たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

苦悩していた日々を思い出す_実習記録ノートより(15)

2020年05月19日 19時47分03秒 | 祈り
「平成18年11月29日(水)晴 12日目

12日間をやり通した。途中、風邪をひくなどしたのでかなりきつかったが、最大の課題であった仕事との両立をこなすことができた。自分に拍手を送りたいと思う。すでに4日が過ぎようとしている。(12/3現在) フリースペースのゆるやかな時間がなつかしく思い出される。最後の一日は気負いもなく、楽しく過ごした。

常連のIさん、「がんばったね」と笑顔で言ってくれた。Hさんは、私がこじんまりとひっそり生きているようにみえるそうだ。細く長く・・・。そうだなあ、あたっているかもしれない。Oさんは年齢の近いことがわかってか、気さくに話しかけてくれる。障害者手帳を見せてくれた。2級とある。そうなんだ。病気と障害をもっているんだ。だが、その前に、Oさんは固有の人格をもった人である。私はOさんと話した。今度食事に行こうよと誘ってくれたが、普段は東京で仕事をしているのでFには来れないこと、国家試験が終わったら、〇〇〇〇に遊びに来たいと思っていることを伝えた。そして「ありがとう」も。
Kさんは、風邪をひいていたようでしばらく顔を見なかった。定期券を買って市外から来ている常連さんだ。20代後半。家を出てくる時、「あなたはゆっくりできていいわねと母親に言われちゃったよ」と話す。彼の疾患名は知らない。病気であることが問題ではなく、病気によって生じる生活のしづらさが問題であるとは、そういうことなのだ。そういうことに焦点をあてていくのがPSWの役割だ。最近買ったらしいCDウォークマンをきかせてくれた。嬉しそうだ。
Nさんは昨晩眠れなかったと、ソファから立ち上がるのがつらそうだ。休憩から戻って来た時には、姿が見えなかったので帰ることができたのだろう。KさんとNさんにはありがとうを言うタイミングを逸してしまったのが少し残念だ。
Tさん、女性。20代後半。週4日、働いているようだ。
「幻聴がきこえてしまった」と他の利用者さんに話しているのを耳にする。にこやかだ。とてもパワーを感じる。彼女は今仕事に行くことができている。それはとても大切なことにちがいない。

私は実習をスタートする時、利用者さん達を受け入れなければ・・・、お話をきいてあげなければ・・・と思いこんでいた。だが全く逆だった。私が受け入れられたし、パワーをもらった。人が生きるエネルギーを利用者さん達は私に伝えてくれた。オブラートに包まれていない素の人ってこんなにすごいエネルギーをもっているんだ。
Nさん、女性、初来所。思い切って声をかけてみた。うつであること、旦那さんは理解があること、家で一人いるとつらいこと、短期的に仕事をしていることなど話してくれた。がんばって生きているんだなあ。〇〇〇〇に来ようと思って、一歩踏み出した。私は彼女の話を聴くことができていただろうか。私と話している時、彼女はほんの少しでも心地いい感じになっていただろうか。そうであればいいが・・・。

12日間は終わってみれば、長くもあったが短くもあった。
たくさんのことをおしえてもらったし、考えさせられた。
人間と関わっていくことにこれが正しい、まちがっているという絶対的なものなどない。その深さを少しではあるが肌で感じることができた。
これから自分がどう関わっていくかということはまだみえてこない。作業所や他の生活支援センターなどもみてみたいと思う。〇〇〇〇のスタッフさんやボラさんともっともっと色々話したいと思う。
〇〇〇〇で学んだことを生かして、専門的な視点をみがいていくこと、具体的にどんな方向へ進んでいくのか手探りしていくことがこれからの課題だ。
あせることはない。

12日間をやり通したこと、ずっと越えられなくて苦しかった壁を乗り越えられたかもしれないこと、オリエンテーション時の所長の言葉通り、楽しかったで終われたこと、今の私には精一杯の十分な実習だったと思う。
〇〇〇〇の利用者さん、スタッフさんに心からありがとうを伝えたい。そしてがんばった私を少しだけほめてあげたいと思う。」


大会社で二人分労働しながら己に鞭うち続けてなんとかやりくりした12日間の長い実習はようやく終わりました。自分をオブラートに包むことができなくなった方々との時間は、日頃いかに自分で自分をオブラートに包むことに必死になっているのかを知ることとなった時間でもあったかもしれません。

業務としてわたしが障害者手帳を持っている方々と会うことが日常となったのはようやく前々職、この実習を経て国家試験合格から10年ほどの時が流れていました。結果的に使い捨て同然の契約終了となるまで大会社を抜けだすことができませんでした。手帳更新のための診断書なども日常的にみるようになって、ようやく私の中で統合失調症は誰もがなり得るものなのだということが私の中でおりてきたのかもしれません。

スクーリングでの精神医学の講師の断片的に時々思い出します。自分の母も含めて統合失調症を発症する人は100人に一人と言われていると。山手線の話がでました。くわしい数字の話は忘れてしまったので調べてみました。山手線は11両編成、ロングシートの1両当たりの乗車定員は座席と立席をあわせて150~160名ぐらい。11両編成の山手線の中に統合失調症になる可能性のある方は20人前後いるということになります。精神疾患になりたくてなる人はいない。100人に一人発症した人は他の99人分を背負ってくれているのだと、私の中に素直におりてくるまで長い時間が必要でした。

心を病むことは深いことなのだとおしえられました。

こうした実習もまだ存命だった母と物理的に距離をおくことが可能にしました。郷里との距離、私の中で大切なことでした。


まずはウィークリーマンションを借りて住民票を移すところからからやり直し、どこの駅の近くに部屋を借りるところからやり直せばいいのか・・・。


気がつけばおばあさんですが生きているかぎり、人生は続いて行く・・・。

迷い悩んでいる間に人生終わってしまいますかね、そんなことはない・・・?!


こんなブログへの訪問、ありがとうございます。

この記事についてブログを書く
« 2014年『CELEBRATION100!TAKA... | トップ | 『Anne of Green Gables』よ... »

祈り」カテゴリの最新記事