2013年11月27日(水)の千穐楽のことをまだ書き切れていませんでした。
カーテンコールの様子が動画でアップされており、自分が終わってから大急ぎで書いたメモは言葉の使い方が正確ではないことがわかりましたが、内容がずれているわけではないので、9月27日の朝日カルチャーセンターでの話も交えながら自分のメモから書いていきたいと思います。
『レ・ミゼラブル』千穐楽
音楽が始まった時、客席から拍手。
でも、お祭り騒ぎという感じではない、最後まで進化し続けている舞台。
プロジェクターで映しだされる波しぶきが一段と迫力をもって客席にせまってきているように感じられた。
知念さんファンティーヌ、一週間前と雰囲気が違っていた。
声がより伸びていて薄幸のファンティーヌを演じ切られた感がある。
「夢やぶれて」-よかった。旅立ちのシーンの消え入るような演技が素晴らしい。
(あとで「げきぴあ」のインタビュー記事から森公美子さんの話で知ったのですが、ファンティーヌは娼婦になってから客にお腹を蹴られたことが致命傷となる、という設定だそうです。)
駒田さんティナルディエ、余裕を感じさせる演技はさすがだ。でも色あせない。
ブリュメ街の場面で、バルジャン邸に強盗に押し入ろうとして軒下にぶら下がる姿がお茶目で可笑しい。
カーテンコールの挨拶で、許されるなら役者人生の終わりの方までずっとティナルディエを演じていたい、まだまだやり残している感がある、と話された。
川口さんジャベール、低音がさらに響きわたり声をからして、ジャベールを演じ切られたかな。セーヌ川へ身を投げるシーン、なんともすごい。
2幕、バリケードシーンの花道でバルジャンに許されて苦悩するシーン。オペラグラスでしっかりと見届けた。
トリコロール新聞(キャストのみなさんが上演期間中観客向けに発行されていた新聞)に書かれていた一幕のバルジャンと、ジャベールの自殺のシーンとが同じ曲-テンポは違うがアレンジは同じ曲-気がつきました。
バリケードシーン、戦いのうたかたの後、政府軍に撃たれたガブローシュの亡骸は、アンジョルラスと共にリヤカーで運ばれていく。
刑務所の中で生まれたジャベールはガブローシュに子供のころの自分の姿をみている。
ガブローシュの亡骸が連れて来られた時の反応は、ジャベールを演じる人によって異なる。
映画では、俳優のアドリブでナポレオンからもらった紋章をガブローシュの胸につけている。舞台の上の短い時間で、ガブローシュへの思いを表現するのは難しい。ガブローシュの最期の場面の演出がああなった時は驚いた。(朝日カルチャーセンターでの吉原さんの話)。
名古屋公演で観た鎌田さんジャベールは、ガブローシュの亡骸が連れてこられた時まともにみることができず、目をそらしたまま、さっさと連れて行けといった仕草だった。
川口さんジャベールは驚いた様子で、言葉もなく目を見開いてしっかりと見つめう。
そこにどんな思いがあったのか、タメの行間、言葉にならない思い・・・。
ガブローシュは、「すばしこい奴がいい、俺が!」って言うまで一回も振り向かずにバリケードの向こう側を見つめる。マリウスが 「外に出たなら死体の中で弾も見つかる」って言った時にガブローシュは一瞬自分のバックを見つめて決心する。そして仲間のために、弾を拾いにバリケードを駆け上がって向こう側(政府軍側)へと降りていく。
瀕死の状態でバリケードに戻ってきたガブローシュは、弾をとったぞとこぶしを突き上げてから、アンジョルラスの腕の中に倒れ込んで息絶える。
今更だが、そういうことだったんだと気づく。
よく聴いていると、マイクには入らない声で「おい!誰か援護してやれ」「もういい、ガブローシュ、おいで」という仲間の声がきこえる。
このガブローシュの最期のシーンは、日本版独自の演出だそうです。
オリジナル演出では、お盆が回って(回り舞台)でバリケードの向こう側を観ることができました。「一発ある弾丸で、自由を手に入れろー」と弾を拾いながら撃たれて、弾を集めた鞄を仲間たちに向かって投げて息絶えた。新演出では、バリケードの背後から銃声とガブローシュの最期の声が響くだけだが、日本の観客のガブローシュを見届けたいを掬いあげてこのような演出になったようです。
森公美子さんのマダム・ティナルディエを観るのは初めてかな。宿屋のシーンで大きなバストを洋服の中にしまう場面が可笑しかった。観客の笑いを誘う。ウエディングシーンでは、パンを食べすぎて喋れなくなったり・・・、アドリブかな。他の客たちに向かって、あんたたちも食べさないよ、みたいな演技が可笑しかった。ここでも観客の笑いを誘う。ちょっとくどい感がなきにしもあらずだが、貫禄はさすがだ。
カーテンコールの挨拶では、岩谷時子さんの歌詞が25年間変わらず生き続けてきて、そしてこれらかもずっと生き続けていくであろうことを話されていて涙ぐんでらした。
2011年の『レ・ミゼラブル』では、チケットが完売の日でも空席がたくさんあった。震災でこれなくなった人たちの空席に向かって一生懸命演じていた。今日は空いている席が一つもなくてほんとうに嬉しい、という話もされた。
まだまだありますが、また後で追記、または頁を変えて書きます。
舞台写真はすべて公式フェイスブックから転用しています。









カーテンコールの様子が動画でアップされており、自分が終わってから大急ぎで書いたメモは言葉の使い方が正確ではないことがわかりましたが、内容がずれているわけではないので、9月27日の朝日カルチャーセンターでの話も交えながら自分のメモから書いていきたいと思います。
『レ・ミゼラブル』千穐楽
音楽が始まった時、客席から拍手。
でも、お祭り騒ぎという感じではない、最後まで進化し続けている舞台。
プロジェクターで映しだされる波しぶきが一段と迫力をもって客席にせまってきているように感じられた。
知念さんファンティーヌ、一週間前と雰囲気が違っていた。
声がより伸びていて薄幸のファンティーヌを演じ切られた感がある。
「夢やぶれて」-よかった。旅立ちのシーンの消え入るような演技が素晴らしい。
(あとで「げきぴあ」のインタビュー記事から森公美子さんの話で知ったのですが、ファンティーヌは娼婦になってから客にお腹を蹴られたことが致命傷となる、という設定だそうです。)
駒田さんティナルディエ、余裕を感じさせる演技はさすがだ。でも色あせない。
ブリュメ街の場面で、バルジャン邸に強盗に押し入ろうとして軒下にぶら下がる姿がお茶目で可笑しい。
カーテンコールの挨拶で、許されるなら役者人生の終わりの方までずっとティナルディエを演じていたい、まだまだやり残している感がある、と話された。
川口さんジャベール、低音がさらに響きわたり声をからして、ジャベールを演じ切られたかな。セーヌ川へ身を投げるシーン、なんともすごい。
2幕、バリケードシーンの花道でバルジャンに許されて苦悩するシーン。オペラグラスでしっかりと見届けた。
トリコロール新聞(キャストのみなさんが上演期間中観客向けに発行されていた新聞)に書かれていた一幕のバルジャンと、ジャベールの自殺のシーンとが同じ曲-テンポは違うがアレンジは同じ曲-気がつきました。
バリケードシーン、戦いのうたかたの後、政府軍に撃たれたガブローシュの亡骸は、アンジョルラスと共にリヤカーで運ばれていく。
刑務所の中で生まれたジャベールはガブローシュに子供のころの自分の姿をみている。
ガブローシュの亡骸が連れて来られた時の反応は、ジャベールを演じる人によって異なる。
映画では、俳優のアドリブでナポレオンからもらった紋章をガブローシュの胸につけている。舞台の上の短い時間で、ガブローシュへの思いを表現するのは難しい。ガブローシュの最期の場面の演出がああなった時は驚いた。(朝日カルチャーセンターでの吉原さんの話)。
名古屋公演で観た鎌田さんジャベールは、ガブローシュの亡骸が連れてこられた時まともにみることができず、目をそらしたまま、さっさと連れて行けといった仕草だった。
川口さんジャベールは驚いた様子で、言葉もなく目を見開いてしっかりと見つめう。
そこにどんな思いがあったのか、タメの行間、言葉にならない思い・・・。
ガブローシュは、「すばしこい奴がいい、俺が!」って言うまで一回も振り向かずにバリケードの向こう側を見つめる。マリウスが 「外に出たなら死体の中で弾も見つかる」って言った時にガブローシュは一瞬自分のバックを見つめて決心する。そして仲間のために、弾を拾いにバリケードを駆け上がって向こう側(政府軍側)へと降りていく。
瀕死の状態でバリケードに戻ってきたガブローシュは、弾をとったぞとこぶしを突き上げてから、アンジョルラスの腕の中に倒れ込んで息絶える。
今更だが、そういうことだったんだと気づく。
よく聴いていると、マイクには入らない声で「おい!誰か援護してやれ」「もういい、ガブローシュ、おいで」という仲間の声がきこえる。
このガブローシュの最期のシーンは、日本版独自の演出だそうです。
オリジナル演出では、お盆が回って(回り舞台)でバリケードの向こう側を観ることができました。「一発ある弾丸で、自由を手に入れろー」と弾を拾いながら撃たれて、弾を集めた鞄を仲間たちに向かって投げて息絶えた。新演出では、バリケードの背後から銃声とガブローシュの最期の声が響くだけだが、日本の観客のガブローシュを見届けたいを掬いあげてこのような演出になったようです。
森公美子さんのマダム・ティナルディエを観るのは初めてかな。宿屋のシーンで大きなバストを洋服の中にしまう場面が可笑しかった。観客の笑いを誘う。ウエディングシーンでは、パンを食べすぎて喋れなくなったり・・・、アドリブかな。他の客たちに向かって、あんたたちも食べさないよ、みたいな演技が可笑しかった。ここでも観客の笑いを誘う。ちょっとくどい感がなきにしもあらずだが、貫禄はさすがだ。
カーテンコールの挨拶では、岩谷時子さんの歌詞が25年間変わらず生き続けてきて、そしてこれらかもずっと生き続けていくであろうことを話されていて涙ぐんでらした。
2011年の『レ・ミゼラブル』では、チケットが完売の日でも空席がたくさんあった。震災でこれなくなった人たちの空席に向かって一生懸命演じていた。今日は空いている席が一つもなくてほんとうに嬉しい、という話もされた。
まだまだありますが、また後で追記、または頁を変えて書きます。
舞台写真はすべて公式フェイスブックから転用しています。








