人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

最近考えていること

2008-07-07 03:24:40 | フリー作文
人を受け入れる前に評価をしてしまう。人を上手に褒めることができない。
たわいもないことで不機嫌になったり、人を疑ったり、愚痴を言ったり。

そんな自分の要素を風船に乗せて空に放ってみたい。
負の要素を解き放ったとき、正の要素はいくつ残っているのだろう。
残った自分は、まだ会話を弾ませるほどのネタが提供できるのだろうか。

過去と未来、実績と目標、経験と夢、どちらを笑われた方が辛いのだろう。
天才とバカのどちらに笑われた方が怒りを覚えるのだろう。

自慢と自虐を完全に省いて自分の話ができるのだろうか。
比較と評価を完全に省いて他人の話が聞けるのだろうか。
実力の差があっても真のチームワークが築けるだろうか。
いつになったら天邪鬼から卒業できるのだろうか。
余裕がなくても与えることができるのだろうか。

変わりたいと思う点を反省してもすぐ元に戻ってしまうことが多いが、劇的な出来事か細かく監視される機構があれば別だと思う。だから大事な事は本より人から学びたい。

答えがなければ問いかけは無意味だろうか。
知らないことは考えても無駄なのだろうか。
できないことに努力することは無意味だろうか。
愛されないのに愛することは自分を傷つけるだけのことだろうか。

不完全だから美しいと考えるのは口実だろうか。
不完全だから人間だと考えるのは甘えだろうか。

無駄な努力は存在しないが、非効率な努力は存在すると考える。
効率的な努力ばかりを選んでいると保守的になる。
オールラウンダーになれても中途半端になる。
やはりリスクの高い努力も必要なのだろう。

ならば、「その場つなぎ」の努力は非効率に思えるが、このような努力が企業・政治・マクロ経済において日常的に行われている。個人ベースでもそうで、掃除や洗濯、料理なども広義に考えればその場しのぎ。しかしどれも無駄でも非効率でもない。効率性が時間あたりの効果であるのなら、つなぐことができた時間の量も時間軸に加味して相対評価を行うことが必要か。「様子見」も戦術の一つとするに値するということだろうか。

忙しくないときは「何もしない」という選択肢が生まれてしまうのが恐ろしい。それはロールプレイングゲーム(RPG)で自分のパーティ全員に「防御」させたままで闘っているようなものだと思う。進歩があるわけがない。むしろダメージを受ける一方。RPGでの戦い方と人生の過ごし方には共通点があるべきだと思う。ゲームではとことんレベルアップを目指すのなら、人生でもとことん勉強や練習に励んで賞でも狙うべきだろう。どんどんストーリーを進めたい人は早めの出世でも目指すのが本性なのだろう。ゲームはすべて棘の道だが、ゲームをやる全員がそれをくぐりにけてクリアしたいと思っている。自分の人生にはそれ以上の熱意を注げる素質を持っているのではないか。