手になる老皇帝の肖像からは、義務にがんじがらめにされた男性の、ひとつの典型を見る思いがする。この時点ですでに十分痛ましいのに、二年後にはエリザベートのスイスでの暗殺が控えていた。皇后死去の報を受けた彼は「わたしはもうあらゆる辛酸をなめ尽くした」とつぶやき、仕事にもどったという。まだ終わりではない。後継者に選んだ甥のフェルディナント皇太子夫妻まで、セルビアで暗殺される(これが第一次世界大戦の引き金となる)。
在位68年、激動のヨーロッパ情勢を鑑みれば、よくぞ続いたという長さである。フランツ・ヨーゼフは半ば気づいていたのではないだろうか、自分は王朝終焉の役割を担わされた身なのだと・・・。」
(家庭画報特別編集『ハプスブルク美の遺産を旅する』より)
ハプスブルク家「美の遺産」を旅する 改訂新版 (家庭画報特別編集) | |
南川三治郎 | |
世界文化社 |