たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出写真-アルプス登山電車

2021年06月17日 07時50分42秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
旅の思い出写真-アルプス登山電車
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/1b20dc3ad2e2cecb93c0b2b29acb4f1d

「アイガー北壁、ヨーロッパ三大北壁の一つ、私たちのあこがれの的。

 ヒマラヤ鉄の時代。ハーケンを打ち、アブミを使い、手と足を使うだけではどうしても登ることのできない垂直を超えた世界、この世界が存在する以上、それを見たい。

 幾多の山々の頂が、人々によって踏まれつくされても、それらの行程はそれぞれの一つの線でしかない。つまり頂は一つであってもその行程は千差万別、そのなかで、より魅力的な道こそ、私たちの求めるところ。

 あこがれの北壁、アイガーと、垂直を超えた世界へのあこがれが、私たちの仲間の中で結びついたのは1968年の夏のころからだった。

 近代登山の進歩とともに世界の山々はつぎつぎに登られた。そして世界一高いヒマラヤのエベレストも1953年、イギリス人ヒラリーとネパールのシェルパ、テンジンによって征服された。ある一部の人たちは、これで世界の山に未知の世界はなくなったという。

 たしかに、この地球上ではもう、高さを求める意味でのパイオニア・ワークはすでにこのとき終止符を打ったといえる。

 しかし、山という自然は、そんな簡単に、その全容を人間にあかしてはくれないものだ。同じ山の、同じ道さえ、登るたびに、そこにはいつも目新しいものが待ちうけている。その道が遠かったらなおさらのこと、さらにそれが、新しい場所であれば、この山は想像することもできなかった別の魅力を展開してくれる。山とはそんなものだと思う。だから私はそれを見たい。」

「アイガー北壁は日本的な山だ。黒い湿った岩肌、青白く光る雪面、一日じゅう日の当たらない陰気なその岸壁は、きりに巻かれた夜明けの谷川岳一の倉沢にも似ている。それが第一の印象だった。」

(今井通子『続私の北壁』、昭和57年11月20日第一刷発行、朝日新聞社)

 20歳前後の頃だったと思います、まだ郷里で暮らしていた時、今井通子さんの公演を聴いたことがあります。壇上に現れた時歩幅が広く背筋まっすぐ、颯爽としていて素敵でした。この頃山への漠とした憧れを抱いていました。アイガー登頂の隊員のお一人だった加藤保夫氏の『雪煙をめざして』も、今は手元にありませんが読んでいました。20年以上の時を経て、登山電車でアイガーのお腹を通り抜けた時は、なんとも不思議な感覚でした。二度と戻らない時、この頃を振り返ってみると今また居場所を見つけられたとしてお給料はこの頃の半分、だからプリンス・エドワード島にも三度行くことができました。つらくてつらくて仕方なかったですが、だから自分から辞めるとは言えませんでした。その自分をこれ以上責めることはもうやめようと思います。こうしてヨーロッパにもカナダにもアメリカにも行くことができました。だらかそれはそれでよかったのです。アルプスの山々、この世にいる間にもう一度出会うことはないでしょう、この時しかありませんでした。後悔はありません。

 15年ぐらい前山歩きをしていた時期がありました。トレッキングシューズ、ザックなど、今井通子さんのご主人が開いた登山用具専門店のカモシカスポーツで購入しました。トレッキングシューズ、この旅にも持参し登山電車に乗る時履きました。真冬のカナダを往復した時も持参して、雪のモントリオールを歩くのに役立ったかな。何年も使っていないのでザックの内部はごわごわ、シューズの底はすっかりはがれてしまいました。シューズは革のしっかりしたものなのではり直せばまた履くことができます。いつかまたこの世にいる間にカモシカスポーツではり直してもらって、その時と仲間と山歩きを楽しみたいという密かな思いがずっとあります。そんな穏やかな時が訪れてほしいです。






この記事についてブログを書く
« 第四章OLという存在-④女の子... | トップ | 宙組『ホテル スヴィッツラ ... »

ドイツロマンティック街道とスイスアルプス」カテゴリの最新記事