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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『いわさきちひろ・おはなしえほん春』より_「たんぽぽのサラダ」

2020年06月21日 17時01分00秒 | いわさきちひろさん
「「のはらへ いって、たんぽぽを つんで きましょう。
 サラダを たくさん つくるのよ。」

 かあさんうさぎが いって、おおきな バスケットを もちました。

 こうさぎの ピョンは おおよろこびで、かあさんに ついて いきます。
 はるの のはらは、さきたての たんぽぽで いっぱい。
 あたたかい ひかりと そよかぜも いっぱい。

 「おいしい サラダが できそうだわ。ことし はじめての たんぽぽサラダ。」

 かあさんうさぎが、せっせと たんぽぽを つんで、バスケットにいれて いる あいだ、
 ピョンは はなを みて いました。

 「たんぽぽって、いい におい。ちいさい おひさまみたいだな。」

 ピョンは、おさらに いっぱい たんぽぽの サラダを たべました。

 「ああ、おいしかった。おなかが いっぱいだ。でも、どう したんだろう。はなが むずむずするよ。」

 ピョンが いうと、かあさんうさぎは セーターを もって きました。

 「かぜを ひいたのかも しれないわ。さあ セーターを きて。」

 ピョンは、セーターを きました。とたんに はっくしょん!

 「あれ、なんだろう?」

 くしゃみと いっしょに とびだした ものを みて、ピョンは めを まるく しました。てんとうむしと ちょうちょうです。
 
 「わたしたち、あなたに たべられちゃったのよ、たんぽぽのサラダと いっしょに。でも、おおいそぎで でて きちゃった。だって、これから はるが はじまるんですもの。」

 はねを ひらひらせて、ちょうちょうが いいました。

 「わたし、たんぽぽの みつを たくさん のみたいわ。」

 「ぼくは たんぽぽの ベッドで ねむりたい。」

 てんとうむしも いいました。

 「たんぽぽの サラダって、おいしくて おもしろいね。おかあさん、あした また つくってよね。」

 てんとうむしと ちょうちょうが、のはらに かえった あとで、ピョンは かあさんうさぎに たのみました。」

 





『ちひろのことば』より_宮沢賢治と私(「花の童話集」によせて)

2020年03月07日 12時14分36秒 | いわさきちひろさん
「私の娘時代はずっと戦争のなかでした。女学校をでたばかりのころは、それでもまだ絵も描けたし、やさしい美しい色彩がまわりに残っていて、息のつけないような苦しさはなかったのですけれど、それが日一日と暗い、おそろしい世の中に変わっていきました。そんなころに私ははじめて宮沢賢治の作品にふれたのです。

 草がぽしゃぽしゃはえていたり、青いりんごの色に暮れていく山なみ、むこうの丘に黒ぐろと消えてのこっている松の群れ、日本の東北の山野のなつかしい草穂が、私の胸をうってせまり、素晴らしい交響楽のゆたかな音のなかにいる時のように、私にはもう外のものはなにもきこえないような気がしました。

 ある日のこと「お姉さんは宮沢賢治の話しかしない」と一つ年下の妹が軽蔑をこめて私の話をさえぎりました。それは食事の最中でしたが、私は急に食欲をうしないました。私は家の人と顔をあわす食事どきなど、きまって宮沢賢治の話しかしなかったそうです。宮沢賢治の話がそんなにゾッとすることだとは考えられなかった私には、それはショックなことでした。そして以後、家の中では、私はひそかにその作品を読み返しているだけになりました。

 あんなに命のように大せつだった宮沢賢治も年月がたっていまはもう冷静にみられるようになりましたが、20年の童画家生活のなかで、私はまだ一度もその作品のさしえを描いたことがなかったのです。はじめのうちは彼の作品が素晴らしすぎて手も足もだせないと思っていたのですが、いまこうして童心社からたのまれてみると描きたい気持ちがむらむらとおきて、そんな謙虚なことはいっていられなくなりました。たいていの人は私と宮沢賢治は異質で(もちろん私のていどがひく過ぎるという意味でしょうが)どうなることかと懸念されているようですけれど、私が若いときから宮沢賢治を好きだったということは、通じるところがあるからだとそこは自信をもちます。私ふうに好きなように描いたので、それが私にはうれしくてなりませんでした。この本は私の大せつな宮沢賢治です。」



 いわさきちひろさん、1974年(昭和49)原発性肝ガンのため死去、55歳。

 ちひろさんが旅立たれた年齢をまたひとつ飛び越えてどうにか生き延びているわたしが、若い頃は読んでもわからなかった、花巻のイギリス式海岸と名付けれらた景色をみても意味がわからなかったわたしが、宮沢賢治の作品をゆっくり読み返してみたいとこの頃。なぜなのかことばでうまく言い表すことはできませんが、生き様もふくめて、宮沢賢治の作品を時代が求めているように思うこの頃。

宮沢賢治『花の童話集』_まなづるとダァリヤ

2020年03月01日 01時23分25秒 | いわさきちひろさん
「くだものの畑の丘のいただきに、ひまわりぐらいせいの高い、黄いろなダァリヤの花が二本と、まだたけ高く、赤い大きな花をつけた一本のダァリヤの花がありました。

 この赤いダァリヤは花の女王になろうと思っていました。

 風が南からあばれて来て、木にも花にも大きな雨のつぶを叩きつけ、丘の小さな栗の木からさえ、青いいがや小枝をむしってけたたましく笑って行く中で、この立派な三本のダァリヤの花は、しずかにからだをゆすりながら、かえっていつもよりかがやいて見えておりました。

 それから今度は北風又三郎が、今年はじめて笛のように青空を叫んで過ぎた時、丘のふもとのやまならしの木はせわしなくひらめき、果物畑の梨の実は落ちましたが、このたけ高い三本のダァリヤは、ほんのわずか、きらびやかな笑いをあげただけなのでした。」



描くことを深く愛した人 いわさきちひろ

2020年01月26日 17時41分49秒 | いわさきちひろさん






2018年11月3日(土)~2019年1月31日(木) ちひろ美術館・東京
企画展示「作家で、母で つくる そだてる 長島有里枝」

展示室1 描くことを深く愛した人 いわさきちひろ

「ちひろさんが子どもの絵をたくさん残していることについて、母親だから、という見方もあるでしょう。でも私は、ちひろさん自身が子どもの心を持っていたからではないか、と思うのです。というのも、彼女が描いた子どもたちの多くは、笑ってこちらを見るなどの大人が求める子どもの姿ではありません。その目線はまるで、自分を見ているかのように対等です。作家であり、母であり、女性である。そういう意味で私とちひろさんには共通点がある、ともいえますが、私が最も共感を覚えるのは作家としての彼女です。好きなことを続けるには、自分を信じるしかないから、人にも寛容になれるのかもしれない。ちひろさんのやわらかさがそのようなものだとしたら、ちひろさんが「絵を描くことを深く愛した人」だったことに注目すべきだと思うのです。長島有里枝」

(『いわさきちひろ生誕100年Life Chihiro Iwasaki 100(ちひろ美術館)より』)


 帰省をひかえた2018年11月15日に訪れました。郷里は自分が暮らせないところだって全くわかっていなかった、家賃の心配なく穏やかな日々が待っていると勘違いしていました。遠くなってしまいました。4月に馴染んだ場所を訪れる折にまたちひろさんに会いに行きたいです。








『ももいろのクレヨン』より_だいじょうぶ

2020年01月05日 20時11分40秒 | いわさきちひろさん
「きょうは絵本ができてくる日。」


「絵本ができると、自分の子どもができてくみたいよ。」


「絵はヘタでもだいじょうぶ。」


「でも、不安よ。

 ダメなのが生まれるかもわからないじゃない。」


「この次なにができるんだろう。

 どんなふうにいくんだろうかって。

 人が見たら、毎回おなじ絵でしょう。

 それだのに毎回毎回、
 
 こんどはどういくんだろうかって、
 
 とっても不安があるわけ。」


「夢中になりすぎてね、

 よくわからないようになるわけ、

 いいのか、悪いのか・・・。」


「みんながふと気にする本ができたらと思います。」









 


ももいろのクレヨン―大切なあなたへ
クリエーター情報なし
大和書房

『ももいろのクレヨン』より_エピローグみんな仲間よ

2019年12月18日 22時41分30秒 | いわさきちひろさん



「男子が一歩外に出ると七人の敵がいるそうで、

 私は女子だからそんなことはないと信じておりましたが、

 女にも一人前になると二、三人の敵はいるようです。

 ほんとうの敵なら勇ましく立ち向かえるのですが、

 敵であろうはずのない人が

 ときどき舌を出したり、足をすくったりするので、

 ほんとうに心臓がドキンとして冷汗をかいてしまいます。

 「みんな仲間よ」

 わたしは自分の心にいいきかせて、

 なつかしい、やさしい、人の心のふるさとをさがします。

 絵本のなかに、それがちゃんとしまってあるのです。

 そして私がかきかている絵本のなかにも。

 だから、私は一年中

 頭のどこかでいつも絵本のことを考えているにちがいありません。

 この”絵本のしあわせ”が、みんなの心にとどくように、

 もし私が死ぬまでこうして絵本をかきつづけていけたとしたら、

 それはほんとうにしあわせなことです。」
















ももいろのクレヨン―大切なあなたへ
いわさき ちひろ
大和書房



『ももいろのクレヨン』より_かなしいときには

2019年12月10日 18時55分32秒 | いわさきちひろさん










「この日記はかなしいとき苦しいときしか、私はつけていない。
 
 しあわせなときは何にも書かなくてもすることがたくさんあり、

 生き生きしているからよいのだけれど、

 どうしようもなく絶望したり、不安におののいたりするときは、

 こうしてはきだす場所がなくてはいけないのだ。」


「よろこびは一歩一歩足をふみしめて静かにやってくるけれど
 かなしみは嵐のようにおそってくる。」


ももいろのクレヨン―大切なあなたへ
いわさき ちひろ
大和書房



 ちひろさんに会いにいきたい。美術館も遠くなってしまいました。

『ももいろのクレヨン』より_大人になること

2019年12月09日 23時12分50秒 | いわさきちひろさん






「四つ葉のクローバーを見つけると幸運がくるのよ。」



「電車にのっても、道を歩いても、

 だれも知っている人に会わないしあわせ。」


「ぼーっとして電車にのっていると、

 前にすわっている人たちが、ちょうどドーミエの絵のように、

 それぞれのおもしろい顔つきをしてならんでいます。

 どの顔にもその人の今までの生活や性格がにじみでていて、

 人の世に生きる哀感があふれているのに、
 
 今の私とはまったくかかわりあいがなくて、

 たんに画面のなかの人物なのです。

 あかるい春の光のなかを、

 電車は私までも絵のなかのひとつの点景にして走っていました。」


「草がぽしゃぽしゃはえていたり、

 青いりんごの色に暮れていく山なみ、

 むこうの丘に黒ぐろと消えのこっている松の群、

 日本の東北の山野のなつかしい草穂が、

 私の胸をうってせまり、

 すばらしい交響楽のゆたかな音のなかにいる時のように、

 私にはもう外のものはなにも聞こえないような気がしました。」


「大人というものはどんなに苦労が多くても

 自分の方から人を愛していける人間になること」

ももいろのクレヨン―大切なあなたへ
いわさき ちひろ
大和書房

 







コメント (2)

『ももいろのクレヨン』より_プロローグあなたへ

2019年12月08日 12時10分50秒 | いわさきちひろさん










「私が力がなくて無力なとき

 人の心のあたたかさに
 
 ほんとうに涙ぐみたくなる。

 このまったく勇ましくも雄雄しくもない私の

 もって生まれた仕事は絵を描くことなのだ。

 たくましい、人をふるいたたせるような油絵ではなくて

 ささやかな絵本の絵描きなのである。

 そのやさしい絵本を見た子どもが

 大きくなってもわすれずに心のどこかにとどめおいてくれて

 -なにか人生のかなしいときや、絶望的になったときに

 その絵本のやさしい世界を

 ちょっとでも思い出して心をなごませてくれたらと思う。

 それが私のいろんな方々へのお礼であり

 生き甲斐だと思っている。」
 


ももいろのクレヨン―大切なあなたへ
いわさき ちひろ
大和書房

2017年秋_いわさきちひろ美術館に行ってきました(2)

2018年12月04日 20時38分12秒 | いわさきちひろさん
ようやく雨が降った12月、昨日に続いて一年前業務開始を目前にして訪れた東京ちひろ美術館の写真を整理しました。木漏れ日が美しい一日だったのだとあらためてしみじみ思いました。

昼下がりの、ちひろさんが愛した庭。













二階から眺めた庭。









空とちひろ美術館。








ちひろさんのアトリエ。








夕方、もう一度ちひろさんが愛した庭を歩きました。




すっかり陽が暮れた美術館。







 この時から一年余りが過ぎました。当時の記事に書いていた一年の業務はなんとか無事に終了し契約をまっとうしました。3年前の自分はエネルギーが尽き果ててほんとにぼろぼろで、今自分で振り返っても辛いです。ほんとに辛かったなよな、自分って思います。ウルトラハードな業務で心身を削られたところへ、実家と自分の荷物整理をしているので、まだ弱ったままですが、ハードな仕事のおかげで労働紛争のことはすっかりぶっ飛びました。断片的に思い出すことは時々あれど、何をどうしていたのか細かいことはすっかり記憶の彼方に遠ざかりました。かなりきつい日々でしたが、日中の居場所があり、なおかつハードな仕事はわたしにとって幸いだったのかもしれません。色々と勉強にはなったし、ここまでよく立ち直ってきたよなって我ながら思います。立ち直ってきた自分でまたちひろ美術館を訪れることができてほんとによかったって思います。。

 次にちひろ美術館を訪れるときはどんな自分がいるのだろう、って思います。次の居場所がみつかるのかな、断捨離しながら不安がよぎります。ハローワークでやってみたいと思える求人はありませんでした。公開されているので書いてしまってもいいと思いますが、一般的に知られているよりもはるかにハケンは進んでいます。今までハケンなど考えられなかった領域においても、大手派遣会社が業務委託として請け負い、求人を行っています。話にきいたことはありますがここもついにハケンですか、あなたもそうなんですかっていうところで大手派遣会社の名前をみてしまいました。しかもよりによってわたしの書類上派遣元だった会社が名前を変えてますます肥大化してきているようです。仕事内容にはちょっと興味ありますが、心身を削られる大変な仕事だって知っているしこんな大手派遣会社の求人になど応募しません。友人にラインで伝えたところ、このままだと日本のシステムは一度崩壊するかもしれれない、それも時代の流れなのか・・・、という返事。そうかもなあって思います。そんな時代の流れの中でこれからどう生きていけばいいのか・・・。日本はよくなっていかないですね。それでも働いたら負けだなどと一円も稼がないのに言うような人間になってはおしまいだと思うので日中の居場所を見つけていきたいなと思います。年内はこのままで年が明けたらかな、履歴書の更新もまだ。もう少しすっきりしてから考えますか。色々ときついですが、希望を失わないでいたいですね。

 一日、一日。