プログラムより秦建日子(TAKEHIKO HATA)監督のコラムを引用します。
「「あー、幸せな一生だった!」
いつか必ず来る人生最期の日。その時、心から満足しながら死ぬためには、今、自分は何をすべきか? 40代になった頃から、そんなことを毎日考えるようになっていました。やっぱり仕事か。仕事だろう。でも、それってどういう仕事だろう。効率よく稼ぐための仕事? 有名になれる仕事? それはそれでありがたい仕事ではあるけれど、死の間際に「幸せだった」と振り返るものとは違う気がします。
そんな時でした。
「三重県の桑名という町を、映画を通じて活性化させたいので協力してもらいないか?」という話が来ました。映画製作についてはみんな素人。お金はあまり無い。でも郷土愛だけはどこにも負けないという人たち。その瞬間、私のセンサーがビビビッと反応しました。自分がずっと待っていたのは、こういう仕事だったのではないか?それから、桑名市に頻繁に通う日々が始まりました。」
幸せな人生だったと思えるのはどんな生き方なのか、人生の柱が仕事であるとするならば、どんな仕事に携わって生きていくのが幸せなのか、お金がなくては人は生きていくことができないけれどお金のためだけではない仕事をすることはできないのか。私はどんな仕事をしたいのか。
映画の中では、海斗君(加藤清史郎)のお父さんが工場長を務める東京に本社のあるサブリメントを製造する会社の桑名にある工場が閉鎖されることになり、仕事を失うことになる瑞希ちゃん(久志本眞子)のお父さんら工場で働く従業員と対立するというストーリィが背景として描かれています。瑞希ちゃんのお父さんたちの雇用形態は派遣社員。そこにわたしの気持ちがすごく反応してしまいました。解雇が決まった時、工場をつくる時に、地元を活性化させるために五年間は雇用を守るって言ったじゃないか、お前がなんとかしろよ、って瑞希ちゃんのお父さんたち従業員が海斗君のお父さんである工場長に詰め寄り乱闘となった結果、海斗君のお父さんが警察を呼んだために瑞希ちゃんのお父さんは逮捕されてしまいます。そんな大人たちの関係性が同級生でジャズ部をつくった子供たちの関係性に影響をもたらそうとします。
脚本も書かれた建監督が天下の悪法である労働者派遣法のことをどこまでご存知かわかりませんが、リアルに考えれば瑞希ちゃんのお父さんたち工場の従業員の契約は5年間は雇用するという口約束ではあっても実際の契約書は最長でも一年、短いと三か月、あるいは六か月の契約期間を繰り返し更新していくというかたちだったはずです。派遣で数年単位の契約書なんてありえません。契約期間が六カ月でも一年でも会社の都合で一か月前に契約終了を通告すれば違法ではないので会社はいとも簡単に従業員を解雇することができます。しかも派遣会社というフィルターを通して契約終了というかたちで解雇できます。それまでの実績が何カ月でも何年でも直近の契約期間に対しての話だけなので全く関係ありません。労働者派遣法とはそうやって大きな会社が簡単に雇用調整をするための法整備であり、それに対して従業員はあまりにも無力でなんの抵抗できる権利も手立てもないように上手く巧み法律は整備されています。海斗君のお父さんもまた会社にとってはただの労働者の一人であり、工場長という立場だからといって瑞希ちゃんのお父さんたちのために、本社の方針に逆らえば自分の雇用が守れないので逆らいたいと思ってもどうすることもできません。それが労使関係というもの。本筋である子供たちのジャズ部の話からそれたことを書いていますが、法律ってなんだろう、誰のために、何を守るためにあるのだろう、という根源的な問いかけにぶちからざるを得ないでいるわたしは映画をみながらそんなこともあらためて考えてしまったのでした。会社という組織体が生き残っていくために働く人の人生が犠牲になる。そんな社会ってなんだろう。働くってなんだろう。人はなんのために働くのか。そんなことを考えないではいられないのです。
さらに『クハナ』の本題からはそれていきます。具体的なことを書くことはできませんが、今わたしが日々携わっている仕組みも何年も前からさまざまなところで弊害を生んで社会をおかしくしてしまっていること。なのにそれが加速されようとしています。わたしその一端を担うことになってしまっています。こんな仕組みおかしいじゃないかと怒りをぶつけられるとき、その言われる内容に共感してしまう、まさにわたし自身が思ってきたことと同じということもあるだけに苦しいものがあります。こんなのやめた方がいいのに、って思いながら毎日やっています。矛盾がすごくみえてしまいます。だからよけいにただ面白くないだけの仕事になってしまっています。契約終了と共にきっぱりおさらば。二度と関わりたくないし、毎日顔合わせている人たちと二度と会いたくありません。監督が書かれているように、私にとっての、死の間際に幸せだったと思えるような仕事ってどんな仕事との出会いなのか。ただ考えるだけの日々は続いていきます。もうたくさんなので明日一日が一秒でも早く終わるようにと思います。今考えられるのは明日のことだけ。5日間フルなんてぞっとします。
本題からはだいぶ話がそれました。瑞希ちゃんのお父さんが逮捕されて、海斗君が同級生の男子に、「こいつのおとうさんが警察を呼んだんだ!」って言われたときの、清史郎君の寡黙な演技が好きです。何も言えない、つらさをぐっと噛みしめながらこらえるような表情がとてもよかったと思います。
またまた『クハナ』とは別の話ですが、憲ちゃんがエリザ千穐楽を終えた蘭乃はなさんのブログのお写真に登場しています。
http://ameblo.jp/ranno-hana/entry-12212400899.html
お兄ちゃんにそっくり。加藤兄弟のこれからがほんとに楽しみです。
『クハナ』のことはまた書きたいと思います。エリザのことも書きたいですが残念ながら時間切れとなりました。また後日あらためて。今日はこれでおしまい!
「「あー、幸せな一生だった!」
いつか必ず来る人生最期の日。その時、心から満足しながら死ぬためには、今、自分は何をすべきか? 40代になった頃から、そんなことを毎日考えるようになっていました。やっぱり仕事か。仕事だろう。でも、それってどういう仕事だろう。効率よく稼ぐための仕事? 有名になれる仕事? それはそれでありがたい仕事ではあるけれど、死の間際に「幸せだった」と振り返るものとは違う気がします。
そんな時でした。
「三重県の桑名という町を、映画を通じて活性化させたいので協力してもらいないか?」という話が来ました。映画製作についてはみんな素人。お金はあまり無い。でも郷土愛だけはどこにも負けないという人たち。その瞬間、私のセンサーがビビビッと反応しました。自分がずっと待っていたのは、こういう仕事だったのではないか?それから、桑名市に頻繁に通う日々が始まりました。」
幸せな人生だったと思えるのはどんな生き方なのか、人生の柱が仕事であるとするならば、どんな仕事に携わって生きていくのが幸せなのか、お金がなくては人は生きていくことができないけれどお金のためだけではない仕事をすることはできないのか。私はどんな仕事をしたいのか。
映画の中では、海斗君(加藤清史郎)のお父さんが工場長を務める東京に本社のあるサブリメントを製造する会社の桑名にある工場が閉鎖されることになり、仕事を失うことになる瑞希ちゃん(久志本眞子)のお父さんら工場で働く従業員と対立するというストーリィが背景として描かれています。瑞希ちゃんのお父さんたちの雇用形態は派遣社員。そこにわたしの気持ちがすごく反応してしまいました。解雇が決まった時、工場をつくる時に、地元を活性化させるために五年間は雇用を守るって言ったじゃないか、お前がなんとかしろよ、って瑞希ちゃんのお父さんたち従業員が海斗君のお父さんである工場長に詰め寄り乱闘となった結果、海斗君のお父さんが警察を呼んだために瑞希ちゃんのお父さんは逮捕されてしまいます。そんな大人たちの関係性が同級生でジャズ部をつくった子供たちの関係性に影響をもたらそうとします。
脚本も書かれた建監督が天下の悪法である労働者派遣法のことをどこまでご存知かわかりませんが、リアルに考えれば瑞希ちゃんのお父さんたち工場の従業員の契約は5年間は雇用するという口約束ではあっても実際の契約書は最長でも一年、短いと三か月、あるいは六か月の契約期間を繰り返し更新していくというかたちだったはずです。派遣で数年単位の契約書なんてありえません。契約期間が六カ月でも一年でも会社の都合で一か月前に契約終了を通告すれば違法ではないので会社はいとも簡単に従業員を解雇することができます。しかも派遣会社というフィルターを通して契約終了というかたちで解雇できます。それまでの実績が何カ月でも何年でも直近の契約期間に対しての話だけなので全く関係ありません。労働者派遣法とはそうやって大きな会社が簡単に雇用調整をするための法整備であり、それに対して従業員はあまりにも無力でなんの抵抗できる権利も手立てもないように上手く巧み法律は整備されています。海斗君のお父さんもまた会社にとってはただの労働者の一人であり、工場長という立場だからといって瑞希ちゃんのお父さんたちのために、本社の方針に逆らえば自分の雇用が守れないので逆らいたいと思ってもどうすることもできません。それが労使関係というもの。本筋である子供たちのジャズ部の話からそれたことを書いていますが、法律ってなんだろう、誰のために、何を守るためにあるのだろう、という根源的な問いかけにぶちからざるを得ないでいるわたしは映画をみながらそんなこともあらためて考えてしまったのでした。会社という組織体が生き残っていくために働く人の人生が犠牲になる。そんな社会ってなんだろう。働くってなんだろう。人はなんのために働くのか。そんなことを考えないではいられないのです。
さらに『クハナ』の本題からはそれていきます。具体的なことを書くことはできませんが、今わたしが日々携わっている仕組みも何年も前からさまざまなところで弊害を生んで社会をおかしくしてしまっていること。なのにそれが加速されようとしています。わたしその一端を担うことになってしまっています。こんな仕組みおかしいじゃないかと怒りをぶつけられるとき、その言われる内容に共感してしまう、まさにわたし自身が思ってきたことと同じということもあるだけに苦しいものがあります。こんなのやめた方がいいのに、って思いながら毎日やっています。矛盾がすごくみえてしまいます。だからよけいにただ面白くないだけの仕事になってしまっています。契約終了と共にきっぱりおさらば。二度と関わりたくないし、毎日顔合わせている人たちと二度と会いたくありません。監督が書かれているように、私にとっての、死の間際に幸せだったと思えるような仕事ってどんな仕事との出会いなのか。ただ考えるだけの日々は続いていきます。もうたくさんなので明日一日が一秒でも早く終わるようにと思います。今考えられるのは明日のことだけ。5日間フルなんてぞっとします。
本題からはだいぶ話がそれました。瑞希ちゃんのお父さんが逮捕されて、海斗君が同級生の男子に、「こいつのおとうさんが警察を呼んだんだ!」って言われたときの、清史郎君の寡黙な演技が好きです。何も言えない、つらさをぐっと噛みしめながらこらえるような表情がとてもよかったと思います。
またまた『クハナ』とは別の話ですが、憲ちゃんがエリザ千穐楽を終えた蘭乃はなさんのブログのお写真に登場しています。
http://ameblo.jp/ranno-hana/entry-12212400899.html
お兄ちゃんにそっくり。加藤兄弟のこれからがほんとに楽しみです。
『クハナ』のことはまた書きたいと思います。エリザのことも書きたいですが残念ながら時間切れとなりました。また後日あらためて。今日はこれでおしまい!