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靖国

 参拝から思いつくまま。
 遊就館にも立ち寄りまして、生まれて初めて見る現物の包丁正宗の常識外れの元幅、これまた現物の村正の箱乱れに興奮。日清-大東亜戦勝初期の展示には正直ちょっと引きました、もう少し淡々としてもいいかなあ、いや英霊を祀る神社の施設だからあんなものか。その後の流れを知っている立場としては、少々複雑。
 などと見ていたら戦況が悪化して来ます。展示品にも遺品、遺書が増えてまいります。
 鼻の奥にきな臭いものを感じつつ回っておりましたところ、図らずも
大西瀧次郎中将の遺書に対面、途端に涙腺が緩み止まりませんでした。どうも筆者は文章にした人物に愛着を覚える質のようで、もちろんそれは筆者が勝手に作り上げた人格ではあります。なんというか、筆者が想像していた人格と遺書の文面がそのままであり、旧知に合えたと同時にその考えるところの深さに圧倒されたとでも言いましょうか。
 隣の阿南惟幾大将血染めの遺書には涙が引く気がしたんですがね、なぜか。
 で、そのままうるうるしながら遺書と遺影を見て回っているうちに、次の有名な遺書で号泣。

 素子 素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代叔母様に私のことをよくお聞きなさい。私の写真帳もお前のために家に残してあります。
 素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、幸せになったのを見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会いたいときは九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。
 父はお前が幸福者と思います。生まれながらにして父に生き写しだし、他の人々も素子ちゃんをみると真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても親無し児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護っております。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、この便りを読んで貰いなさい。


追伸 素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。


海軍少尉 植村真久 神風特攻・大和隊
昭和19年10月26日 比島沖にて戦死 25歳


 追伸が・・・筆者にも子供がいるもので、自己投影しやすいんでしょうなあ。
 桜花、回天を見て涙がやや引き、生まれて初めて現物のチハ車と零戦を見て興奮、勝手に想像していたよりかなりでかかった。
 ノートが置いてあって、感想を書くようになっておりました。ぱらぱらとめくっておりましたら、1ページに渡って批判論を展開されておられる方、自分の気に入らない文に×をつける方、いろいろおられて微笑ましい。批判論の傾向として、大東亜戦争中の秀才軍事官僚の文章と同じ匂いがしたのが面白いですね。


 言いたいことが言えるいい国です、日本は。また参拝したいと思いました。
 そうそう、ここは政治の道具にはして欲しくありません。換言すれば、日本人の問題であり、外国が口を挟んでいい問題ではないと思います。


(05/11/8追加)
 改めてよくよく考えたら、ここにいちゃもんつけてきている二国一地域の日本における優先度から見て、べつに放置しても害にはならない。

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