Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●青木理さん「特定のメディア組織に属してはいても、記者が本来奉仕すべきは、広い意味での読者や視聴者」

2018年05月12日 00時00分51秒 | Weblog

[※ 青木理さん(『サンデーモーニング』2017年11月19日)↑]

 

久田将義責任編集TABLO』(http://tablo.jp/)の記事【青木理「逆張りの思想」/週刊新潮へ記事提供 記者は他社媒体に記事を書くことを「許されない」のか】(http://tablo.jp/serialization/aoki/news003221.html)。

 《すべての記者が「他メディア」に情報提供しなくなれば、私たちが多様な情報に触れる機会は激減し、この社会は相当に風通しが悪くなる…多くのメディアも現場記者間の情報提供や情報交換によって成り立ってきた側面がある…知り得た情報を、なんとか世に伝えたい。残念ながら所属メディアで伝えるのは難しくとも、他のメディアなら可能かもしれない。…たまたま特定のメディア組織に属してはいても、記者が本来奉仕すべきは、広い意味での読者や視聴者》。

   『●「膿」で出来上がった政権、政党…ウルトラ差別主義者=
                麻生太郎財務相の「責任」は有耶無耶に?
    《日刊スポーツの記事【玉川徹氏、テレ朝女性記者の行動「正しかった」】
     …によると、《玉川氏は、取材で知り得た情報を第三者である週刊新潮に
     わたした女性記者の行為について「公益通報だったんだろうと思う。
     会社に上げても上に上がらない、と。本当は我々は伝えるべきメディアだから、
     これはテレビ朝日で伝えなければいけなかったんだと思います。だけど
     彼女はそれを伝えることができないと考えて、きっと正義感と良心から
     週刊新潮に持ち込まざるを得なかったんだと思う」と私見を述べ、
     「彼女がやったことは正しかった」と言い切った》》

 玉川徹さん曰く《きっと正義感と良心から…》…きっとそうだと思う。青木理さんの言うように、《いずれにせよ、記者が他のメディアに情報を提供するのは必ずしも「不適切」ではない》。

   『●「膿」で出来上がった政権、政党…ウルトラ差別主義者=
                 麻生太郎財務相の「責任」は有耶無耶に?
   『●「謝罪会見の場に、被害女性を散々おとしめた
      麻生氏の姿はなかった」…ウルトラ差別者の責任は有耶無耶?


 それにしても、またしても、ウルトラ差別主義者・麻生太郎財務相の「責任」を有耶無耶にするつもりか?
 東京新聞のコラム【【私説・論説室から】#MeToo余話】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2018043002000138.html)によると、《そんな中で性暴力問題に取り組むグループから、メディアで働く女性たちの被害を調べるための匿名アンケートに協力してほしいと求められた。日ごろは取材する側にいる自分が今は尋ねられる側にいる。記者になって二十五年を思い出しながら答える…。こうして社会から関心を持ってもらえる私たちはまだ恵まれているのだと思う。「はめられた」という麻生太郎財務相らの発言は、政府の掲げる女性が輝く社会いかに陳腐で空虚なものかを白日の下にさらした》。

 テレ朝を攻撃し、テレ朝に責任を押し付けようとしている。またしても、ウルトラ差別主義者・麻生太郎財務相の「責任」は有耶無耶になるのかと思うと、腹立たしくて仕方ない。何度有耶無耶にすれば気が済むのだろう。
 月刊誌『創』篠田博之さんによる【月刊「創」ブログ/福田次官セクハラ事件めぐるテレ朝現場への報復攻撃という気になる展開】(http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2018/04/post-247.html)からの長い引用:

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 …この上司が、現場記者のセクハラ告発を握りつぶしたかのような印象を持たれていたのだが、実態はそうでない。そもそもMさんは、セクハラの訴えを握りつぶすようなタイプとは正反対のジャーナリストだ。
 このことは会見の後、業界の一部で話題になり、例えば東京新聞の望月記者はツイッターにこう投稿していた。
 《福田次官のセクハラ被害を訴えたテレ朝記者の上司は、私が最も尊敬する女性だ。訴えた記者も信頼を寄せている。その上司がなぜ「記事は出せない」と言ったのか。もみ消すためではない。これまでの会社の行動からすれば、逆に潰される可能性が高いと判断したという。日本のマスメディアに共通の課題だ》
 《セクハラ被害を訴えたテレ朝記者の上司は、被害を記者から聞いた際、夜のサシ飲みには「もう行かない方がいい」と助言。記者はしばらく行くのを止めていたが、森友の公文書改ざん、財務省の虚偽説明が次々と明らかになる中、取材を進めるため電話に応じ、夜の会合へ。その先で一連のセクハラ被害に遭った》
 …テレ朝の社員である玉川徹さんが女性記者について「会社に言いたいんだけど、彼女が記者を続けたいと思っている限りは、記者を続けさせるように何とかしてくれと、ボクは言いたいんですよね」などと発言していた。社員が生放送の番組でこんなふうに会社上層部に意見を述べるというのは、考えて見ればすごいことだ
 …今まさにAさんやMさんに対して、テレ朝内「反安倍」一派の陰謀だなどとして個人攻撃が行われている現状で、そういう攻撃をしかけている人たちを喜ばすようなことはないように、テレ朝上層部にはお願いしたい。
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 ウルトラ差別主義者・麻生太郎財務相や下村博文元文科相、財務省の矢野康治官房長ら…《セクハラを認めず、またはセクハラのどこが悪いと開き直ること自体が、セカンドセクハラ》。アベ様の政権や与党自公、《忖度》官僚ら、根幹から腐敗しきっている。
 日刊スポーツのコラム【政界地獄耳/開き直ることがセカンドセクハラ】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201804280000228.html)によると、《麻生の「はめられた」発言に、テレビ朝日アナウンサーの小川彩佳そういった声が予想されるから声を上げられない。他のじような被害に苦しんでいる人の傷口も広げた」と指摘…。つまり福田のセクハラ行為よりも麻生や下村矢野らのセクハラを認めず、またはセクハラのどこが悪いと開き直ること自体が、セカンドセクハラだということだ。それを正論として言い続ける限り、事態は収拾などしない》。

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http://tablo.jp/serialization/aoki/news003221.html

青木理「逆張りの思想」
週刊新潮へ記事提供 記者は他社媒体に記事を書くことを「許されない」のか青木理
2018年05月01日 セクハラ テレビ朝日 朝日新聞 読売新聞 財務事務次官 青木理

 財務事務次官の醜悪なセクハラ問題は、さまざまな観点から論議が交わされている。そのうちここで記したいのは、被害者の女性記者が情報を「第三者」ーーすなわち『週刊新潮』に提供したのは「不適切」だったのか、という点。

 これをことさら問題視する声は多く、大手メディアでは『読売新聞』が4月20日付朝刊の社説でこう書いている。

   〈取材で得た情報は、自社の報道に使うのが大原則だ。
    データを外部に提供した記者の行為は報道倫理上、許されない

 女性記者が所属するテレビ朝日も、当初はこの点を「不適切であり遺憾」と報道局長が会見で述べていた。ただ、その後に社長がやはり会見で「公益目的からセクハラ被害を訴えたもので、会社としても記者の考え、心情は理解できると語り、軌道修正している

 とはいえ、これはあくまでも「セクハラの被害者」として『週刊新潮』に告発したことを「理解」したものであり、記者としての情報提供まで容認したとは受け取れない

 では、記者が取材で得た情報を「第三者」に提供することは「不適切」なのか。もちろんここでは「第三者」を『週刊新潮』のような「他メディア」に限定して議論を進める。

 一般論としては、決して適切とはいえないと私も思う。取材された者は通常、記者が所属するメディアで報道されることを前提としているからである。

 しかし、これもまた建前的な原則論であり、すべての記者が「他メディア」に情報提供しなくなれば私たちが多様な情報に触れる機会は激減し、この社会は相当に風通しが悪くなる

 具体的に考えてみよう。たとえば、月刊誌『文藝春秋』には「赤坂太郎」という筆者による連載がある。政界の生々しい動静や裏話を赤裸々につづり、長年にわたって続いてきた同誌の名物連載でもある。いうまでもなく「赤坂太郎」はペンネーム。大手メディアの政治部記者たちが代々、寄稿したり情報提供したりすることで成り立ってきた。

 あるいは、会員制という形態を取る『選択』や『FACTA』といった雑誌もある。記事の大半は無署名だが、大手メディアではなかなか報じられないディープな情報がしばしば掲載され、私も愛読している。このうち『選択』は、次のような宣伝文句を古くから掲げてきた。

   〈『選択』の編集には、国内外の400人を超える第一線のジャーナリスト、
    学者、作家、さらには政・財・官界人らが多数参加しています。
    『選択』はマスコミ界を横断する組織によって作られています〉

 ここにある〈国内外の400人を超えるジャーナリスト〉には、大手メディアの記者が多数含まれている。いや、それがほとんどといってもいいのではないか。本サイトの編集長である久田将義くんも『選択』の編集者だった経験があるから、私よりもよく分かっていると思う(笑)。

 かつて一世を風靡した月刊誌『噂の真相』などもそうだったし、ほかの多くのメディアも現場記者間の情報提供や情報交換によって成り立ってきた側面がある。かくいう私も、組織メディアに属していた時代、さまざまなメディアに情報を提供したり、記事を執筆したりしてきた。逆に、他メディアの記者や編集者から情報を提供され、特ダネ記事を書いたことだって幾度もあった

 では、なぜこういうことが行われるのか。

 残念な話ではあるが、それぞれのメディアには、それぞれのメディアの存立基盤や特性上、それぞれにタブー的な分野やテーマが存在する。取材先である当局や企業、大手芸能事務所、またはスポンサーや広告代理店との力関係のほか、記者クラブ制度などに由来する悪弊や所属メディアの社内事情などもある。そのようなものはすべてなくなるのがまさに理想ではあるし、タブーは打ち破るべく最大限の努力を尽くすのが重要なのは当然だが現実にはなかなかに難しい

 そんな時、記者たちは他メディアに情報を提供する。もちろん、提供する際は取材源に不当な不利益や迷惑をかけぬよう配慮するべきだし、提供された側もそれを垂れ流しにするわけではなく、裏づけ取材を尽くす。なかには原稿料目当ての不届き者がいることを否定はしないが、他メディアに情報提供する多くの記者たちの心境はおそらく違う。

 知り得た情報を、なんとか世に伝えたい。残念ながら所属メディアで伝えるのは難しくとも、他のメディアなら可能かもしれない。繰り返しになるが、それぞれのメディアにはそれぞれのしがらみがあり、こうしたことはしばしば起きる。それを一刀両断に「不適切」と封じてしまえば情報自体が世に伝わらない

 それは今回のセクハラ問題をみても明白だろう。女性記者が『週刊新潮』に情報を提供しなければ、財務省トップのセクハラ問題そのものが表沙汰になることはなかった

 そういえば、〈データを外部に提供した記者の行為は報道倫理上、許されないと社説で書いた『読売』の記者から私は何度か情報提供を受けて原稿を書いたことがある貴重な情報を提供してくれた記者のうちの一人は、こんなふうに理由を明かして自嘲した。

   「ウチは、トップが決めた社論に反するネタは書けないから

 もうひとつ、この論点をめぐっては、記者=ジャーナリストの独立性という問題もはらんでいる。たまたま特定のメディア組織に属してはいても、記者が本来奉仕すべきは、広い意味での読者や視聴者。記者たちがタブーなき核心情報を広く社会に伝えるためなら、組織の垣根を越え、もっと広く深くつながってもいい。個々の記者がもっとゲリラ的に動き回ってもいい。これを論じると長くなるので、また別の機会に書こう。

 いずれにせよ、記者が他のメディアに情報を提供するのは必ずしも「不適切」ではない。(文◎青木理 連載『逆張りの思想』第六回)
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●〝とある暴力集団〟の警察お墨付きの「自由」は許されるのか?

2012年07月11日 00時00分50秒 | Weblog


CMLの記事(http://list.jca.apc.org/public/cml/2012-June/017707.html)。別件ですが、THE JOURNALに出ていた、ニコンサロン事件についての篠田博之さんの記事(http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2012/07/post_93.html)。

   『●〝とある暴力集団〟、九電前テント村に現る
   『●「言論の暴力」の一線を超えた暴力を行使する〝とある暴力集団〟
   『●第2自民党による弱者いじめは続く ~生活保護支給引き下げ検討~

 この〝とある暴力集団〟在特会と福岡市役所や九電とはグルではないか、というのは言い過ぎであるのかもしれない。でも、警察とはどうなのでしょう? こんなミエミエの「嫌がらせ」を「許可」するのだから。あの映像に映る暴力事件を放置するのですから。

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http://list.jca.apc.org/public/cml/2012-June/017707.html

[CML 017885] 在特会が九電本店前にテント設置

・・・・・・
2012 6 20 () 23:42:38 JST

 ・・・・・・です。
 転送・転載歓迎。

 大変なことになりました。
 福岡市の九州電力本店前で、昨年4月20日から400日以上にわたって脱原発を訴え続けてきた「原発とめよう! 九電本店前ひろば」の隣に、在特会が原発推進と日本の核武装を訴えるテントを設置するというのです!

 青柳行信さんからの緊急のメールを転載します。


(ここから)

   青柳です。6月20日。
   明日から、在特会とのひろば・テントへの新たな攻撃の火ぶたが始まります。
   本日、午後4時、 福岡中央署は 私たちが昨年4月20日から九電本店前に
  テントを二張り設置して座り込みを続けていた同じ場所を真っ二つに割り
  私たちと在特会にも明日からの道路使用許可申請を認める決定と通知を致しまし
  た。
   在特会と警察権力との一体の排除攻撃を許さない!
   明日、午前10時からのテント立ち上げに結集よろしくお願いします。

  場所:九州電力本店前 福岡市中央区渡辺通2丁目1−82 

(ここまで)

 九州における脱原発の重要な拠点である「原発とめよう! 九電本店前ひろば」を、在特会が「市民運動の」やり方で潰しにかかっています。朝鮮学校や日教組事務所襲撃を行ってきた在特会がどんな手を使うかは容易に想像できます。
 テント広場への支援がますます重要になってきました。
 一人でも多く座り込みに参加することが必要です。短時間でもかまいません。
 私は明日仕事があるため参加できませんけれども、出来るだけ参加します。

・・・・・・
福岡県
E-Mail: ・・・・・・
======================================
郵政民営化構造改革の本丸」(小泉純一郎前首相)
その現実がここに書かれています・
『伝送便』
http://densobin.ubin-net.jp/
私も編集委員をしています(^^;)
定期購読をお願いします!
購読料は送料込みで1年間4320円です。
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http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2012/07/post_93.html

一度は中止になったニコンサロン慰安婦写真展、無事最終日まで行けるのか

 ネット右翼と言われるグループの抗議行動を受けて、5月22日に主催者側が中止にしてしまった新宿ニコンサロンでの慰安婦写真展だが、6月22日、裁判所の仮処分により、再び開催が決定。6月26日から7月9日まで展示が行われている。
 6月26日の開催初日には、新宿西口駅前には右派グループの掲げる日の丸が林立。「在特会」「主権回復をめざす会」など、映画「ザ・コーヴ」上映中止事件でも抗議行動を展開したグループが会場に抗議に押し掛けた。
 混乱を理由に再び写真展が中止になるのでは、と懸念する声もあったが、警官や警備員が多数動員され、荷物の中まで開けさせるという、過剰ともいえる警備が行われたこともあり、最悪の混乱は避けられた。在特会の桜井会長らが会場に入って、写真家の安世鴻(あんせほん)さんに詰め寄るなど緊迫した場面もあったが、何とか乗り切れた。安さんは、「表現の自由を守る」という意思表示のため、初日はもちろん、その後も会場に連日姿を見せている。
 2日目以降は大きな混乱もなく、中止事件について報道で知った市民らが連日大勢、足を運んでいる。
 裁判所の決定に対してニコン側は異議申し立てを行ったが、それも却下された。ニコンに遠慮して、日本ではJVJA日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)以外は写真家団体も何の態度表明もしていないが、イギリスなど海外では写真家らが抗議声明を発するなど反響が広がっている。6月22日の裁判所の決定についても、日本の新聞は朝日・東京は大きく報道したが、読売・産経・日経などはベタ記事。慰安婦問題が何となく日本ではタブーになっている状況を反映した。 その後も海外報道機関は、この問題を活発に報道しているようだ。

http://latimesblogs.latimes.com/world_now/2012/06/comfort-women-show-goes-on-in-tokyo-despite-protests.html
http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5joPb3BT8GParwQQyKqiLSBqxkjQA?docId=CNG.8ce61e811a998e6ec041f250a9f4356c.441

 日本の言論・表現をめぐる状況を映し出したこの事件、とりあえず7月9日までは写真展が開催され、会場に安さんもいるので、近くへ行かれる人は足を運んでほしい。

http://www.nikon-image.com/support/showroom/shinjuku/print.htm

 象徴的なのは、ネットで写真展を非難する騒ぎが5月19日の朝日新聞中部版をきっかけに起きてから、わずか3日でニコンが中止を決定してしまったこと。そして、仮処分の過程で明らかになった中止理由が「写真展の政治性」だったこと。つまり、抗議がくるような政治的なテーマについては、写真展を開催しないと言ってしまったようなもので、言論表現の閉塞状況がますます深刻化しそうな気配なのだ。
 この問題が悪しき方向に教訓化されないように、何が問題なのか、もっと活発な議論がなされることを期待したい。
 一連の詳しい経緯については、7月6日発売の月刊『創』8月号で報告している。


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●三鷹事件: 再審請求

2012年01月14日 00時50分46秒 | Weblog


THE JOURNALに出ていた篠田博之さんによる記事(http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2012/01/post_88.html)。関連した記事が以下で読めます。

   http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120106-00000304-tsukuru-soci
   
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120106-00000305-tsukuru-soci
   
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120106-00000306-tsukuru-soci

 三鷹事件でただ一人有罪とされた冤罪被告の遺族の方が再審請求をされるようです。『創』の2012年1月号に出ていたので興味を持っていました。たとえ冤罪でなかったとしても、家族が理不尽な処遇をされることはあってはならないと思います。ましてや冤罪ではたまったものではありません。三鷹事件では、冤罪で家族は大変に御苦労をされたようです。したがって、親族の方は反対されている方も多いようですが、今回は長男の方が請求を出されたようです。

 私は、これも冤罪だと思っています。被告は汚名を晴らすことなく、亡くなっておられます。

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http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2012/01/post_88.html

戦後三大謀略事件「三鷹事件」の再審を求める動き

 1949年に起きた下山、三鷹、松川のいわゆる三大謀略事件といえば、歴史の教科書に載っている話で、多くの人が古い過去のことと思っているかもしれないが、そのひとつ三鷹事件の再審請求が昨年1110日に起こされた。実は三鷹事件については、被告の大半が無罪となったのだが、ひとり竹内景助被告のみ死刑判決が確定、再審請求申し立てを起こした段階で本人が病気で死去。死刑囚の汚名を着せられたまま真相が闇に葬られてしまったのだった。今回、息子が父親の遺志をついで改めて再審請求申し立てをしたのである。
 様々な新証拠の存在からこの事件が冤罪であることは明らかだが、事件から年月がたっていることもあり、再審開始への道のりは簡単ではない。
 今回の再審請求に至る経緯や判決の問題点などについては月刊『創』1月号に再審弁護団の高見澤昭治弁護士の詳しいインタビューが掲載されているからぜひお読みいただきたい。
(以下のサイトに全文を掲載)

         
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120106-00000304-tsukuru-soci

 そして1月
19日(木)18時半〜20時半に吉祥寺の武蔵野公会堂で「三鷹事件の再審開始を求める集い」が開催される。「下山事件」の著書もある森達也さんや事件の目撃者である堀越作治さん(元朝日新聞記者)の講演、それに再審弁護団の報告などが行われる。

 入場無料。主催は三鷹事件再審を支援する会
(世話人・大石進)電話0422-26-8029
mitaka-case
island.dti.ne.jp

 私・篠田は三鷹に住んでいることもあって、この事件に関心を持ってきた。この再審の動きについては『創』で今後も積極的に取り上げていくつもりだ。
・・・・・・・・・。

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●情けなき、お抱えメディア ~原発人災現場の非公開な取材公開、検閲・選別付~

2011年12月04日 03時29分42秒 | Weblog


篠田博之の「メディアウオッチ」(
http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2011/11/post_85.html)。ゲンダイネットの記事も(http://gendai.net/articles/view/syakai/133702)。

 所詮原子力ムラの砂糖にたかる蟻の一群にしか過ぎないのか? フリーへの意趣返し? 記者クラブの拡大版。マスメディアムラだな。東京電力FUKUSIMA原発人災について、彼らも反省無しの懲りない面々である。読売記者は自由報道協会主催の記者会見を邪魔する癖にね(小沢一郎氏の記者会見を邪魔して、上杉隆氏及び岩上安身氏から激しく抗議されてオオモメしました)。

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http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2011/11/post_85.html
 

福島第一原発敷地内取材をめぐるメディア選別の「脱力」

 新聞・テレビが大々的に報道しているからご覧になった方も多いと思うが、1112日、政府・東電が、3月の事故以来初めて、福島第一原発敷地内を報道陣に公開した。

    
http://www.news24.jp/articles/2011/11/12/07194358.html


 既に今西憲之さんら一部フリーによって報道された映像だし、今回の取材は細野豪志大臣の視察に同行という限定的なものだが、情報公開への一歩という意味では評価できないこともない。ただ、そこでフリー記者やネットメディアを排除し、取材を新聞・テレビの記者クラブメディアに限定したという点については、大きなブーイングが起きている。

 というのも、そもそも原発取材については、大手マスコミは20キロとか50キロ圏内には立ち入らないという自主規制を設け、それを突破して現場に入ったのはフリーの記者たちだった。その現場に入ろうとするフリーに対しても4月下旬以降規制がかかったため、規制を撤廃せよという要求を前面に掲げてきたのがフリーランスだった。イラク戦争報道においては、安全確保を優先する大手マスコミはバグダッドから撤退し、フリージャーナリストが現場にとどまったのだが、そうやってリスク覚悟で入ろうとする取材陣を国家が妨害・規制するのはやめてほしいという要求だったわけだ。ところがそうした要求がある程度認められて、いざ現場入りとなったら、そこからフリーが除外されたというわけで、これ、本当に「脱力」ものである。

 5月に『創』主催のシンポジウムでこの議論が起きた時に、戦場取材で知られるフリーランスの綿井健陽さんらを中心に、敷地内取材を認めろという共同アピールを政府に提出。

 その後も様々な場でフリーランスから規制撤廃の要求が政府になされていた。最近の動きについて言えば、11月2日の上杉隆さんらの自由報道協会の申し入れ、11月4日の寺澤有さんらのフリーランス協議会の申し入れなどが出されていた(下記URL参照)。

    
http://fpaj.jp/?p=1881
    http://www.incidents.jp/news/index.php?option=com_content&view=article&id=353:2011-11-04-06-37-02&catid=1:2010-05-12-10-05-34


 それらを全て否定したかのような今回の措置に、綿井さんもブログで批判的に言及している。

    
http://watai.blog.so-net.ne.jp/


 せっかくこの1~2年、記者クラブ制度が崩壊しつつあったのに、またしても記者クラブ優先という政府の方針には全く脱力させられる

 既存メディアでこの問題を取り上げたのは毎日新聞1112日付メディア欄。台宏士さんの署名によるものだが「『原発』取材 選別に批判」という、なかなかいい記事だ。今回政府は、フリーとネットメディアを排除しながら、外国プレスは代表取材で一部認めるという、微妙な判断をしたのだが、このあたりの線引きをどう考えているのか、ぜひ細野大臣に伺いたいものだ。

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http://gendai.net/articles/view/syakai/133702
 

結局政府・東電のPRに使われただけの福島第1原発公開
20111114 掲載

施設の被害状況と吉田所長の心情報告に終始

 12日、福島第1原発の敷地内が事故後初めて報道陣に公開され、参加したメディアは大々的にその様子を報じたが、その内容は拍子抜けするものだった
 バスの中から見た設備の崩壊ぶり、車内での線量計数値の推移、そして記者の感想……。吉田昌郎所長(56)との質疑応答も15分間だけで、突っ込んだやりとりはなし。「死ぬだろうと思うことは数度あった」といった事故直後の心情を、ことさら大きく報じるばかりだ。事故直後の詳細な様子も、現在の原子炉内の状況も何も分からない。今月2日に起きた臨界騒動の真相にも触れていない。元原子炉設計技術者でサイエンスライターの田中三彦氏は「(報道内容には)新たな事実もなく、とくに感想もない」と前置きした上で、こう続けた。

     「規制だらけの公開で、新事実が出ないようにしたのではないか。
      情報公開の姿勢に疑問を感じますね」


 実際、今回の公開は制限だらけだった。参加メディアは内閣記者会加盟の常勤19社、福島県政記者クラブ、外国プレス代表ら36人だけ。原発事故問題を厳しく追及してきた雑誌、フリーランスなどは
排除である。しかも、公開場所も限定され、当初は政府・東電側が写真の検閲までしようとしたのだから言語道断である。結果的に、メディアは政府・東電にいいように利用されただけではないのか。

     「事故後8カ月経ってようやく原発施設内に入り、所長への取材まで
      したのに、なぜ、メディアはもっと真相に迫るような追及をしなかったのか
      専門知識のある科学者の同行を認めさせてでも、詳細な事実関係を
      究明すべきです。事故直後、政府・東電の偽りの情報を流し続けた
      メディアは、今回も危険な状況下での収束に向けた取り組みぶりを
      強調したい政府・東電のPRに一役買っただけですよ」(政界関係者)


 統制国家とそれに甘んじる大メディア。原発事故の教訓は、まるで生かされていない

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●冤罪だらけ: 裁判官の目は節穴か?

2011年11月27日 00時57分59秒 | Weblog


THE JOURNALに出ていた『創』編集長 篠田博之さんの「メディアウォッチ」より(
http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2011/11/ol_1.html)。

 『冤罪ファイル冤罪File)』を見るまでもなく、世の中、冤罪だらけ。飯塚事件久間三千年さん)のように死刑制度存置の大弊害が出てしまった、取り返しのつかない冤罪事件もある。警察や検察の問題もあるが、裁判所の問題がもっと騒がれるべきだと思う。明確な冤罪を見抜けない、気づいても補正できない。そもそも制度自体に反対だけれども、裁判員制度で「迅速性」のみが追い求められたら、ますます冤罪事件が増えてしまう。

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http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2011/11/ol_1.html

東電OL事件現地調査に参加しました

 1120日、再審請求が行われている東電OL事件についての集会と現地調査が行われました。集会の後、事件現場に行ってみるという現地調査には約30人ほどが参加したのですが、再審をめぐる動きが注目されているためテレビカメラも何台か同行しました。現場周辺の渋谷区円山町はラブホテル街なのですが、ぞろぞろと通りを歩く一行に、ホテルに来たカップルたちも驚いたのではないでしょうか。

 事件からもう10年以上たっているのですが、殺害現場のアパートと、逮捕されたゴビンダさんが住んでいたアパートはほぼ当時のままでした。写真で見るとわかるように、両方のアパートは隣接しており、ゴビンダさんが女性を殺害後、施錠もせずに現場を立ち去り、逮捕されるまで10日も隣のアパートで暮らしていたというのが不自然であることはすぐわかります。この事件は、1審は無罪、2審で有罪に逆転するのですが、今年に入って新たなDNA鑑定により、確定判決が大きく揺らいでいます。しかも、当時検察側が隠していた被害女性の体に付着していた唾液の血液型がゴビンダさんのものでなかったことも明らかになり、冤罪であったことが明らかになりつつあります。

 この1125日には新証拠に対する検察側の見解が出される予定で、再審へ向けた動きは大詰めを迎えました。

 DNA鑑定という科学の発達が冤罪を明らかにしたという側面はあるものの、上記の現場の状況などを見ても確定判決への疑問は尽きないし、足利事件布川事件同様、こんなずさんな捜査や裁判で有罪判決が出されるのかと慄然とするばかりです。事件現場を見ながら、司法のあり方に思いをはせた1日でした。


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●続・「死の町」にした者こそ糾弾されるべきではないか?(2/2)

2011年09月25日 00時02分58秒 | Weblog


つづき

 次に、東京新聞社説(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011092002000054.html)および筆洗(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011092002000039.html)。
 映像資料「2011915[5 /6]「原発とメディア」シンポジウム 1」(http://www.youtube.com/watch?v=_ihUFBCn1u8&NR=1)の上杉隆氏や森達也さん、高田昌幸氏(司会は篠田博之さん)の関連したコメントも是非聞いてみてください。被害住民・被爆住民になり代わっての過剰な反応、被害住民・被爆住民の気持ちの過剰な忖度、その部分は死刑制度の議論に似ていると思った。(このシンポに関しては、『創』出版のhttp://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2011/09/15-2.html。また、鎌仲ひとみ氏や雨宮処凛さん、鈴木邦男さん、山本太郎氏の第2部http://www.youtube.com/watch?v=wXuTvHAV0Mg&feature=relatedもどうぞ。)

 それにしても、小皇帝 都知事の真に差別的言質は大して問題にもされず、都民は平気で選挙も通すし、マスコミは全くバカ騒ぎすることがない。東京電力 福島第一原発人災というFUKUSIMA直後も「東京に原発を」とまで言う訳ですから、原発推進派であり、虎の尾を踏んだ訳ではいないからでしょうね。マスコミの挙動、全く不思議です。


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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011092002000054.html

【社説】

メディアと政治を考える 自由な言葉あってこそ

2011920

 政治家の発言をメディアが報じることで現実の政治が動く。そんな事例が相次いでいる。分かりやすい結末を追い求める落とし穴にはまっていないか。
 鉢呂吉雄前経済産業相が一連の「問題発言」の責任をとる形で大臣を辞任したのは、就任わずか九日目だった。
 問題とされた発言は二つある。まず九日の会見で福島第一原発周辺の地域を「人っ子一人いない。まさに死の町」と呼んだ件。次いで、同日夕から翌朝にかけて一斉に報じられた「放射能をうつしてやる」という記者への発言だ。

しゃくし定規の息苦しさ
 後者の放射能発言は鉢呂氏が原発周辺の自治体視察から東京・赤坂の議員宿舎に帰ったとき、宿舎のエントランスで記者団に囲まれた際に語った発言である。
 鉢呂氏は記者との懇談を非公式なものと認識しており「発言内容自体も正確には覚えていない」と釈明している。録音記録も残っていないようだ。
 いずれの発言も大臣として不適切な発言として批判を浴びて、当初は説明を尽くす考えだったが、放射能発言が報じられた十日夜になって結局、辞任を表明した。
 たしかにテレビカメラも入った会見で「死の町」という表現は適切とは言えない。ただ、絶対に許されないほど不穏当だったかと言えば、議論の余地は残る
 後に明らかになったことだが、細川律夫前厚生労働相も五月の参院行政監視委員会で民主党議員の質問に答えて「町全体が本当に死の町のような印象を受けました」と語っている。
 本紙を含めて新聞も「ゴーストタウン」という表現を使ってきた死の町」はだめだが「ゴーストタウン」ならいい。そんなしゃくし定規な議論が広がるようになっては、なんとも息苦しい。

言葉狩りのメカニズム
 放射能発言も気になる点がある。発言があったのは八日夜だが、同夜も翌朝もメディアは一行も報じていない。ところが、九日の「死の町」発言が明らかになった後の同日夕からテレビ、新聞が大きく報じ始めた。
 そこには「批判スパイラル」とも呼ぶべきメディアの特性がある。いったん批判の標的を見つけると、さらなる批判の材料を追い求め、スパイラル(らせん)状の軌道に乗ったかのように一斉に標的を追い詰めていくのだ
 メディア各社はみな激しく競争している。一社が書けば、他社が後追いする。そこには多少の疑問があっても一応、批判の輪に加わらなければ、それ自体が意図的な報道回避と受け取られかねないという懸念も働いている
 発言があった日から一日遅れになった今回の放射能発言報道は、そんなメディア全体の電子回路にスイッチが入ってしまったような展開だったのではないか。
 どんなタイミングでどんな内容を報じるかは、メディアの裁量である。たとえ非公式なオフレコ発言であったとしても「報じるに値するかどうか」の判断はメディア自身に任されるべきだ。それは言論報道の自由と不可分である。
 その点を指摘したうえで、多くのメディアが「批判スパイラル」一色に染まっていく状況を恐れる。それは言論や価値判断の多様性という社会の根幹をむしばむ事態につながりかねないからだ。
 それぞれのメディアが自由に判断した結果、同じような報道のトーン、価値判断に陥っていくとすれば、なおさらである。「批判スパイラル」が実は「同調の言葉狩り」になってしまう。それは多様性の尊重とは真逆の事態と言ってもいい。
 批判スパイラルを加速させた背景には「問題はいずれ国会で大騒ぎになる」という判断がある。そういう見通しを織り込んだ記事もあった。メディアだけにとどまらない。鉢呂氏自身も辞任に際して、その点を考慮しただろう。
 ともに「国会で問題になる」という見通しを前提にして、メディアは記事を書き、政治家は身の処し方を考える。結果があっけない大臣辞任という幕切れだった。
 問題発言で大臣が辞めたのは、菅直人政権で二〇一〇年十一月に辞任した柳田稔元法相、ことし七月に辞任した松本龍前復興相に続いて三人目だ。輿石東幹事長は放置できないとみて、情報管理を徹底する方針を打ち出した。

不自由さが自殺行為に
 問題発言がメディアで批判され、国会紛糾を恐れるあまり、大火事になる前に先手を打って大臣を辞める。そんな展開が当たり前のようになってきた。
 自戒を込めて書く。メディアも政治家も少し冷静になろう。考える時間が必要だ。言葉で仕事をしているメディアや政治家が、言葉に不自由になってしまうようでは自殺行為ではないか。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011092002000039.html

【コラム】

筆洗

2011920

 福島第一原発の事故で、亡くなった人は一人もいないじゃないか-。原発推進派には、こんな発言をする人もいる。慣れない避難所生活の中、持病を悪化させて亡くなったお年寄や、将来を悲観して自らの命を絶った農家や酪農家の姿は見えないのだろうかそんなことを考えている時、哲学者である内山節さんの近著『文明の災禍』を読んだ。原発事故が奪ったのは住民の未来の時間であるという。「人間の営みが未来の時間を破壊した。日本では、おそらくはじめて」。その思想の射程の深さに共感した殺人は被害者の未来の時間を破壊する。原発の事故は地域の未来の時間を丸ごと破壊する。「未来の時間を破壊することが平気な社会、それは恐怖に満ちた社会である」という哲学者の問い掛けは重い未来の時間を奪われた土地は「死の町」そのものである。前経済産業相の発言も長期間、人が住むことができない福島の厳しい現実を直視する契機になれば、意味があったのかもしれないきのうも全国で脱原発を求める行動があった。作家の大江健三郎さんらの呼び掛けで東京で開かれた集会には、過去最大の六万人が参加した。うねるようなにぎやかな人の流れが、ゆっくりと繁華街を通りすぎる先頭を歩いたのは、福島の人たちだった。二度と私たちの未来を奪わないで。そんな心の叫びが聞こえてきた。
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 最後に、videonews.comの映像資料(http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/002066.php)。東京新聞論説委員の重要な証言。やはり「原子力癒着ムラ」の官僚の人事という大虎の尾を踏んでしまった、というのが裏の真相だったようです。こんなことやってて(経産省の官僚にこんなことやられてて)、民主党は本当に大丈夫か!? 映像の中で指摘されているが、枝野経産相に本件(原発推進反対派が委員会のメンツに居ない旧人事のままであれば)を突き付ける度胸のあるマスコミ記者がいるかどうか? 案外、経産省が墓穴を掘ったのかも??

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http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/002066.php

ニュース・コメンタリー (2011年09月17日)
鉢呂大臣の辞任は脱原発人事の発動直前だった
インタビュー:長谷川幸洋氏(東京新聞論説委員)


 「死の街」、「放射能をつけちゃうぞ」などの発言の責任を取り、就任9日目の9月11日に辞任した鉢呂吉雄前経産相は、脱原発政策を実行に移すための人事を発表する直前だったことが、東京新聞論説委員の長谷川幸洋氏の取材でわかった。
 長谷川氏は、鉢呂氏が辞任した翌日の12日に鉢呂氏に単独でインタビュー取材した。鉢呂氏はこれからの日本のエネルギー政策を決める総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)の委員に多数の脱原発派を送り込むことを決め、既に事務方に指示していたことを明かしたという。 長谷川氏によると、鉢呂氏は現在の委員構成が15人のうち12人が原発推進派で占められていたため、これでは福島後の議論は期待できないと考え、新たに9~10人の反原発・脱原発派の委員を追加任命する意向だった。その委員候補リストまで事務方に渡していたという。
 長谷川氏は「人事は官僚にとって最大の権力の源泉そこに介入されることは、官僚がもっともいやがること」「鉢呂氏は虎の尾を踏んだ」と経産官僚による辞任工作あったとの見方を示すが、具体的にどのような経緯で辞任に至ったかについては、取材中という。
 長谷川氏はまた、鉢呂氏には「放射能をつけちゃうぞ発言」をした覚えはなく、その時の映像や録音テープも存在しないとみられることから、かなりの歪曲があった可能性もあると指摘している。
 政治と官僚の関係を長年ウオッチしてきた東京新聞の長谷川幸洋氏に、鉢呂氏辞任の裏面を聞いた。

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●『創(2011年3月号)』読了

2011年08月05日 00時14分10秒 | Weblog


『創』(2011年3月号)、2月に読了。

 いつもながらの石原慎太郎都知事のご発言。news eye(pp.70-71)。「今どき珍しいレベルの差別発言/石原都知事のゲイ差別発言にマツコ・デラックスが反論」。「・・・この人のこういう発言がなぜ放置されたままなのか不思議でしかたない。条例改正をめぐるマンガ家に対する蔑視発言もひどかったが、ゲイ差別発言も相当なものだ」。「同性愛を遺伝のせいとし、「どこか足りない」って、これは差別反対運動が盛んな頃なら抗議殺到の発言である」。「・・・表現者と思えないお粗末さで、議論を広げようもない。・・・中村うさぎがこう書いている。/《たぶん、心があり得ないほど鈍磨しているうえに、他人の言葉を理解する論理的思考もできないんだと思う。要するに、ボケジジイよ。/ああいうジジイには、何を言っても無駄。言葉が通じないんだもの》」。

 これもnews eye(pp.72-73)。渡部真氏「いま総務省会見で何が起きているのか!?/会見めぐりフリーランスと総務省記者クラブが対立」。畠山理仁さんらフリーランス記者の記者会見解放運動。
 news eye(pp.74-75)。優れたドキュメンタリー番組「光と影 ~光市母子殺害事件 弁護団の300日」の斎藤潤一さんと武野勝彦さんが、私には理解不能であるが、戸塚ヨットスクールに関するドキュメンタリーを作ったらしい。
 佐高信さん、「ニッポン文化低国を撃つ!/筆刀両断!/浅薄な歴史観と情けなさ 菅直人&市川房枝」(pp.76-77)。「ここで菅は明らかに「除名」をする社会党を批判しているが、いま菅が小沢一郎にやろうとしていることは、それ以上の無理筋である」。

 鈴木邦男さん、「言論の覚悟/表現者の告発」(pp.78-81)。これまた私は理解できないが、「・・・今年は若松孝二監督が三島由紀夫の映画を撮る。・・・。/・・・でも若松監督は右も左も超えている」。

 篠田博之さん「ジャーナリスト黒木昭雄を自殺に追いやったものは何か」(pp.90-98)。

 長岡義幸さん「東京国際アニメフェアをめぐる攻防戦/まだ終わっていないぞ! 都条例改定問題のその後」(pp。108-115)。作家センセが聞いてあきれる、例の「非実在青少年」問題。東京国際アニメフェアに不参加のマンガ家や出版社に向かって、石原センセは「吠え面かくのは向こうだ」とのたまったとか。でも、大赤字の見込みとなり、吠え面と大恥をかいたのは都知事の方でしたとさっ

 少し誤解もあったかな? ネット上の情報によると、無駄使い体質など阿久根市政そのものにも大問題があった模様。そうでなければ、(関わり方は他の方法があったとは思いますが)仙波敏郎さん大河原宗平さんが係りを持つはずがない。
 今西憲之さん「落選会見でもマスコミ批判/阿久根市・竹原前市長とマスコミとの激烈攻防戦」(pp.122-129)。

 「永六輔[放送タレント]×矢崎泰久[元『話の特集』編集長]のぢぢ放談/第20回 スポーツなんて知らない!」(pp.130-137)。今月のベストなお言葉、「 ・・・AKB・・・。/矢崎 どう、オタクのアイドルは?/ ひとことで言えば、ひどい(笑)。やっぱり素人だよね。なんで、あんな子たちががお金を取れるのか、不思議でならない。・・・。/矢崎 身体も出来ていない、踊りもなってない。歌がうまいってわけでもない。/ 要するに「かわいい」でまとめちゃう。「すばらしい」とか「すごい」っていう賛辞じゃないんだよね」。読書の楽しみには共感。「矢崎 ・・・最近は電子書籍が騒がれているけど、あんなのは最低だと思うよ。あたかも出版界の救世主のように言われるのは大間違い。出版社は自滅する可能性もあるし、読む側にしても、あんなので読書の楽しさが満たされるなんてオレは思わないね」。

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●「映像や写真って「撮る」ものだと思っていた」

2011年07月31日 17時48分12秒 | Weblog


THE JOURNALの記事(http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2011/07/19.html)。

 既に終わってしまったシンポ。
 綿井健陽さん、「映像や写真って「撮る」ものだと思っていた」。まっとうな真のジャーナリストの感覚。

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http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2011/07/19.html

原発報道をめぐるペンクラブ声明と719シンポジウム

 日本ペンクラブから『原発と原発事故に関する情報の完全公開を求める声明』を出しました。
 私も起草に関わりましたが、声明文をまとめたのは吉岡忍さん。ちょっと長いけど、吉岡さんらしいいい文章です。
 原発報道については、綿井健陽さんがブログでこう指摘しています。

【東京電力】【IAEA】提供に続いて、今度は【内閣広報室】提供の写真が登場http://t.co/30d0w6D 写真や映像って「撮る」ものだと思っていたら、テレビや新聞では「もらう」ものになったようだ。ずっとこのまま提供写真でやるつもりか?これが報道写真・映像か07/16

 本当にその通りで、東電や統合本部の提供写真や提供資料に依拠した報道をいつまでも続けているという報道のあり方は、異常です。5月のシンポジウムで共同アピールを出し、政府にも働きかけているのですが、いつまでも改善されないのはどうして? まさか大手マスコミはこっちの方が楽だと思っているのじゃないだろうな。
 大手マスコミの記者に聞くと、原発で一般の市民に取材をすると、最近は「マスコミは信用できないから」という言葉を発する人が多くて困ったと言います。これだけ市民の間にマスコミ不信が噴き出しているのに、どうして取材・報道の検証や見直しを行おうとしないのか不思議です。
 昨年、マスコミの検察報道に対する批判が噴出した時はまだ新聞などが紙面でそれを取り上げ、反論というか弁明をしていましたが、原発報道については7月12日付で朝日新聞が「原発取材 厚い壁」という検証記事を載せたくらい。リードに「大本営発表に追随した太平洋戦争時の報道に似ているとの批判も出ている」と現実を認識しているらしい記述はあるものの、全体的に何となく他人事ふうで、批判部分は識者コメントで処理というスタイルです。でも東京新聞や朝日新聞はまだいい方で、テレビ・新聞全体をおおう「危機意識の欠如」はいったい何なのだろうと思ってしまいます。
 さて、そんな現状を議論しようというのが7月19日の『創』主催のシンポジウム「原発とメディア」です。前回5月22日シンポは満席で入れない人もいたので、今回は四谷区民ホールという大きな会場を使用します。当日飛び込みでもたぶん入れると思うので、ぜひおいで下さい。・・・・・・。
 報道の問題だけでなく、7月17日に全国の原発訴訟の弁護団が集まり、秋以降各地で原発差止訴訟を起こしていこうという運動を進めている河合弘之弁護士(浜岡原発差止訴訟弁護団長)や、1千万人署名運動を呼び掛けている鎌田慧さんらに出ていただいて、原発反対運動についても報告・議論しようと考えています。いろいろな世代がいろいろな方法で進めている反原発の運動ですが、たぶん今後、様々な接点をもって連動していく可能性があります。鎌田さんなどは、60年安保闘争のああいう大衆運動をイメージしているようです(『創』8月号)。
 19日のシンポについては、以前も本欄で紹介しましたが、ちょっと変更が生じたのは、森達也さんが身内の不幸があって出演ができなくなったのと、『週刊金曜日』発行人の北村肇さんや最近原発問題で話題の吉本芸人「おしどり」に出演いただくことになったこと。山本太郎さんにもお願いしたのですが、ちょうどその日は仕事が入っていて難しいとのことでした。当日のタイムスケジュールもほぼ決まっているので、一応紹介しておきます。あくまでも予定なのでご了承ください。

緊急シンポジウム「原発とメディア」
【日時】
2011
719日(火)
開場1820分 開会1845分 閉会2130
・・・・・・。

【内容】
第1部 18451930
鎌田慧(ジャーナリスト)×河合弘之(浜岡原発差止訴訟弁護団長)
1950  おしどり(吉本芸人)  10分間休憩

第2部 20002045
原発報道について(パネルディスカッション)
金平茂紀TBS「報道特集」キャスター)
綿井健陽(フリージャーナリスト)
北村肇(『週刊金曜日』発行人/元毎日新聞記者)
進行・篠田博之

第3部 20452105
香山リカ(精神科医/立教大教授)
2120 鈴木邦男(一水会顧問)

 なお発売中の月刊『創』8月号は前号に続いて原発報道の特集を掲載しています。ぜひご覧ください。19日のシンポジウム会場でも販売します。
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 リンクが上手く貼られていませんが、『創』のWP(http://www.tsukuru.co.jp/)にシンポの簡単な報告が出ています。

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http://www.tsukuru.co.jp/

7月19日反原発シンポ、無事終了しました。
2011
71913:04

  台風が来ているのでお客さんが来てくれるか心配でしたが、約300人の入場者を得て、無事にシンポは終了しました。
  
『創』8月号の論者総登場という感じで何しろ出演者が多かったうえに、最後の香山リカさんと鈴木邦男さんの対談に「ぢぢ放談」の矢崎泰久さんが飛び入り登場で怪気炎をあげるなど、今回も盛りだくさんの内容でした。
 
『創』イベント初登場のおしどりの2人も、盛大な拍手に包まれ好評でした。終了後、四谷区民ホールの前の大衆食堂で矢崎さんと食事をしたのですが、シンポ帰りの客が多く、「よかったよ」と声をかけられて矢崎さんも満足げでした。
 最後は鈴木邦男さんらのグループの打ち上げに顔を出して深夜解散。ばたばたし通しのイベントでしたが、内容は濃かったと思います。5月のシンポに続いて来てくれた方、『創』を愛読してますと声をかけてくれた方々、ありがとうございました。
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●原発報道を考える

2011年07月02日 01時18分16秒 | Weblog


THE JOURNALに出ていた、随分以前の記事(http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2011/05/522.html)。
 映像はここに(http://www.ustream.tv/recorded/14882865#utm_campaign=synclickback&source=http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/05/post_766.html&medium=14882865)。

 東電のいい加減な発表に従う大マスコミ。記者クラブの弊害もあるのでしょうか。綿井健陽さんや広河隆一神保哲生さんらフリージャーナリストにぜひ頑張って頂きたいですね。

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http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2011/05/522.html

「原発報道を考える」シンポ報告と福島原発取材要請

大本営発表と化している原発報道をどうすべきか。
522日に議論を!


 深刻な事態が後になって次々と露見するというどうしようもない状況が続いている原発問題ですが、マスコミに対する不信感もかつてないほど噴出しています。本来果たすべきチェック機能がほとんど働いていないのですから、不信感を持たれるのは当然と言えます。

 情報が一元的に管理されている状況をどう打破して、独自取材の道を拡大するかが問われているわけですが、フリージャーナリストを中心にいろいろな模索が始まっています。現在、大手マスコミは原発の50キロ圏外にまで避難しているようですが、4月までは原発直近まで入っていたフリーも20キロ圏内に入ることを規制されています。大手マスコミが安全地域に避難し、リスク覚悟のフリーが現場に入るというイラク戦争などの戦場取材と似た状況が一時期続いたのですが、それも現在は規制されているわけです。この状況を改め、原発作業員などへの取材もある程度認めるよう政府・東電に要請をする共同アピールも準備されています。

 そうした原発取材・報道の現実について、5月22日(日)夜、文京シビック小ホールで議論し、共同アピールを公表する予定です。以前、一度告知をしましたが、出演者がその後続々と増えています。改めて出演者を紹介し、ぜひ足を運んでいただけるよう呼びかけます。・・・・・・。

      

緊急シンポジウム
 「原発報道を考える~メディアは真実を伝えているのか」

【日時】
2011
522日(日)
開場1820分 開会1845分 閉会2130分(予定)

【会場】
文京シビック小ホール

【定員】

370


【入場料】
1000


【出演者】
神保哲生ビデオニュース・ドットコム
綿井健陽(ビデオジャーナリスト)
広河隆一(『DAYS JAPAN』編集長)
香山リカ(精神科医)
金平茂紀TBS「報道特集」キャスター)
川村晃司(ジャーナリスト/テレビ朝日コメンテイター)
後藤政志(工学博士/東芝・元原子炉格納容器設計者)

【司会】
篠田博之(月刊『創』編集長)

特別アピール
布川冤罪事件再審判決直前!冤罪被害者の訴え」
 杉山卓男・他

シンポジウムの最後に、5月24日に予定されている布川事件判決について、40年以上も無実を晴らす闘いを続けている被害者から特別アピールがあります。24日の判決は、3月に予定されていたものが震災で延期されたものです。

      

・・・・・・。

【主催】
月刊『創』編集部 http://www.tsukuru.co.jp
電話:03-3225-1413 FAX03-3225-0898

【後援】
週刊金曜日』『DAYS JAPAN』編集部

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●原子力推進とマスコミの震災・原発報道

2011年04月19日 01時41分08秒 | Weblog


THE JOURNALに出ていた篠田博之さんによる記事(http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2011/04/post_70.html)。
 東日本大震災以前に既に原発反対派は日々駆逐されつくし、いまや、マスコミで原発廃止など発言できる識者や研究者はほぼ居ない状態。各地で行われている原発廃止のデモなど、ほとんどマスコミでは報じられることは無い。国内のこの〝惨状〟。

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http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2011/04/post_70.html

震災・原発報道とメディアについて上杉隆さんと話しました。

 上杉隆さんがキャスターを務める朝日ニュースターの「ニュースの深層」にゲスト出演し、震災・原発報道とメディアについて話しました。放送は初回が4月12日(火)夜8時からです。

     http://asahi-newstar.com/web/22_shinsou/?cat=18

 控室で上杉さんが先頃、TBSラジオ「キラキラ」を突然降板させられた話が出たのですが、まあこれについては機会を改めて書くことにして、番組で話した私の震災・原発報道についての感想を、ポイントのみ紹介しておきます。詳しくは来週の番組を見て下さい。

 ちなみに今回の原発報道については、朝日ニュースターは本当に健闘しています。というか、地上波がダメなので、この番組の独自性が光っていると言うべきか。こういう時こそ大切な「言論の多様性」の確保におおいに貢献しています。先般、ビートたけしさんが「原発については地上波とCSと全然違ったことを言っているので、何が正しいのかわからない」と言ってましたが、違った言論がきちんとメディアで伝えられることが大事なんですね。
 で、その番組でも話した、私がこのところの震災・原発報道について思う事柄なのですが、ポイントのみ簡単に紹介します。

1)今回の震災を「国難」だという指摘が多く、それは間違っていないのですが、そういう状況下で報道機関はどんなスタンスをとるべきかが問われています。政府は国民がパニックになるのを回避するために「安全」「安心」「直ちに危険はない」と強調し、それが原発事故については次々と「事実による反撃」を受けているという、危機管理においてはほとんど破綻状態なのですが、問題は報道機関もそれに引きずられていること。昨日言ったことが今日になると間違っていたという現実を次々と見せられることは、市民の政治不信とともにメディア不信を増幅することになっており、報道機関が国家ないし政府との距離をきちんととれないというのは、致命的なことです。非常時といえど、メディアが我を忘れて政府と一体となって「安全」「安心」だけを広報する機関になってはいけないのです。

2)原発問題については、20年ほど前、「朝まで生テレビ」でよく賛成・反対両派のディベートをやっており、こういう立場の人がこういう発言をしているのだと、見ている方はリテラシーを働かせて受け取ることができていたのですが、今回の報道ではそれができていません。この1020年ほど日本社会から批判勢力、カウンターパートが放逐されることで、いつのまにか「原発反対」の論者は、大手マスコミでは見かけなくなってしまいました。今回の事故報道では、学者が各局登場していますが、それぞれの人がどういう立場から発言しているのか明示されず、ただ「教授」とかいう肩書きだけで解説を行っています。市民にすれば問題は「事実は何なのか」ということなのですが、今の地上波の報道は、解説者のスタンスが明示できていないことも含めて、その市民の欲求に応えられる報道になっていないのです。これはもしかすると、この20年、日本から社会的な批判勢力がパージされていったことのツケが現われているということかもしれません。
 海外だと原発反対運度が盛り上がり、「フクシマ」は国際的キーワードになっているようなのですが、肝心の日本では浜岡原発など一部を除けば、そういうリアクションが目立たない。これ、よく考えると深刻なことかもしれません。つまり日本ではこの20年、大政翼賛化と画一化が進んだということなのですね。

3)このところの「自粛」ムードの高まりは、昭和天皇死去の時とよく似ているのですが、これもよく考えると怖い現象です。節電に協力するといった合理的な自粛はよいのですが、演劇やらスポーツ大会を中止することが、被災者への配慮になるわけがないのに、自粛の連鎖が急速に拡大しています。8月の花火大会まで中止になっていくようなのですが、復興支援に逆行するようなこういう現象がなぜ起きてしまうのか。突出したことをやって「不謹慎」との非難を浴びると、まさに「非国民」扱いされかねないという、そういう風潮を皆が怖がっているわけです。昭和天皇の過剰自粛の時は、当の天皇家が「過剰自粛を避けよう」というアピールを行うという、ジョークのような展開になりましたが、今回もそれに近い状況です。

 上記3つの事柄について問題なのは、政府の危機管理が破たんしていくのが同時に、政府広報を垂れ流すだけのマスコミの不信、破綻にそのまま連動していっていることです。マスコミはそろそろ独自のスタンス、国家との距離のとり方を考えないと、メディア不信が一気に爆発することになりかねません。これ、すごく深刻な問題なんですが、日々の報道に追われている大手マスコミがどれだけそれを認識しているのか。
 4月7日、月刊「創」5・6月合併号が発売されました。特集は地震以前から進めていた「マンガ市場の変貌」についてですが、それ以外は「震災とメディア」について様々な論者が論及しています。例えばノンフィクション作家の吉岡忍さんとTBS「報道特集」のキャスター金平茂紀さんの対談など、相当読み応えある内容です。作家の柳美里さんが原発事故に対して家族ともども大阪に「疎開」した話など、『創』ならではの記事が満載です。ぜひご購読していただいて、震災・原発報道について一緒に考えて下さい。お願いします。

                   
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●冤罪事件のようなもの

2011年03月07日 14時39分18秒 | Weblog


ようやく本日復帰。現実世界に戻ってきました。きつかった。

 『創』編集長の篠田博之さんによる、相撲の八百長に関する記事をコピペさせてもらいます。

 いまさら、「過去にはなかった」は確かにひどいですよね。八百長を告発して裁判で負けてきた人達にとっては、確かに、冤罪のようなもの。

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http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2011/02/post-135.html

大相撲八百長騒動と『週刊現代』裁判について               毎日新聞の半日先行のスクープで始まった大相撲八百長騒動ですが、大筋ではこれまで『週刊現代』などで報じられてきたことと同じです。今回のように「動かぬ証拠」が出たというのは大きなことです。でも、気になるのは、いまだに相撲協会が「八百長は過去にはなかった」と強調していること。これは『週刊現代』への裁判が昨年10月に確定して4000万円以上の賠償金が決まっている事情を意識しての発言ですが、幾ら何でもひどすぎるのでは。一方で「うみを出し切る」とか言いながら、他方で「過去にはなかった」と平気で言っているという、これ一体何なのでしょうか。

 今からでも、あの『週刊現代』の裁判は何だったのかということを再度見直すのが当然でしょう。あの裁判は、メディア訴訟の歴史に残るような高額賠償判決で、『週刊現代』と筆者の武田頼政さんは完敗でした。それが確定後3カ月で、根底からひっくり返る証拠が出てきたわけです。これ、冤罪事件のようなものじゃないですか。
 確かに裁判で審理されたのは朝青竜など別の力士のケースなので、今回の証拠が直接それに関わるわけではないのですが、でも今回の証拠の発覚が半年早ければ、心証は全く違っていたはずです。

 あの高額訴訟は、もう八百長疑惑など週刊誌に書かせないぞという威嚇を狙ったもので、かつての『週刊ポスト』のキャンペーンの経緯もあり、相撲協会としては書けば必ず訴えるという態度を見せつけたものです。こういうあからさまな威嚇訴訟を裁判所が追認していくという現状は、改めて考えるべきことです。だって武田さんなどへたをするとライター生命を失いかねなかったわけですから。

 この話、2月6日付東京新聞の「週刊誌を読む」にも書いて、その中でも触れましたが、月刊『創』も2003年に武富士の山岡さんへの盗聴疑惑を告発した時、武富士から次々と提訴されました。武富士は「全くの事実無根」とか無茶苦茶なことを言って、その山岡さんの書いた記事を訴えたわけです。で、裁判が始まった直後に武富士会長が逮捕されるというドラスティックな展開で、『創』は勝ったわけです。もし逮捕がもっと遅かったら、裁判は簡単ではなかったはずで、名誉毀損訴訟は、挙証責任が書いた側にあるので、取材源秘匿などの責務を負う報道側には不利な構造になっているのです。
確かに、断罪されてもしかたないようなひどい報道がたくさんあるのは事実なのですが、問題はプライバシー侵害や弱い者いじめでしかないようなケースも、権力追及といった報道目的の場合も、裁判所が「ミソもクソも一緒」に取り扱ってしまうことです。権力追及においては、「100%ウラがとれなくても書く」という週刊誌ジャーナリズムの姿勢は称揚されるべきで、そのあたりの認識が裁判所に欠けているのは残念としか言いようがありません。

 でも今回、警察のお墨付きを得たことで堰を切ったように大手マスコミが八百長告発をしていますが、相撲記者だったら八百長についてはこれまで何らかの情報に接する機会はいくらでもあったはずです。それを協会の報復を恐れて黙ってきて、こうなったとたんに書きまくるというのはどうなのかな、という感じ。前述した武富士の時も会長が逮捕されたとたんに大手マスコミが洪水のように書き始めたのですが、それまでは『創』など一部の雑誌が孤立しながら告発を行っていたわけで、あの時も「なんだかなあ」という感じでした。きょう7日発売の『週刊現代』が「八百長を見て見ぬふりをした相撲ムラのインサイダーたち」という記事を載せてますが、その通りです。でも裁判で完敗した『週刊現代』、今週号の誌面はものすごい鼻息の荒さですねえ。
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●「死に神」どころか

2011年01月06日 05時02分40秒 | Weblog

『創』のウェッブページに出ていた篠田博之編集長の記事をコピペ。「死に神」どころか、鳩山邦夫法務大臣がここまでノウテンキだったとは・・・。被害者・被害者家族への思いなど何もなく、死刑執行への懊悩もなく、単なる思いつき!!、とは恐れ入る。

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http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2010/12/29-1.html

29日夜のTBS系番組での鳩山邦夫元法相の宮崎勤死刑執行についての放言
                                                                                   
 今朝の朝刊で一部新聞もフォローしているが、1229日夜のTBS系たけしの番組での鳩山邦夫元法相の死刑をめぐる発言には驚いた。番組自体は死刑制度の賛成反対両派3人ずつのディベートで、「テレビ討論では声のでかい者が勝つ」という定説通り、存置論の方が優勢に見えたのだが、それはともかく、驚いたのはVTR出演した鳩山元法相の放言だ。「本当なら30人~40人は執行したかった」などと言いたい放題だった。そのなかで「新事実」として明かしたのが、「宮崎勤死刑囚の執行は、凶悪事件なので自分の方から指示して検討させた」という発言だった。
 
2008年6月の宮崎死刑囚への執行は、私も驚いた。死刑確定から2年余という速さでの執行だったからだ。当時100人前後いた死刑囚のうちで、なぜ順番が繰り上がって彼の執行がなされたのか謎だった。再審請求の準備が動き出していたから、その機先を制して急きょ執行したのではないかとも言われたのだが、何のことはない。当時の法相の思いつきで決まったというわけだ。特に凶悪だからというが、鳩山元法相が他の死刑事件も含めて資料を精査してそう判断したわけでなく、ただ報道で知っていたからという程度のことのようだ。この宮崎死刑囚の執行によって、早期化に向けての大きなアピールがなされたのだが、いわば法相のパフォーマンスだったわけだ。
 
私は宮崎死刑囚と12年間つきあって、どちらかが死ぬまでつきあおうと決めてもいたので、その最期があんなに早く訪れたことに当時ショックを受けた(それについては当時出版したちくま新書『ドキュメント死刑囚』に書いた)。まだほとんど事件そのものが解明されておらず、宮崎死刑囚の心情を少しずつ聞きだしていた私には、「今執行することに何の意味があるのか」と当時憤りを覚えたのだが、その理由がこんなに軽いものだったとはこの鳩山という人には、他人に死を強いることに伴うべき苦渋も苦悩も感じられない
 
死刑に向き合おうとしていないように見えた宮崎死刑囚だが、確定後はさすがに幾分か身近に死を意識するようになったようで、私への手紙にも死刑について言及することが多くなった。そして自ら、多くの弁護士に再審請求を頼めないかと手紙を出していた。さらに、私は、執行後、宮崎死刑囚が遺書のようなものを残していたことを知ってさらに驚いた。面会していても全く表情を変えず、死の恐怖など感じないかのような印象の強い宮崎死刑囚だったが、死刑については本などを読んでいたから、執行の状況も、そして自分の順番がどのくらいかもある程度知っていたと思う。だから逆に、思いがけない早期執行に、宣告された瞬間、驚愕したはずだ。
 
執行翌日に宮崎死刑囚の母親から電話をもらい、「長い間お世話になりました」と言われた。その時母親と交わした会話を、先日も『週刊新潮』記者から電話があって少し話したら、何やら違うニュアンスで記事にされたのだが(匿名の知人になっていたが)、宮崎死刑囚の関係者にとっては、この事件及び本人の存在はいまだに重たい影を残したままだ。鳩山元法相の軽い発言を聞いていて思うのは、法相という死刑執行を決定する立場にある者は、執行に立ち会うなり、死刑囚と向き合うなりしてもう少しその重さを感じてもらいたいということだ。そのうえで、「だが法にのっとって自分は執行命令を出す」というなら理解もできるが、昨夜の元法相の発言には改めて落胆した。

 
それと話は違うが、TBSの番組がVTRの中で宮崎勤死刑囚が著書『夢のなか』に載せた自筆のネズミ人間のイラストを出典も明記せず、無断で使用していたのにも驚いた。私が担当編集者として著作権についても管理を任されていたから、たぶん了解を求められれば、「出典を明記すればいいですよ」と言ったと思うが、連絡もしてこなかった。ちょっとひどすぎると思う。
 
ちなみに宮崎死刑囚はそのあたりについては細かい人物で、例えば佐木隆三さんも朝日新聞社から宮崎事件の傍聴記を出す時、イラストを転載させてほしいと言ってきたのだが、宮崎本人に確認したら「断る」と言ってきた。佐木さんが、宮崎死刑囚については詐病説をとっていたから、本人は反発していたのだろう。宮崎勤という人物は、何も考えない人間だと世間から思われているが、実はそうでもない。彼について論者が論評した記事なども、きちんと読んでいたのである。
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●自分で自分の首絞めてる人々

2011年01月03日 11時51分53秒 | Weblog

表題の人々とは、(表現者だったらしい)首長、(マスコミ屋・ジャーナリスト屋)読売新聞・産経新聞です。THE JOURNALに載っていた『創』 篠田博之編集長の記事をコピペさせてもらいました。「非実在青少年」の件です。単純な話だと思うのですが、なぜこうなるんでしょうかね? 篠田さんの最後から3番目のパラグラフの事柄だけでしょうに。表現者自らが推し進め、ジャーナリストが後押しするという救いようのない状態。(どう贔屓目に見ても決して表現者ではないし、自身でそうではなくなったと思っているのであろう)この首長を表現者などと呼びたくもないが、皆で自分の首絞めてどうすんだ?

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http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2010/12/1215.html


篠田博之の「メディアウォッチ」

1215日、性表現規制強化の都条例改定案が可決成立してしまいました。

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月末に東京都議会に提出された性表現規制強化の都条例改定案ですが、1213日の都議会総務委員会、15日の本会議と、あっという間に改定案成立まで突き進んでしまいました。
 この間、反対運動も盛り上がりました。前回春に反対声明を出している日本ペンクラブを始め多くの団体が改めて反対を表明しました。中野で開催された6日の集会は会場に入れない人が多数出るなど千人を超える規模となったのみならず、会場には漫画家はもちろん国会議員や都議会議員も参集。「春の段階では反対しながら今回はこの時点で賛成に傾いていた民主党都議からは、今回は賛成に回らざるをえない、などと率直な発言も。改定反対集会に参加してこの発言をするというのも異例のことですが、会場からは野次を飛ばすでもなく、みんな真剣に聞き入っていました。何せ、都議会の力関係が刻一刻と変化していくという流れに、誰もがこれからどうなるのか、と見守っているという切迫した状況。会場にも緊張感がみなぎっていました。
 その後、大きなニュースになったのが、石原都知事が実行委員長を務める東京国際アニメフェアに、マンガを発行している大手出版社で構成するコミック10社会がボイコットを表明したことでした。最初にその態度を表明した角川書店を始め、集英社、講談社、小学館など漫画出版界を代表する会社によるこの反対行動のアピール度は大きなものでした。新聞報道もこの前後から一気に大きな扱いになりました。その中で、紙面で読売・産経が規制は必要だとのキャンペーンを展開するなど、報道機関も二分されました。
 そして改定案が可決成立してからも、出版労連や劇作家協会などが抗議声明を発表するなど、動きは続いています。
 何といっても残念なのは、春には少なくとも3カ月様々な議論が行われ、結局否決された改定が、今回2週間ほどで成立してしまったことです。提出前に民主党への根回しが行われていたとも言われていますが、あっという間に通ってしまったという印象です。反対運動が拡大しないうちに短期決戦で可決をという戦略は明らかでした。表現に関する大事な問題をこんなふうに片づけてしまってよいのかと思います。
 表現に関わる人たちの間では改定が誤りなのは自明という雰囲気でしたが、考えてみるべきことは、一部PTAなど規制推進の人たちも同時期、陳情に動いていたことです。
 私も東京新聞でもこの問題について書いたりしましたが、翌日、それを読んだ母親らしい女性が反論の電話をかけてきました。本当は表現の自由を主張する側と、子どもを守るために規制は必要だと主張する側とで、もう少しきちんとした議論が行われるべきなのですが、それは今回皆無でした。
 私が今回の改定に反対したのは、表現に関わる社会的ルール作りが必要だとしても、それは行政や警察の介入を可能な限り少なくする形で行うべきだという理由からでした。お上からの規制という点では、現行条例で十分です。
 今回、見直したのは角川書店など大手出版社が石原知事という権力に明らかな形で叛旗を翻したことでした。これだけ鮮明にお上にたてつくということを大手マスコミはあまりしないという印象を持っていたものですから。
 表現規制をめぐる問題、これで終わったわけではなく、大阪など他の条例改定の動きもあるし、国レベルでの児童ポルノ法をめぐる動きもあります。やるべき議論もせずに議会の多数派工作で物事が決まっていくというあり方はやめるべきだと思います。
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●『創(2010年11月号)』読了

2010年11月28日 00時26分33秒 | Weblog

『創』(2010年11月号)、11月に読了。

 
カラーグラビア「今年も行われた太地町のイルカ漁/映画「ザ・コーヴ」騒動は何を残したか」(p.22-23)。

 
中島岳志さん「被告人が語った動機の背景にあるもの/秋葉原事件・加藤被告の〝脱神話化〟の重要性」(pp.36-49)。最早忘れ去られている事件に・・・。かなり考えさせられる論文。当初バカ騒ぎしたものの、「派遣問題に還元するのは無理がある」。「つなぎ事件の直後に聞いたロックの歌詞」はかなりショック。「・・・バンプオブチキンの「ギルド」という曲の歌詞を書き込みしているのです。/それは「美しくなんかなくて、優しくもできなくて、それでも呼吸が続くことは許されるだろうか」「その場しのぎで笑って、鏡の前で泣いて、当たり前だろ 隠してるから気づかれないんだよ」という歌詞だった」。いや~、始終聞いているだけに・・・。「歌の始まりは、自分が相応の給料というものをはたしてもらっているんだろうかというような歌詞で、まさに労働と疎外の問題をテーマとして歌ったものですが、この歌の歌詞が、最後のところで、彼にメッセージが届きそうになったのです」。「「シングルイシュー」に原因を還元するのはやはり避けるべきですし、「あってほしい犯人像」を加藤に押しつけることは問題だと思います」。

 
篠田博之編集長「一体何故・・・再び〝地獄〟へ舞い戻ってしまうのか/田代まさしさん再び薬物逮捕の驚愕」(pp.50-56)。

 
佐高信さん「ニッポン文化低国を撃つ!/筆刀両断!/節操のない政治家 蓮舫」(pp.72-73)。石原慎太郎との共通点は、小沢一郎に批判的なことと外国人地方参政権に反対なこと。節操のなさは田原総一朗氏譲りらしい。「蓮舫が支持する菅は郵政民営化に賛成だった。それで私は菅を〝愛嬌のない小泉純一郎〟と名づけれいるのだが、いわゆる新自由主義の小泉・竹中(平蔵)「改革」のチョーチン持ちをしていたのが田原だった」。

 
香山リカさん「「こころの時代」解体新書/取調べ可視化でも虚偽自体は防げない」(pp.78-81)。村木厚子さん無罪判決。認知症患者のつめ切り出血でっち上げ事件について、福岡高裁は逆転無罪の控訴審判決。

 
森達也さん「極私的メディア論/第55回 上書きされた刑場公開」(pp.82-85)。二人の死刑執行を命じた千葉景子法務大臣が刑場を開示。しかしながら、「・・・きわめて多くの制約や限定の上・・・」。「そもそも法務省はつい十数年前まで、執行したことすら公開しなった。死刑の存在理由を犯罪抑止にするのなら、あきれるほどの論理矛盾だ」。「・・・処刑した死刑囚の名前を明かすように・・・。これも鳩山邦夫法相(当時)の(唯一の)英断だった)」。「情報を公開してもらうのではない。公開することが当たり前なのだ」。

 
「アフガン拘束事件の常岡さんと語る/ハイリスク・ローリターンの戦場取材になぜ挑むのか/座談会 常岡浩介・原田浩司・綿井健陽」(pp.90-101)。

 
今西憲之氏「検察内部腐敗の実態/証拠改ざん! 暴かれた検察庁の内部腐敗」(pp.102-111)。村木事件は、「宣告前から「無罪」が決まりきった、検察史上、類を見ないような判決公判。・・・いかにインチキでとんでもないものだったのか・・・」。全員が破棄した「取り調べメモ」。三井環口封じ逮捕と大阪検察。

 
佐藤潤一氏・鈴木徹氏「「グリンピース裁判」が提起したものは何か/「クジラ肉裁判」敗訴 地裁判決の問題点」

 「永六輔[放送タレント]×矢崎泰久[元『話の特集』編集長]のぢぢ放談/第16回 リーダーなんて知らない!」(pp.130-137)。
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●『自然と人間(2010年1月号)』読了

2010年11月19日 04時38分22秒 | Weblog

自然と人間』(2010年1月号、Vol.1623)、11月に読了。「森の衰退 ――夏の立ち枯れ」。

 森達也さん、「第46回つぶやくニッポンの街角/誰が誰に何を言ってんの?」(表紙裏)。「テロ・ゲリラ警戒中/・・・」。

 村田くみ氏、「「炭」は森と地域を豊かにする/現代版“花咲じいさん”たちの奮闘」(pp.2-5)。

 篠田博之さん、「獄中で続く「検察の犯罪」との闘い/内部告発の当日に逮捕された元大阪高検公安部長」(pp.11-13)。三井環さん。「仮釈放への妨害」。

 編集部、「築地市場移転にひそむ巨大利権」(pp.14―15)。高濃度有害物質の隠蔽。

 佐藤文則氏、「引き裂かれるビルマ難民家族」(pp.21-24)。11月13日にようやくアウン・サン・スー・チーさんが解放。

 魚柄仁之助さん、「第七十三回 魚柄仁之助の食文化情報局 台所の穴/味覚について」(pp.32-34)。
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