たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

1994年雪組『二人だけの戦場』-キャストとものがたり

2023年01月24日 15時47分16秒 | 宝塚
『二人だけの戦場』より-「思いめぐって」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f252672929e6b8535f4369f3c19f236e


ティエリー・シンクレア
(士官学校を優秀な成績で卒業した少尉)  一路真輝

ライラ
(ジプシー娘、シンクレアと恋におちる)  花總まり

クリフォード・テリジェン
(シンクレアの親友で士官)        轟悠

シュトロゼック
(ライラの父)              汝鳥怜

ハウザー大佐
(クロィツェル基地の司令官)       古代みず希

アルヴァ
(ライラの兄)              和央ようか

クェイド少佐
(クロィツェル基地の副司令官)      泉つかさ

エルサ
(ジプシー、カフェの女主人)       小乙女幸

ノヴァロ・ジョクレア
(シンクレアに敵対する基地の古参兵士)  矢吹翔

ラシュモア軍曹
(古参兵士、エルサの愛人)        葛城七穂

レナ(ジプシー娘)            朝霧舞

リサ(ジプシー娘)            毬丘智美


ものがたり-

 1949年、連邦政府が統治する旧ルコスタ自治州のクロイツェル基地において上官殺害事件が発生した。ティエリー・シンクレア少尉である。

 その一年前、自治州は連邦からの独立を目指す機運が強く、連邦軍基地は、この少数民族といつ戦闘にはいってもおかしくはなかった。
 この基地に二人の新任士官がやってきた。シンクレアとクリフォード少尉である。士官学校を一番の成績で卒業したシンクレアは自ら志願して辺境の地にあるクロイツェル基地を望んだが、没落貴族の三男坊であるクリフォードは否応なしにこの基地に配属されてきたのである。シンクレアがこの基地の配属を望んだのは、中央の政治に遠い自治州の安定こそ連邦の繁栄に繋がると判断したためであって、シンクレアはその任務を遂行する情熱と冷静さをもっていた。ところが、連邦兵士達に危害を加えられようとしていたライラという娘を助けたことから彼の人生は大きく変わっていく。ライラは聡明で美しく、自由奔放なジプシー娘であった。二人はたちまち惹かれあうものを感じ、それが激しい愛にかわるのに長い時間はかからなかった。しかし、ライラの父はルコスタ州議会の議長であり、兄のアルヴァは独立を目指す過激派の闘士であった。それだけに、ライラに近づくことは連邦軍の士官であるシンクレアにとって好ましいことではなかった。

 一発触発の連邦軍とルコスタ民族の緩和剤になっていたのが、ライラの父シュトロゼックと基地の司令官であるハウザー大佐の親交であった。無益な争いを避けようとする両者の思惑も、民族の主権を奪われた人達には通じなかった。ついに若者達の煽動で一挙に独立の火の手が燃え広がっていく。これを鎮圧するために、連邦軍はハウザー大佐に出動を命じるが、諸外国から独立を支持されている民族に対して銃を向けることは出来なかった。
 ハウザー大佐とシンクレアは連邦政府の国際世論を無視した攻撃命令に従わず基地の撤退を図るが、連邦軍に内通していた副司令官クェイド少佐はシンクレア達を逮捕しようと銃口を向け、この混乱の中、シンクレアは副司令官を射殺してしまった。

 5000人に及ぶ基地の兵士と民兵との衝突は避けられルコスタ自治州は独立した。しかし、シンクレアの上官殺害と反逆罪は死刑を意味していた。法廷でシンクレアの弁護人となったのはかつての戦友クリフォードであった。しかも、クリフォードの血の通った必死の弁護でシンクレアは終身刑を宣告される。

 数年が経った。シンクレアは鉄格子の中でライラを思い続け、ライラもひたすら愛する人の帰りを待ち続けていた。






「政府、国民に「決意」要求 安保戦略、中国にらむ防衛力強化」

2023年01月24日 01時47分55秒 | 気になるニュースあれこれ
2023年1月23日東京新聞、

https://www.tokyo-np.co.jp/article/226648

「政府は、防衛力の抜本的強化を柱とする新たな国家安全保障戦略を実施に移すため、世論説得に乗り出す。安保戦略では、中国の対外姿勢を「これまでにない最大の戦略的な挑戦」と表現し、国防への「決意」を国民に求めた。野党は、挙国一致の下で戦争に突き進んだ歴史から「反省を忘れてはならない」(立憲民主党の泉健太代表)と懸念を強める。23日召集の通常国会で論戦の焦点の一つになりそうだ。

 昨年12月に閣議決定された安保戦略は、反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を盛り込み「国家としての力の発揮は国民の決意から始まる」と明記した。」




https://twitter.com/kou_1970/status/1617096851035131904より、

「正直な話、岸田首相、ちょっとイカレちゃったんじゃないかな。国民に「決意を求める」って何? あんたが真っ先に中国に突っ込むって言うんですか?」




井上ひさしの 子どもにつたえる日本国憲法
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4c923d793fff5717fa46caaa9a744c89

(社会福祉士養成講座テキスト『法学』-2006年1月20日中央法規出版-より)

-日本国憲法の成立-

 1946年(昭和21年)11月3日に公布され1947年(昭和22年)5月3日から施行された日本国憲法は、天皇を日本国民の総意に基づく象徴としての地位にとどめるとともに、国民に主権があることを明記し、広範な基本的人権を保障するものであった。わが国憲法の変革は、1945年(昭和20年)8月15日のわが国の敗戦-すなわち、ポツダム宣言の受諾-に始まるといってよい。1945年7月27日に発せられた同宣言は、「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障疑ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」と述べ、わが国はこれらの義務を履行すべきこととされた。

 しかし、実際の憲法の改正経過は、わが国が自らの発意で現行憲法の素案を提示するまでには至らず、いわゆるマッカーサー草案が1946年(昭和21年)2月13日日本国政府に提示され、これに基づいて改正案が作成された。そして、この改正案は国民主権を規定し、天皇主権を規定する明治憲法とは憲法制定権力を変えるという革命的変革を遂げたにもかかわらず、明治憲法第73条の規定に基づいて改正するという手続きをとった。

-日本国憲法の原理-

 以上のようにして成立した日本国憲法には、世界の多くの国々が歴史の遺産として継受してきた各国の憲法に共通する規定が設けられただけでなく、わが国の憲法が独自に有する規定も含まれている。前者は三権分立や基本的人権の保障といった統治組織や統治原理に関わるものであり、後者は象徴天皇制や戦争の放棄といった徹底的な平和主義に関わる部分である。また明治憲法にはなかった生存的基本権も規定され、この意味で現行憲法は現代憲法としての特徴も有している。

 各国の憲法の構造を全体として把握すると、その憲法が根本的な価値規範として重視しているものがあることがわかる。これを憲法の基本原理とすると、わが国の憲法の基本原理は、①国民主権、②平和主義、③基本的人権の保障であるといえる。そしてこのことは、憲法の前文によくあらわれている。憲法の前文は憲法制定の由来や目的などを述べ、憲法本文と違って法的拘束力をもつものではないが、憲法の精神を体現し、本文を理解するうえでの指針となるものである。例えば国民主権については「主権が国民に存することを宣言し」と規定し、平和主義については「国民は、恒久の平和を念願し、…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べている。