人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

偶然という大いなる力

2006-12-02 13:28:49 | 人生論・閃き
(注:この記事は視点の提供のために書かれたものであり、特定の信仰もしくは信仰一般に対する批判ではありません)

信じる人のみが救われるのではなく、神は、運命は、そして永遠の愛は、信じる人のみのために存在すると考えます。そして信じるか否か、それは偶然という大いなる力のみの結果であると言っても過言ではないかもしれません。

もともと我々20世紀生まれの人間は、scientific methodが確立されたあとに生まれました。信仰か理性か、といったら概ね理性が勝ったといる時代なのかもしれません。そして信仰が「負けた」というのなら、負けたどころか無視され続けた第3の勢力として「偶然」を挙げたいと思います。

ダーウィンの進化理論は自然による遺伝子の選択を説いていますが、これは種の進化が偶然の変異によって起こることがベースになっています。選択自体も環境によりけりであり、どのような環境にある種が生まれたかもまた偶然である。世界が誕生したことも偶然。ビッグバンですら偶然の出来事と考えます。

偶然に頼っていては安定性がなく、我々は不安になるので、理論と因果関係に頼るようになってきました。水に触れれば濡れる。必ず成立する理論や因果関係があるゆえに秩序のある世の中であると思い勝ちですが、それらの成立自体が偶然なのです。

神の場合も同じです。神が存在する世界では人間が神の下最高最強の生き物であり、神の教えに従うことが最重要事項となります。しかし、人間としては、神に作られたことは偶然でしかありません。

人が偶然を過小評価していることは、簡単な傾向で見られます。二人に「20回サイコロを振って、その結果を書いてください」とお願いするとします。そして一人はサイコロを振らず、適当な数字を書いて誤魔化したとします。すると誤魔化した人はこのような数字を書いたりします:

4 6 1 2 6 5 3 4 1 3 6 5 2 1 4 3 5 2 6 1

各数字が3-4回登場し、連続で同じ数字が出ていません。一見奇麗なデータです。

しかし本当に振った人は、こうなったりします:

1 1 1 4 3 1 3 3 6 1 5 1 5 1 3 3 4 5 6 1

偶然同じ数字が並んだり、小さい順に並んだり、特定の数字(ここでは2)がまったく登場しなかったり、データは以外と偏りを見せるものです。昔に円周率を200桁暗記したことがありますが、そのときにもこのような偶然な配列に気づきました。

3.141592653589793238462643383279502884197169399375...

ここまででゼロが一つ、3が七つ。不思議な例ですが、偶然はここまで偏りを見せることができます。

さて、話を戻します。

努力したから報われたのかもしれませんし、努力する人になったのは親の良き教育の賜物だったのかもしれませんが、誰にとっても「私」と認識する人がそんな環境下で生まれ育ったことは偶然であるわけです。

とすれば、運命は運命があると偶然信じたから存在する。ならば偶然この記事を読んで、偶然「運命は変えられるかも」と考えたら偶然にもそのような世界に「引越し」することになります。これは偶然とはいえ、まぎれもなく本物の結果。見方を変えれば世界が変わり、これは大いなる偶然の中の小さな因果関係の結果ではないでしょうか。

このように、いくら頑張っても、何にも勝る力こそが「偶然」というものなのかもしれません。このような不安定さを「恐ろしい」と感じる人もいるかもしれませんが、その感情もまた偶然のものです。

そして我々は偶然、その姿勢を意図的に、そして瞬時に変えられる環境に生まれました。これを利用しない手はないですね。