たんぽぽの心の旅のアルバム

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Meiji Seika ファルマ・小林社長 コスタイベで非科学的主張繰り返す2団体に法的措置へ 「看過できない」

2024年10月10日 19時12分40秒 | 気になるニュースあれこれ

Meiji Seika ファルマ・小林社長 コスタイベで非科学的主張繰り返す2団体に法的措置へ 「看過できない」 | ニュース | ミクスOnline (mixonline.jp)

「Meiji Seika ファルマの小林大吉郎代表取締役社長は10月8日に開いた新型コロナの次世代mRNAワクチン・コスタイベのメディアイベントで、「mRNAワクチン中止を求める国民連合」と日本看護倫理学会の代表者らに対し法的措置を講じると表明した。コスタイベに代表されるレプリコンワクチンで非科学的な主張を繰り返し発信し、日本看護倫理学会は各大学の看護部に向けてコスタイベを使わないよう求める活動を行っていることが判明したため。小林社長は、「誤解があれば解きたいとのスタンスだったが、もはや看過できない」と述べた。

小林社長によると、今回法的措置をとるのは、mRNAワクチン中止を求める国民連合(以下、国民連合)代表の後藤均氏、副代表の村上康文氏及び我那覇真子氏、日本看護倫理学会理事長の前田樹海氏となる。

◎国民連合に警告書 期限までに回答得られず

Meiji Seikaは本誌取材に、これまでに国民連合に対し、コスタイベに関する非科学的な根拠に基づく一方的な内容や、Meiji Seikaに関する事実と異なる情報を動画サイトで繰り返し発信していることについて警告書を送付したことを明らかにした。ただ、Meiji Seikaが設定した期限までに、警告書に対する回答は得られなかったと説明した。

◎日本看護倫理学会には要請書 シェディングに関する記述などの削除求める

日本看護倫理学会に対しては、同学会が主張する「レプリコンワクチンにシェディング(=ワクチン接種者から非接種者への感染)の懸念がある」などの複数の項目について、科学的知見に基づく説明とともに該当箇所の削除を求める要請書を送付した。同学会もホームページ上で、「9月27日にはMeiji Seika ファルマ株式会社より要請書が送付されており、国民の命と健康を守る同じ立場として、建設的な対話を通じた対応策を理事会で審議中」との考えを示していた。

なお、小林社長がこの日に示した法的措置の具体的な内容は明らかになっていない。

◎コスタイベの接種予約開始した医療機関に苦情電話や”星”1つ 「破壊活動に毅然と立ち向かう」

小林社長は9月25日にもコスタイベに関する記者会見を開き、コスタイベについて非科学的な主張を繰り返す医学・薬学の専門家(団体・個人)に対し、「民事刑事両面での法的措置を含め厳正に対処していく」と話していた(記事はこちら。コスタイベの非科学的な主張の代表例は、「投与後にmRNAワクチンが増殖し続ける」、「シェディングの懸念や可能性がある」といったものだが、Meiji Seikaや厚労省はこれらの主張・情報を否定している。

この日のメディアイベントで小林社長は、「9月25日以降、確証バイアスのかかった一部の意見ではなく、専門家からの科学的根拠に基づいた報道が増加。厚労省や関係学会からも正確な情報発信が開始された」とし、「非科学的な情報を否定し、安全性・有効性について言及」されているとの認識を示した。日本感染症学会、日本呼吸器学会、日本ワクチン協会の3学会合同の正式見解が一両日中に公開されることも明かし、10月からの定期接種で使用されるコスタイベを含む5つのワクチンについて、安全性に差はない旨の見解が示される見通しだと語った。

その一方で、小林社長は、コスタイベの予約受付を開始した医療機関へ電話やSNSを通じた誹謗中傷や脅迫が相次ぎ、診療継続が困難となる事態が発生したり、この医療機関の口コミ評価で星1つが大量にアップされるといった「業務妨害行為」が起こっていることも指摘した。コスタイベの予約受付を一旦中止する医療機関もあるという。

その上で、「これらはもう破壊行為。反ワク派(=反ワクチン派)の言動とは全く関係ない。こういうことが平然と行われていることに、コスタイベの製造販売元として看過できない」と強調。「破壊活動には毅然と立ち向かわないといけない。日本の公衆衛生における正確な情報提供の土台が崩れると危機感をもっている」とし、業務妨害行為に加担した人に対しても「製造販売を持つ会社としてきちっと対処していく」と述べた。

また、「非科学的な情報が蔓延することで、本来接種すべき人にワクチンが届かないことは、わが国の公衆衛生上の脅威だ」と改めて訴え、「関係省庁と連携して医療従事者や一般の方に正しい情報が届くように力を尽くしたい」と語った。

◎小林社長 製品化されたコスタイベを接種した人類初の人間に

小林社長はこの日のメディアイベントの前に、都内の医療機関でコスタイベを接種したことを明かした。製品化されたコスタイベを接種した人類初の人間が「どうやら私らしい」とし、「全く痛みはなかった。気分の違いという人もいるかもしれないが、非常に接種が簡単に済んだ」と感想を述べた。

コスタイベは次世代の自己増幅型mRNAワクチン。「レプリコンワクチン」とも呼ばれるもので、接種後の抗原タンパクをコードするmRNAが細胞内で複製され、持続的に抗原タンパクがつくられる。接種量が少なく、ワクチンの効果が長く持続することが期待されている。小林社長は「年1回の定期接種に向いているプロファイルを有するワクチンだ」と改めて紹介した。」
 
 
 鳥集さんの意見に全面的に同意します。問題はレプリコンワクチンの安全性、承認のプロセス云々とは別に、東京理科大学の村上名誉教授がレプリコンワクチンをうつとうった人の体内であらたなウィルスがつくられそれが人にうつる、人から人へとうつっていってワクチンパンデミックが起こる、うった人はバイオハザード、日本人だけで認可されたので日本人は海外に入国できなくなる、日本人殲滅作戦など言って個体間伝播説を唱えたこと。村上名誉教授はだんだんトーンダウンしてきていて、そんな非科学的なことはまず考えられないと忠告した宮沢先生を悪者にして鼻の下で笑い、可能性の一つとして個体間伝播説を言ったすぎないと言っていますが、初期の頃、真に受けた東北有志医師の会、我那覇真子さん、原口議員らが発信しまくった動画やツィッタースペースなど、これから削除するとしても明治製菓ファルマの弁護士が全て証拠保全しているでしょう。早い段階から目をつけて、9月28日の有明デモが終わるのを待っていたかのようなタイミングでの法的措置。数千万単位で弁護士費用を支払うことのできる巨大組織を相手に叶うはずないと思います。バックには国がいます。国はRNA技術が儲かるとわかったので中止することはない、コロナワクチン接種に反対する声を一網打尽にしてくるのではないかという宮沢先生の懸念が現実になってきているようにみえます。RNA技術はこれから目薬や動物ワクチンに広がるだろうという話があるようで非常におそろしいです。コロナワクチン接種後の健康被害に苦しんでいる方々や亡くなられたご遺族の声も封殺されてしまうことになっていかなければいいですが非常に心配な事態です。
 
 裁判となれば時間かかります。弁護士を頼むしかないのでしょうが弁護士費用がかかるし、示談にもちこもうとすれば大きな組織を相手に個人の支払い能力の範囲の金額ですむのか、すまないのか。村上氏の個体間伝播説を煽っていた人たちの中にはネズミ講法式で高額のアロマやサブリメントを売りさばき稼いでいる方がいるようで、わたしも信じてしまっていましたがワクチン反対派の中にも善意の仮面をかぶった悪魔たちがまじっているということ。見分けるのはむずかしく個体間伝播説を真にうけたか否かがリトマス試験紙となりました。宮沢先生やアメリカ在住のKさんの忠告は正しかったです。
 
 村上氏擁護のメンツは鳥集さんや宮沢先生を悪者にして攻撃しているようですが、鳥集さんや宮沢先生を責めたところで裁判に勝つことはできません。判断するのは裁判官、示談にもっていくのでなければ、白黒はっきりするまでやるのが裁判です。わかっていない人が多過ぎて呆れます。
 
Xユーザーの鳥集徹さん: 「私は複数の医療裁判を取材しましたが、その経験からもレプリコン裁判で明治に勝つのは極めて困難だと予想します。 原告には国も医学界も後ろ盾になります。お金がありますから、大きな弁護団もつくでしょう。彼らはスクラムを組んで、個体間伝播を否定してきます。」 / X
 
「私は複数の医療裁判を取材しましたが、その経験からもレプリコン裁判で明治に勝つのは極めて困難だと予想します。 原告には国も医学界も後ろ盾になります。お金がありますから、大きな弁護団もつくでしょう。彼らはスクラムを組んで、個体間伝播を否定してきます。
 
一方、被告側につく弁護士がどれだけいるでしょうか。 また、医学的内容が争点になった場合、被告側に有利な証言をしてくれる証人が出てくるでしょうか。 「国民連合の医師や研究者たちがいる」と言うかもしれませんが、果たして裁判官に中立の意見だと思ってもらえるでしょうか。
 
世論やマスコミが、被告側につくでしょうか。裁判官は世間の動向も見ていると言われています。 過去にサリドマイドや薬害肝炎、薬害エイズの裁判が被害者に有利に進んだのは、世論やマスコミの後押しがあったのも大きいと言われています。
 
村上氏、後藤氏、我那覇氏らが、これから非常に厳しい闘いを強いられるとともに、言論封殺に利用されることも容易に予想されるのに、  「受けて立つとか」「被害が明らかになる」とか言って、第三者が無責任かつ楽観的に捉えていることが信じられません。 事態は思った以上に深刻だと私は思います。
 
名誉毀損による民事上の責任だけで終わればいいですが、不買を煽ったり、本社前で叫んだり、医療機関に電話したことで、刑事責任も問われかねません。 もう、そんなところにまで行ってしまったということを、レプリコンで煽った人たちは自覚すべきです。」
 
 
 
 
 

1995年ミュージカル『回転木馬』-「六月みんな弾ける」

2024年10月10日 17時40分02秒 | ミュージカル・舞台・映画

1995年ミュージカル『回転木馬』‐「風よ吹け」

「♪六月 みんな弾ける

 JUNE IS BUSTIN, OUT ALL OVER

 詩・曲;リチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタイン
 訳詞;岩谷時子

 ネティー 三月は 嵐の後で

      波立てて 来る

      四月は 雨降り

      呼んでいる 五月を

      五月は 恋の季節

      じらせてばかりいるから

      疑い始めるさ

      もう夏は

      来ないのかと!

男たち ドッコイ夏だ!

    感じるぞ!

    心でわかる

    土見りゃわかる!

女たち 木から 聞こえる

    風も 薫るわ

全員 どこも ここも 一面!

ネティー 六月 みんな弾ける

     丘でも 野原でも

     つぼみは 芽をふき

     小川 踊り出し

     まわすのさ 水車を

全員 六月 みんな弾ける

ネティー 心は 燃えあがる

     若いつる草は

     垣根を 乗り越え

     朝顔に 巻き付くのさ

全員 六月さ!

   ジューン ジューン ジューン

   六月なのさー

ネティー 六月は 若く、甘い

     ラブソングなのさ

全員 六月 みんな弾ける

男 若さではちきれそう

娘 兄貴 色気付き

男2 妹 男好き

娘2 パパとママ

  いつもイチャつき

全員 六月 みんな弾ける

ネティー 男は 口説き出す

     船は 錨 おろす

     船長さんは 遊びたい

     慰め上手 いるのさ

全員 六月さ!

   ジューン ジューン ジューン

   六月なのさー

ネティー 六月は輝き

     白い帆が光る

キャリー 六月 みんな弾ける

     若い者は 海へ

     尾ッポ 振りながら  

     メスのお魚は

     捕えてと オスを誘う

全員 六月 みんな弾ける

ネティー 羊は 眠らない

     鬼ごっこした後 

     子羊 ウジャウジャ

     メスは オスの

     顔も知らない

全員 六月さ!

   ジューン ジューン ジューン

   六月なのさー」

 


父が亡くなった翌年・東日本大震災があった年‐2011年11月

2024年10月10日 16時24分21秒 | 祈り

「2011年11月2日(水)

いのちの電話講座⑤

うつ病の話ということだったが境界性の話も多かった。」

 

「2011年11月3日(木)文化の日

なんとなく心がざわついて落ち着かず、あまり眠れない。エスプレッソ・アメリカーノでお茶をこぼした。アンの予習とスキャンが少し進んだ。

5階の公開セミナーを終えた。平日の夜というのは辛かった。疲れ果てて声も出ないのにがんばった。自分が何をすべきなのか、やっぱりわからないが今までにはない揺れ動きがあったと思う。自死遺族というはしごを私はおりることはできない、ということをあらためて知った。」

 

「2011年11月4日(金)

残業のあと、飲み会に参加した。仕事は疲れる。」

 

「2011年11月5日(土)

○○医院、日吉キャンパス公開講座⑤

そのあと飯田哲也さんのエネルギーシフトの話をきいた。

A井さんと杵屋で食事」

 

「2011年11月6日(日)

今日もおくれて川和グループに参加、行くまでは腰が重い。話したいことが全部言えたわけではない。

人は本当に色々だ。思いはあふれているがなかなか上手く表現できず人に伝えられてもいない。今はじっと辛抱だ。会社にいると爆発しそうになるがこらえるしかない。アンとPEIを心の逃げ場所として進んでいこう。「きつい時はがんばろうね。きっとみえてくるものがある。」Y住先生からのはげました。」

 

「2011年11月12日(土)

連日真面目に働き続けて残業した。でも色々気づいてしまう方が負けなんだね。そんなに一生懸命やっても誰もほめてくれないし、別に報われないんだね。人の気持ちは移ろいゆくし、小さなことですぐ変わってしまうし、私のような異端者には生きづらいね。あまり眠っていないままフォーウィンズの学会に出席。限られた人生の中で自分にはやるべきことがあるんじゃないかという思いだけが空回りしている。

無理矢理自分を変えようとする必要なんかないし、ネガティブと思われる感情もあって然るべき。自分の中にこういう感情もあるんだということをちゃんと認めていく。私はそれができるのに、できるがために企業社会の中では息苦しくてたまらない。気持ち悪い、気持ち悪い。おかしいもんはおかしい。それを顕わにし続けているのでもうこれ以上いられないだろうな。今自分は何をすべきなのか。どこに向かうべきなのかわからない。なんかこうやって人生終わっちゃうのかな。」

FOURWINDS一日目。」

 

「2011年11月13日(日)

FOURWINDS2日目。かなり疲れたが、がんばった。色んな思いがめぐった。

自分を心から好きになれるとき、ほめてあげられる時、神様から光がふりそそぐのかもしれない。今はまだその時じゃないんだ。じっと待ち続けるしかない。きつい時はがんばろうよ。自分を一生懸命否定することなんかない。これでいいんだよ。しょうがないじゃん・・・」

 

「2011年11月14日(月)

日吉キャンパスFOURWINDS デボラ先生講演会

内省スーパービジョンのお話だった。」

 

「2011年11月15日(火)~18日(金)

連日残業して真面目に働き続けた。私の感性が何か変だ!気持ち悪い!と言っている。それをどうコントロールすればいいのかわからない。コントロールすべきものなのか!息苦しくてたまらない。それでもまたいつかPEIに行くために働き続けなければならない。」

 

「2011年11月19日(土)

赤毛のアンを英語で楽しもう:第26章 16時~17時30分

京王プラザホテルでランチ会 14時~15時30分

ケータイの水没から一週間、2年ぐらい使っているし、また買い替えた。パソコンの小さいのが無料でついてきた。ただしプロバイダは別契約。2年間使えば購入料は発生しない。」

 

「2011年11月20日(日)

整骨院で30分コース ¥3,250」

 

「2011年11月22日(火)

こらえている。こらえている。誰にどう悪口を言われようとガマン。わたしにはその先に本当にやるべきことが待っている。でも、ずっとガマンは辛いな。でもあんまり人と深く関わるのも辛いかな。旅に出たいな。もう少しお金をためてからかな。今は吉村さんの写真をみながら心の旅の途中。」

 

「2011年11月23日(水)勤労感謝の日

暑いのか寒いのかよくわからないし、すごく不安で落ち着かなくて疲れる。私はどこに行くのだろう。この先どうなっていくのだろう。夜になると恐ろしくて落ち着かなくてあまり眠れない。早く断捨離したいのに、パソコンをみるのも限界があるし、なんだか疲れるなー。今度何もかも忘れて旅に出られるのはいつだろう。」

 

「2011年11月24日(木)~25日(金)

残業。こんなにマジメにやらなくてもいいのかと思いながら、すればマジメにやってしまう。ほんとはワーッと叫びだしたい。」

 

「2011年11月26日(土)

日吉キャンパス公開講座⑦ A井さんとイタトマで食事。」

 

「2011年11月30日(木)~12月2日(金)

ずーっとマジメに働き続けた。やればやるだけ自分が損させられているような気がする。なんでこんなイヤな思いをしないといけないんだ。わかんない。神様はごほう美をくれるかなあ。幸せだーって思える時がくるかなあ。幸せになりたい。笑顔でいたい。」

 


第六章OLを取り巻く現代社会-⑬余暇と労働-労働の場としての組織と「社会的世界」との関連から

2024年10月10日 01時36分41秒 | 卒業論文

 黒井千次は、労働の中に生きがいを見出すことができなければ私生活へと関心を向けるのは、病床の寝返りに過ぎない、と述べているが、余暇と労働の問題を考えるときの一つの視点として、余暇を媒介として成立する意味的世界も「社会的世界」の一つと考える私化論の立場をここで紹介しておきたい。山岸健は、日常生活を他者への関係づけ、他者への関与を通じて構築される社会的世界という局面でとらえた。[1] 私たちの生活の舞台である日常的世界は、私たちに共通に与えられた時間的空間的世界、「社会的世界」なのである。時間的に、また空間的に、様々なスタイルで存在する人々によって秩序づけられる「社会的世界」において見られる諸活動が日常生活といえるのであった。[2] こうした「社会的世界」を労働の場としての組織との関連で捉えるとどうなるだろう。現代社会において人間の絆が極めて多様化した側面を持ち始めている、と指摘する私化論の立場に立つ片桐雅隆の記述に沿ってみていきたい。

 私化論の立場から見た現代社会における人々を結びつける絆は、伝統的な家、組織、地域などによってすでに与えられた規範に基づいて形成される境界のはっきりし、誰もが自明としうるものではなく、一人一人の人間が自らの意味付与によって築き上げていくもののように思われる。そのような絆によってまとめ上げられる人々の集まりを説明する概念としてD・R・ウンル-の「社会的世界」という考え方をまとめれば、成員資格とか地域的限定など、形式的に決めることのできる境界によってくくられた人間のまとまりではなく、人々が共属していると「内的に理解」し合うことによって成り立つまとまりが「社会的世界」なのである。それには様々なものが含まれる。一人一人の人間が互いの存在を確かめながら作り上げる付き合いの世界、趣味やスポーツなどを媒介とした集団、ファンクラブ、あるいはより抽象的なまとまりとしての思想や学問の共有を媒介として形成される人々のまとまりなどが「社会的世界」の例である。人々が自らの「社会的世界」に参加することは、人々がそのことに意味付けの根拠を見出しているからであり、彼らの日常生活の営みにとって重要だからである。そして、この「社会的世界」を考える上で不可欠なことは、この世界がそれへの人々の関わりにおいて初めて成立するということである。もちろんその関わり方は多様であるが、「社会的世界」への安定した参加者は、その世界の形成と維持に深く関わり、その世界に自らのレリヴァンス[3]を見出し、また供給されるのである。このように、「社会的世界」とは、規模の大小、人々の関わり方の程度、境界の規定など様々であり、それ故に曖昧に定義されたものであるかもしれない。しかし、現代人の行動をくくるものが、すでに与えられた目に見える境界をもった在来の組織や地域などにのみ求めることが難しいとされる今日、それらの枠を超えて成立する人間のまとまりの概念として「社会的世界」という考え方は示唆的である。

 ここで、労働の場としての組織を「社会的世界」との関連で捉えてみる。組織は、成員の資格、境界などのはっきりした人々の集まりである。そして、そこでは、特定の目標、役割・地位に基づいた行動が見られると考えられている。そのこと自体に誤りはない。しかし、私化論の指摘に従えば、生活領域の多様化の指摘される現代において、特定の組織の成員たちはその組織とは相対的に独立したそれぞれの「社会的世界」をもっている。組織とは、多様な「社会的世界」を持った人々の集まりであり、それらの人々の目的や関心の競合する場なのである。そして、組織を様々な「社会的世界」の競合の場として考えた時、初めて労働と余暇の関連を捉える視点にたどり着く。現代社会において余暇は、あくまでも労働との関連において語られる。余暇の発生と労働とは不可分な関係なのである。産業革命以後の原生的労働関係における労働と余暇の関係は、長時間労働を強いられ、時間としての余暇は極めて少なかった。次に余暇を労働政策のひとつとして捉える時期がある。労働への補完的機能としての余暇の位置づけは現代でも多く偏在していると思われるが、現代ではさらに、余暇は労働とは相対的に独立した一領域になりつつある。仕事=労苦、遊び=安楽というような二分した捉え方が一般的になっていることがそれを示している。

 私化論において重要なのは、労働と余暇の関係を単に客観的な時間や空間の問題としてではなく、あくまでそれぞれの領域に人々がどのような意味付けをしているかという点から出発して扱おうとしたところにある。このような考え方は、「社会的世界」という考え方と多くの共通性を持っている。「社会的世界」のまとまりは、組織や地域などの目に見える境界によって区切られるのではなく、あくまで人々がそこに共通の意味づけを見出す限りで成立するまとまりである。余暇を媒介として成立する意味的世界を「社会的世界」の一つとして考えるならば、私化論の捉えようとした現実と「社会的世界」論のそれとは共通するものである。私化した社会を前提として初めて「社会的世界」についての考え方が成立したと言えるかもしれない。[4]

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引用文献

[1] 山岸健『日常生活の社会学』10-11頁、日本放送出版協会、1978年。

[2] 山岸、前掲書、98頁。

[3] レリヴァンス;有意性などと訳される。多義的であるが、個人や集団が自分たちにとって有意味な生活領域を特徴づけるときの評価や判断の基準となるもの。レリヴァンス体系が交差したり共有されるとき、人々の相互理解が可能になるといわれる。(有斐閣『社会学小辞典[新版]』

[4] 片桐雅隆「労働・余暇・私化」山岸健・江原由美子編『現象学的社会学・意味へのまなざし』289-292頁、三和書房、1985年。