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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

わたしがちいさかったときに

2022年03月05日 14時40分01秒 | いわさきちひろさん

「目の見えなくなった母親が
 
 死んでいる子供をだいて

 見えない目に

 一ぱい涙をためて泣いていた

 おさないころ

 母に手をひかれてみたこの光景が

 あの時のおそろしさとともに

 頭からはなれない

  小学6年 水川スミエ


 よしこちゃんが

 やけどで

 ねていて

 とまとが

 たべたいというので

 お母ちゃんが

 かい出しに

 いってる間に

 よしこちゃんは

 死んでいた

 いもばっかしたべさせて

 ころしちゃったねと

 お母ちゃんは

 ないた

 わたしも

 ないた

 みんなも

 ないた

   小学5年 佐藤智子 」

『わたしがちいさかったときに』より

画像は「見つめる子どもたち」(1969年)、ちひろ美術館公式ツィッターより。



雑誌「子どものしあわせ」表紙絵

2022年03月04日 15時07分30秒 | いわさきちひろさん
雑誌「子どものしあわせ」表紙絵

「働いている人たちに共感してもらえる絵を描きたいと、ねがいつづけてきた私は、自分の絵に、もっと「ドロ臭さ」がなければいけないのではないかーと、ずいぶん悩んできたものでした。

 ドロンコになって遊んでる子どもの姿が描けなければ、ほんとうにリアルな絵ではないかも知れない。その点、私の描く子どもは、いつも、夢のようなあまさが、ただようのです。

 実際、私には、どんなにどろだらけの子どもでも、ボロをまとっている子どもでも、夢をもった美しい子どもに、みえてしまうのです。

 しかし、この「子どものしあわせ」の表紙は、そうした迷いをすてて、ほんとうにうれしく描けました。私は、工場の勤労者の生活は深く知らないかもしれませんけど、母と子の姿なら知っています。私も、子をもつ母親だからです。

 迷うことなく、スッキリした、ある意味では少々モダンなものを、思いきって描こうと決心して、絵筆をとりました。

 そして思いましたー。

 これからは「ドロ臭さをださなければ」などと苦しむのは、もう、やめようと。

 いまの働く人びとは、現代的なセンスを、私たちが考えている以上に、きっと、もっているにちがいないと、おもうのです。

                                  いわさきちひろ(1963年)」

画像は「毛糸を編む少女」(1972年)、ちひろ美術館公式ツィッターより。













『ちひろのアンデルセン』より-「アンデルセンいろいろ」

2021年11月21日 00時09分14秒 | いわさきちひろさん


「わたしは、仕事の性質上、たくさんの童話を読むけれど、わたしの好きな童話というのは、あくまでも自分の絵に都合よくできているものばかりである。詩のようにことばの短く、うつくしく、いろいろなことを思いうかべることのできる、そんなものが好きである。

 たとえ(文章で)克明に書いてあってもなお、わたしが描きよいものに、アンデルセンの童話のいくつかがある。「マッチ売りの少女」とか、いろいろなおひめさま、また魔女たちに、わたしは、それぞれのイメージをつくり、それをすこしずつ発展させながら、なんかいかいたことだろう。なんかいかいても、なお工夫するたのしさを、わたしはいまだに失わないでいる。          

                                   ちひろ・1964年」

 11月20日は「世界こどもの日」だったそうです。世界中のこどもたちが平和でありますようにと願い続けたちひろさんの想いが世界中に届きますようにと心から祈ります。なにもできません、祈るだけ、祈るばかり。


ちひろ美術館(東京・安曇野)【公式】
https://twitter.com/ChihiroMuseum


 ちひろ美術館のショップで見かけて一度読んでみたいと思った『子どもにつたえる日本国憲法』、もう少しいろいろと整理が進んだ先に必ず読まなければ・・・。








『ちひろのアンデルセン』より-「アンデルセンいろいろ」

2021年11月10日 00時35分49秒 | いわさきちひろさん


「わたしは、仕事の性質上、たくさんの童話を読むけれど、わたしの好きな童話というのは、あくまでも自分の絵に都合よくできているものばかりである。詩のようにことばの短く、うつくしく、いろいろなことを思いうかべることのできる、そんなものが好きである。

 たとえ(文章で)克明に書いてあってもなお、わたしが描きよいものに、アンデルセンの童話のいくつかがある。「マッチ売りの少女」とか、いろいろなおひめさま、魔女たちに、わたしは、それぞれのイメージをつくり、それをすこしずつ発展させながら、なんかいかいたことだろう。なんかいかいても、なお工夫するたのしさを、わたしはいまだに失わないでいる。

                                      ちひろ・1964年」












『ちひろのことば』より-「アンデルセンの絵と私」

2021年08月13日 14時34分15秒 | いわさきちひろさん
「戦争が終わったすぐあとのころでした。私がつとめをもちながら、ときどきカットなどをかいて暮らしていたころのことでした。ある日大へんものごしのやさしい女の方が、つとめ先にあらわれて、私にアンデルセンの「おかあさんの話」の紙芝居の絵をかいてくれといわれました。三千円も画料を払うというのです。あのころは三千円もあれば女ひとりなら一か月の生活は十分できたのです。ーつとめをやめて、絵だけかいて生きていける。ー私は一生けんめいになりました。ペンをつかったり、パステルをつかったり、何もかもごちゃまぜにした、どうしようもないような絵を何枚もかいたのですが、しあわせでしあわせでたまりませんでした。この絵をたのんでくださった方がいまの童心社の編集長の稲庭桂子さんだったのです。

 それからもう20年近く、私は毎年のようにどこかの本にアンデルセンをかきました。

「マッチ売りの娘」などみじかい話なので、絵の場面をとる場所がきまってしまって、どうしたら新しい感じがだせるか困るようになりました。それでもまたもっとうまく同じものがかきたくてしょうがなかったのです。

二年あまり前、稲庭さんとソビエト旅行をしたときに、私は稲庭さんに、自由に締め切りなしにアンデルセンの絵をかきたいものだともらしました。レニングラードの北欧風の町なみや、古い石だたみ道が、アンデルセンの話にでてくる町を思いださせたのです。どんな出版社の仕事でも締め切りがないとうのは無理なことなのでしょう。私の願いを聞き入れて、二年前から計画してくださった稲庭さんもやはり締め切りをつくってしまいました。締め切りがないということは永遠にかけないのだということをさとられたのだと思います。さあ締め切り前の私の悲壮だったことは自業自得だとして仕方がないとしても、毎晩おそくまで私の家につめていられた編集の渡辺さんにはわるくってたまりませんでした。

 急いでかいたときほど、絵の良し悪しが、かいたときの感じと本になったときのかんじとではちがうものなのですが、こんどのアンデルセンもそうでした。そしてああもこうもといろいろ欲もでますけれど、印刷がほんとにきれいにできたのでいままでかいたどのアンデルセンよりもいちばん好きなものになりました。

 晩秋の静かな夜ふけに締め切りのことを気にしながら少しあせった気持でこの原稿をかいているのですが、私が小さいときから好きだった絵をかいてこうして暮らしていることが、何としあわせだろうかと思います。けれど、東洋の南でやっている戦争(ベトナム戦争)が、おそろしくひろがってこないとはいえないこの不安な世相の中でアトリエだけで暮らしているこのささやかな童画家は、自分自身と日本の子どもとその親たちのために、どうやって平和をまもって絵をかきつづけなければならないだろうかと考えなければならなくなっているのです。」


「1974年8月8日、東京・代々木病院で死去(病名・原発性肝ガン)55歳であった。絶筆『赤い蝋燭と人魚』ーいま、ちひろは埼玉県狭山湖畔霊園に眠り、その墓には、ちひろの作品「少女像」が浮き彫りされている。」



2021年8月8日(日)8月8日「ちひろ忌」
https://chihiro.jp/tokyo/events/18883/

 8月8日はちひろさんの47回目の命日でした。ちひろさんの願いがどうか世界のすみずみにまで届きますように・・・。

 子供が犠牲になるのはつらすぎる、これ以上ききたくない、みたくない。


















ちひろ美術館-オンラインギャラリートーク

2021年05月10日 23時27分44秒 | いわさきちひろさん
ちひろ美術館のメールマガジンより、

【オンラインギャラリートーク】
6/13まで開催予定の「ちひろ・子どもは未来」の見どころを
オンラインギャラリートーク(全3回)で配信しています。
ご自宅でちひろ美術館・東京の展覧会をお楽しみください。

https://www.youtube.com/watch?v=VZRhEz1h6ZQ

https://www.youtube.com/watch?v=UFCWLhtniu4

https://www.youtube.com/watch?v=Tum33VPPBYQ

【おうちで楽しむちひろ美術館】
世界中のご自宅からちひろ美術館をお楽しみいただける
「おうちで楽しむちひろ美術館」では、いわさきちひろの作品や、
ちひろ美術館について紹介しています。

https://chihiro.jp/enjoyathome/jp/


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 臨時休館中のちひろ美術館は緊張事態宣言の延長により、12日以降も休館するとのお知らせ。「オンラインギャラリートーク」と「おうちで楽しむちひろ美術館」が公開されました。ちひろ美術館にいるような感覚でちひろさんの世界に触れることができます。わたしも明日の夕方以降心を落ち着けてみたいと思います。

 
「ひとりの母親であり、画家であったちひろは、生涯「子ども」を主なテーマとして描き続けました。ちひろは、「私には、どんなにどろだらけの子どもでも、ボロをまとっている子どもでも、夢をもった美しい子どもに、みえてしまうのです。」と語っています。第二次世界大戦中、空襲のなかを逃げ惑った体験を持つ彼女にとって、人の命を奪うだけでなく、心を失わせ未来を奪う戦争は許せることではありませんでした。優しく愛情に包まれた子どもと、ちひろが最後に完成させた『戦火のなかの子どもたち』に見る戦禍にさらされた子どもの絵は対照的ですが、どちらにも、「世界中のこどもみんなに平和としあわせを」ということばに残した願いが込められています。」

 ちひろさんは世界中のこどもたちが平和でありますようにと願い続けました。心がいたくなるニュースをみるたびにちひろさんのことばを思い出します。ちひろさんの願いが世界中に届きますようにと祈らずにはいられません。

 美術館が休む必要はないようにも思いますがこの状況下では落ち着きませんね。美術館が再開されたら住まいから2時間ほどかかりそうですが、またちひろさんに会いにいきたいと思います。先のみえない状況下を生き抜いていくのは気持ちが落ち着かず、非常にきついですが、それでも命さえあればとの思いでなんとか生き延びていかなければと。どこかに希望はあると言い難いですが、それでも命さえあれば、命さえあればと・・・。

















『いわさきちひろ・おはなしえほん冬』より_「ふたりのゆきだるま」

2021年02月13日 17時11分03秒 | いわさきちひろさん
「おんなのこは、はじめて スキーじょうに いきました。

ゆきが いっぱい つもった ゲレンデでは、みんなが たのしそうに すべって います。

「いいな。わたしも あんなふうに すべって みたい。」

 そう おもったのに、すべりはじめた とたん、しらない おとこのこに ぶつかって しまいました。ごめんなさいと いいかけたのに、おとこのこは、ちょっとだけ おんなのこを みて、いって しまいました。

「もう みえなく なっちゃった、あのこ・・・。」

 ひとりごとを いって、おんなのこは たちあがりました。でも、また、ころんだり しりもちを ついたり。ちっとも うまく いきません。でも あしも、つめたく なって しまいました。

「わたしには、スキーなんて できないんだ。」

 おんなのこは、かなしく なって へやに とじこもります。

「あのこだ。ぶつかったのに ごめんなさいも いえなかった、あの おとこのこ。」

 まどから そとを みて いた おんなのこは、さっきの おとこのこが すべって いるのを みつけました。

「あのこと ともだちに なれたら いいな。スキーを おしえて もらえるかも しれない。あんなに じょうずなんだもの。」

 おんなのこは、そっと つぶやきます。

 すべって いきながら、おとこのこは あかい ぼうしの おんなのこを さがします。

「どう したのかな、あの おんなのこ。ともだちに なれたら いいなと おもって いたのに。」

 おとこのこには、へやの なかに いる おんなのこが みえません。

 ゆうがたです。ひろばに こどもたちが たくさん あつめって あそんで います。おんなのこは、そとに でて みました。

「あのこだわ。」

 おとこのこを みつけた おんなのこは、おもいきって いいました。

「ぶつかった こと、ごめんなさい。」

「いいんだよ、そんな こと。」

 おとこのこも おもいきって いいました。

「おいでよ、いっしょに あそぼう。」

 おんなのこは、みんなの なかまに はいって、ゆきがっせんを しました。ゆきだるまも  つくりました。おとこのこと ちからを あわせて、ゆきの たまを ころがしました。

 それから、そりに のせて もらいました。スキーも おしえて もらいました。

「からだが ぽかぽかして きたわ。」

 おんなのこが わらいます。おとこのこは、こころが ぽかぽか して くるのを かんじました。
 
 やっと すべれるように なったのに、おんなのこは もう いえに かえらなければ なりません。

「つまんないな。せっかく あのこと なかよしに なれたのに。」

 つぶやくと、おかあさんが ほほえみながら いいました。

「らいねんの ふゆも、ここに きましょう。あのこに また あえるわ。」

「らいねんの ふゆまで、あのこは わたしの ことを おぼえて いて くれるかしら。」

 おんなのこは そっと おもいます。

「そうだわ。おかあさん、わたしの ぼうしと てぶくろ、あのこに あげても いいかしら。ともだちに なった きねんに。」

「いいわよ。あなたには あたらしいのを あんで あげるわ。」




『いわさきちひろ・おはなしえほん秋』より_「あきかぜのおくりもの」

2020年10月14日 14時00分54秒 | いわさきちひろさん
「10がつです。きたの くにでは、もう つめたい かぜが ふきはじめました。どうぶつたちは、ふゆごもりの よういです。

 りすは くるみを あつめ、のねずみは あったかい ベッドを つくります。ありも とかげも へびも かえるも、いそがしそうに はたらいて います。

 としよりの くまだけが ひとりぼっち。

 「どうして みんなと いっしょに ふゆごもりの よういを しないの?」

 あきの かぜが きくと、くまは はずかしそうに いいました。

 「わたしの けがわは よれよれで、ところどころ けが ぬけている。これじゃ みっともなくて おもてに でられないよ。としを とるのは、さびしい もんさ。」

 くまは、ためいきを つきました。
 
 その ばん、おんなのこが くまの いえに きました。

「こんばんは。はずかしがりやの くまさんに、いい ものを もって きたわ。」

 おんなのこは そう いうと、きれいな いれものを みせました。

「あきの はなから あつめた みつよ。まいばん すこしずつ なめてね。はるまでには つやつやの けがわに なれるわ。」

 おんなのこは そう いうと、ひらりと とんで いきました。

 くまは、はなの みつを ひとくち なめました。あまくて いい かおりの みつです。なめた とたんに、はなに つつまれたような きもちに なりました。

「あの おんなのこは、あきの かぜだったのかなあ。やさしい すてきな おくりものを くれた あのこ・・・。」

 くまは うっとりと めを とじて、ねむります。


 


『いわさきちひろ・おはなしえほん夏』より_「はじめてのなつやすみ」

2020年07月03日 22時56分51秒 | いわさきちひろさん
「「うまれて はじめての なつやすみなんだぞ。」

ゆうたは、うみに むかって むねを はります。

「くすくす、くすくす、くすくす・・・。」

「じゃあ、きょねんの なつは、うまれてなかったの?」

「うまれてたよ。でも ぼく、ことし 1ねんせいに なったんだ。だから、はじめての なつやすみ。」

「はじめてって、すてきな ことよね。」

 なみが、また うれしそうに わらいます。

「すてきで きもちが いい ことだよ。 なにもかも あたらしんだもの。あたらしい なつやすみ、あたらしい すいえいパンツ、あたらしい ぼうし。」

「あかい ぼうしね。ゆうやけいろね。」

「はじめての なつやすみに よく にあう ぼうしね。」

 くすくす、くすくす、くすくす・・・。

 なみは、ますます うれしそうに わらって、ゆうたの あしを くすぐりました。

うみに はいると、なみは、ざっぷん、ざっぷん、とっぷん、ちゃぽんと ゆれました。つめたくて、いい きもちです。

「あ、みきちゃん・・・。」

 なみうちぎわに たって いるのは、きょうしつで、となりの せきに すわって いる おんなのこです。

「おいでよ、みきちゃん。いっしょに およごうよ。」

 ゆうたが さそっても、みきちゃんは しょんぼりして います。

「どう したの? はじめての なつやすみなのに、うれしく ないの?」

「だって・・・。」

 みきちゃんは、 したを むいて いいました。

「わたしの ぼうし、きいろいんだもの。あかい くつと おそろいの、あたらしい ぼうしが ほしかったのに・・・。」

「とりかえっこしようよ。みきちゃんの ぼうしと ぼくの ぼうし。」

 ゆうたが あかい ぼうしを もって くると、みきちゃんは めを まるく しました。

「わたしが ほしかった ぼうしよ。ほんとに とりかえっこしてくれるの?」

「うん。ぼく、きいろい ぼうしの ほうが すきだもの。」

 みきちゃんの ぼうしは、ひまわりの きいろです。

「かぶって ごらんよ。」

 ゆうたは、あかい ぼうしを みきちゃんの あたまに のせました。

「ゆうたくんの においが する。それから、うみの においも。」

 みきちゃんは、ありがとうと いって、うれしそうに わらいました。

 あかい ぼうしの みきちゃんと、きいろい ぼうしの ゆうたは ちからを あわせて、おおきな すなやまを つくりました。

 うまれて はじめて、ふたりで つくった すなやまでした。

 あかい ぼうしを かぶった みきちゃんは、すてきな おんなのひとに なったみたいでし。」



 はじめて海をみたのは小学校低学年の頃だったでしょうか、波が不思議でした。夏休みだったかどうかわかりませんが、父親の運転する車に乗り家族5人で出かけたのだろうと思います。亡くなった母親も、母親に似た私も乗り物酔いがひどい体質で、車でお出かけ、近くても遠くても大変でした。(統合失調症を発症してからの母はそのことも妄想につながってしまいました。)この時買ってもらった貝殻の置物、長らく家の床の間に飾られていましたがしばらく前にお別れ、家族が幸せなものだと信じて疑ったことなどなかった頃の幸せの記憶は心の引き出しへ・・・。

 無事に引っ越しは終わりました。来週また面接の連絡、ハードだとわかっていても、お給料安いとわかっていても進んでいくしかないです。

『いわさきちひろ・おはなしえほん夏』より_「たなばた」

2020年06月24日 09時07分04秒 | いわさきちひろさん
「たなばたの よるです。あまのがわの きしで、おりひめが ないて いました。

「どう したの? こんやは あなたの おまつりなのに。いちねんで いちばん うれしい よるなのに。」

 ちいさな ほしが、おりひめに いいました。

「はやく ひこぼしに あいに いきなさい。」

「いいえ、ひこぼしには あえないの。いちねんに たった いちどの よるなのに、わたしは ひとりぼっち。」

 おりひめは いって、ますます かなしそうに なきました。

おりひめを せなかに のせて、ひこぼしの ところへ はこんで くれる はくちょうが、きのう、ながれぼしに ぶつかって、はねを いためて しまったのです。

「かわいそうな おりひめ。こんやを まって いたのに・・・・・。」

 ほしたちは みんな かなしく なって、そっと ふるえました。

 そのときです。おおきな うちゅうせんが、あまのがわの きしに とまりました。

「のって ください、おりひめ。わたしが、ひこぼしの ところへ あなたを はこんで あげますよ。」

 うちゅうせんの せんちょうが いいました。

 おりひめは うちゅうせんに のって、とんで いきます。

 なつかしい ひこぼしの となりへ。

「おりひめを のせて、あまのがわを わたる ことが わたしの ゆめでした。こんや、ゆめが ほんとうに なりました。さあ、もうすぐ つきますよ、おりひめ。おけしょうを なおしなさい。」

 せんちょうは わらって、おひりめに ぎんの かがみを わたしました。」