人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

双方向の大和撫子

2007-09-01 15:50:56 | 法律
前回に引き続き、「時間の価値観の差異」について。

価値観は様々ですが、「時間」とは何か、どう使うべきか、という認識の差異によっても問題が生じることがあると思います。

これは、時間がありあまっている高校生のときはほとんど問題にはなりません。たとえば勉強の内容やスポーツのテクニックを誰かに教えてもらいたかったら、相手は「嫌な奴」じゃなければ教えてくれるでしょう。時間の価値をほぼゼロだと考えれば、「タダ」で教えれるというわけです。

大人になってしまえば、時間の価値はゼロではなく、逆に「時間が全て」ということになるのかもしれません。時給はいくらか。〆切、結婚式、死期が近づいてきているか。人によって一分の価値が全く異なるようになり、そしてその人の中でもどの一分かによって価値が変わってきます。

自分の中でも生じる差異なのだから、他人とこういった「時間の価値観」の差異が生じるのは当然のことです。しかし自分だけであれば、金曜日が忙しいなら木曜日中に用事を済ませるなどと調整ができます。他人の時間の価値観は流動的なのだから、長年の秘書でもなければ完全に把握しきれないものでしょう。

それでも、ビジネス上では相手の気分を害することを少なくしつつミーティングしたり接待したりしています。これはなぜでしょう。

それは、おそらく仕事だからです。給料をもらってやっている仕事だから、その時間を使って他人の配慮をすることは、当人にとっては「自分の時間を売って他人のものになった時間」を使うようなことであり、「タダ」に等しいのです。いくらでも気を使えるわけです。高校生のときのように、このような配慮をしない人は、やはりただの「嫌な奴」になってしまうのかもしれません。

こんなビジネスマナーを家庭や友人関係に持ち込んでは疲れます。しかも家族や友人と過ごす時間は「自分の時間」であって、前述のとおり人それぞれの価値がつけられ、また時間によって価値が異なります。

相手に配慮したいけど自分にも都合があります。しかも、やっぱり前回書いたように互恵を意識してしまい、一方的にあわせるのも辛いものです。

男がCAや看護師などに憧れるのは、自分の時間の価値が低いとき(要は、暇なとき)、そして相手の時間の価値の方が高いとき(仕事で忙しいとき)にもこちらへの配慮を優先してくれることなのかもしれません。プライベートでも変わらない態度で接してくれる人がいたら、それは多くの人にとって理想的な妻・恋人・友人かもしれませんね。「大和撫子」も、実は人への配慮ではなく人の時間への配慮なのかもしれません。

とすれば、別にこれは女性に限った徳ではないはずです(というか、女性に限ってしまったら男女差別です)。大きな目的を犠牲にしない範囲でお互いを優先する「時間価値の互恵関係」・・・実はこれが理想的な関係なのかもしれませんね。

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