[※ 『ふくしま原発作業員日誌-イチエフの真実、9年間の記録』(片山夏子、朝日新聞出版、2020年2月刊、1700円)↑]
/ (2021年05月16日[日])
松原明さんによる、レイバーネットの記事【国家と大企業を相手にした男〜映画『闇に消されてなるものかー写真家・樋口健二の世界』】(http://www.labornetjp.org/news/2021/0302eiga)。
《3月2日、ジャーナリストの永田浩三さんが監督したドキュメンタリー映画『闇に消されてなるものか〜写真家・樋口健二の世界』が、江古田映画祭で初披露された。約40人が参加し満席だった。映画はのっけから圧倒される。主人公の樋口さん(写真)は83歳だが元気そのもの。「私は“売れない写真家”。国家と大企業を相手にしたからあたりまえだ」と本と資料に埋もれた自宅で、写真を手に語りはじめる。渋く訥々としたナレーションは、野村瑞枝さんで味わい深い。映画は、小さい時から現在に至るかれの生涯をたどっていく。若いときロバートキャパの写真に出会い衝撃を受け、工員をやめて写真の道に入った樋口さん。一つのラーメンを夫婦で分けて食べるほどの極貧生活に耐えて、徐々にチャンスを掴んでいった。四日市公害の凄まじい実態を知り現場に飛び込んだ話。体がボロボロになった被害者から「マスコミはいやだ。あなたに撮ってほしい」と樋口さんは信頼を得ていく。(松原明)》
10年前の樋口健二さんの言葉…「それでも昔は、上限が50ミリシーベルトだった。それが100に緩和され、今回の福島では250に上げられた。250という数字は死に直結するものです。労働者の声を聞こうと、私は福島に行った。でもJヴィレッジに隔離され、取材は禁止。取材したら罰則が待っている。なぜ、そこまで隠すのか。大変なことが起きているからでしょう。あと5年、10年したら、がんで死ぬ被曝労働者がどれだけ出ることか」。『X年後』を激しく恐れる…。
『●原発銀座の被爆労働者』
「これはイギリスのチャンネル4によるドキュメンタリーである。
日本のマスメディア、TVメディアはどこまで被爆労働者、
〝原発ジプシー〟の実情を日本人に知らせてきただろうか?
日本の裁判所はどこまでそういった労働者の訴えの声に耳を
真摯にかたむけてきただろうか?」
『●被爆労働者なくして成り立たない社会の正当性とは?』
《結果、明らかに被曝だと実感しても、わずかの金で泣き寝入り。
例え労災訴訟を起こしても暴力と御用学者の証言でもみ消される。
広告漬けの大手マスコミもまともな報道はしない。
こうした実態は、20年も前から写真家の樋口健二氏が『原発被爆列島』
(三一書房)などで告発し続けているが、現在も基本的にその実態は
変わらない(樋口氏監督のテレビ番組
「隠された被曝労働者~日本の原発労働者1」95年。
イギリス Channel4。なぜ、日本でなくイギリスで放映なのか?)》
『●原発被爆労働という〝原発ジプシー〟の労災』
「〝原発ジプシー〟問題を早くから告発してきた樋口健二さんも
出てきます。「鳴き殺し」(被爆アラームのスイッチオフ)など
杜撰な労働実態。結局、梅田さんの労災は不支給となった…」
『●鳴き殺し・被爆労働者』
《●作業をしているのはロボットじゃない
福島原発の事故以来、現場作業で被曝した労働者は何十人何百人に
上るのか? 東電は「特例上限の250ミリシーベルトを超えたのは
6人だけ」と発表しているが、本当のところは誰にも分からない。
いくらでも隠し事やゴマカシのきく世界が原発労働者なのである。
世間から隔離され、隠されてきた原発労働者の実態を37年間
追いかけてきたルポルタージュ問題作が復刊された。
「闇に消される原発被曝者」(八月書館)だ。写真家の樋口健二氏が
嫌がらせや妨害の中、体当たりで原発内部と被曝者に直接取材してきた
ものである》
『●福島第一原発に潜入したジャーナリスト』
「貴重な潜入記である。山岡さんの過去の記事から、こんなに易々と
〝潜入〟出来て良いのかと不安になるし、それは山岡さん自身が
感じられたことではないだろうか。原発作業員の声は、綿井健陽さんら
ごく少数のジャーナリストからしか届けられていないし、東電や
マスコミが取り上げることなどあり得ない状況。樋口健二さんへの
インタビューも注目」
『●「原発崩壊」樋口健二さん写真展』
「アクセスジャーナルの山岡俊介さんの記事…。
原発の安全神話に早くから批判の目を向けてきた樋口健二さん。
下請け原発労働者の被爆問題にも早くから取り組んでおられた。
そのような被爆労働や労働者なくして成り立たない社会や
原発労働環境の異常さ」
《「私は原発建設から、崩される風土、反原発運動、核燃料輸送、
原発被曝労働者、原発下請け労働者、東海村JCO 臨界事故、
福島原発崩壊を写真で記録した。その集大成の写真展としたい」
(写真展開催にあたっての樋口氏のコメント)。》
『●原発で働く: 「コスト優先」、「命は二の次」』
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【http://www.labornetjp.org/news/2021/0302eiga】
国家と大企業を相手にした男/映画『闇に消されてなるものかー写真家・樋口健二の世界』
国家と大企業を相手にした男〜映画『闇に消されてなるものかー写真家・樋口健二の世界』
3月2日、ジャーナリストの永田浩三さんが監督したドキュメンタリー映画『闇に消されてなるものか〜写真家・樋口健二の世界』が、江古田映画祭(ギャラリー古藤)で初披露された。約40人が参加し満席だった。映画はのっけから圧倒される。主人公の樋口さんは83歳だが元気そのもの。「私は“売れない写真家”。国家と大企業を相手にしたからあたりまえだ」と本と資料に埋もれた自宅で、写真を手に語りはじめる。渋く訥々としたナレーションは、野村瑞枝さん(77歳/映画祭スタッフ・写真下)で味わい深い。
映画は、小さい時から現在に至るかれの生涯をたどっていく。若いときロバートキャパの写真に出会い衝撃を受け、工員をやめて写真の道に入った樋口さん。一つのカップラーメンを夫婦で分けて食べるほどの極貧生活に耐えて、徐々にチャンスを掴んでいった。四日市公害の凄まじい実態を知り現場に飛び込んだ話。体がボロボロになった被害者から「マスコミはいやだ。あなたに撮ってほしい」と樋口さんは信頼を得ていく。そして『四日市』写真集を皮切りに、広島県の毒ガス島の被害実態、原発労働者の被ばく問題と続いていく。「一作十年」がモットーの樋口さんは、対象者に寄り添い一つのテーマを徹底して追求してきた。右翼からの脅しも受けた。だが、いつでも「毅然と立ち向かい写真を撮り続けた」という。「国が相手だから背中を見せたらやられてしまう。堂々と迫ることだ」と。
(*会場には樋口健二さんの写真が展示された)
1977年、敦賀原発に入って撮った原発労働者の2カットの写真(上)は、世界中に広がり内外から高い評価を受けるようになった。“売れない写真家”は、だれもやらないテーマに取り組んだことで、80歳代になっても写真業界で生き残った。いまは学生に「ジャーナリズム講座」で教えているが、学生には必ずこう言うという。「ジャーナリストの前に人間であれ。差別を許さない人間になれ」と。映画は、そうした樋口健二さんの生きざまを1時間20分に凝縮している。樋口さんの生々しく率直な語りぶりに、観客からは笑いが絶えなかった。映画が終わると大きな拍手が長く続いた。それは映画への最大の賛辞だった。
アフタートークに登場した樋口健二さん(写真)。実際の樋口さんも映画と同じで、エネルギッシュで張りのある声。83歳とはとても思えない。「この映画にほとんど僕が言いたいことが入っている」と満足気だ。喋るのが大好きで「僕は朝までしゃべれる」と映画には出ない話を、身ぶり手ぶりを交えて語り約1時間語りまくった。その迫力に「毅然と国家にたてつく」人間の凄みを感じた。
最後に、記者は一つだけ質問した。「それまでモノクロ写真だったのが原発労働者の所からカラーになっている。なぜですか?」という問いだった。樋口さんは敦賀原発取材に至る経緯とカラーの理由を語ってくれた。その内容は収録した動画で見てほしい。→ 動画(5分20秒)
【映画『闇に消されてなるものか〜写真家・樋口健二の世界』アフタートーク】
(https://www.youtube.com/watch?v=5DNLUy6HHDs)
(*監督の永田浩三さん)
大好評だったドキュメンタリー映画『闇に消されてなるものか』。3月12日、13日にも「ギャラリー古藤」で上映されるが、残席はわずかになっている。この映画はこれから大きく広がっていく予感がした。(松原明)
(*連日盛況の江古田映画祭会場(ギャラリー古藤))
Last modified on 2021-03-03 09:11:38
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東京新聞の砂上麻子記者による記事【地方TV局からスクリーンへ ドキュメンタリーの魅力発信】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2016103002000175.html)。
《地方テレビ局のドキュメンタリー映画の先駆けとなったのが、東海テレビ…。11月3日には「ドキュメンタリーの現在」と題して、映画監督の森達也さんや東海テレビの阿武野勝彦さんによるシンポジウムも行われる。また12~18日には「標的の村」や「みんなの学校」など東海テレビ以外の地方局によるドキュメンタリー映画も特集上映…阿武野勝彦プロデューサー(57)に番組を映画化する意義について聞いた》。
優れたドキュメンタリーが、東海テレビや琉球朝日放送、南海放送といった地方のテレビ局で生み出され、そして映画化される。『死刑弁護人』や『標的の村』、『放射線を浴びたX年後』といった作品である。
東海テレビ・阿武野勝彦プロデューサーは《映画にすることで、作品は命を永らえることができる》、森達也さんは《テレビ業界で煩悩し格闘している人は決して少なくない》、そして、木下昌明さん《隠された歴史を掘りおこす》と言う。
『●『創 (12月号)』読了 (2/2)』
「森達也さん『極私的メデェア論』第38回「視点が違えば世界は違う」
…《フジテレビで一本のドキュメンタリー番組が放送された。タイトルは
「光と影~光市母子殺害事件弁護団の300日」。…プロデューサーの
名前は阿武野勝彦。そしてディレクターは斎藤潤一。…テレビ業界で
煩悩し格闘している人は決して少なくない。…「鬼畜弁護士を被写体に
するお前が鬼畜だ」と罵倒されたという。…非当事者である僕たちが、
本当の意味で共有など出来るはずがない》」
『●ドキュメンタリー『死刑弁護人』:
バッシングされ続ける「死刑弁護人」安田好弘さん』
「監督は、東海テレビの斎藤潤一さん。ディレクターは阿武野勝彦さん。
ヒットすべき、多くの人に是非見てもらいたい映画ですが…
難しいでしょうかね。死刑制度について考えを巡らせる良い機会になる
と思うのですが…」
《阿武野勝彦プロデューサーは「映画にすることで、作品は命を永らえる
ことができる」と話す。昨年、戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長を取材した
「平成ジレンマ」、四日市公害訴訟を取り上げた「青空どろぼう」を
劇場公開、今回が第三弾。一年半で三本というのは制作者の
強い思いだろう》
『●司法権力の〝執念〟: 映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』』
《事件発生当初から蓄積した圧倒的な記録と証言を再検証し、
本作を作り上げたのは、『平成ジレンマ』『死刑弁護人』の
齊藤潤一(斎藤潤一)(脚本・監督)と阿武野勝彦(プロデューサー)。
これは、東海テレビ放送の名物ドキュメンタリー「司法シリーズ」を
手掛ける二人が、カメラが入ることが許されない独房の死刑囚を
描き出す野心作である》
《wataitakeharu 東海テレビの司法ドキュメンタリーの中でも、
名張毒ぶどう酒シリーズは、どれも秀作だが、今回の『約束』
(2月16日から劇場公開)はその中でも最高傑作だった。
http://t.co/75pUkmi9 恐るべし東海テレビの執念、そして、
別の意味で恐るべし、司法権力の“執念”!02/10 05:22》
『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・
映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』』
《木下昌明の映画の部屋・第166回 ●三上智恵監督『標的の村』
「オスプレイ」反対運動の真実――本土には伝えられない「沖縄」》
《作品は三上が一人で取り組んだものではなく、沖縄の琉球朝日放送
というローカル局が、三上を中心とした報道スタッフを編成、テレビの
枠を超えて映画として仕上げた。 最近、この種のドキュメントが目につく。
愛知・東海テレビ放送の『青空どろぼう』、愛媛・南海放送の
『放射線を浴びたX年後』など。その地域放送局ならではの豊富な
映像資料を使い、過去から引きずっている事件に焦点をあてて、
隠された歴史を掘りおこす》
『●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評』
「「木下昌明の映画の部屋」(http://www.labornetjp.org/Column/)より、
齊藤潤一監督『死刑弁護人』の映画評。安田好弘弁護士についての映画」
『●血の通わぬ冷たい国の冷たい司法: 「奥西勝死刑囚(87)
・・・・・・死刑囚の心の叫び」は届かず』
《▼その生涯を描いた東海テレビ製作の映画『約束』で、仲代達矢さん
演じる死刑囚は、拘置所の屋上の運動場で叫ぶ。「死んでたまるか、
生きてやる」。それは無実を信じ続けた家族の心の叫びでもある
▼母タツノさんは、貧しい暮らしに耐えながら面会に通い、
手紙で励まし続けた。「してない事はしたというな。
しんでもしないというてけ」「ほしいものがあれば母ははだかになっても
かってやるから手紙でおしえてくれ」》
『●無残!……『朝日』は、素人に《人を裁くという経験を通じ、
死刑と向き合い、是非を考え》させたいらしい』
《映画「ふたりの死刑囚」(東海テレビ放送製作、ポレポレ東中野など
1月16日公開)は、冤罪を訴える2人の死刑囚と家族の半生を
追ったドキュメンタリー…「袴田事件」の袴田巌死刑囚(79)…
「名張毒ぶどう酒事件」の犯人とされ、10月に獄中死した
奥西勝死刑囚(享年89)》
《仲代達矢(83)主演で奥西死刑囚の生涯を描いた映画「約束」を
手掛けた東海テレビの齊藤潤一報道部長(48)がプロデュースし、
後輩で警察や司法を担当した鎌田麗香記者(30)が監督を務めた》
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2016103002000175.html】
【放送芸能】
地方TV局からスクリーンへ ドキュメンタリーの魅力発信
2016年10月30日 朝刊
地方テレビ局が製作したドキュメンタリー映画の上映が相次いでいる。フェイスブックやツイッターなどの会員制交流サイト(SNS)や口コミで評判が広がり、全国的なヒットにつながる作品も出ている。ドキュメンタリー番組に割り当てられる全国放送の枠が減る中、地方局は自局制作の番組を劇場版に再編。映画館で上映することで新たな観客を掘り起こそうとしている。 (砂上麻子)
「見たい人に届けるにはどうしたらいいのか。浮かんだのが映画だった」。映画「みんなの学校」の監督を務めた関西テレビ(大阪市)ディレクターの真鍋俊永さん(47)は語る。
普通の子どもと障害がある子どもが同じ教室で学ぶ大阪市立大空小学校の一年間に密着し、二〇一三年五月に放送された。その後、フジテレビ系列局による「FNSドキュメンタリー大賞」にノミネートされ、全国で深夜に放送。文化庁芸術祭大賞を受賞した後はNHKのBSプレミアムでも放送された。
映画化に当たって、四十七分の番組に未使用の場面も追加、百六分に再編し、一五年に劇場公開した。
これまで約三万三千人の観客を動員、現在も全国で自主上映会が続いている。真鍋さんは「テレビは放送して終わりだが、映画になって作品の寿命が長くなりうれしい」と話す。
地方テレビ局のドキュメンタリー映画の先駆けとなったのが、東海テレビ(名古屋市)が一〇年に製作した「平成ジレンマ」。一九八〇年代に体罰事件で社会問題になった戸塚ヨットスクールの“その後”を取り上げた。同作が話題となり、同局はさらに八番組を映画化。他局も追随し、米軍基地をテーマにした琉球朝日放送の「標的の村」などが全国公開された。
今年は「ヤクザと憲法」(東海テレビ)、「ふたりの桃源郷」(山口放送)、「五島のトラさん」(テレビ長崎)と公開が続く。「ヤクザと-」は観客動員が四万人に上り、ドキュメンタリー映画としては異例のヒットを記録した。これらの作品を公開した映画館「ポレポレ東中野」(東京都中野区)の大槻貴宏支配人(49)は「地方の課題や生活を長期的な視点で取材するのは地方局の役割。各局が競っていい作品を送り出してほしい」と期待を寄せる。
◆東中野で特集上映
ポレポレ東中野で、東海テレビが制作したドキュメンタリー番組の特集上映「東海テレビドキュメンタリーの世界」が11月18日まで行われている。
独房から無実を訴え続けた奥西勝死刑囚を俳優仲代達矢が演じた「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」や、暴力団員の人権を問う「ヤクザと憲法」、来年1月から全国順次公開する最新作「人生フルーツ」など劇場版の10作品と、テレビ放送した12作品を上映する。
11月3日には「ドキュメンタリーの現在」と題して、映画監督の森達也さんや東海テレビの阿武野勝彦さんによるシンポジウムも行われる。また12~18日には「標的の村」や「みんなの学校」など東海テレビ以外の地方局によるドキュメンタリー映画も特集上映される。
問い合わせはポレポレ東中野=(電)03(3371)0088=へ。
◆観客の反応がいい刺激に
東海テレビ・阿武野勝彦プロデューサー
東海テレビで数多くのドキュメンタリー番組を手がけ、映画化にも携わってきた阿武野勝彦プロデューサー(57)に番組を映画化する意義について聞いた。
-ドキュメンタリー番組を映画化しようと思ったきっかけは。
テレビで放送する時間が減り、放送できても深夜など見る人が限られている。地方でじっくり作っても、全国ネットでは視聴率が取れない、賛否が分かれるなどの理由で放送しにくくなっている。いくら良い番組を作っても、情報発信が地方で留まってしまう状況を変えたかった。
-映画化の手応えは。
テレビでは視聴者の様子まで分からないが、映画は観客の反応を間近に感じることができ、テレビのスタッフにもいい刺激になる。
-ドキュメンタリー番組は一年間に何本制作しているのか。
東海テレビでは年間七~八本制作し、土日に不定期で放送している。最近、ドキュメンタリーの番組を撮っているスタッフが映画化を期待しているが、必ず映画化するわけではない。
-映画にする番組はどうやって選ぶのか。
取材した題材を二時間ほどに編集した第一稿を見た段階で「全国の人に見てもらいたい」と思った瞬間に映画にすると決める。番組制作費で映画化する費用はまかなうようにしている。ただ宣伝費は一本五百万ほどかかり、もうかる事業ではない。
-映画化に期待することは。
「ヤクザと憲法」を作ったが、昔なら「ヤクザ」は放送できないと思ってしまっていた。知らないうちに思考停止になっていたが、何かを考えるようになった。停止している思考を回してみると、豊かな表現につながる。映画化によってテレビにも豊かな世界を描く人がいると観客に気付いてもらえた。
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戦争責任に関するasahi.comの記事(http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000901112220002)。戦争と原発についての東京新聞の二つの記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012081502000144.html、http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012081590135501.html)。関電に騙されたという話の東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012081502000108.html)。最後に、原発輸出についてasahi.comの記事(http://www.asahi.com/national/intro/TKY201208140565.html)。
数日前の朝日新聞生活欄に伊丹万作さんの記事が出ていたので、検索したが出てこず。その代り、同様な内容の古い記事『声を上げない国民性 またも』が出てきた。
伊丹監督の言葉。「多くの人が戦争でだまされていたというが、だまされるということ自体がすでに一つの悪である/だますものだけでは戦争は起こらない/だまされていた、といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」。
『●『戦争の世紀を超えて』読了』
『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(2/3)』
『●『だまされることの責任』読了(1/3)』
『●『だまされることの責任』読了(2/3)』
いままさに、原発再稼働で「騙されることの責任」が生じようとしてはいないだろうか? あの「戦争」とこの「原発」、同じじゃないのか? 東京電力原発人災以降に、原発再稼働や原発輸出、「平気でいられる国民」であってはならない。
「関西電力管内の最大電力需要が二千六百八十一万キロワットで、猛暑だった二〇一〇年夏よりも四百十四万キロワット、率にして13%下回っていたことが分かった」そうだ。またしても、「だまされるということ自体がすでに一つの悪」をなしてしまったのかもしれない。
もちろん、騙す者が最大の悪ではある。そして、原発輸出でベトナム・トルコ・リトアニア・ヨルダンの人たちを騙す側に。東京電力原発人災で、損害賠償などしようもないことが分かった我々が。
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【http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000901112220002】
回顧2011みえ
声を上げない国民性 またも
2011年12月22日
「原発」と「戦争」を同列に論じるのは、乱暴かもしれない。だが、「芦浜原発」阻止を訴える詩を残した錦米次郎(よねじろう)には、重なり合って見えたに違いない。
8月に連載した「戦争と詩人」の取材で、その生涯をたどった。農家の日々の生活から社会を見つめた詩作の原点は、3度の戦場体験にあった。
最初は、満州事変後の中国東北部(旧満州)に出征。大虐殺と国際的な非難を浴びた南京事件の現場にも立たされた。そして、再召集された南部仏印(ベトナム)で終戦を迎え、数多くの農民の餓死や対仏解放運動を目の当たりにした。
戦場では、弱い立場の人々が犠牲を強いられる。生活、人生、命、すべてが踏みにじられる。そして、貧しい農家の錦がそうだったように、同じ立場の人々が最前線で「加害者」にもさせられる。戦場の本質は、いつの時代も変わらない。
錦は「芦浜原発」の立地計画があった南伊勢町と大紀町境の予定地に自ら足を踏み入れ、漁民たちから話を聞いた。誰もが受ける電気の恩恵のために、なぜ地方だけがリスクを負わされなければならないのか。漁民の生活はどうなるのか。建設の先に錦が見たのは、戦場と同じ犠牲だったのだろう。
80年前、この国は満州事変を起こし、破滅の道を突き進むように15年近く戦争を続けた。「大東亜共栄圏」「五族共和」「自存自衛のための聖戦」。大多数の国民が信じた。錦自身も「国家の絶対を疑わなかった」と戦後に書き残した。
錦の言葉に考えをめぐらせながら、映画監督の故・伊丹万作が終戦翌年に書いた「戦争責任者の問題」という一文を思い出した。
《多くの人が戦争でだまされていたというが、
だまされるということ自体がすでに一つの悪である/
だますものだけでは戦争は起こらない/
だまされていた、といって平気でいられる国民なら、
おそらく今後も何度でもだまされるだろう》
「戦争」を「原発」に置き換えると、錦の視点がとらえた戦後社会の本質が理解できるように思える。それは、終戦の後も変わらなかった社会構造であり、自分で考え、声を上げることが少ない国民性ではないか。連載を終え、そう感じている。(中村尚徳)
◎錦米次郎
1914~2000。戦後、三重詩話会を立ち上げ、今年60周年を迎えた「三重詩人」を創刊。四日市公害、長良川河口堰(かこうぜき)、成田空港建設といった社会問題に関心を持ち続けた。1937年の南京事件を題材にした「南京戦記~わが軍隊手帳」(85年)などの作品のほか、代表的な詩集に「百姓の死」がある。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012081502000144.html】
【社説】
戦争と原発に向き合う 未来世代へ責任がある
2012年8月15日
広島、長崎の原爆忌を経て、六十七回目の終戦記念日です。東日本大震災と福島第一原発事故後の八月は、戦争と原発に向き合う月になりました。
毎週金曜夜に恒例となった首相官邸前の反原発デモは、ロンドン五輪の晩も、消費税増税法成立の夜も数万の人を集めて、収束どころか拡大の気配です。政府の全国十一市でのエネルギー政策意見聴取会でも原発ゼロが七割で「即廃炉」意見も多数でした。
二〇三〇年の原発比率をどうするのか。原発ゼロの選択は、われわれの価値観と生活スタイルを根元から変えることをも意味します。その勇気と気概、覚悟があるか、試されようとしています。
◆内なる成長信仰なお
それまで散発的だった各地の反原発抗議行動の火に油を注いだのは、関西電力大飯原発の再稼働を表明した野田佳彦首相の六月八日の記者会見でした。安全確認がおざなりなうえに、「原発を止めたままでは日本の社会は立ちゆかない」と、再稼働の理由が経済成長と原発推進という従来の国策のまま。「夏場限定の再稼働では国民の生活は守れない」とまで踏み込んでいました。
反原発や脱原発の市民が怒る一方で財界、産業界が安堵(あんど)、歓迎したのはもちろんです。最大手全国新聞の主筆は野田首相の「反ポピュリズム」的決断と評価、「電力・エネルギー不安を引き金とする経済破局は避けられるに違いない」と論評しています。
原発に関する世論調査では奇妙な傾向に気づきます。新聞やテレビの調査では、原発ゼロを求める声は、街頭に繰り出しているような勢いがなく、日本経済のために原発推進が少なくないことです。四十年前、水俣病の原因がチッソ水俣工場の廃液だったことが判明したあともチッソ擁護市民が少なくなかったように、フクシマ後も。われわれの内なる成長信仰は容易には変わらないようです。
◆倫理と規範と人の道
しかし、経済以上に忘れてはならない大切なものがあります。倫理や規範、あるいは人の道です。
作家村上春樹さんは、昨年の六月、スペイン・バルセロナのカタルーニャ国際賞授賞式のスピーチで、福島原発事故をめぐって「原発を許した我々は被害者であると同時に加害者。そのことを厳しく見つめなおさないと同じ失敗を繰り返す」と語りました。
村上さんの悔恨は、急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、大事な道筋を見失ってしまったことでした。核爆弾を投下された国民として技術と叡智(えいち)を結集、原発に代わるエネルギーを国家レベルで追求、開発する。それを日本の戦後の歩みの中心命題に据えるべきだった。そんな骨太の倫理と規範、社会的メッセージが必要だった。世界に貢献できる機会になったはずだったというのです。我々は原発に警告を発した人々に貼られたレッテルの「非現実的な夢想家」でなくてはならないのだ、とも。
日本の原発は老朽化の末期症状から大事故の危険性があり、廃炉の研究も十分には進んでいません。毎日大量に生み出される低レベル放射性廃棄物で三百年、高レベルだと十万年の厳重な隔離管理が必要です。人知が及ばない時空、利便や快適な生活のために危険な放射性廃棄物を垂れ流しているとすれば、脱原発こそが、われわれの未来世代に対する倫理であり、人の道だと思えるのです。
千年に一度の大震災と原発事故は、人々を打ちのめしましたが、日本が受け入れてきた西洋文明や思想、科学技術について考える機会ともなりました。文明の転換期のようです。成長から脱成長の時代へ。どんな時代、国、社会へと変わっていくのかは不確かですが、この国には信じ、愛するに足る人たちがいます。
文学者のドナルド・キーンさんは、日本への帰化に際して、作家高見順が戦争中に日記に書いたのと同じ結論に至ったと打ち明けました。高見順は東京上野駅での空襲の罹災(りさい)民たちが、おとなしく健気(けなげ)、我慢強く、謙虚で沈着なのに感銘して、日記に「こうした人々と共に生き、死にたいと思った」と記したのでした。それは大震災での東北の人々と同じでした。
◆幸せな生き方さまざま
在野の思想家の渡辺京二氏が「逝きし世の面影」で紹介したのは、幕末に訪れた外国人の目に映った日本と日本人のすばらしさでした。
「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」。貧しいけれど人間の尊厳が守られた幸せな人たち。当たり前のことながら、幸せは物質の豊かさではない。かつても、これからも、幸せな生き方はさまざまであることを教えています。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012081590135501.html】
惨禍二度とないよう 父は戦死 故郷は汚染
2012年8月15日 13時58分
「戦争と原発事故がなければ」。大震災による東京電力の福島第一原発事故の影響で、東京都内に避難中の福島県大熊町の多門幸一さん(68)は、追悼式に参列し、失ったものの大きさをかみしめた。戦争で父を、原発事故で代々の土地と生活を奪われた。「二度と惨禍が起きないように祈ります」
父、七郎さんは終戦前の一九四四年春、会津若松にあった陸軍の連隊に召集された。幸一さんは生後六カ月。七郎さんはすぐに中国・湖南省に出征し、同八月に戦病死した。二十八歳だった。
戦後、家に届いたのは戦死公報と石ころ一つだけだった。「父の面影さえない。時代とはいえ、意味のない死だった」と話す。
家は代々のコメ農家で、母親は農作業に追われながら、幸一さんら子ども三人を育てた。母親は苦労の中でも夫のことを口にしなかった。幸一さんは、「父がいてくれたら」と幾度となく思った。
やがて幸一さんは農業を継ぎ、家庭を築いた。その生活は昨年三月十一日の大震災で一変した。家は福島第一原発から約七キロメートル。家は壁が壊れた程度だが、町の呼びかけで「訳が分からないまま妻や町の人と郡山市に避難した」という。原発事故を知ったのは二日後のニュースだった。
今は東京都練馬区内の娘夫婦の家に身を寄せる。大熊町の家にも何度か一時帰還した。田は荒れ、両親が眠る墓も倒れたまま。放射線量の高い町の除染はまだで、大部分が帰還困難区域となる可能性が高い。「原発は安全」としてきた国や東電に対し、「町は原発の恩恵も受けたけれど、裏切られた思いです」と言葉少なに話す。
昨年、大熊町から追悼式に参列したのは一人もいなかった。幸一さんも「行ける状態ではなかった」。ただ、欠かさなかったお盆の墓参りも、今までのようにはいかない。「生きているうちに家に戻れるかどうかも分からない。式で父に震災を報告し、農作物を作れないことを謝ります」と話した。 (星野恵一)
(東京新聞)
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012081502000108.html】
猛暑の10年より13%低く 関電管内 節電要請6週間 最大需要
2012年8月15日 朝刊
政府が七月二日に始めた節電要請から六週間の八月十二日までの間、関西電力管内の最大電力需要が二千六百八十一万キロワットで、猛暑だった二〇一〇年夏よりも四百十四万キロワット、率にして13%下回っていたことが分かった。
最大需要を記録した日の最高気温は今夏も一〇年夏もほぼ同じだが、今夏は東京電力福島第一原発事故を背景に企業や家庭の節電が需要を押し下げた。
政府や関電は「一〇年並みの暑さになれば電力が大幅に不足する」として大飯(おおい)原発3、4号機(福井県おおい町、いずれも出力百十八万キロワット)を再稼働する根拠にしていた。関電広報室の担当者は「節電協力のおかげ。今後は気温上昇による需要増加や発電所のトラブルも想定され、需給が厳しくなる可能性もある」と説明した。
これまでの最大需要は、大阪市の最高気温が三六・七度に達した八月三日午後二時台。一〇年夏は八月十九日に最大需要を記録したが、その時の気温は三六・六度だった。
関電管内は大飯3、4号機が七月二十五日までにフル稼働した。直前の需要予測に基づいた電力供給量に対し実際どれだけの電力が使われたのかを示す電力使用率は最大需要を記録した八月三日でさえ、89%で10%以上の余裕があった。
今夏は企業や家庭の節電が定着し、気温が三五度を超える平日の猛暑日でも最大需要は二千五百万~二千六百万キロワット台で推移した。
本紙が今夏の発電実績を参考に原発を除く関電の発電設備能力を調べたところ、火力、水力、揚水、地熱・太陽で計二千八万キロワット。これに中部電力など他社からの融通電力など七百四十二万キロワットを加えると、計二千七百五十万キロワットで、これまでのところ大飯3、4号機のフル稼働がなくてもカバーできた計算になる。
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【http://www.asahi.com/national/intro/TKY201208140565.html】
2012年8月15日03時00分
原発事故賠償の整備協力 輸出拡大狙い、ベトナムと覚書
日本政府は、原発を売り込もうとしているベトナムと14日、事故が起きた場合の損害賠償制度の整備で協力することで合意した。国際的な受注競争を有利に進める狙いがのぞく。しかし日本国内では原発輸出には反対が根強いうえ、賠償もしっかりできておらず、批判が高まりそうだ。
ベトナムにも原発事故が起きた・・・・・・。
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東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2012062202000122.html)。『週刊金曜日』の記事の一部(http://www.kinyobi.co.jp/backnum/tokushu/tokushu_kiji.php?no=2514)。最後に映画『死刑弁護人』WP(http://shikeibengonin.jp/)の予告編(http://shikeibengonin.jp/tra.html)を勝手に貼らせてもらいました。
全く知りませんでした。安田好弘さんについて『死刑弁護人』という映画が出来たそうです。
『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(1/4)』
『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(2/4)』
『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(3/4)』
『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(4/4)』
『●『特捜検察の闇』読了(1/3)』
『●『だまされることの責任』読了(1/3)』
監督は、東海テレビの斎藤潤一さん。ディレクターは阿武野勝彦さん。ヒットすべき、多くの人に是非見てもらいたい映画ですが・・・・・・難しいでしょうかね。死刑制度について考えを巡らせる良い機会になると思うのですが・・・・・・。
『週刊金曜日』創刊900号(http://www.kinyobi.co.jp/news/wp-content/uploads/2012/06/120622-003trim.pdf)の表紙は安田さん。この映画について、安田さんに対する森達也さんのインタビュー記事。メディアに対する距離感や、結果として死刑存置を思いとは逆に後押ししてしまったという意識など、いろいろ考えさせられるインタビュー。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2012062202000122.html】
秀作ドキュメント劇場公開 東海テレビ「死刑弁護人」
2012年6月22日 朝刊
テレビで放送された優れたドキュメンタリー番組が、東京都内の映画館で相次いで上映されている。ドキュメンタリーは内容が高く評価されても、放送が深夜帯だったり、全国ネットではなかったりということが多い。劇場公開で、テレビでは見られなかった人にも作品に触れるチャンスが広がっている。 (宮崎美紀子)
劇場公開にいち早く取り組んできたのは、東海テレビ(名古屋市、フジテレビ系)。「死刑弁護人」を、三十日から東京・ポレポレ東中野で上映する。
オウム真理教事件、和歌山毒カレー事件、光市母子殺害事件など、死刑事件の担当で知られる安田好弘弁護士を追った作品だ。東海地方では昨年十月に放送され、文化庁芸術祭優秀賞を受賞するなど注目されたが、首都圏では未放送だった。
監督は斉藤潤一ディレクター。「裁判長のお弁当」「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」など、司法をテーマに制作してきた。「光と影~」の取材で、信念を曲げない安田弁護士の生き方に興味を持ったのが今回のきっかけだ。
作品は、世間からバッシングを受ける安田さんに深く入り込んでいる。「カメラ嫌いの人なので、懐に飛び込もうと思った。取材の後は必ず一緒に食事に行った。本来なら一歩引くべきかもしれないが、密着しないと撮れなかった」と斉藤さん。事件を取材し、放送して終わり、ではなく「なぜ起きたのか、何が原因なのかを一つずつ拾い上げていくのがドキュメンタリー」と語る。「映画館でのお客さんの反応が、次の作品の糧になる」
阿武野勝彦プロデューサーは「映画にすることで、作品は命を永らえることができる」と話す。
昨年、戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長を取材した「平成ジレンマ」、四日市公害訴訟を取り上げた「青空どろぼう」を劇場公開、今回が第三弾。一年半で三本というのは制作者の強い思いだろう。
■ ■ ■
地方のドキュメンタリー制作者の熱い思いは、東京の大手民放局へも波及している。
十六日から東京・ヒューマントラストシネマ有楽町で公開中の「劇場版 ライバル伝説~光と影~」は、TBSの二つのスポーツドキュメンタリーをもとに、未公開映像を加えて再編集した。同局がドキュメンタリー番組を劇場公開するのは初めて。座席数約六十のミニシアターだが、満員の回が出るなど好調な滑り出しだ。
テレビ版では分かりやすさのために再現ドラマや冒頭のあおり映像が入っていたが、劇場版では削られ、印象が異なる。
「東海テレビの試みに大きな影響を受けた」という菊野浩樹プロデューサーは「劇場でチケットを買ってもらったのを見ただけで感動した」と話す。
今年二月、東京・オーディトリウム渋谷がRKB毎日放送(福岡市、TBS系)の故木村栄文ディレクターの特集上映を行った。好評のため、二十四日から再上映となった。
■ ■ ■
東海テレビの三本と木村栄文さんの特集上映を配給した「東風」の木下繁貴代表は「ドキュメンタリーは、この五年ほどで劇場で頻繁に上映されるようになった」と話す。
小規模な劇映画がヒットしにくくなったのに対し、一定数の動員が見込めるため、ミニシアターが興味を示しているという。
木下さんは「若い人もドキュメンタリーに目を向けている。もうかるかというと、リスクもあるが、こういう試みが今後一般的になっていくのでは」と話している。
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【http://www.kinyobi.co.jp/backnum/tokushu/tokushu_kiji.php?no=2514】
2012年6月22日 900号 特集記事
■死刑弁護人 安田好弘
この国の刑事司法の矛盾を体現している弁護士がいる。安田好弘さん(六四歳)だ。
彼ほど、事実に徹底的にこだわり、被疑者・被告に寄り添う弁護士は少ない。
そのため、困難な刑事事件が集中し、「あんな悪者を弁護するのか」と、新聞やテレビに叩かれ続けている。
安田さんを主人公にした映画『死刑弁護人』が公開されるのを機に、刑事弁護とはなにかをあらためて考える。
●「赦すという前提があれば死刑囚の意識は変わる」
聞き手 森達也
法廷は民意に
大きく影響され、
民意はメディアに
影響されている――森
死刑廃止派は
“鬼畜”だとのイメージを
多くの人が
持ってしまった――安田
◆齊藤潤一監督に聞く
「死刑について考えるきっかけに」
「悪魔の弁護士」と呼ばれてもなお、安田好弘氏は死刑弁護を引き受け続ける、その理由は――。安田弁護士に密着したドキュメンタリー映画『死刑弁護人』が6月30日より公開される。映画の見所を齊藤監督に聞いた。
●国策捜査
死刑判決が確定した光市母子殺害事件の元少年
弁護団への猛烈な批判と変更された死刑基準
青木理
●冤罪阻止の最後の砦
刑事弁護人が抱える困難
北方 農夫人
死刑や無期判決が予想される重大事件ほど弁護士の労力負担は大きく、
弁護費用が持ち出しになる場合も多い。安田好弘弁護士に重大事件が
集中する背景には、この国の刑事司法の歪みがある。
・・・・・・。
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【http://shikeibengonin.jp/tra.html】
・・・・・・ブログ主: すいません映像を勝手に貼らせてもらいました
『死刑弁護人』劇場予告編
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NPO法人 九州・自然エネルギー推進ネットワーク様の記事(http://nonukes.exblog.jp/15363070/)。末尾に、「「その日」に合わせて・・・」に関しての綿井健陽さんの記事(http://watai.blog.so-net.ne.jp/2012-03-08)も。
引用はしませんが、ポット出版(http://www.pot.co.jp/)のWPにある、「松沢呉一の黒子の部屋」の「お部屋2367/セシウム牛を食べる会」(http://www.pot.co.jp/matsukuro/20120308_082355493927832.html)は必読です。是非、読んでみてください。
あの3・11から1年。あの時、個人的な事情もあり、こと(原発人災)の重大さに全く気付いていなかったし、ブログにも何も書いていない。2日後からようやく、それについて書き始めている。刻一刻と人災の側面が浮き彫りになり、いまに至っても、解決したと言える側面はほとんど無いといって過言ではない。メルトダウンした原子炉についても、冷温停止「状態」という言葉遊びで糊塗している。原発内部の状況はつかめていないし、知ることもできないのに。何が一体事故「収束」宣言なのか。ストレステストという計算ごっこでお茶を濁し、その〝計算された〟結果を易々と受け入れる原子力ムラお抱えの委員会。マスコミやネット、市民が騒ぎ過ぎる、不安を煽りすぎるという大御所〝ジャーナリスト〟子供にとっては20倍のリスクでは収まらないであろう年間20ミリシーベルトどころか、笑っていれば100でもオッケーと嘯く学者。市民、特に、罪なき子供達の側に立とうともしない司法。ジャーナリズムの根本としての批判精神なきマスコミ。その結果として、原子力ムラの望む原発再稼働・原発建設再開・原発輸出に向けて着々と進んでいる。
小出裕章さんの云う「たかが電気のために・・・」をよく考えるべきである。この1年目の節目に再度、松下竜一さんの「暗闇の思想」を想う。
『●いま「暗闇の思想」を: 朝日新聞(地方版?)社界面トップ』
再々度?、しつこく、再掲(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/e1b263002193a77c5f47ca07c54ff5f2)。『松下竜一 未刊行著作集4/環境権の過程』より。
《「電気需要増加は必至ではないかという問いかけ・・・。・・・現在の電力に頼りきった文化生活そのものへの反省と価値転換であり、少数の被害者には目をつぶって成り立つ多数の幸福という暗黙裡の差別的発展への懐疑であり、さらに大きく根本的には、電力をとめどなく食いつぶしてやまぬ高度経済成長政策の拒否である」(p.107)。「・・・だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬと。/じゃあチョンマゲ時代に帰れというのか、と反論が出る。必ず出る短絡的反論である。・・・今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えようというのである。・・・/・・・ただひたすらに物、物、物の生産に驀進して行き着く果てを、私は鋭くおびえているのだ。/「一体、物をそげえ造っちから、どげえすんのか」という素朴な疑問は、・・・開発を拒否する風成で、志布志で、佐賀関で漁民や住民の発する声なのだ。・・・/・・・都会思考のキャッチフレーズで喧伝されるのなら、それとは逆方向の、むしろふるさとへの回帰、村の暗がりをもなつかしいとする反開発志向の奥底には、〈暗闇の思想〉があらねばなるまい」(pp.116-117)。
内橋克人さんの〈浪費なき成長〉につながる〈暗闇の思想〉。》
ブログ『ちあの散歩道』様によると(http://blog.goo.ne.jp/cheer_001/e/61113af9db921e05758daf32b04a4dc6)、松下竜一さんを偲ぶ今年6月16日の「第8回竜一忌」のゲストは小出裕章さんだそうです。すごい!!
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【http://nonukes.exblog.jp/15363070/】
「松下竜一」暗闇の思想館プレオープンします
脱原発市民による市民資料館を開設します
私たちの師であった中津の作家、松下竜一氏が亡くなって今年で8年目になります。松下竜一氏は私たちと一緒に大分の地で脱原発運動をチェルノブイリ原発事故以後、行っていました。氏は1972年に「暗闇の思想を」という文章を朝日新聞に書きました。その翌年に朝日新聞に同名の単行本を出しました。氏はなぜこの文章を書いたのかという説明を1991年に話しています。以下はその内容です。
「暗闇の思想」という文章の中で私が書きましたことは、
たいへん単純なことでありました。要するに「今(一九七二年時点の
ことですが)のような、とめどない電力需要を続けていれば、
これはもう本当に、とどまるところがないんじゃないか。
新たな発電所を建てれば、その建てた発電所によって、
またしても電力需要が喚起されていく。だから、もうここらで
立ち止まるべきだ」ということを言ったに過ぎないわけですね。
それは七〇年代、全国の色んな反開発運動、あるいは反公害運動が
実感的にそういうことを主張していたわけです。
皆さんもよくご存じの、非常に有名な言葉として、四日市公害の被害を
受けた人々が、「汚れた空の下でビフテキを食べるより、きれいな空の下で
梅干しを食べたい」と言っていましたし、あるいは、大分県の臼杵、
この近くの風成という所で、漁村のお母さんたちが目の前の湾が
埋め立てられることに反対して、大変激しいたたかいを展開しましたけれど、
そういう中で、風成の人たちが「もうこんなにモノ、モノ、モノを作り出して
どうするんでしょうな」ということを私に訴えていました。要するに、
高度経済成長の弊害面が際立って出てきたのが七〇年代の初めだったわけですね。
「暗闇の思想」資料館の資料収集にご協力をお願いいたします。
そのような思いから、私たちは当NPOに松下竜一「暗闇の思想館」を開設する準備を行っています。3月にオープンの予定ですが、そこには元慶応大学の藤田祐幸氏の慶応大学時代の資料も搬入済みです。そのほかにも自然エネルギー関係の資料や映像やグッツなども集める予定です。皆さんのご協力をお願いいたします。なお、この資料館はペレットストーブの展示室も兼ねています。写真のストーブはシモタニ製のコンコードです。ぜひ皆さんも一度お越しください。
by nonukes | 2012-02-01 20:46 |
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一方、綿井健陽さんの『逆視逆考PRESS』に以下の記事(http://watai.blog.so-net.ne.jp/2012-03-08)あり。前述の松沢呉一さんの記事も是非どうぞ。
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【http://watai.blog.so-net.ne.jp/2012-03-08】
Twitterまとめ投稿 2012/03/08
wataitakeharu「…から1年」という“メディア・カレンダー”から逃れることは、結構困難なことです。それがマスメディアでも、ミニメディアでも、ミドルメディアでも。何せ私もこれまで、「その日」に合わせて、いろんなことをしてきた身です。それで、張り切ったときあり、待ち構えたときあり。身過ぎ世過ぎです03/07 18:00
wataitakeharu「絆」「復興」「再生」「がんばろう日本」「心ひとつに」……どれも嫌な言葉です。特に今週末は従いたくございません。「不謹慎」で、「いかがわしく」て、「破たん」して、「ボロボロ」で、「ズタズタ」で、「最悪」で、「終わってる」……「が、しかし」「それでも」というものに惹かれております03/07 17:26
wataitakeharuあの日の、あの時間に合わせて、眼を閉じて、手を合わせて、頭を垂れて、涙を流して…という写真や映像とは、「違うもの」は何なのかということを考えている。今週末の3・11の日のテレビニュース映像や新聞写真が早くも眼に浮かぶので、「…じゃないもの」を探している。この選択って、間違ってる?03/07 16:54
wataitakeharuしかし……みんながみんな、今週末の日曜日の日に、何かしなければならないのだろうか?みんな同じ時間に「追悼」する必要があるのだろうか?周りからの強迫観念のようにも感じてきて、だんだん憂鬱になってきたので、逆に一人で別のことをしようかという気もしているが、それもまた「居心地の悪さ」03/07 16:35
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