『光源氏の一生』より-「光源氏の死-紫の上の死」
「ぷつりと糸が切れたように-
紫の上をはかない煙にしてしまってから、光源氏の送り迎えたさびしい日々については、本書の始まりのところに述べました。一周忌をすごしたら、世を捨てて仏門にはいり、紫の上の冥福を祈り、自分自身の来世のしあわせをも祈ろうと、光源氏は心にきめていたようです。
しかし、源氏物語の作者は、紫の上のなくなった年の、翌一年を、一巻の物語に仕上げて、それで物語をぷつりと切ってしまいました。
源氏物語には、光源氏の、紫の上の死後の一年の記述があるだけで、その出家についても、その死についても、一言半句、書いていないのです。
ただ、物語が、光源氏のなきあとにまで、筆が進んでいったから、そのことにわずかに触れているところがあって、ーすなわち光源氏は、嵯峨にかくれ住んで、仏門にはいり、二、三年の後になくなった、とあります。そういう、あとになってからのうわさ話によって、おぼろげながら、その後の動静がわかるだけです。」
「八年間の空白-
光源氏の一生を説いてきた源氏物語は、まえに述べた「幻」の巻で、ぷつんと糸が切れたように、光源氏を主人公とした物語が終わりを告げ、つぎの巻は、改めて始まる「匂宮」の巻です。そしてこの二つの巻のあいだには、八年の歳月が流れており、その、なんの記述もない八年のあいだに、光源氏をはじめとして、他氏の頭目であった到仕(ちじ)の大臣-役を退いた大臣。太政大臣にまで登って退いた、柏木の父ーさらに、やはり太政大臣に登った黒髭など、みな世を去っていきました。
つまり、この八年間に、世の中は、すっかり親しくなり、次の世代の人々が活躍する時世となっていました。そこから、この物語は新しく展開していくのですが、それはもはや「光かくれたまいし後」のことで、光源氏の一生とは、かかわりがありません。」
「神の死は語らない-
せっかく生まれたときからの、50年にわたる一生をこまかく語ってきて、その一生のとじ目を語らないのは、なんとなくしり切れとんぼだと思います。
これについては、もと「雲隠」という名の巻が六巻あって、その八年間の空白をうめていたのだ、という説があります。しかしたしかに見たという説も、どうも信用できません。光源氏の死を説いた説があってもいいはずだという考えと、六巻をたすと、源氏物語がちょうど60巻になって、経巻の数がひとしくなるので、そういう巻々が実在したようにいう説が生まれたのでしょう。あった巻がなくなったというよりも、もともとなかったとみる方が正しいと思います。
そうすると、作者は、光源氏の死については語らなかった、ということになります。
日本の国の古い神々の物語では、神の死を説きません。神はこの世に現れて、自分のつとめを果すと、もとの世界に帰っていきます。神は、いる世界を殊にしているだけで、けっして死ぬのではないのです。この考え方が、ここで役にたつように思います。」
「光源氏の死もまた-
この世に現われた、もっとも理想的な男性である光源氏は、もっとも神に近い人物ともいえるでしょう。そういう人物には、死ということはないのです。少なくとも、そういう人物の、死についてはだれも伝えないのです。
ただこの人間の世を去って、雲のかなたにかくれたにすぎないのです。ただし源氏物語は、人間の世界を扱ったのですから、光源氏を最後にかぐや姫のように扱って、天上に帰ってもらったりするわけにはいきません。そこで作者は、なんにも触れず、ただ死については語らない、という態度をとったのです。
「雲隠」の巻とは、そうした作者が、はじめから書かずに、存在していない巻に名づけた巻の名だったのでしょう。」
(池田弥三郎『光源氏の一生』昭和29年4月1日第一刷発行、講談社現代新書、236-239頁より)