二つ目のエントリー通過先も行っても意味はないとすでにわかっていました。そして絵に描いたようにそのとおりでした。私の居場所ではありませんでした。かすかな希望の灯りが見えたかのように勘違いしてしまいましたが、現実にはあまりにもどす黒い社会であることがわかっただけ。またもや社会への絶望感に打ちひしがれ、気力がうせてしまってどうしようもないです。あっちもこっちもなにもかも中途半端。お役に立てますよと売り込めることなんかなんにもなくって、なんにもないなら売り込めるようにスキルアップして、前向きにがんばっている自分をアピールしていけばいいのだけれど、そういうの自分には向きません。そんなこと言っていたらごはん食べていけないですね。売り物にならなくなってしまっているのだから、売り物になるように転換していかなければならないのに、その気力を失ってしまっています。一度失うと回復するまでに何日もかかります。
なんかマクドナルド式のドライなのって私には合わないです。無理です。そんなこと言ってたら今の社会、くいっぱぐれ。私の居場所はどこにもありません。居場所に出会っていくためには何十通も書類を送り続けて、落選してを繰り返し、絶望感に打ちひしがれても這い上がっていくだけの気力が必要なんだそうです。今の私にそんなことできるだけの気力はありません。なんだかお仕事さがしというより、会社探しなわけで、なんども打ちひしがれているうちに何をしているのかわからなくなってしまいそうです。私にはとても無理。どうすればいいのでしょう。
何年も続いた過重労働の日々の苦しさと、その挙句にほされてしまったような存在になってからのさらなる苦しい日々。毎日毎日違和感を感じ続けて、何だか変だと感じ続けて、息苦しくてたまらなかった。そんな日々を思い出すと今も辛くなるし、悔しさもまたよみがえってきてしまうのです。こんな私は人から見たらいつまでも被害者面しているだけの、やる気のない駄目な人、利潤追求の社会では全く使いものにならない、必要のない人なんでしょうか。
喪中はがき受付中とか、お歳暮の早期割引中とか、来年の手帳とか。自分だけ社会から孤立している間に社会はどんどん動いていっています。今年ももうすぐ終わり、ですね。色々と想いはあれど、生計を維持していかなければならない以上ボランティアなんてやっていられないんです。仕方ないんです。どうしようもないんです。だから割り切って入口に立とうとしたのに、社会の仕組みが拒絶しました。マクドナルド化した社会。とってもおかしいです。これを書いているのはマクドナルドですが・・・。震災の後感じ続けた社会への違和感。それは今も私の中で続いています。大きくなるばっかりです。振りかえってみるとこんなこと手帳に書いていました。お恥ずかしい限りですがさらけ出します。
「2012年5月28日(月)
機械的なマニュアルどおりのことが多すぎて気持ち悪くって仕方ない。アメリカ式のマクドナルド化がますます増えてきている。コンビニ、ファーストフード、色々なモノはあるが、何かが大きく違っているような気がする。なにか大切なものが欠けているような違和感・・・。
心のこもっていない「ありがとうございます」「また起こしくださいませ」の繰り返し。それを心地いいと感じている人はあまりいないだろう。無言で立ち去っていく人が多い。
自然がいつまた牙を向くかわからないし、すごく不安で落ち着かないこの頃。荷物を軽くして海外に逃げたいなあ。このまま日本で暮らし続けるのは不安で仕方ない。まだまだ時間がかかりそうだ。落ち着かない。」
なんかマクドナルド式のドライなのって私には合わないです。無理です。そんなこと言ってたら今の社会、くいっぱぐれ。私の居場所はどこにもありません。居場所に出会っていくためには何十通も書類を送り続けて、落選してを繰り返し、絶望感に打ちひしがれても這い上がっていくだけの気力が必要なんだそうです。今の私にそんなことできるだけの気力はありません。なんだかお仕事さがしというより、会社探しなわけで、なんども打ちひしがれているうちに何をしているのかわからなくなってしまいそうです。私にはとても無理。どうすればいいのでしょう。
何年も続いた過重労働の日々の苦しさと、その挙句にほされてしまったような存在になってからのさらなる苦しい日々。毎日毎日違和感を感じ続けて、何だか変だと感じ続けて、息苦しくてたまらなかった。そんな日々を思い出すと今も辛くなるし、悔しさもまたよみがえってきてしまうのです。こんな私は人から見たらいつまでも被害者面しているだけの、やる気のない駄目な人、利潤追求の社会では全く使いものにならない、必要のない人なんでしょうか。
喪中はがき受付中とか、お歳暮の早期割引中とか、来年の手帳とか。自分だけ社会から孤立している間に社会はどんどん動いていっています。今年ももうすぐ終わり、ですね。色々と想いはあれど、生計を維持していかなければならない以上ボランティアなんてやっていられないんです。仕方ないんです。どうしようもないんです。だから割り切って入口に立とうとしたのに、社会の仕組みが拒絶しました。マクドナルド化した社会。とってもおかしいです。これを書いているのはマクドナルドですが・・・。震災の後感じ続けた社会への違和感。それは今も私の中で続いています。大きくなるばっかりです。振りかえってみるとこんなこと手帳に書いていました。お恥ずかしい限りですがさらけ出します。
「2012年5月28日(月)
機械的なマニュアルどおりのことが多すぎて気持ち悪くって仕方ない。アメリカ式のマクドナルド化がますます増えてきている。コンビニ、ファーストフード、色々なモノはあるが、何かが大きく違っているような気がする。なにか大切なものが欠けているような違和感・・・。
心のこもっていない「ありがとうございます」「また起こしくださいませ」の繰り返し。それを心地いいと感じている人はあまりいないだろう。無言で立ち去っていく人が多い。
自然がいつまた牙を向くかわからないし、すごく不安で落ち着かないこの頃。荷物を軽くして海外に逃げたいなあ。このまま日本で暮らし続けるのは不安で仕方ない。まだまだ時間がかかりそうだ。落ち着かない。」