[『放射線を浴びたX年後』(http://x311.info/part1.html)↑]
【NNNドキュメント‛20/クリスマスソング 放射線を浴びたX年後】(http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-173.html)。
《さらに核実験に関わったイギリス軍の元兵士や遺族も重い口を開き始める。その海で何があったのか。16年間にわたる取材が謎を解き明かしていく》。
イギリス軍の若い兵士らも被曝していた。《その海で何があったのか》? 無防備に放射線を浴び、閃光を手で覆うと、レントゲンのように指の骨が透けて見えたそうだ。そして彼らの子供もガンなどの病を抱えて…。《放射線を浴びたX年後》、過去に何が起きて、そして、いま、何が起きているのか?
『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
「こんな巨大な事件が、…日本人としての資質が問われる」』
『●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』』
『●東電原発人災の『X年後』: 厚生省「1.68ミリシーベルト」
vs 研究者「1400ミリシーベルト」』
『●『放射能を浴びたX年後』: 「国はこれまで
福竜丸以外の船員の追跡調査をしてこなかった」』
『●「私たちは被ばく船員を見捨ててきたと痛感」…
2011年から「X年後」を怖れる』
「東京新聞のコラム【【私説・論説室から】「放射線を浴びたX年後」】
…《登場人物はみな、静かな語り口だが、私たちは被ばく船員を
見捨ててきたと痛感する。ビキニ事件で政府が積極的に調べたのは、
船体と魚の放射能汚染。船員はおざなり。米国から賠償金二百万ドルを
受け取ると調査もやめた。漁港では風評被害を恐れ、
誰も被ばくは口にできない。そんな時代だ》」
「同じ構図を…3.11東京電力原発人災でもやってしまっているのではないか…、
ということをとても怖れる。過小に見積り、情報が隠され、
「ただちには影響はない」とした「X年後」に、取り返しのつかない何かが
起こってしまいはしないか? …「事故直後の1巡目の検査では「異常なし」
とされた子ども4人が、4月から始まった2巡目の検査で甲状腺がんの疑い
と診断…1986年のチェルノブイリ原発事故では4~5年後に子どもの
甲状腺がんが急増した」。取り返しのつかない「X年後」が経過してしまった
のではないでしょうか」
『●東京電力原発人災から『X年後』……
取り返しのつかないことが現実化してはいまいか?』
『●人類は核と共存できるのか?
『放射線を浴びたX年後』とパグウォッシュ会議』
『●『放射線を浴びた『X年後』』: ビキニの海に居た
元船員「行動しないと永遠に知る機会を失ってしまう」』
『●第五福竜丸元乗組員大石又七さん「ビキニと
福島はつながっている」「被曝者がたどった道を、福島で…」』
『●「太平洋核被災支援センター」事務局長山下正寿さん
「『ビキニ事件』は終わっていないんです」』
「《子どもたちの間では甲状腺がんが増えているが、県の調査班は放射能の
影響を否定するばかりだ。原発のちりは広い範囲に降った。原因の究明は
進むのか、将来への不安を声にも出せず苦しんでいる子どもは各地にいる》
…慄く。怒りが湧く」
『●《基準値超えのマグロ…午後からは検査がなくなり、すべての
マグロが出荷された…。こうして汚染魚は“ゼロ”に》』
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【http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-173.html】
NNNドキュメント‛20
020年5月24日(日) 24:55
クリスマスソング
放射線を浴びたX年後
2011年以降、日本各地で行われた放射線測定。その過程で核実験由来の放射線が見つかった。浮かんだのは半世紀以上前の列強国による核実験。当時、その海域で日本の漁船が操業していたという事実を掴んだ取材班は、船を特定し乗組員の追跡を始めた。生存者の口から語られる目撃証言。さらに核実験に関わったイギリス軍の元兵士や遺族も重い口を開き始める。その海で何があったのか。16年間にわたる取材が謎を解き明かしていく。
ナレーター/浜野謙太 制作/南海放送 放送枠/55分
再放送
5月31日(日)8:00~ BS日テレ
5月31日(日)5:00~/24:00~ 日テレNEWS24
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日刊ゲンダイのコラム【高野孟 永田町の裏を読む/「さよならテレビ」はテレビ局が抱える“闇”の一端が見える】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/263030)。
《東海テレビ制作の映画「さよならテレビ」の試写を見た。数々のドキュメンタリー作品を世に問うたことで知られる同社の取材班が、なんと、自社の夕方のニュース番組を制作する報道局の現場を2年間にわたって追跡し、2018年の同社開局60周年記念番組として放送。言論機関としてのテレビの危機的な現状を自ら裸になって提示しようという、その蛮勇ともいえる試みが話題になった》。
『●『学校が教えないほんとうの政治の話』(斎藤美奈子著)読了
…《あなたの政治的ポジションを見つけて…》』
《だいたいみんな、このごろ、まちがえてんのよね。
「偏らないことがいいことだ」「メディアは中立公正、不偏不党であるべきだ」
「両論を併記しないのは不公平だ」。そういう寝言をいっているから、
政治音痴になるのよ、みんな。》
《あのね、政治を考えるのに「中立」はないの。メディアの役目は
「中立公正、不偏不党な報道」ではなく「権力の監視」なんです。
それ、常識。》
《党派性をもたずに政治参加は無理である。》
アベ様の政で〝唯一うまく行っている〟《メディアコントロール》。「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で…。アベ様のNHKや下足番新聞など、メディアがアベ独裁広報機関・広報紙・広報誌となって久しい。そんな中、東海テレビは注目に値する。
《言論機関としてのテレビの危機的な現状を自ら裸になって提示…とはいえ…「テレビ局が抱える闇はもっと深い」》。《メディア再生の試み》はどこまで功を奏しただろうか。
『●『創 (12月号)』読了 (2/2)』
「森達也さん『極私的メデェア論』第38回「視点が違えば世界は違う」
…《フジテレビで一本のドキュメンタリー番組が放送された。タイトルは
「光と影~光市母子殺害事件弁護団の300日」。…プロデューサーの
名前は阿武野勝彦。そしてディレクターは斎藤潤一。…テレビ業界で
煩悩し格闘している人は決して少なくない。…「鬼畜弁護士を被写体に
するお前が鬼畜だ」と罵倒されたという。…非当事者である僕たちが、
本当の意味で共有など出来るはずがない》」
『●ドキュメンタリー『死刑弁護人』:
バッシングされ続ける「死刑弁護人」安田好弘さん』
『●司法権力の〝執念〟: 映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』』
『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・
映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』』
『●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評』
『●血の通わぬ冷たい国の冷たい司法: 「奥西勝死刑囚(87)
・・・・・・死刑囚の心の叫び」は届かず』
『●無残!……『朝日』は、素人に《人を裁くという経験を通じ、
死刑と向き合い、是非を考え》させたいらしい』
『●「テレビ業界で煩悩し格闘している人は決して少なくない」
…「隠された歴史を掘りおこす」地方テレビ局』
「優れたドキュメンタリーが、東海テレビや琉球朝日放送、南海放送
といった地方のテレビ局で生み出され、そして映画化される。
『死刑弁護人』や『標的の村』、『放射線を浴びたX年後』といった作品
である。
東海テレビ・阿武野勝彦プロデューサーは《映画にすることで、
作品は命を永らえることができる》、森達也さんは《テレビ業界で煩悩し
格闘している人は決して少なくない》、そして、木下昌明さん
《隠された歴史を掘りおこす》と言う」
『●「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で、
「『よく撮って、知らせてくれた』…お褒めの声」』
「『LITERA 本と雑誌の知を再発見』(…)の編集部による
インタビュー記事【東海テレビ・阿武野プロデューサーを直撃!
ヤクザの人権、犯罪弁護団、安保批判…萎縮状況の中で
なぜ東海テレビだけが踏み込んだドキュメンタリーをつくれるのか】」
「「圧力、自主規制、政権を忖度、報道の萎縮…テレビ業界」で
「異彩を放つ刺激的なドキュメンタリー」を放ち続ける東海テレビ。
阿武野勝彦氏は「ど真ん中の仕事…ドキュメンタリーの真ん中」であり、
そんな仕事には「『よく撮って、知らせてくれた』…
お褒めの声のほうが多い」そうだ」
『●「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で…
東海テレビ『ヤクザと憲法』の意味が、今、分かる』
《東海テレビが半年間、ヤクザに密着したドキュメンタリー映画
「ヤクザと憲法」…▼暴排条例を人ごとと思っていたが、別の法律が
ブーメランのように自分の身に降りかかろうとしている…
▼…金田勝年法相のあいまいな答弁の理由の一つが鮮明になった》
『●《新聞を含むマスコミは…「客観中立で、常に事実と
正論を語る」という自画像を描き、自ら縛られてきた》』
「沖縄タイムスの阿部岳さんのコラム【[大弦小弦]
「さよならテレビ」、とテレビが言う。】…《東海テレビが
制作したドキュメンタリー番組のタイトルである…
▼新聞を含むマスコミは逆に「客観中立で、常に事実と正論を語る」
という自画像を描き、自ら縛られてきた…▼澤村ディレクターは今、
「番組はメディア再生の試みだと受け止めている」と話す。
さよならマスコミ、さよなら予定調和、さよなら自主規制。
こんにちは、自由で新しい表現。(阿部岳)》」
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【https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/263030】
高野孟 ジャーナリスト
永田町の裏を読む
「さよならテレビ」はテレビ局が抱える“闇”の一端が見える
2019/10/10 06:00
(東海テレビ公式HPから)
東海テレビ制作の映画「さよならテレビ」の試写を見た。数々のドキュメンタリー作品を世に問うたことで知られる同社の取材班が、なんと、自社の夕方のニュース番組を制作する報道局の現場を2年間にわたって追跡し、2018年の同社開局60周年記念番組として放送。言論機関としてのテレビの危機的な現状を自ら裸になって提示しようという、その蛮勇ともいえる試みが話題になった。それをさらに映像シーンを追加して劇場用の映画として仕立て直したのがこの作品である。
そのニュース番組は視聴率が低迷していて、同時間帯の各局比較でほぼ常時4位。キャスターを交代させ、グルメ系のコーナーが受けがいいと見ればそちらに傾きそうになったり、見た目に面白いだけのいわゆる「絵になる」シーンを多用したりと四苦八苦。報道局長は見学に来た小学生たちに「権力を監視するのが報道の使命だ」と建前を語るが、現実にはそんな青くさいことを言うスタッフはおらず、ただ一人、契約社員として加わっている50歳のフリー記者のSが周囲の反応にめげそうになりながらも「共謀罪」の問題で番組を作って気を吐いている。
「働き方改革」とかで残業が月100時間を超えることは絶対禁止とお達しがあり、サラリーマン社員としてはそれに従わざるを得ないけれども、視聴率を上げるために取材を増やそうとすれば、契約社員や下請け制作会社からの派遣社員にしわ寄せがいくばかり。そういう中で、「Z印」の番組も増えていく。Zは「ぜひもの」、スポンサー企業からの注文通りの「よいしょ番組」である。
このような、テレビのニュース番組の制作現場の悪循環スパイラルともいうべき現実が、生々しく描かれていて、そこにこの作品の価値がある。
テレビ放映を見た同社の重役が「会社のイメージを毀損した」と取材班を激しく非難したそうだが、むべなるかな。とはいえ、長年にわたりテレビ報道の現場で仕事をした経験がある私から見ると、この描き方はまだ甘すぎる。社内取材ゆえの奥歯にモノが挟まったかの表現では、私なら何を指摘しようとしているのか容易に想像がつくけれども、一般の観客にそれが伝わるかどうか。
終わり近くでSが語っているように「テレビ局が抱える闇はもっと深い」のである。ともあれ、映画は来年1月2日から東京・ポレポレ東中野と名古屋・シネマテークでロードショー公開されるので、ぜひご覧下さい。
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[『学校が教えないほんとうの政治の話』(斎藤美奈子著、ちくまプリマ―新書257)↑]
沖縄タイムスの阿部岳さんのコラム【[大弦小弦]「さよならテレビ」、とテレビが言う。】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/408962)。
《東海テレビが制作したドキュメンタリー番組のタイトルである…▼新聞を含むマスコミは逆に「客観中立で、常に事実と正論を語る」という自画像を描き、自ら縛られてきた…▼澤村ディレクターは今、「番組はメディア再生の試みだと受け止めている」と話す。さよならマスコミ、さよなら予定調和、さよなら自主規制。こんにちは、自由で新しい表現。(阿部岳)》
『●『学校が教えないほんとうの政治の話』(斎藤美奈子著)読了
…《あなたの政治的ポジションを見つけて…》』
《だいたいみんな、このごろ、まちがえてんのよね。
「偏らないことがいいことだ」「メディアは中立公正、不偏不党であるべきだ」
「両論を併記しないのは不公平だ」。そういう寝言をいっているから、
政治音痴になるのよ、みんな。》
《あのね、政治を考えるのに「中立」はないの。メディアの役目は
「中立公正、不偏不党な報道」ではなく「権力の監視」なんです。
それ、常識。》
《党派性をもたずに政治参加は無理である。》
「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で…。アベ様のNHKや下足番新聞など、メディアがアベ独裁広報機関・広報紙・広報誌となって久しい。そんな中、東海テレビは注目に値する。
以前の東京新聞の記事【地方TV局からスクリーンへ ドキュメンタリーの魅力発信】で、《東海テレビ・阿武野勝彦プロデューサー…「ヤクザと憲法」を作ったが、昔なら「ヤクザ」は放送できないと思ってしまっていた。知らないうちに思考停止になっていたが、何かを考えるようになった。停止している思考を回してみると、豊かな表現につながる。映画化によってテレビにも豊かな世界を描く人がいると観客に気付いてもらえた》。
『●『創 (12月号)』読了 (2/2)』
「森達也さん『極私的メデェア論』第38回「視点が違えば世界は違う」
…《フジテレビで一本のドキュメンタリー番組が放送された。タイトルは
「光と影~光市母子殺害事件弁護団の300日」。…プロデューサーの
名前は阿武野勝彦。そしてディレクターは斎藤潤一。…テレビ業界で
煩悩し格闘している人は決して少なくない。…「鬼畜弁護士を被写体に
するお前が鬼畜だ」と罵倒されたという。…非当事者である僕たちが、
本当の意味で共有など出来るはずがない》」
『●ドキュメンタリー『死刑弁護人』:
バッシングされ続ける「死刑弁護人」安田好弘さん』
『●司法権力の〝執念〟: 映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』』
『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・
映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』』
『●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評』
『●血の通わぬ冷たい国の冷たい司法: 「奥西勝死刑囚(87)
・・・・・・死刑囚の心の叫び」は届かず』
『●無残!……『朝日』は、素人に《人を裁くという経験を通じ、
死刑と向き合い、是非を考え》させたいらしい』
『●「テレビ業界で煩悩し格闘している人は決して少なくない」
…「隠された歴史を掘りおこす」地方テレビ局』
「優れたドキュメンタリーが、東海テレビや琉球朝日放送、南海放送
といった地方のテレビ局で生み出され、そして映画化される。
『死刑弁護人』や『標的の村』、『放射線を浴びたX年後』といった作品
である。
東海テレビ・阿武野勝彦プロデューサーは《映画にすることで、
作品は命を永らえることができる》、森達也さんは《テレビ業界で煩悩し
格闘している人は決して少なくない》、そして、木下昌明さん
《隠された歴史を掘りおこす》と言う」。
『●「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で、
「『よく撮って、知らせてくれた』…お褒めの声」』
「『LITERA 本と雑誌の知を再発見』(…)の編集部による
インタビュー記事【東海テレビ・阿武野プロデューサーを直撃!
ヤクザの人権、犯罪弁護団、安保批判…萎縮状況の中で
なぜ東海テレビだけが踏み込んだドキュメンタリーをつくれるのか】」
「「圧力、自主規制、政権を忖度、報道の萎縮…テレビ業界」で
「異彩を放つ刺激的なドキュメンタリー」を放ち続ける東海テレビ。
阿武野勝彦氏は「ど真ん中の仕事…ドキュメンタリーの真ん中」であり、
そんな仕事には「『よく撮って、知らせてくれた』…
お褒めの声のほうが多い」そうだ」
『●「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で…
東海テレビ『ヤクザと憲法』の意味が、今、分かる』
《東海テレビが半年間、ヤクザに密着したドキュメンタリー映画
「ヤクザと憲法」…▼暴排条例を人ごとと思っていたが、別の法律が
ブーメランのように自分の身に降りかかろうとしている…
▼…金田勝年法相のあいまいな答弁の理由の一つが鮮明になった》
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【https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/408962】
[大弦小弦]「さよならテレビ」、とテレビが言う。
2019年4月15日 08:04
「さよならテレビ」、とテレビが言う。東海テレビが制作したドキュメンタリー番組のタイトルである。東海エリアで昨年9月、1度放送されただけなのに、手から手へとDVDが渡り、口コミで議論が広がっている
▼土方(ひじかた)宏史(こうじ)ディレクターが社内にカメラを向ける。上司が「勝手に取材対象にされてる」「やめろ」と怒る。視聴率アップと残業代カットが同時に命じられる。舞台裏の矛盾と苦悩を生々しく描く
▼前代未聞の番組作りを、それでも「ぬるい」と言い放つのは被写体の一人である澤村慎太郎ディレクター。「現実を都合よく切り取って、テレビ的現実を生産してるだけじゃないか」。そのシーンもまた、番組に収める
▼人間が取材テーマや相手を選び、番組に仕上げる以上、純粋な客観報道はあり得ない。必ず作り手の意図が入る。そのことを徹底して、正直に、告白する
▼新聞を含むマスコミは逆に「客観中立で、常に事実と正論を語る」という自画像を描き、自ら縛られてきた。インターネットの普及などでより多様な情報に触れた市民が不信を抱き、離れていったのは当然なのかもしれない
▼澤村ディレクターは今、「番組はメディア再生の試みだと受け止めている」と話す。さよならマスコミ、さよなら予定調和、さよなら自主規制。こんにちは、自由で新しい表現。(阿部岳)
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『LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)の編集部によるインタビュー記事【東海テレビ・阿武野プロデューサーを直撃! ヤクザの人権、犯罪弁護団、安保批判…萎縮状況の中でなぜ東海テレビだけが踏み込んだドキュメンタリーをつくれるのか】(http://lite-ra.com/2016/11/post-2663.html)。
《圧力、自主規制、政権を忖度、報道の萎縮……そんな言葉がしきりに聞かれているテレビ業界において、異彩を放つ刺激的なドキュメンタリーが放映されているのを知っているだろうか。名古屋を拠点とする、東海テレビの作品だ》。
『●「テレビ業界で煩悩し格闘している人は決して少なくない」
…「隠された歴史を掘りおこす」地方テレビ局』
「優れたドキュメンタリーが、東海テレビや琉球朝日放送、南海放送
といった地方のテレビ局で生み出され、そして映画化される。
『死刑弁護人』や『標的の村』、『放射線を浴びたX年後』といった作品
である。
東海テレビ・阿武野勝彦プロデューサーは《映画にすることで、
作品は命を永らえることができる》、森達也さんは《テレビ業界で煩悩し
格闘している人は決して少なくない》、そして、木下昌明さん
《隠された歴史を掘りおこす》と言う」。
「圧力、自主規制、政権を忖度、報道の萎縮…テレビ業界」で「異彩を放つ刺激的なドキュメンタリー」を放ち続ける東海テレビ。阿武野勝彦氏は「ど真ん中の仕事…ドキュメンタリーの真ん中」であり、そんな仕事には「『よく撮って、知らせてくれた』…お褒めの声のほうが多い」そうだ。
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【http://lite-ra.com/2016/11/post-2663.html】
東海テレビ・阿武野プロデューサーを直撃!
ヤクザの人権、犯罪弁護団、安保批判…萎縮状況の中でなぜ東海テレビだけが踏み込んだドキュメンタリーをつくれるのか
インタビュー編集部 2016.11.02
(東海テレビ・阿武野勝彦氏
圧力、自主規制、政権を忖度、報道の萎縮……そんな言葉がしきりに聞かれているテレビ業界において、異彩を放つ刺激的なドキュメンタリーが放映されているのを知っているだろうか。名古屋を拠点とする、東海テレビの作品だ。
光市母子殺害事件の弁護団に密着した『光と影』(2008)、戸塚ヨットスクールの今を描いた『平成ジレンマ』(2010)、ヤクザの人権問題に切り込んだ『ヤクザと憲法』(2015)など、ここ数年、東海テレビが放送したキュメンタリーの数々は物議をかもしてきた。
しかし、東海テレビのドキュメンタリーは放送中止になることもなく、現在も定期的に地上波でチャレンジングな新作が公開されているばかりか、近年では映画版として再編集され、全国のミニシアターを中心に上映も行われている。
大口のスポンサーもつかず、縮小していくテレビドキュメンタリーの世界で、フジテレビ系列の東海テレビがなぜ、多様な作品を制作し、放送し続けることができるのか。それ以前に、トラブルを避けたがるテレビマンがほとんどのなかで、なぜこういう作品をつくろうとするのか。
「たとえば、障害のある人を取材対象にして何だか観たことの
あるような“いい話”の番組って、ありますよね。障害のある人を
主人公にするのが悪いと言っているんじゃなくて、ステレオタイプに
描くのは、安易なやり方で、むしろ失礼だと思うんですよ。あるいは
タレントを海外に連れて行って、ありきたりな感想を述べるのを
ありがたがったりするような“ありがち”な番組。私はそれ、
ドキュメンタリーじゃないんじゃないの?って思う。制作者の志は
どこにあるのだろうと思っちゃいますね」
そうサラリと業界批判をしてのけるのは、監督やプロデューサーとして一連のドキュメンタリーを支えてきた東海テレビの阿武野勝彦。1981年、アナウンサーとして同局に入社後、報道局記者、営業局業務部長などを経験しながら、『ガウディへの旅』(1990)、『村と戦争』(1995)、『黒いダイヤ』(2005)など多数のドキュメンタリーのディレクターを務めてきた。東海テレビのお家芸である「司法シリーズ」と呼ばれる一連の作品群でも、同局の齊藤潤一とのタッグで『裁判長のお弁当』(2007)や前述『光と影』、『死刑弁護人』(2012)などを手がけ、数々の賞を受賞。「異端」「型破り」ともいわれる放送人だ。
まず、阿武野に聞きたいのは、普通の地上波が扱わないような“危険な”テーマに踏み込んで、これまで圧力や規制、クレームなどを受けたことがなかったのか、ということだった。しかし、阿武野はこんな拍子抜けするような返事をする。
「いや、私たちがやっていることは、ど真ん中の仕事。キワモノでも
なければ、トンガっているわけでもなくて、ドキュメンタリーの真ん中、
当たり前のことを当たり前にやっているという認識しかないので。
クレームなんかもそんなにこないですよ。むしろテレビを観てくれた
みなさんからは『よく撮って、知らせてくれた』というお褒めの声のほうが
多いくらい」
が、個別に聞いてみると、やはり局内外でのトラブルはないわけではない。たとえば、光市母子殺害事件を扱った『光と影』。この事件では、被害者遺族の訴えがメディアで盛んに取り上げられ、被告の元少年を「極刑にせよ」という世論が過熱。彼を弁護する弁護団もまた「鬼畜」とバッシングを受けた。その「鬼畜弁護団」側にカメラを入れた『光と影』の制作中、阿武野は東海テレビの当時の社長と番組を挟んで、直接相対したという。
「『光と影』は少々揉めましたね。制作が7、8割方進んでいるところで
突然、先代の社長ですが、私を呼び出し『鬼畜を弁護する鬼畜弁護団。
それを番組にするお前は鬼畜だ!』『お前は狂ってる!』というような
ことを言われましたね。社長に狂人扱いされるなんて中々ないですよね。
でも、これは私が辞表出して済む話ではないんですよって。
東海テレビの名前を出して、私たちは弁護団と取材をする、
されるという関係になっている。その途中で社長の鶴の一声というか、
圧力というか、で番組をやめるわけにはいかない。
『社長が制作を止めるんですよ、よろしいんですね? 相手は腕っこきの
弁護団ですよ? 訴えられるのは、社長ですよ』とお話しましたね。
当時の報道局長と編成局長も、どういう形であってもいいから番組に
しようと言ってくれて、放送することが出来ましたね」
キー局のフジテレビともいろいろあったようだ。もともとフジテレビ系列では、地方局制作のドキュメンタリーが全国ネットで放送される機会はほとんどない。例外は「FNSドキュメンタリー大賞」に応募し、ノミネート作として深夜に放送されるぐらいだ。いわば地方局にとって唯一、全国の視聴者を獲得できる“出口”。しかし、阿武野たちは、数年前から「FNSドキュメンタリー大賞」についてはノミネート枠を、他の部署に譲った。なぜか。
きっかけは、『ホームレス理事長 退学球児再生計画』(2013)を巡っての、東海テレビ社内の対応とフジテレビからの放送謝絶だった。ドロップアウトした高校球児たちに「再び野球と勉強の場を」と謳うNPOを取材した本作には、金策に奔走する理事長が取材スタッフに土下座して借金を懇願したり、闇金にまで手をだすなど、かなり“危うい”場面がある。なかでも作中で監督が球児にビンタを連発するシーンは、名古屋での放送時に物議を醸した。フジテレビはこの番組について放送しない決定をした。
「終わったことですし、話すと長くなるんですけど(笑)。まあ、
あのビンタのシーンでもめたんですよ。フジテレビは番組考査にかける、
という話しになった。ようは、番組を事前にチェックしてウチで
放送できるかどうか検討します、というわけですね。でも、これまで
そういうことはしてこなかったはずですし、各局で放送した内容を
そのまま放送するのが前提だったはず。何でそうなったのか説明もなく、
これからどうするかも伝えられず、その対応が理解できなかった。
信頼関係が崩れたと思いましたね。だから、私たちはこの仕組みには
乗れないと。喧嘩した訳ではなく、番組、ドキュメンタリー、
放送についての考え方が違う以上、仕方がない、
ご遠慮申し上げることにしたんですね」
こうした姿勢は時として、暴走に映ることもある。たとえば『平成ジレンマ』は“体罰の代名詞”と化している戸塚ヨットスクールの今に密着した作品だが、激しい批判が起きた。本サイトから見ても、体罰肯定論の宣伝につながるような危うさを感じざるをえなかった。
しかし、阿武野はこうした批判も、ドキュメンタリーには付きものだと思っている。それは彼が求めているものが、右か左か、正義か悪かという二元論的な価値観を超えたもっと深いところにあるからだろう。その深い場所に光をあてるためならば、ときに世間の流れの逆側に立って物事を切り取ることもいとわない。そういう覚悟に裏打ちされているような気がする。
「ありがちなドキュメンタリーは、誰も求めていないと思うんです。
決まり切った美談のようなものを求めているという風に制作者が
思っているとしたら、大きな勘違い。そんな時代じゃないよって
思うんです」
「今、みんなどうやってリスクを回避するかにとても繊細ですよね。
そういう教育を受けているから仕方がないと思います。でも、
私たちのところには、リスクだらけのところに突っ込んでいって、
何かとんでもないドブの中から宝物を引っ張りだすぐらいの力を
持っている人間が、いるんです」
たしかに、この姿勢がなければ、この息苦しいテレビの世界で、あんな作品をつくり続けるのは不可能だろう。
しかし、同時に彼は、ただ猛進するだけでもない。たとえば、物議をかもすような題材を扱うにあたり、阿武野は必ずクレームを担当する部署に、事前に想定される問答集をつくって手渡しているという。また、作品についても、たんに撮ったものをすべて出すということではなく、ギリギリのところでバランスをとっているようだ。
戦後70年にあたる昨年、8月、東海テレビは『戦後70年 樹木希林 ドキュメンタリーの旅』という全6回のシリーズを行った。これは、女優・樹木希林が番組に関連する場所や人を旅し、更に、毎回ゲストを訪ね、過去に全国の地方局が制作してきた戦争の記憶を紡ぐドキュメンタリーについて語り合うという内容だ。
今、開催されている特集上映「東海テレビドキュメンタリーの世界」にも、このシリーズから同局制作の『村と戦争』(第4回)と『いくさのかけら』(第5回/2005)が組み込まれているが、第1回であった『父の国 母の国』(関西テレビ制作/2009)では、ゲストに笑福亭鶴瓶が登場し、政治についてきちっとした主張をした。当時、国会での強行成立が間近に迫っていた新安全保障関連法、そして安倍政権による憲法9条の空文化に対して、こう強い言葉で批判した。
「いま、法律を変えようとしているあの法律もそうでしょうけど、
それも含めて、いまの政府がああいう方向に行ってしまうっていうね、
これ、止めないと絶対いけないでしょうね」
「こんだけね、憲法をね、変えようとしていることに、違憲や言うてる人が
こんなに多いのにもかかわらず、お前なにをしとんねん!っていう」
この鶴瓶の痛烈な安保・安倍批判は、スポーツ紙などにも取り上げられ、大きな反響を呼んだ。テレビ地上波で、それも人気商売の芸能人がここまで踏み込んだ政治的発言をするのは、昨今、異例中の異例と言っていい。プロデューサーとして同シリーズを統括した阿武野は、反響は織り込み済みだったのかという質問に対し、静かに頷く。だが実は、その編集には細心の注意が払われていた。
「放送前に、鶴瓶さんのプロダクションの社長と話をしました。
そのままでいいですというのが姿勢でした。ここまで大きく育てて
くれたのは落語であり、テレビの世界でしっかり根を張ることもできた。
社会にお返ししなくちゃという根底を鶴瓶さんは持っていらっしゃる。
その上での発言だったんです。しかし、個人を激しく批判している
ようなところは割愛したんです。ダマってやってしまえばそれは
芸能人の、命をとる可能性がある。だから取材対象は
しっかり守るという原則は堅持したんです。収録の場で鶴瓶さんは
“全部使ってくれええで”って言って帰りましたけど、全部託してくれた
という信頼感に、私たちがどうお返えしするか、丸めるだけでもなく、
そのままが最高という単純なものでもなく、つまり、大胆であり、
なおかつ繊細でないといけないんです、この仕事は」
影の部分に光をあてる。ただ、それを誠実に為すことが、どれだけ困難か。しかし、それでも阿武野たちはあきらめずにそのための方法を模索し続けている。
「いま、ドキュメンタリーを観るひとは決して多くない。視聴率はとれない。
スポンサーが付きにくい。しかも問題は起こりやすい(笑)。
他局の人間と話すと『東海テレビのようにはウチはできません』
なんてよく聞きますよ。でも、組織や上司や他人のせいにして
『できません』と言った瞬間に、もうやれなくなるんです。
自分で自分にダメ出ししているんじゃないですか?」
注目を集めている映画公開も、テレビドキュメンタリーが直面する困難を克服するために始めたものだった。
「映画化を始めたのは2011年です。単館を繋ぐ形だから収容できる
お客さんの数は、大層なものじゃないけど、実際に観ている人の
息遣いを感じられて、何よりスタッフが生き返った。それに、
映画なら制作年を打つことで繰り返し放送することもできます。
希望しても叶えることのできない全国ネットへのこだわりがなくなった
のも、映画で公開しているから、ということが大きかった」
映画を観た人がテレビに帰ってきてくれる、そんな構図もあるのではないかと阿武野は言う。だからDVD化も今のところするつもりはないという。
2017年1月2日には、その映画化第10作にあたる『人生フルーツ』(監督・伏原健之)が公開する。これに先立ち、10月29日(土)から11月18日(金)までの期間、東京・ポレポレ東中野で「東海テレビドキュメンタリーの世界」と題して、劇場初公開を含む全22作品の特集上映が開催される(公式サイト)。
こうした作品は、自主規制や制約、あるいは上司の一言にとらわれ、がんじがらめになっているマスコミ関係者にこそぜひ観てもらいたい。
(インタビュー・構成 編集部)
■特集上映「東海テレビドキュメンタリーの世界」
10月29日(土)〜11月18日(金)まで、東京・ポレポレ東中野にて公開、ほか全国順次。各作品の上映スケジュールなど、詳しくは公式ホームページ(http://tokaidoc.com/)にて。また、書籍『ヤクザと憲法――「暴排条例」は何を守るのか』(東海テレビ取材班/岩波書店)も10月29日に発売。
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東京新聞の砂上麻子記者による記事【地方TV局からスクリーンへ ドキュメンタリーの魅力発信】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2016103002000175.html)。
《地方テレビ局のドキュメンタリー映画の先駆けとなったのが、東海テレビ…。11月3日には「ドキュメンタリーの現在」と題して、映画監督の森達也さんや東海テレビの阿武野勝彦さんによるシンポジウムも行われる。また12~18日には「標的の村」や「みんなの学校」など東海テレビ以外の地方局によるドキュメンタリー映画も特集上映…阿武野勝彦プロデューサー(57)に番組を映画化する意義について聞いた》。
優れたドキュメンタリーが、東海テレビや琉球朝日放送、南海放送といった地方のテレビ局で生み出され、そして映画化される。『死刑弁護人』や『標的の村』、『放射線を浴びたX年後』といった作品である。
東海テレビ・阿武野勝彦プロデューサーは《映画にすることで、作品は命を永らえることができる》、森達也さんは《テレビ業界で煩悩し格闘している人は決して少なくない》、そして、木下昌明さん《隠された歴史を掘りおこす》と言う。
『●『創 (12月号)』読了 (2/2)』
「森達也さん『極私的メデェア論』第38回「視点が違えば世界は違う」
…《フジテレビで一本のドキュメンタリー番組が放送された。タイトルは
「光と影~光市母子殺害事件弁護団の300日」。…プロデューサーの
名前は阿武野勝彦。そしてディレクターは斎藤潤一。…テレビ業界で
煩悩し格闘している人は決して少なくない。…「鬼畜弁護士を被写体に
するお前が鬼畜だ」と罵倒されたという。…非当事者である僕たちが、
本当の意味で共有など出来るはずがない》」
『●ドキュメンタリー『死刑弁護人』:
バッシングされ続ける「死刑弁護人」安田好弘さん』
「監督は、東海テレビの斎藤潤一さん。ディレクターは阿武野勝彦さん。
ヒットすべき、多くの人に是非見てもらいたい映画ですが…
難しいでしょうかね。死刑制度について考えを巡らせる良い機会になる
と思うのですが…」
《阿武野勝彦プロデューサーは「映画にすることで、作品は命を永らえる
ことができる」と話す。昨年、戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長を取材した
「平成ジレンマ」、四日市公害訴訟を取り上げた「青空どろぼう」を
劇場公開、今回が第三弾。一年半で三本というのは制作者の
強い思いだろう》
『●司法権力の〝執念〟: 映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』』
《事件発生当初から蓄積した圧倒的な記録と証言を再検証し、
本作を作り上げたのは、『平成ジレンマ』『死刑弁護人』の
齊藤潤一(斎藤潤一)(脚本・監督)と阿武野勝彦(プロデューサー)。
これは、東海テレビ放送の名物ドキュメンタリー「司法シリーズ」を
手掛ける二人が、カメラが入ることが許されない独房の死刑囚を
描き出す野心作である》
《wataitakeharu 東海テレビの司法ドキュメンタリーの中でも、
名張毒ぶどう酒シリーズは、どれも秀作だが、今回の『約束』
(2月16日から劇場公開)はその中でも最高傑作だった。
http://t.co/75pUkmi9 恐るべし東海テレビの執念、そして、
別の意味で恐るべし、司法権力の“執念”!02/10 05:22》
『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・
映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』』
《木下昌明の映画の部屋・第166回 ●三上智恵監督『標的の村』
「オスプレイ」反対運動の真実――本土には伝えられない「沖縄」》
《作品は三上が一人で取り組んだものではなく、沖縄の琉球朝日放送
というローカル局が、三上を中心とした報道スタッフを編成、テレビの
枠を超えて映画として仕上げた。 最近、この種のドキュメントが目につく。
愛知・東海テレビ放送の『青空どろぼう』、愛媛・南海放送の
『放射線を浴びたX年後』など。その地域放送局ならではの豊富な
映像資料を使い、過去から引きずっている事件に焦点をあてて、
隠された歴史を掘りおこす》
『●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評』
「「木下昌明の映画の部屋」(http://www.labornetjp.org/Column/)より、
齊藤潤一監督『死刑弁護人』の映画評。安田好弘弁護士についての映画」
『●血の通わぬ冷たい国の冷たい司法: 「奥西勝死刑囚(87)
・・・・・・死刑囚の心の叫び」は届かず』
《▼その生涯を描いた東海テレビ製作の映画『約束』で、仲代達矢さん
演じる死刑囚は、拘置所の屋上の運動場で叫ぶ。「死んでたまるか、
生きてやる」。それは無実を信じ続けた家族の心の叫びでもある
▼母タツノさんは、貧しい暮らしに耐えながら面会に通い、
手紙で励まし続けた。「してない事はしたというな。
しんでもしないというてけ」「ほしいものがあれば母ははだかになっても
かってやるから手紙でおしえてくれ」》
『●無残!……『朝日』は、素人に《人を裁くという経験を通じ、
死刑と向き合い、是非を考え》させたいらしい』
《映画「ふたりの死刑囚」(東海テレビ放送製作、ポレポレ東中野など
1月16日公開)は、冤罪を訴える2人の死刑囚と家族の半生を
追ったドキュメンタリー…「袴田事件」の袴田巌死刑囚(79)…
「名張毒ぶどう酒事件」の犯人とされ、10月に獄中死した
奥西勝死刑囚(享年89)》
《仲代達矢(83)主演で奥西死刑囚の生涯を描いた映画「約束」を
手掛けた東海テレビの齊藤潤一報道部長(48)がプロデュースし、
後輩で警察や司法を担当した鎌田麗香記者(30)が監督を務めた》
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2016103002000175.html】
【放送芸能】
地方TV局からスクリーンへ ドキュメンタリーの魅力発信
2016年10月30日 朝刊
地方テレビ局が製作したドキュメンタリー映画の上映が相次いでいる。フェイスブックやツイッターなどの会員制交流サイト(SNS)や口コミで評判が広がり、全国的なヒットにつながる作品も出ている。ドキュメンタリー番組に割り当てられる全国放送の枠が減る中、地方局は自局制作の番組を劇場版に再編。映画館で上映することで新たな観客を掘り起こそうとしている。 (砂上麻子)
「見たい人に届けるにはどうしたらいいのか。浮かんだのが映画だった」。映画「みんなの学校」の監督を務めた関西テレビ(大阪市)ディレクターの真鍋俊永さん(47)は語る。
普通の子どもと障害がある子どもが同じ教室で学ぶ大阪市立大空小学校の一年間に密着し、二〇一三年五月に放送された。その後、フジテレビ系列局による「FNSドキュメンタリー大賞」にノミネートされ、全国で深夜に放送。文化庁芸術祭大賞を受賞した後はNHKのBSプレミアムでも放送された。
映画化に当たって、四十七分の番組に未使用の場面も追加、百六分に再編し、一五年に劇場公開した。
これまで約三万三千人の観客を動員、現在も全国で自主上映会が続いている。真鍋さんは「テレビは放送して終わりだが、映画になって作品の寿命が長くなりうれしい」と話す。
地方テレビ局のドキュメンタリー映画の先駆けとなったのが、東海テレビ(名古屋市)が一〇年に製作した「平成ジレンマ」。一九八〇年代に体罰事件で社会問題になった戸塚ヨットスクールの“その後”を取り上げた。同作が話題となり、同局はさらに八番組を映画化。他局も追随し、米軍基地をテーマにした琉球朝日放送の「標的の村」などが全国公開された。
今年は「ヤクザと憲法」(東海テレビ)、「ふたりの桃源郷」(山口放送)、「五島のトラさん」(テレビ長崎)と公開が続く。「ヤクザと-」は観客動員が四万人に上り、ドキュメンタリー映画としては異例のヒットを記録した。これらの作品を公開した映画館「ポレポレ東中野」(東京都中野区)の大槻貴宏支配人(49)は「地方の課題や生活を長期的な視点で取材するのは地方局の役割。各局が競っていい作品を送り出してほしい」と期待を寄せる。
◆東中野で特集上映
ポレポレ東中野で、東海テレビが制作したドキュメンタリー番組の特集上映「東海テレビドキュメンタリーの世界」が11月18日まで行われている。
独房から無実を訴え続けた奥西勝死刑囚を俳優仲代達矢が演じた「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」や、暴力団員の人権を問う「ヤクザと憲法」、来年1月から全国順次公開する最新作「人生フルーツ」など劇場版の10作品と、テレビ放送した12作品を上映する。
11月3日には「ドキュメンタリーの現在」と題して、映画監督の森達也さんや東海テレビの阿武野勝彦さんによるシンポジウムも行われる。また12~18日には「標的の村」や「みんなの学校」など東海テレビ以外の地方局によるドキュメンタリー映画も特集上映される。
問い合わせはポレポレ東中野=(電)03(3371)0088=へ。
◆観客の反応がいい刺激に
東海テレビ・阿武野勝彦プロデューサー
東海テレビで数多くのドキュメンタリー番組を手がけ、映画化にも携わってきた阿武野勝彦プロデューサー(57)に番組を映画化する意義について聞いた。
-ドキュメンタリー番組を映画化しようと思ったきっかけは。
テレビで放送する時間が減り、放送できても深夜など見る人が限られている。地方でじっくり作っても、全国ネットでは視聴率が取れない、賛否が分かれるなどの理由で放送しにくくなっている。いくら良い番組を作っても、情報発信が地方で留まってしまう状況を変えたかった。
-映画化の手応えは。
テレビでは視聴者の様子まで分からないが、映画は観客の反応を間近に感じることができ、テレビのスタッフにもいい刺激になる。
-ドキュメンタリー番組は一年間に何本制作しているのか。
東海テレビでは年間七~八本制作し、土日に不定期で放送している。最近、ドキュメンタリーの番組を撮っているスタッフが映画化を期待しているが、必ず映画化するわけではない。
-映画にする番組はどうやって選ぶのか。
取材した題材を二時間ほどに編集した第一稿を見た段階で「全国の人に見てもらいたい」と思った瞬間に映画にすると決める。番組制作費で映画化する費用はまかなうようにしている。ただ宣伝費は一本五百万ほどかかり、もうかる事業ではない。
-映画化に期待することは。
「ヤクザと憲法」を作ったが、昔なら「ヤクザ」は放送できないと思ってしまっていた。知らないうちに思考停止になっていたが、何かを考えるようになった。停止している思考を回してみると、豊かな表現につながる。映画化によってテレビにも豊かな世界を描く人がいると観客に気付いてもらえた。
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NNNドキュメント’16『汚名 ~放射線を浴びたX年後~』(http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-16.html、2016年6月26日(日) 24:55)。
『●東電原発人災から『X年後』:「自分が壮大なできごとの
参加者だということがわかっているのだろうか」?』
『●東電原発人災から『X年後』でも同じことが…
「死は個人の不摂生のせい」に、そして、「上から口封じ」』
《木下昌明…近年見た映画で衝撃的だった1本に『放射線を浴びたX年後』
がある。これは南海放送(愛媛)の伊東英朗監督によるドキュメンタリーだ》
《あれから3年、その続編『放射線を浴びたX年後2』が公開される。
ここでは日本全土に降り注いだ死の灰はどうなったかの調査とともに、
東京に住む川口美砂さん(59)の半生を介して「X年後」の今を
浮かび上がらせている。
川口さんの故郷は高知県室戸市の漁師町。そこで偶然、
『X年後』をみて「私の父はなぜ死んだのか」と疑問を抱く。
彼女の父は漁師で36歳で亡くなった。町では
「酒を飲みすぎて早死にした」とうわさが立った。
彼女は生き残りの元漁師たちを訪ね歩く。
前作では、伊東監督が漁師町を1軒ずつ聞き取り調査していくと、
「がんでずっと前に亡くなった」という返事ばかりで、これには驚かされた。
だが、今作でも彼女の父と同じように早世したという話が多い。
発見した父の航海日誌には「体が火のように燃える」とある。
放射能の怖さは、長い時間をかけてじわじわ体を浸食するところにある。
それによって、死は個人の不摂生のせいにさせられてしまう》
この南海放送による「放射線を浴びたX年後」シリーズを見て、いつも思う。いま、全く同じことを繰り返していないだろうか…。2011年から『X年後』を、激しく怖れる。この国はあまりに暢気すぎないか、それとも、あまりの冷酷さか。
遠洋マグロ船第五豊丸乗組員(1951年当時)であった、川口美砂さんの父上・川上一明さんの《汚名》は返上されたか? 番組冒頭、オバマ大統領の広島での演説から始まる。しかし、「放射線を浴びたX年後」の今、「オバマ大統領の米国、「核なき世界」にはほど遠く、「核兵器のない世界」を唱えつつその現実は?」、どうなっているだろうか。
『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」』
『●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』』
『●東電原発人災の『X年後』:
厚生省「1.68ミリシーベルト」 vs 研究者「1400ミリシーベルト」』
「厚生労働省は・・・・・・「被曝線量1.68ミリシーベルト」と算定し、
「1事故あたり100ミリシーベルト」という国際基準を大幅に
下回っているという結論、を示していた。・・日大(放射線防護学)
野口邦和准教授は、「1400ミリシーベルト(1.4シーベルト)」という、
桁違いの被曝量の可能性を指摘している!! 厚生省の言う
「1.68ミリシーベルト」に対して、船員が何も除染しなければ
「1400ミリシーベルト」・・・・・・事実、多くの船員が亡くなっていった」
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【http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-16.html】
NNNドキュメント’16
2016年6月26日(日) 24:55
汚名 ~放射線を浴びたX年後~
これは、遠い時代・遠い場所の話ではない。知られることのない、X年後の物語である。
「放射線を浴びたX年後」シリーズ第4弾は「父の死の真相」を追い求める1人の女性をクローズアップした。漁師だった父が早死にしたのは? 酒の飲みすぎだとばかり思っていた。しかし、映画「X年後」を観て、考え方は一変した。「父の死と核実験は因果関係があるかもしれない」女性は、真実を確かめるため、遺族や乗組員を訪ね歩いた。そこで見た現実とは?
ナレーター / 樹木希林 制作 / 南海放送 放送枠 / 55分
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レイバーネットTV(http://www.labornetjp.org/tv)の『●木下昌明の映画の部屋』(http://www.labornetjp.org/Column)に出ていた映画批評【●伊東英朗監督『放射線を浴びたX年後2』 第五福竜丸事件の隠された事実~被ばくから「X年後」を再び問う 木下昌明】(http://www.labornetjp.org/news/2015/1117eiga)。
《放射能の怖さは、長い時間をかけてじわじわ体を浸食するところにある。それによって、死は個人の不摂生のせいにさせられてしまう…歴史はくり返されるのか――》。
「個人の不摂生」と「口封じ」……東京電力原発人災から『X年後』を怖れるし、同じ構図ではないか?
『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」』
『●東京電力原発人災から『X年後』・・・・・・
取り返しのつかないことが現実化してはいまいか?』
『●「私たちは被ばく船員を見捨ててきたと痛感」
・・・2011年から「X年後」を怖れる』
『●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』』
『●東電原発人災の『X年後』: 厚生省「1.68ミリシーベルト」
vs 研究者「1400ミリシーベルト」』
『●黙殺される東電原発人災『X年後』:
「100万人に2~3人という日本の全国平均を大きく上回ったもの」』
『●『放射線を浴びたX年後』伊東英朗監督、
「ビキニ事件…全貌を知ることが、福島の今後につながります」』
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【http://www.labornetjp.org/news/2015/1117eiga】
●伊東英朗監督『放射線を浴びたX年後2』
第五福竜丸事件の隠された事実~被ばくから「X年後」を再び問う
木下昌明
近年見た映画で衝撃的だった1本に『放射線を浴びたX年後』がある。これは南海放送(愛媛)の伊東英朗監督によるドキュメンタリーだ。
1954年、米国の核実験で第五福竜丸が被ばくした事件では、1隻だけでなく延べ992隻が被害に遭い、多くの漁船員が亡くなっていたという事実。翌年、日本政府が米政府から200万ドルの慰謝料で“完全解決”を図り、魚の放射能検査を中止し、すべての魚が食卓に上がったという事実――映画は隠された実態を暴き、これまでの歴史認識を変えたのである。
あれから3年、その続編『放射線を浴びたX年後2』が公開される。ここでは日本全土に降り注いだ死の灰はどうなったかの調査とともに、東京に住む川口美砂さん(59)の半生を介して「X年後」の今を浮かび上がらせている。
川口さんの故郷は高知県室戸市の漁師町。そこで偶然、『X年後』をみて「私の父はなぜ死んだのか」と疑問を抱く。彼女の父は漁師で36歳で亡くなった。町では「酒を飲みすぎて早死にした」とうわさが立った。彼女は生き残りの元漁師たちを訪ね歩く。
前作では、伊東監督が漁師町を1軒ずつ聞き取り調査していくと、「がんでずっと前に亡くなった」という返事ばかりで、これには驚かされた。だが、今作でも彼女の父と同じように早世したという話が多い。発見した父の航海日誌には「体が火のように燃える」とある。放射能の怖さは、長い時間をかけてじわじわ体を浸食するところにある。それによって、死は個人の不摂生のせいにさせられてしまう。
カメラは、昔の父の仲間を訪ね歩く川口さんに寄り添い、漁師たちの当時の状況を明らかにしていく。そこで彼らの船員手帳は、事件当時のぺージが破られていることがわかる。それは「魚が売れんようになるけ、言うな」と上から口封じされたからだと。
歴史はくり返されるのか――。
(『サンデー毎日』2015年11月22日号)
*愛媛・シネマサンシャイン大街道で公開中。11月21日から東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開。写真=映画ポスター。
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東京新聞のコラム【【私説・論説室から】「放射線を浴びたX年後」】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015060102000132.html)。
「登場人物はみな、静かな語り口だが、私たちは被ばく船員を見捨ててきたと痛感する」。
そして、東京電力原発人災から「X年後」を怖れる・・・・・・。アベ様達、原子力「ムラ寄生」委員会、電力会社の好き勝手を許していていいのだろうか。
「同じ構図を・・・・・・3.11東京電力原発人災でもやってしまっているのではないか・・・・・・、ということをとても怖れる。過小に見積り、情報が隠され、「ただちには影響はない」とした「X年後」に、取り返しのつかない何かが起こってしまいはしないか? ・・・・・・「事故直後の1巡目の検査では「異常なし」とされた子ども4人が、4月から始まった2巡目の検査で甲状腺がんの疑いと診断・・・・・・1986年のチェルノブイリ原発事故では4~5年後に子どもの甲状腺がんが急増した」。取り返しのつかない「X年後」が経過してしまったのではないでしょうか」。
『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」』
『●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』』
『●東電原発人災の『X年後』:
厚生省「1.68ミリシーベルト」 vs 研究者「1400ミリシーベルト」』
『●東京電力原発人災から『X年後』
・・・・・・取り返しのつかないことが現実化してはいまいか?』
『●「アベノミクス選挙という愚」
『週刊金曜日』(2014年12月05日、1019号)について』
「【金曜日から】の「単行本『放射能を浴びたX年後』・・・
その「ただちに」から「X年後」、我々は黒塗りの理由を知ることに
なるのだろうか。(本田政昭)」」
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015060102000132.html】
【私説・論説室から】
「放射線を浴びたX年後」
2015年6月1日
日本記者クラブ特別賞を受賞した映画「放射線を浴びたX年後」を見た。愛媛県のテレビ局南海放送が二〇一二年に製作した。タイトルの「放射線を浴びた」はビキニ水爆実験(一九五四年)による被ばくだ。
監督は同社ディレクターの伊東英朗(ひであき)さん。幼稚園の先生から転職したという。多くの漁船が被ばくしたことを再発見した高知県の元高校教師、山下正寿さんを訪ねたのが始まりだったという。
登場人物はみな、静かな語り口だが、私たちは被ばく船員を見捨ててきたと痛感する。
ビキニ事件で政府が積極的に調べたのは、船体と魚の放射能汚染。船員はおざなり。米国から賠償金二百万ドルを受け取ると調査もやめた。漁港では風評被害を恐れ、誰も被ばくは口にできない。そんな時代だ。被ばくした船長の妻は「日本がやっと自分でつかまり立ちできるか、という状態のころでしょ。その柱は石炭と魚ですから」と当時を語る。
被ばく船員の調査と救済を求めて高知県ビキニ被災船員の会をつくった岡本清美さんのお墓で、妻が「これは絶対、成功せんと言っていた。国が相手だから」と思い出す。早死にした人が多く、墓や仏壇がよく出てくる。
山下さんは「(社会が)急に変わるなんて思ってないよ。谷川で赤いカニが穴をあける。それがセメントで固めた堰(せき)を切るときがある」と話した。 (井上能行)
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東京新聞の記事【水爆実験映画「X年後」伊東英朗監督が出版 調査報道の足跡を本に】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2014120402000189.html)。
レイバーネットTV(http://www.labornetjp.org/tv)の『●木下昌明の映画の部屋』(http://www.labornetjp.org/Column)に出ていた映画批評【★木下昌明の映画の部屋・第187回 ●『続・放射線を浴びたX年後~日本に降り注いだ雨は今』をみて 昭和史に埋もれた史実を発掘~消せない記録「放射能と日本」】(http://www.labornetjp.org/news/2014/1002eiga)。
東京新聞の記事【福島で甲状腺がん増加か 子ども4人、放射線影響か確認】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014122301001939.html)。
「一九五四年三月、米国が太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験の真相に迫り、大きな反響を呼んでいるドキュメンタリー映画「放射線を浴びたX年後」。映画を製作した南海放送(松山市)の伊東英朗(ひであき)ディレクター(54)が、十年余りの調査報道の足跡、映画化までの舞台裏を明かした著作(映画と同一タイトル)を出した。「一人でも多くの人に、未解明のビキニ被害へ関心を寄せてほしい」との願いを込めた力作だ」。
『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」』
「たとえば「第二幸成丸」の乗組員20人中17人が、「新生丸」では
19人中17人が死亡している。それなのに米政府は、200万ドルの
慰謝料を支払うことで“完全解決”を図り、日本政府が受諾し、
一切の調査を打ち切って隠蔽した。翌年から、すべての魚が無検査で
全国の食卓にのぼった」・・・・・・。
「山下は語る。「こんな巨大な事件が、全体像が明らかにされないまま
現代史に埋没するなんてことは、日本人としての資質が問われる」と。
この映画から、フクシマの「X年後」が見えてきて誰しも愕然となろう」
『●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』』
『●東電原発人災の『X年後』:
厚生省「1.68ミリシーベルト」 vs 研究者「1400ミリシーベルト」』
「厚生労働省は・・・・・・「被曝線量1.68ミリシーベルト」と算定し、
「1事故あたり100ミリシーベルト」という国際基準を大幅に
下回っているという結論、を示していた。・・日大(放射線防護学)
野口邦和准教授は、「1400ミリシーベルト(1.4シーベルト)」という、
桁違いの被曝量の可能性を指摘している!! 厚生省の言う
「1.68ミリシーベルト」に対して、船員が何も除染しなければ
「1400ミリシーベルト」・・・・・・事実、多くの船員が亡くなっていった」
『●「アベノミクス選挙という愚」
『週刊金曜日』(2014年12月05日、1019号)について』
「【金曜日から】の「単行本『放射能を浴びたX年後』・・・
その「ただちに」から「X年後」、我々は黒塗りの理由を知ることに
なるのだろうか。(本田政昭)」」
同じ構図を・・・・・・3.11東京電力原発人災でもやってしまっているのではないか・・・・・・、ということをとても怖れる。過小に見積り、情報が隠され、「ただちには影響はない」とした「X年後」に、取り返しのつかない何かが起こってしまいはしないか? ・・・・・・「事故直後の1巡目の検査では「異常なし」とされた子ども4人が、4月から始まった2巡目の検査で甲状腺がんの疑いと診断・・・・・・1986年のチェルノブイリ原発事故では4~5年後に子どもの甲状腺がんが急増した」。取り返しのつかない「X年後」が経過してしまったのではないでしょうか。親御さんの心情を察するに、たまりません・・・・・・。電力会社も自民党議員も、原発賛成派の誰も責任の取りようがありません。汚れた大地を元に戻して見せてほしい! 子供たちの体を元の健康なものに戻してほしい!
自公投票者や「眠り猫」の皆さんは、アベ様達が川内原発や高浜原発を再稼働させようとしたり、大間原発を稼働させようとしていることをこのまま放置していて大丈夫、とお考えなのでしょうか? 想像を絶します。あまりの愚かさに、腹立たしい。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2014120402000189.html】
【放送芸能】
水爆実験映画「X年後」伊東英朗監督が出版 調査報道の足跡を本に
2014年12月4日 朝刊
一九五四年三月、米国が太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験の真相に迫り、大きな反響を呼んでいるドキュメンタリー映画「放射線を浴びたX年後」。映画を製作した南海放送(松山市)の伊東英朗(ひであき)ディレクター(54)が、十年余りの調査報道の足跡、映画化までの舞台裏を明かした著作(映画と同一タイトル)を出した。「一人でも多くの人に、未解明のビキニ被害へ関心を寄せてほしい」との願いを込めた力作だ。 (安田信博)
「広島、長崎に続く第三の被ばくの真実を闇に葬ってはいけない」-。伊東さんがこんな思いから取材を始めた水爆実験の真相。史実としては、一隻の日本漁船が「死の灰」を浴び、無線長の久保山愛吉さんが亡くなった「第五福竜丸事件」として記録されている。しかし、高知県で他の元漁船員の調査を地道に続ける教師と出会ったのを機に、自らも証言を求めて各地に足を運んだ。
コツコツと集めた彼らの証言を軸に「第五福竜丸」は千隻近い被災船の一隻に過ぎなかったという衝撃的な事実を突き止め、二〇〇四年に「わしも“死の海”におった」のタイトルで全国放送。その後も、被災船の三分の一を高知県籍が占め、乗組員の多くががんなどで早世していること、米国エネルギー省の機密文書から死の灰は日本列島全体を覆っていたことなどを次々と白日の下にさらし、ローカル枠や全国枠で放送。専門家から評価されても、視聴者の反応は期待していたほどではなかったという。
「画面に集中してもらいやすく、観客の息遣いも手に取るように
分かる映画を作りたいとの思いがたぎってきました」
映画化に向けて始動したのと相前後して起きたのが二〇一一年三月十一日の東日本大震災。福島原発事故で被ばくに対する世間の関心が一気に高まり、一地方局の調査報道がにわかに脚光を浴びた。「ただちに健康に影響はない」-。原子力の専門家らがそろって口にする光景を目の当たりにして、「X年後」という語句が生まれ、一二年一月に全国枠で「放射線を浴びたX年後」を放送した。
同一タイトルの映画は同年九月十五日に東京、松山の劇場で公開されたのを皮切りに、全国各地で上映。ギャラクシー賞報道活動部門大賞など数々の賞に輝き、自主上映を希望する声も続々寄せられ、二百を超えた。伊東さんは可能な限り、現地に足を運ぶ。「観客の皆さんに直接被害実態の調査を呼び掛けることも映画化の大きな目的でした」
今回の出版に際しては、放送、上映されなかった取材映像をすべて保存、膨大な時間数の証言を丹念にすべて文字に起こしていたことが功を奏した。「大変労力のいる作業でしたが、その証言が将来大きな意味を持つ可能性もあるので、捨てるという判断はありえなかったのです」
ことし九月十九日、厚生労働省は、これまで「保有していない」としてきた第五福竜丸以外の船の被ばくを裏付ける文書を開示。これを受け、高知県は国に対し科学的な検証を行うよう求める方針を明かした。六十年の歳月を経て、被ばくの実態解明への厚い扉が開かれようとしている。損害賠償を求めて訴訟を起こす動きもあるという。
伊東さんは今後も取材を継続、さらに多くの証言を集めて、「できれば来年秋には映画の続編を公開したい」と明かす。自らの死で「ビキニのX年後」を伝えている数多くの元漁船員。「ビキニの真相を解明することが、福島の明日にも役立つ。第五福竜丸以外は日本人の記憶から消えてしまったビキニ事件から学ぶことは多いのです」
本は講談社から出版。千七百二十八円。
<ビキニ事件のその後> 米の水爆実験による放射性物質に汚染されたマグロの被害が相次ぎ、反核世論が高まるきっかけとなった。マグロの汚染規制値は当初の100カウントから500カウントに緩められ、1954年12月28日にはマグロ放射能検査の打ち切りを閣議決定。55年1月、米が日本に見舞金200万ドル(当時のレートで約7億2000万円)を支払うことで政治決着した。
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【http://www.labornetjp.org/news/2014/1002eiga】
●『続・放射線を浴びたX年後~日本に降り注いだ雨は今』をみて
昭和史に埋もれた史実を発掘~消せない記録「放射能と日本」
『昭和史全記録』(毎日新聞社)の昭和29年のぺージを開くと、「第五福竜丸ビキニ被爆」の見出しと写真が目をひく。同じ年、放射能雨による野菜の汚染や京都で8万カウント、山形で12万カウントの雨が降ったと問題にされ、同11月には写真入りで「水爆大怪獣ゴジラ現る」が……。
この年、日本人がいかに核実験に翻弄されていたかが推察できる。では、あの放射能雨はどうなったか。
一昨年、南海放送の伊東英朗監督がつくった『放射線を浴びたX年後』は、被曝したのは第五福竜丸だけでなく992隻もの漁船が被曝し、多くの漁船員は人知れず次々とがんや心臓マヒで亡くなった…と告発していた。
ビキニから35年後、高知の海岸に放置された漁船に放射能検知器を当てるとガーガーと不気味な音を発するシーンは衝撃的だった。どんなに歳月がたとうと放射能は生きている。これは高知の高校教師・山下正寿とその教え子たちのゼミナールが、地道な聞き取り調査で掘り起こしたものだ。
今年8月には、続編とも言うべき30分TV番組『続・放射線を浴びたX年後~日本に降り注いだ雨は今』が放映された。この作品も伊東・山下のコンビだが、今度は福島の原発事故をきっかけに、60年前の大地に降った雨の行方を追いかけたものだ。ここでは特に沖縄に焦点を当てている。
当時、沖縄は米軍の統治下にあり、マグロの被曝で大騒ぎしていた本土とは違って、同じ汚染海域のマグロを獲っても、米軍が測定して安全を宣言していた。伊東・山下は元漁船員を訪ね歩き、それが米軍による「完全なごまかし」だったと明らかにしていく。
驚くのは、沖縄の古書店にあった『気象要覧』になんと17万カウント(3万7000ベクレル)もの雨が降っていたと記載されていたこと。また、沖縄などの住居を訪ね、床下の土壌を採集して調べる徹底ぶり。埋もれた歴史が顔をのぞかせる。
伊東は「新事実が浮かんできたので、早い時期に映画の続編を公開したい」と言う。待ち遠しい。(『サンデー毎日』2014年10月12日号)
〔追記〕この伊東・山下両氏の追求しているビキニの問題は、遠い過去のことではありません。それはフクシマにつづくいまの日本人の問題であります。わたしはこうした問題意識をふまえ、来る10月4日(土)午後2時からハウズ(TEL03-5804-1656)の「映像をみながらビキニからフクシマを考える」という講座で報告します。みなさんの参加をお待ちしています。大いに語り合いましょう。10.4ハウズ講座
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【http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014122301001939.html】
福島で甲状腺がん増加か 子ども4人、放射線影響か確認
2014年12月24日 02時00分
福島県の全ての子どもを対象に東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べる甲状腺検査で、事故直後の1巡目の検査では「異常なし」とされた子ども4人が、4月から始まった2巡目の検査で甲状腺がんの疑いと診断されたことが23日、関係者への取材で分かった。25日に福島市で開かれる県の検討委員会で報告される。
甲状腺がんと診断が確定すれば、原発事故後にがんの増加が確認された初のケースとなる。調査主体の福島県立医大は確定診断を急ぐとともに、放射線の影響かどうか慎重に見極める。
1986年のチェルノブイリ原発事故では4~5年後に子どもの甲状腺がんが急増した。
(共同)
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NTVの番宣【NNNドキュメント’14/放射線を浴びたX年後 3 棄てられた被ばく者】(http://www.ntv.co.jp/document/)。
「マグロ漁船乗組員がいる。彼らの被ばく実態について・・・・・・高知県の元高校教師山下正寿さん」についての南海放送ドキュメントの第3弾。
水爆実験を「第二幸成丸は何も知らずに漁を続けた・・・・・・」、「捕った魚が貴重なタンパク源」、「スコールが来ると体を洗ったりした・・・・・・まともに体に当たっていますよ、放射能が」・・・・・・。政府は、検査を受けた乗組員の被曝量(ガイガウンター)を(低く見積もり?、あるいは)多くの乗組員にはそのデータ開示をしない。政府は、マグロの放射量調査を取りやめ、責任を問わないことを条件に米政府からの200万ドルで「幕引き」。なんと、水爆実験からわずか八カ月後に、全てのマグロが食卓に上った。
山下さん「知恵と力というものを自分達とか権力者側のために使うのではなく、国民と被災者のために工夫して使ってほしい」。
厚生労働省は、最も高かった船員を(2週間被曝したと仮定し、帰国後のガイガーカウンター数を基に)「被曝線量1.68ミリシーベルト」と算定し、「1事故あたり100ミリシーベルト」という国際基準を大幅に下回っているという結論、を示していた。しかしながら、山下さんは、低く見積もっていると指摘し、「意図してマスコミ対策で被災の状況を低く見せるようにしている」と厚生省の担当者に問うている。日大(放射線防護学)野口邦和准教授は、「1400ミリシーベルト(1.4シーベルト)」という、桁違いの被曝量の可能性を指摘している!! 厚生省の言う「1.68ミリシーベルト」に対して、船員が何も除染しなければ「1400ミリシーベルト」・・・・・・事実、多くの船員が亡くなっていった。
同じ構図が・・・・・・3.11東京電力原発人災でもやってしまっているのではないか・・・・・・。
『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」』
「たとえば「第二幸成丸」の乗組員20人中17人が、「新生丸」では
19人中17人が死亡している。それなのに米政府は、200万ドルの
慰謝料を支払うことで“完全解決”を図り、日本政府が受諾し、
一切の調査を打ち切って隠蔽した。翌年から、すべての魚が無検査で
全国の食卓にのぼった」・・・・・・。
「山下は語る。「こんな巨大な事件が、全体像が明らかにされないまま
現代史に埋没するなんてことは、日本人としての資質が問われる」と。
この映画から、フクシマの「X年後」が見えてきて誰しも愕然となろう」
『●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』』
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【http://www.ntv.co.jp/document/】
放射線を浴びたX年後 3 棄てられた被ばく者
放送時間 : 2014年11月2日(日)24:50~
ナレーター: 鈴木省吾
制作 : 南海放送
再放送 : 2014年11月9日(日) 11:00~ BS日テレ
2014年11月9日(日) 18:30~ CS「日テレNEWS24」
9月19日、厚生労働省である文書が開示された。アメリカが太平洋上で実施した1954年の水爆実験。そこで被ばくしたとされるマグロ漁船乗組員がいる。彼らの被ばく実態について、これまで厚生労働省は「保有していない」としていたものの一転して文書の存在を認めた。開示された文書は全部で約1900ページ。「文書は今回開示した分がすべてだ」とする厚生労働省。しかし、被ばく者の救済活動を続ける高知県の元高校教師山下正寿さんらは「重要な部分が公開されていない可能性がある」と、再請求に踏み切ろうとしている。水爆事件による被ばく事件を10年以上取材してきた南海放送は、乗組員や有識者の証言を元に、開示された文書と事件を改めて検証する。
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NNNドキュメント’14『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』(http://www.ntv.co.jp/document/、2014年8月)。
「周辺海域が汚染されていたにも関わらず被曝した魚が沖縄で一度も水揚げされていないことに、元教諭は疑問を抱く。調査を進めると、沖縄が持つ特殊な実情が見えてきた」。
イカサマな公開放射線測定「ショー」、沖縄市民への米軍による「安全・安心」のフザケた喧伝。沖縄への差別であり、米軍の沖縄への「差別性の極み」。ビキニ環礁での核実験で日本の各地で汚染が報告されている時、沖縄の飲料水(雨水)や水揚げされた魚が「安全・安心」なら、その時、米軍は何を飲み、何を食べていたのだろうか? 実際には、アメリカ本土にまで汚染が広がっていたはずなのに・・・。
『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」』
『●「辺野古の海を守ろう」:
アベ様の「政権が抱える差別性の極み」に屈せずに』
『●辺野古移設推進の仲井真弘多氏や丸腰の市民に
掃海母艦を派遣するようなアベ様を支持してはいけない』
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【http://www.ntv.co.jp/document/、2014年8月】
続・放射線を浴びたX年後
日本に降り注いだ雨は今
30分枠
放送: 8月10日(日) 24:50~
ナレーター: 鈴木省吾
制作: 南海放送
再放送: 8月17日(日)11:00~ BS日テレ
8月17日(日)18:30~ CS「日テレNEWS24」
アメリカが太平洋で核実験を行った1954年。マグロ漁船「第五福竜丸」の被曝が世界に報じられた。だが、被害はそれだけではない。南海放送は一昨年、「放射線を浴びたX年後」を放送。被曝した魚を水揚げした日本の船が延べ1千隻だったこと。さらに、放射性物質が日本列島を汚染していたことを伝えた。全国に降り注いだ放射性物質。特に爆心地に近い沖縄では、当時17万カウントという高い放射線を測定。約30年間にわたり国内の被曝の実態を調査してきた高知県の元高校教諭が今年、その沖縄に入った。周辺海域が汚染されていたにも関わらず被曝した魚が沖縄で一度も水揚げされていないことに、元教諭は疑問を抱く。調査を進めると、沖縄が持つ特殊な実情が見えてきた。
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gendai.netの記事【オスプレイに反対したら訴えられた…ドキュメンタリー映画が話題】(http://gendai.net/articles/view/syakai/144036)とレイバーネット日本(http://www.labornetjp.org/)の『●木下昌明の映画の部屋』からの 【木下昌明の映画の部屋・第166回 ●三上智恵監督『標的の村』】(http://www.labornetjp.org/Column/20130731)。
「国が、国策に反対する住民を訴えるという前代未聞の裁判」があった。国が行うSLAPP(SLAPP、スラップ)である。
『●SLAPPと原発、沖縄』
「国が、国策に反対する住民を訴えるという前代未聞の裁判。
反対意見を封じ込めることを目的に権力のある側が個人を訴えることを
アメリカではSLAPP裁判とよび、多くの州で禁じている。しかし日本に
その概念はなく、被告にされた高江の住民らは3年半に及ぶ裁判の間、
資金も時間も奪われ身体的・精神的な苦痛を強いられた。沖縄の
住民運動が最後の抵抗手段にしてきた「座りこみ」。それを
「通行妨害」に矮小化して住民を裁判にかける手法が成立するなら、
国に都合が悪い沖縄の声はますます封殺されてしまう。」
『●「敗戦特集」『週刊金曜日』(2013年8月9日、955号)についてのつぶやき』
■『週刊金曜日』(2013年8月9日、955号) / 【『金曜日』で逢いましょう
三上智恵さん】、「無断で入ることをためらう若いスタッフには、映画
『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』・・を見せ、
「問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を
犯しても構わない」」・・・
■『週刊金曜日』(2013年8月9日、955号) / 【『金曜日』で逢いましょう
三上智恵さん】、「・・を見せ、「問題自体が法を犯したものであれば、
報道カメラマンは法を犯しても構わない」」という福島さんの言葉で撮影を説得した」
上記の週金の記事から、グリーンピース・ジャパン(GPJ)のクジラ肉事件も思い出した。
『●GPJ「クジラ肉裁判」と検察審査会』
『●『創(2010年11月号)』読了』
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星川淳さん、「[グリーンピース裁判]特別寄稿/「クジラ肉裁判」判決間近/
税金ドロボーはどっちだ!?」(pp.122-127)。「・・・若い検察官
(・・・志布志事件の担当・・・)は「NPOの分際で捜査機関さえ令状がなければ
できないことをやったのは絶対に許せない!」と啖呵を切った。
私は〝正義の番人〟のはずの検察官が民主主義の真逆を口にする
司法教育の崩壊ぶりに驚き呆れ、心の中で徹底抗戦を誓った」。
「・・・青森地裁、仙台高裁、最高裁の全てが証拠開示の必要なしと判断した。
原告側・弁護側が対等に争う条件である証拠の全面開示なしに、
どうして公正・公平な裁判が可能だろう? 国策扱いの調査捕鯨を
国家ぐるみで必死に守ろうとする姿勢は戦前・戦中を思わせる」。
「・・・国際人権(自由権)規約に基づき、おおよそ次のように立論する。
民主社会において一般市民やジャーナリストやNGO職員が公共の利益の
ために政府などの不正を明らかにしようとする際、やむを得ず法律の枠を
踏み越えた場合は、その行為によって得られた公共の利益と、失われた
法益とを秤にかけ、前者の方が大きければ許容(違法性阻却)されるべきだし、
かりに形式上の罪を問うとしても過重な懲罰を与えてはならない。
なぜなら、不均衡で過重な懲罰は市民による政府監視を委縮させるからだ、
と―――。・・・西山事件や立川・葛飾ビラ入れ事件などについても
同様なことがいえる」。
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【http://gendai.net/articles/view/syakai/144036】
オスプレイに反対したら訴えられた…ドキュメンタリー映画が話題
2013年8月15日 掲載
米海兵隊ヘリが沖縄の大学に激突した事故から9年。先週5日には、沖縄本島中部のキャンプ・ハンセンで米空軍ヘリの墜落事故が発生したにもかかわらず、16日には事故機と同型のヘリが追加配備される。そんな中、沖縄基地問題をテーマにした映画「標的の村」が10日に都内で公開され、注目を浴びている。監督は琉球朝日放送・報道制作局の三上智恵氏。95年の開局以来、基地問題を追ってきた三上氏は、オスプレイ反対運動の苦悩をドキュメンタリー映画にした。
本土ではまったく報じられていないが、沖縄では5年前、反対運動を起こした住民が通行妨害で国に訴えられたのである。
「オスプレイの着陸帯建設に抗議して座り込みをした東村・高江の住民が
訴えられたのです。政府は、こんな小さな160人くらいの集落の
座り込みなんて裁判でもやったらすぐに潰せると思っていたんですね。
しかも、世間に知られないうちに。そうでなければ、あんなに残酷なことは
しなかったはずです。私は食いついて映画にまでしましたが、そういうのが
なければ誰にも知られなかったでしょう。国が決めたことに反対する人は
裁判にかけられちゃう国に住んでいるのは、北海道まで全員一緒なんです。
沖縄の人たちだけが、味わう恐怖ではないのです」
その三上氏に今度のヘリ墜落事故についても聞いてみた。
「あの時もHH60の2機が上になったり下になったりしながら複雑な動きを
していたという目撃証言があるんです。敵のレーダーに見つからないために
山の稜線に沿って飛ぶ“低空飛行訓練”をしていたんじゃないか
と思うんですね。アクロバチックな動きをマスターするためにやっている。
危険なのはオスプレイだけではないのです」
これは絶対に他人事ではない。
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【http://www.labornetjp.org/Column/20130731】
木下昌明の映画の部屋・第166回
●三上智恵監督『標的の村』
「オスプレイ」反対運動の真実――本土には伝えられない「沖縄」
三上智恵監督の『標的の村』は臨場感にあふれている。
これは昨年、沖縄の米軍普天間基地に配備されるオスプレイに反対する沖縄県民の激しい闘いの軌跡を追ったドキュメンタリーだ。
作品は三上が一人で取り組んだものではなく、沖縄の琉球朝日放送というローカル局が、三上を中心とした報道スタッフを編成、テレビの枠を超えて映画として仕上げた。 最近、この種のドキュメントが目につく。愛知・東海テレビ放送の『青空どろぼう』、愛媛・南海放送の『放射能を浴びたX年後』など。その地域放送局ならではの豊富な映像資料を使い、過去から引きずっている事件に焦点をあてて、隠された歴史を掘りおこす。
オスプレイ配備反対の闘いは沖縄での10万人集会のニュースを通して、本土でもその一端に触れることができた。だが、岩国基地からオスプレイが飛来してくる前夜、普天間基地の四つのゲートを県民が完全封鎖して、一昼夜、機動隊と繰り広げた攻防戦は、本土に知らされることはなかった。画面はその息詰まる闘いを伝えている。
映画の主な舞台は、沖縄北部、やんばるの森が広がる東村(ひがしそん)・高江(たかえ)。そこに暮らす160人のうち、安次嶺現達(あしみねげんたつ)夫婦と6人の子どもたちが自然と共に過ごす生活にカメラは密着し、彼らはなぜオスプレイに反対するのか、取材している。国は座り込み抗議をした住民らを恫喝的に訴えたが、なんと7歳の娘までも訴えられているのには驚いた。
周辺地区は米軍戦闘訓練場で、高江集落は格好の「標的」なのだ。ベトナム戦争時にはべトナム村が作られ、住民は黒い服のベトナム人に仕立てられた事実を、当時の写真やフィルム、元米兵の証言によって明らかにする。
オスプレイの簡易発着場の工事現場。沖縄防衛局と住民の怒号の中で、三線にのって歌われるのびやかな抵抗の歌のシーンがいい。遠い本土からは見えない沖縄のもう一つの姿がここにある。(『サンデー毎日』 2013年8月4日号)
* 8月10日より東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開。
〔追 記〕オスプレイの基地配備は沖縄だけではすまなくなった。
岩国から横田へと全国的に広がりつつある。もはや基地は、
戦争のためだけでなく、米軍内で増殖した巨大軍事産業の
利権システムを維持拡大するための場所である。日本の基地は、
その利権を生みだす格好の足場となっている。
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レイバーネット日本(http://www.labornetjp.org/)の『●木下昌明の映画の部屋』から(http://www.labornetjp.org/Column/20121211)。東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012082290070613.html)とコラム「筆洗」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012091302000110.html)。最後に、映画『放射線を浴びた『X年後』』のWPから(http://x311.info/message/、http://x311.info/keyword/)。
「こんな巨大な事件が、全体像が明らかにされないまま現代史に
埋没するなんてことは、日本人としての資質が問われる」
こんな事件があったなんて、衝撃的。まったく知らなかった。1年ほど前に「NNNドキュメント」で映画の原本と云えるものが放映されたらしいが、覚えていないということは、見損ねたのか。
第五福竜丸だけではなく、しかも日米両政府の「密約」があったというのが驚き。
「たとえば「第二幸成丸」の乗組員20人中17人が、「新生丸」では
19人中17人が死亡している。それなのに米政府は、200万ドルの
慰謝料を支払うことで“完全解決”を図り、日本政府が受諾し、
一切の調査を打ち切って隠蔽した。翌年から、すべての魚が無検査で
全国の食卓にのぼった」・・・・・・。
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【http://www.labornetjp.org/Column/20121211】
木下昌明の映画の部屋・第153回
●伊東英朗監督『放射線を浴びたX年後』
「第五福竜丸」事件の実態暴く――フクシマ「X年後」の未来は……
「3・11」以降に見た放射能問題を扱った数多くの映画のなかでも、伊東英朗監督の『放射線を浴びたX年後』は刺激的だった。一つの事件を介して、日本人とその社会のあり方を問うていたからだ。
この作品は今年1月「NNNドキュメント」で放映されたテレビ番組を、新たな映像を加えて映画用に編集し直したドキュメンタリーである。1954年、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」がビキニの水爆実験によって被曝した事件を扱っている。この事件が、戦後文化の象微となったゴジラ映画誕生のヒントとなったことはよく知られている。
だが、実は被曝したのは1隻だけでなく992隻に上った。しかも、船員の多くは若くしてがんで人知れず亡くなっていた。たとえば「第二幸成丸」の乗組員20人中17人が、「新生丸」では19人中17人が死亡している。それなのに米政府は、200万ドルの慰謝料を支払うことで“完全解決”を図り、日本政府が受諾し、一切の調査を打ち切って隠蔽した。翌年から、すべての魚が無検査で全国の食卓にのぼった。
この事件を、高校教師の山下正寿とその教え子たちが28年かけて調査、記録していた。そのことを知った南海放送の伊東監督は調査に参加するとともに独自に船員家族の取材を始める。埋もれていた実態が次々と明るみに出てくるこのシーンが見どころだ。
また映画は、米国から入手した機密文書によって、日本全土が放射性降下物「死の灰」に覆われていた実態も図面によって明らかにする。米国は、日本の米軍基地で死の灰を予知し、観測していたのだ。
山下は語る。「こんな巨大な事件が、全体像が明らかにされないまま現代史に埋没するなんてことは、日本人としての資質が問われる」と。
この映画から、フクシマの「X年後」が見えてきて誰しも愕然となろう。
映画は現在、全国で自主上映されているが、東京では今年の目玉の一つとして上映される。フェスタは、映画や音楽を通じて身近な労働や生活を見つめ直す趣旨で毎年開かれている。他に、中川五郎のライブや3分ビデオ大会など。
(木下昌明/『サンデー毎日』 2012年12月23日号)
「レイバーフェスタ」は12月15日午前10時30分~ 新宿区大久保のR’sアートコートで。
問い合わせは、℡ 03-3530-8588
〔付記〕 再録にあたって、若干の加筆をした。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012082290070613.html】
ビキニ水爆実験 調査続ける元教諭 死の灰1000隻に 恐怖今も
2012年8月22日 07時06分
一九五四年の米軍のビキニ水爆実験では、第五福竜丸だけではなく、約一千隻ものマグロ漁船が死の灰を浴びた。高知県宿毛(すくも)市の元高校教諭山下正寿さん(67)は三十年近く調査を続け、船員たちが長く健康被害に苦しみ、がんなどで亡くなった実態を明らかにした。「核の恐怖は三十年後、四十年後でないと分からない」。福島という核の体験を重ねたこの国で命の重みを問い続ける。 (森本智之)
二十一日の東京・築地市場の正門近く。被ばくマグロが大量廃棄されたことを伝える金属板に、足を止める観光客はいない。「寂しいですね」と山下さんがつぶやいた。
終戦四十年に当たる八五年夏。社会科教諭だった山下さんは高校生らと地元の原爆被爆者への聞き取りをした。年老いた女性から「長崎で被爆した息子はビキニでも被ばくし、最後は自殺しました」と聞いた。
爆心地から一・八キロの長崎市の自宅で被爆。宿毛に移り住み、母子家庭を支えるためマグロ漁船に乗り始めたという。戦後復興のため「沖合へ遠洋へ」と国が旗を振った時代。貧しい港町でほとんど唯一の高収入を得る手段だった。航海を重ねるうち、のどの痛みなどを訴えるようになり、入院先の神奈川県で海へ身を投げた。二十七歳だった。
「第五福竜丸の他に死の灰を浴びた人がいた。それも身近に」。当時の新聞記事や公文書を調べると、計六回の水爆実験の際、付近で操業していたマグロ漁船は帰国後、被ばく検査を受けた。マグロの廃棄を求められたのは九百九十二隻。三分の一に迫る約二百七十隻は高知県船籍だった。日米両政府は二百万ドル(当時のレートで七億二千万円)の慰謝料で決着。その後、船員の健康調査は行われていない。
山下さんたちは突き動かされるように、県内の漁村を訪ね歩く。偏見や風評被害を恐れ沈黙していた船員たちも口を開き始めた。航海中、汚染された雨水を飲み、被ばくマグロを食べていた。「きのこ雲を見た」「白い粉が降ってきて口に含んだ仲間が、血を吐いて死んだ」という証言をいくつも得た。
身元が判明した百八十七人中、四十人は死亡していた。大半は六十代前後。うち十三人ががんだった。「マグロ漁師は早死にする」とうわさされる地域もあった。
元船員らの団体をつくるなどして補償を国や県に求めた。「因果関係が不明」と相手にされない中、元船員らは相次いで亡くなった。今も調査は続ける。
東京電力福島第一原発の事故後も「放射能の直接的な影響で亡くなった人はいない」という論で再稼働を求める動きがあることに、市民の被害を過小評価する姿勢は変わっていないと危惧する。
今夏、自身の前立腺がんが分かった。この日、東京を訪れたのも治療のためだ。「核実験でがん患者の数が増えていると警鐘を鳴らしてきた。その私ががんにかかるとは『もっと頑張れ』と誰かに言われているような気がする」
<ビキニ水爆実験> 1954年3~5月、米国が南太平洋ビキニ環礁などで計6回行った。放射性物質を含む死の灰が広範囲に降り、近くで操業していた静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の無線長久保山愛吉さんは急性放射線障害で死亡した。この年を含め、米国は周辺海域で原水爆実験を繰り返しており46~58年に計67回行った。
(東京新聞)
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012091302000110.html】
【コラム】
筆洗
2012年9月13日
米国は一九五四年、太平洋のビキニ環礁などで、六回もの水爆実験を繰り返した。無線長だった久保山愛吉さんが亡くなった「第五福竜丸」以外にも、多くの日本の漁船が「死の灰」を浴びたことはほとんど知られていない▼同じ海域で数多くのマグロ漁船が操業していた。二百七十隻は高知県の船だった。闇に葬られそうだった事実を発掘しようと、高校の教員だった山下正寿さんは三十年かけて、生徒とともに漁村を訪ね歩き、聞き取りを続けた▼調査の過程で二百人以上の元船員の消息が分かった。健在なら五十代から六十代のこの時期に、三分の一の人はすでにがんなどで亡くなっていたという▼山下さんの調査の足跡を丹念にたどり、生存している元船員や遺族への取材を重ねた南海放送(松山市)のドキュメンタリーが映画になった。「放射線を浴びた『X年後』」。十五日から東京都内で上映が始まる▼なぜ、被曝(ひばく)の記憶が消えたのか。船員には米国からの補償金は届いたのか。歴史の底に沈む闇を照らそうとするジャーナリズムの熱意が伝わる。山下さんの執念が、地方のテレビ局に乗り移ったかのようだ▼南海放送が独自に入手した米国の原子力委員会の機密文書からは、日本全土が核実験の死の灰で覆われていた実態も明らかになる。福島第一原発の事故を経験した今、映像は重い問い掛けを発している。
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【http://x311.info/message/】
プロデューサー 大西康司
はじめに、何故「もうひとつの第五福龍丸事件」を愛媛の放送局が?という疑問を持つ方が多いと思います。今から8年前、私にとっても1954年に起きたいわゆる'第五福龍丸事件'は遠く、歴史上の、そして教科書上の出来事に過ぎませんでした。しかし伊東英朗ディレクター(監督)が掴んできた「ビキニで被災した元マグロ漁船乗組員が、愛媛にもいるらしい」という思わぬ情報は「不思議な感覚」を私に呼び起こしました。それは歴史が'今'に生きている「不思議さ」であり、広島・長崎・第五福龍丸だけと思っていたこの国の被ばく者が、自分の近くに共存している「驚き」でした。
2004年から始めた取材。伊東ディレクター(監督)との約束事は一つ。それは、被取材者と近い位置にいるローカル局制作者として「一人の人間の'痛み'を忠実に丁寧に描くこと」によって、「個人と国家」の関係が問われるこの事件の実態・本質に迫っていこう、ということでした。そう、「一人の人間に寄り添うことから本質へと迫る」…これはローカル局の'限界'ではなくローカル局だからできる'可能性'なのです。手探りの中、ひたすら、ひたすら現地を訪ね、一人一人の証言を積み重ねていく取材…「小さな井戸を掘り続け、それを'普遍'につなげていく」…8年の取材を重ねる中、社の理解を得てローカルで粘り強く放送を続けることができたこと、そして何より日本テレビ系「NNNドキュメント」で2回に渡り全国放送できたことが、この'小さな井戸'を掘り進んでいく大きな勇気となりました。
そんな取材の集大成として突き進んだ映画化。
この映画が発掘した事実を'一人'でも多くの方に知って欲しい。
この映画を見て頂いた'一人'が、その立場や考え方を超えて噛みしめて欲しい。
この映画を'一人''一人'にしっかりと届けたい。
…'一人'の人間にこだわる私達の願いです。
最後に、南海放送というローカル局が'テレビ'というメディアを超え'映画'に挑戦する試みが可能になった背景には、日頃「メディアとメディアの新しい組み合わせ」を積極的に推進してきた南海放送トップの後押し、様々な現場の仲間による社を挙げての協力・応援がありました。そして勿論、'映画'という未知の航海への'灯台'となって頂いた 日本テレビ系「NNNドキュメント」関係者の皆様のご指導、御協力があったればこそです。改めて深く感謝致します。
大西 康司【プロフィール】
昭和57年南海放送入社。以来、様々な番組を制作、プロデュースを行う。報道情報本部制作部長などを経て、現在 執行役員テレビ局長。
監督 伊東英朗
『高校生で訪れた広島』
原爆で焼かれた一人ひとりの壮絶な死を知り、その苦しみに自らを重ね合わせた時、深い絶望と強い怒りを覚えた。10代だった僕はその思いを「忘れること」は、加害と同じだと考えた。以来、折にふれ広島を訪れるようになった。そしていつからか「忘れない」ではなく「何かできることをしたい」と思うようになった。
『8年前』
インターネットで番組リサーチをしていた時。元高校教師 山下さんの活動を伝える記事が目に飛び込んできた。『…第五福竜丸以外の多くの被ばく船を調査…』「第五福竜丸以外の船?そんな話聞いたこともない。僕だけが知らないことなのか。」まるで狐につままれたような感覚だった。
『確かめたい』
番組制作を共にやってきたプロデューサーの大西と、4時間をかけ高知県の山下さんを訪ねた。山下さんは静かに語り始めた。「多くのマグロ漁船、貨物船が被ばくし、汚染された魚が水揚げされ食卓に運ばれた。いつしか事件は第五福竜丸事件として記憶された」と言う。それまで当たり前のように使ってきた「広島、長崎、唯一の被ばく国」というフレーズは正確ではなかった。「なぜ事件が記憶から消え去ったのか」僕は、その理由をこの手で解き明かしたいと思った。
その日からこの事件の取材が始まった。抱えている番組制作の隙間を見つけては現場に通った。費用を節約するため山下さんの自宅を宿舎兼取材拠点とさせてもらった。カメラマンと2人、愛媛西部から高知東部まで300キロを何十回となく往復。被ばく者を訪ね歩く日々。時に怒鳴られ凄まれ、飯が喉を通らないこともあれば「よう来てくれたなあ、ありがとう。お父さんが生きとったらあんたら大歓迎するに。腹減っちゅうがやろ」とカレーをおご馳走になることも。取材で疲れた体で車を運転し会社まで4時間をかけ戻る。その繰り返し。その年2004年には、日本テレビ系列(NNNドキュメント)で全国の人にその事実を伝えることができた。以降、新事実が見つかるたびにローカルでの放送を繰り返した。しかし、番組が事件解明へつながることはなかった。
『乗組員の証言も積み重ねた』
日米両政府の公的文書、調査記録も検証した。
しかし乗組員が被ばくしたことを裏付けることができないままだった。ところが2009年、米エネルギー省の機密文書を発見。放射性降下物が漁場を中心に拡大、日本全土までもが放射性降下物で覆われていたことが分かった。
『2011年3月11日』
その日を境に人々の関心は放射能に集まった。「直ちに健康に影響はない」という言葉に疑心し、目に見えない放射線に怯え、風評被害が起こった。
「ついにあの時がやってきた」
テレビの前で呆然と立ち尽くす自分の姿がありった。
『人々に向けられる線量計』
風で舞い上がり、雨で落下する放射性物質。セシウム、ストロンチウム、ホットスポット、シーベルト…専門用語が飛び交い、新聞紙上に、牛乳やお茶、魚、水などから放射線が検出されたと記事が踊る。風評被害が起こり、わずかの期間で政府は、終息宣言をした。
僕が、港を歩き老人や未亡人から聞いた半世紀前の話が、目の前で起こっていることと重なる。心の中で叫んでいた。
「半世紀前に身の回りで同じことが起こっていたんだ。
皆知らないのか。
同じ轍を踏んではいけない。」
過去の被ばく事件を未清算のまま放置してはいけない。この事件を解明しなければ、今後起こりうる被害を防ぐことができない。
2012年1月、日本テレビ系列(NNNドキュメント)で1時間番組として8年ぶり2回目となる放送を行った。全国から大きな反響を得、多くの若い世代が見てくれたことが分かった。
『今度は映画化』
映画館での上映はもちろん、その後の小さな自主上映が調査などにつながって欲しい。それが僕の強くささやかな願いだ。事件はほぼ未解明なままだ。全国津々浦々にかつてマグロ船に乗った人がいる。生存していれば70歳台から80歳台。核実験は、太平洋だけとっても1954年から1962年まで続けられた。被害者の数は計り知れない。解明の第一歩となる被害の実態を調査し、救済の道筋をつけなければならない。小さな行動が積み重なれば光が見えてくると信じている。
日本テレビ日笠プロデューサーには番組製作から映画化まで親身になってアドバイス頂いた。また、当時のマグロ漁をとらえた「荒海に生きる」、そして高校生たちの取り組みを記録した「ビキニの海は忘れない」などの映像によって、よりリアリティをもってビキニ事件の実相に迫ることができた。
今、被ばく者たちは自らの死をもって被ばく事件のX年後を伝えている。僕らはそれを重く受け止め、事件を伝え続けなけれならない。
人々が事件を知ることが、被ばく事件解明の一歩につながると信じている。
伊東 英朗【プロフィール】
1960年愛媛県生まれ。16年間公立幼稚園で先生を経験後、テレビの世界に入る。東京で番組制作を経験した後、2002年から地元ローカル放送局 南海放送で情報番組などの制作の傍ら、地域に根ざしたテーマでドキュメント制作を始める。2004年ビキニ事件に出会い、以来、8年に渡り取材を続ける。
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ビキニ水爆実験
米国が1954年3月1日から5月まで、中部太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で行った実験。キャッスル作戦と名付けられた実験は6回(うち1 回はエニウェトク環礁)。3月1日に爆発させた「ブラボー」は広島に落とされた原爆の1千倍以上の破壊力があるとされ、近海で操業中の第五福龍丸(乗組員23人)が被ばく。同年9月、無線長の久保山愛吉さんが死亡した。
ビキニ被災事件の補償問題に関する日本側書簡返信
日本政府は、1954年12月、被ばくした魚は、人体に影響を及ぼすものではないとして、放射線の検査をすべて打ち切った。そして翌日からは、すべての魚が水揚げされた。その直後、日本政府とアメリカ政府は、公文書を取り交わしている。アメリカ政府が「完全な解決」を条件に、慰謝料として200万ドル(当時、日本円にして7億2千万円)を支払うという文書。日本政府は、その条件を受け入れ、事件は完全な解決とされた。慰謝料は、4分の3が、魚の廃棄や魚価が下がったことによる損害に、残りは、第五福龍丸乗組員の治療費などにあてることが閣議決定されている。
アメリカ原子力委員会の機密文書
南海放送は2009年、アメリカエネルギー省から、水爆実験を所管した米原子力委員会の機密文書を入手。これは、米国気象局のロバート・J・リストが、1955年5月(実験のおよそ1年後)にまとめたNYO-4645と呼ばれるもので、非公開資料として長年機密扱いされてきた、しかし、1984年8月に一部の数値や文章を削除した状態で公開したものである。「キャッスル作戦からの世界的規模の放射性降下物」と題された機密文書には、世界規模の放射性降下物の広がりが記録されている。各水爆実験の広がりの他、1日毎の広がりが記録されている。この機密文書から、多くのマグロ漁船が放射性降下物に覆われた場所で操業していたこと、日本全土が放射性降下物で覆われていたことが裏付けられることになった。また、この文書から、実験の1年前に、すでに122ヶ所のモニタリングポストが設けられていることが分かった。日本では、三沢や東京など5ヶ所。さらに広島や長崎ではABCCが利用され測定が行われていた。
山下正寿(やましたまさとし)と幡多ゼミ(はたぜみ)
元高校教師の山下正寿氏らが顧問を務める高校生ゼミナール(1983年設立)。高知県幡多地区の高校生が主体となり「足もとから平和と青春を見つめよう」をモットーに、地域の現代史調査活動をしている。1985年から地域のビキニ事件を調査。その姿は「ビキニの海は忘れない」(1990年)で描かれた。
教師になって高知に帰ってきた山下さんは、仲間の教師や教え子たちと共に、被災者の聞き取り調査を始め、高知県の沿岸部を3年に渡り調査した結果、消息が分かった乗組員は241人。生存していれば50代から60代のこの時期に、既に3分の1が死亡していた。被ばくした魚を水揚げした船は、東北から九州まで全国に渡っていた。その内、3分の1が山下さんの地元、高知船籍の船だった。山下先生は現在も、被災した乗組員たちに、被爆者健康手帳が交付されるように働きかけている。
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