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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

春のプリンス・エドワード島への旅_銀の森屋敷(赤毛のアン博物館)

2017年09月19日 18時31分22秒 | プリンスエドワード島への旅
 ためこんだままの写真も少しずつ整理中。2010年6月の春のプリンス・エドワード島への旅。父の具合が悪くなってきていると弟から連絡がありながら、わたし実家には帰らず、弟への後ろめたさを抱えながらも会社でのストレスに耐え切れず、何カ月の前から計画していたとおり旅で出ました。今行っておかないとしばらく行けなくなるのではないかという切羽詰まったような気持ちもあったような気がしますが、この数年間で色々なことがありすぎて記憶が途切れ途切れになってきています。この旅から3か月後に父とのお別れは訪れました。高齢者なんだから突然なにがどうなるかわからないの当然なのに、妹とお別れをしているのに、自分の親がいなくなるなって考えたことがありませんでした。突然訪れたお別れから丸7年が過ぎました。


 37歳で結婚したモンゴメリさん。カナダ初の女性作家として経済的に自立していたのに結婚したのは、幼いころに両親と別れたので家庭がほしかったのではにかという松本侑子先生のお話をうかがったことがあります。旦那さんが今でいう統合失調症だったことに苦しんだモンゴメリさん。自分の家族のことを考えると、モンゴメリさんのことを全く他人ごととは思えずどこか自分と重ね合わせながら思いを馳せているところがあります。モンゴメリさんの最期が自死であったとカナダ政府が認めたという雑誌の記事を読んだときはかなりショックが大きくて、高校時代にあれほどあこがれた『赤毛のアン』を一度は封印しました。精一杯生きた時間があったことを大切にしたいとようやく思えるようになりました。


モンゴメリさんが使ったベッド。
ベッドが小さいのは、横になるのではなく腰はよっかかったまま休んだからだそうです。



モンゴメリさんのサインがはいった本。
猫が好きだったモンゴメリさんはサインと一緒に猫を描いていました。




モンゴメリさんが撮影した写真が展示されていました。






トップの写真はシャーロットタウンから、銀の森屋敷へと向かう途中の車窓からの景色。緑が美しく何枚も何枚も撮らずにはいられませんでした。つたないものばかりですが、チャンネルに少しずつアップ中です。

ストレスから胃液が口の中に逆流しているらしいこの頃。これからどうやって生きていけばいいのかわからないままに時間が過ぎていきます。明日は歯医者さん。なんとか生き延びられますように・・・。

春のプリンス・エドワード島への旅_銀の森屋敷(赤毛のアン博物館)

2017年09月15日 10時32分01秒 | プリンスエドワード島への旅
 昨夜は一日の終わりの息抜きのつもりでプリンス・エドワード島の写真を投稿しようとしましたが、サーバーがおかしかったですね。失礼しました。

 モンゴメリさんの母方の親戚の家で、子どもの頃よく遊びに行っていた「銀の森屋敷」。37歳で結婚した時、自分の家がなかったモンゴメリさんはこの家で結婚式をあげてユーアン・マクドナルド牧師のもとへお嫁に行きました。

 トップの写真はモンゴメリさんが寝泊まりしていたお部屋の鏡。


パムさんにうながされて園内を一周するマシュー馬車に便乗していました。
ほんとは有料だったみたいです。



豪華な台所のストーブ。



 
 いろんな緑にあふれた春のプリンス・エドワード島の写真、まだまだあるので少しずつ、少しずつ、秋の島もね。

 あまり眠れないまま緊張し続けた疲れがきているのか、極端な夜更かしはしていないのに朝起きられなくなってきています。お昼を食べるのにお部屋を出たら、暗くなるまで帰れず放浪している疲れもあるのでしょう。あんなに大変な仕事を短期集中で慣れないことの連続でやったのだから疲れていて当然。誰はばかることなくもうしばらく秋休み。


春のプリンス・エドワード島への旅_ケンジントン駅舎跡

2017年09月12日 19時43分19秒 | プリンスエドワード島への旅
 あれやこれの思い出と再会しながら整理中。2カ月半の短期集中の援助職の仕事は慣れない人、慣れないことだらけで緊張の連続、かなりエネルギーを消耗しました。脳ミソのエネルギーを使い果たしたのでなにをどうしていたのかすっかり忘れてしまいました。プリンス・エドワード島への旅の写真もまだまだ整理できていないことを久しぶりに思い出しました。ここ数年間ほんとに色々なことがありました。昨日かなり久しぶりに2010年6月の春のプリンス・エドワード島への旅の日記を読み返しました。残念ですが年月の経過と共に記憶がうすれつつあり、忘れてしまったこともあります。でも小さな手帳にしたため日記の文字の中から、幸せで幸せでたまらなかった穏やかな時間が体のなかによみがえってきました。12時間の飛行のあと、トロント空港に到着、同じプランを利用してこられていた女性の二人連れに声をかけられた時のわたしはほんとに申し訳なかったですが、クソな会社での仕事の疲れとストレスをたっぷりとためこんだままで顔がひきつっていました。でも島へ着いた翌日、プリンス・エドワード島プリザーブ・カンパニーにいるときのわたしはすごく幸せそうな表情をしたんだそうです。そんな私の表情をみて、この島はそんなに素敵な所なんだとお二人は思ったとあとからききました。父との別れ、母との別れ、クソ会社から使い捨てにされたので損害賠償を求めたら労働紛争となりボロボロに傷つき、ここまで立ち直ってきて、といろいろなことがありすぎました。

 ブログを始めた頃はチェンネルの使い方を知らなかったので画像フォルダにはアップロードしていてもチェンネルには登録できていない写真もいっぱいあって、ぐちゃぐちゃ状態を少しずつ整理していければと思います。よろしければ気長にお付き合いください。

朝のケンジントン駅舎跡。曇り空でした。




秋のプリンス・エドワード島への旅_フレンチ・リバー

2017年07月01日 22時58分52秒 | プリンスエドワード島への旅
 久しぶりに秋のプリンス・エドワード島への旅の振り返り、小雨模様のフレンチ・リバー。手帳を読み返してみると、日本を出発してからおよそ24時間、真夜中に到着した翌日、雨がしのつく、極寒の中喉が渇いて仕方なく、時差と日頃の疲れが出でしまい、車での移動に気分が悪くなってしまったんですね、わたし。キンドレッドに帰り着いた時吐いてしまいみじめさにおそわれました。ドライバーさんが優しく慰めてくれてあったかかったです。それでもやっぱりプリンス・エドワード島はわたしに幸せをくれます。

 仕事はやっぱりくたびれちゃって、土曜日の午前中からお医者さんに行くのもくたびれちゃって、それでもって明るいうちに部屋には帰りたくなくってカフェをはしごして放浪したらくたびれちゃって、ようやくの息抜き投稿でした。ネットがつながるところでは思いっきり動画を視聴、息抜き、息抜き、生き返る・・・。





2009年7月11日-17日夏のプリンス・エドワード島への旅

2017年05月30日 23時09分26秒 | プリンスエドワード島への旅
2009年7月11日-17日夏のプリンス・エドワード島への旅


はじめてプリンス・エドワード島を訪れた時から気がつけば8年が過ぎようとしています。ようやく写真を整理してみたら、まだまだアップロードしていない写真があることを知り自分でびっくり。とりあえずの段階ですが公開にしました。こちらもぼちぼちとやれるときに追加していこうと思います。ほんとあちらもこちらもまだまだぐちゃぐちゃね。

 稼働開始は12日から。自分の部屋にいたいけどいたくない、いられないので用事がすんでからも放浪する毎日。電源とれてネットもつながる場所はありがたいです。雨がざあっと降って色々な音を打ち消してくれるといいのにな・・・。



秋のプリンス・エドワード島への旅から帰国後の日々

2015年08月28日 18時38分03秒 | プリンスエドワード島への旅
観劇日記を書きたいところですが、頭の中グダグダで書けないでいます。
自分の居場所がひとつ見つかった、大事な役割があるのかなと思ってボランティア活動を頑張ろうとしたけれど、また頑張り過ぎてしまった結果、収入ないまま疲弊の上塗りで傷つくことになっただけなのかもしれません。話が大きすぎて私の身の丈を超えていたようです。

今の社会の中で何を信じればいいのかわからないし、何をしたいのかわからないし、何をすればいいのかわからないし、どこを目指していけばいいのかわからないし、結局頑張ろうとすればするほど思いは空回りし続けるだけで、どこにもたどり着くことができません。
どこかに信じられるものがある感じが全くしません。

何をしたいの?どうだったらいいの?自分がわからないのだから、人にたずねられてもわからないです。
一生懸命やったことが、また結果的に自分を疲弊させただけになってしまったかもしれません。妹の分まで精一杯生きて生きたいという思いは空を舞い続けています。
少し旅に出て心を休めたいのが本音です。
なんかやっぱり社会への幻滅しかないです。

過去を振り返って自分を責めても時間は戻ってこないけれど、あれはいったいなんだったんだろうとか、あんな会社でがんばらなければよかったと思う結果になったこととか、まだ受け入れていくのに時間がかかるし、どこに行っても結果的に自分が傷つきます。これ以上傷つきたくないと思うと、孤独なまま、もう社会へ戻っていくことはできないような気がします。

どうして不信感でいっぱいで、社会へ戻れなくなってしまっているのか、それだけのプロセスを踏んで、それだけの理由があるからですが、それを人に説明してわかってもらうのがすごく大変。それでさらに社会から孤立していくことになります。苦しい日々・・・。


秋のプリンス・エドワード島から帰国した日の自分に帰ってみたいと思います。
一生懸命に働いていた時のいやーなものがよみがえってきてしまう感じもありますが、旅の時間は本当に幸せでした。母とのお別れも訪れで、父・母・妹-三人の納骨をすませてからの旅でした。

「2012年10月27日(土)

PEIから帰って一週間。まだ少し夢の中にいる。行く前は煮詰まり過ぎていて頭と心が限界だった。よくもちこたえていたと思う。色々なことがあった。もうずっと先まで行けないのかと一時は思った。こうしてまた行くことができた。
13日夜半、島の空港の灯りが見えて来た時には、ああまたこの島に来れたんだなあ、とじいんとこみあげてきた。
懐かしい場所に帰ってきたような、ゆるやかに時間が流れるPEIはやはり特別な場所だ。こんなに心が休まる場所は他にない。
ゆるやかに連なる丘、キラキラと輝く入江、緑、赤土、灯台、高い空、遠く流れる雲。
心のエネルギーをチャージできる。なんだかわけもなく幸せ感に満たされて、生きててよかったなあと思えるのだ。
また行きたいと思う。
次回はハリファックスに二泊してルーネンバーグも訪ねたい。
2-3年おきにPEIに行く。そのために働く。そういうライフスタイルもあっていいと思う。
PEIは私の人生の一部になって行く。
自分を責め続けていてもどうにもならない。私が幸せだと感じる時間を二人分もつこと。
それでいいんだとようやく素直に思えるようになった。
原発事故で避難してる方々や被災地の方々に申し訳なく思ってしまった。
自分にできることを見つける努力もし続けたいと思う。社会の中での役割・・・。
それよりも地震のないPEIに家を買って住もうかな・・・!?」

写真はキングス地区、南海岸沿いの風景です。
心の宝物。

春のプリンス・エドワード島への旅の思い出

2015年04月22日 22時39分13秒 | プリンスエドワード島への旅
なんだかもやもやと落ち着かない季節の変わり目の日々が続いています。
こういう時はあまり無理をせず、できるだけ穏やかな気持ちで過ごしていくように
した方がいいのかもしれません。
焦ったところですり減った状態ではなにをしてもうまくいかないので、
もうしばらくこのまま過ごしてみようと思います。
本当にこれでいいのかわかりませんが、少しずつ、少しずつ・・・の回復のプロセスです。

今日は春のプリンス・エドワード島への旅で知り合った女性お二人と一年ぶりにお会いしました。おそめのランチをいただき、お茶もしながら話は尽きませんでした。
日常生活の中で人と話すことが少なくなっているので、久しぶりにたくさんおしゃべりをして息抜きできました。心遣いもしてくださって感謝です。

大手旅行会社のフリープランを利用しての島へのひとり旅。
乗り継ぎのトロント空港でお二人に声をかけていただいた時の私は、
休みをとるためにどっちゃり働いて、ようやく休みをとってカナダへとたどりついたので、
日ごろの疲れとストレスをそのままひきずって顔がひきつっていました。
お二人には、そのままを伝えて申し訳ないですとあやまりました。

でも島に着いた翌日、現地ツアーでPEIプリザーブ・カンパニーの庭を歩いていた時、
トロント空港とはうってかわって、私がすごく幸せそうな表情をしたそうです。
その私の笑顔を見たお二人は、ここはそんなに素敵な場所なんだと思われたそうです。
オーウェル・コーナー歴史村の草の上に寝ころんで、三人で見上げた島の高い高い空と
雲。大切な心の思い出です。すごく寒かったのになぜだか温かさを感じていました。
不思議でした。
旅の後半には、日ごろの疲れが出て、体が辛くなってしまった時もありました。
くやしいですが、旅に出たくてがんばって働いて、ようやく旅に出ると具合が悪くなってしまいました。そんなこともお二人はおぼえてくださっていました。

その年の九月には父親とのお別れが訪れて、その一年半余り後には母親とのお別れが訪れて、
いろいろと大きな人生の節目がいくつも突然やってきました。
この時の島への旅がなかったら、その後のことを乗り切っていくことはできなかったでしょう。お金だけではない、行きたいと思った時行ける条件がそろえば少し無理があっても行ってよかったと思います。

プリンス・エドワード島への旅は五年先までとっておいて、秋に一緒に屋久島に行きたいですね、と夢は尽きることがありません。島は島でも、日本ですが、今の私には高いハードルです。実現させたいものです。

カナダ本土からアンが島へやってきたのは春でした。
プリンス・エドワード島の春は六月。

『赤毛のアン』第二章「マシュー・カスバートの驚き」より、
アンがグリーン・ゲイブルズを始めて訪れる場面です。

The yard was quite dark as they turned into it,

and the poplar leaves were rustling silkily all round it,

"Listen to the trees talking in their sleep,'she whispered,

as he lifted her to the ground,

"What nice dreams they must have!"

Then,holding tightly to the carpet bag which contained

"all her worldly goods,"she followed him into the house.

 やがて二人は、どっぷり日の暮れた裏庭にたどり着いた。
まわりではポプラの葉が、さらさらと衣ずれのような優しい音をたてていた。
マシューが女の子を馬車から抱いておろすと、「ほら、木たちが眠りながら
お話をしているわ。耳を澄ましてみて」と、女の子はひそひそ声で言った。
「きっと、すてきな夢をみているのね!」
それから「この世での私の全財産」をしまったカバンを大事そうに抱え、
女の子はマシューの後について、家にはいっていった。

(L・M・モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』集英社文庫より。)

写真は、銀の森屋敷の馬車の中からの眺めです。
パムさんが乗りなさいと言ってくれて、英語がよくわからなかった私は
なにがなんだかわからないまま馬車の中に少しだけお邪魔しました。






秋のプリンス・エドワード島への旅_キャベンディッシュ・ホーム

2015年04月15日 23時05分00秒 | プリンスエドワード島への旅
モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡のお庭から。

プリンス・エドワード島の10月の半ばは日本の12月ぐらいの寒さでしたが、本当にきれいでした。
モンゴメリさんほどこの島を愛し、その美しさを言葉で表現できた人はいないのかもしれません。

ここに佇んでいるとモンゴメリさんがきいたのと同じ風の音が今も聞こえてきます。
ざわざわ、ざわざわ・・・、プリンス・エドワード島は風の島。


秋のプリンス・エドワード島への旅_グリーン・ゲイブルズの窓辺

2015年04月10日 23時21分07秒 | プリンスエドワード島への旅
秋はすごくさみしい感じもありましたが、旅日記を読み返してみると、ほんとうに楽しくて幸せな時間を過ごしていました。

グリーン・ゲイブルズの、2階にマリラの部屋がある北側の写真を選んでみました。


下の写真は、台所のゼラニウムのある窓辺に灯りがともっている様子。
案内係のお姉さんの人なつっこい笑顔を思い出します。
わたしのように英語がおぼつかない人にも一生懸命に話しかけてくれます。
島の人たちの笑顔はほんとうに人なつっこい。
これから歩こうとしていたホンテッド・ウッド(お化けの森)がすごくきれいよ、
って言ってくれて静かに心がはずんだことも思い出します。
グリーン・ゲイブルズは国立公園なので案内係の人たちは公務員だと、松本侑子先生が
著書の中で書かれていたと思います。
日本でイメージする公務員という雰囲気は全くありませんでした。




私の心、なかなか沈静化できずでことばが口からでませんが、かげでたくさんの人にささえられていることに感謝しています。口にだすことができずに申し訳なく思っています。


秋のプリンス・エドワード島への旅_ロウアーベティック

2015年03月03日 18時47分11秒 | プリンスエドワード島への旅
息抜きに久しぶりに秋のプリンス・エドワード島に帰ってみようと思います。

3日目に訪れたプリンス地区、モンゴメリさんの3つ目の赴任地ロウアーベティックから。


ワンルームスクールの敷地内の一枚。




モンゴメリさんが下宿した家。



またいつか行きたいな・・・。