ラモンは、死ぬことを渇望していた。
26年前に、海に飛び込んだ際首の骨を折り、以後、首から下は不随となってしまった。
彼の家族 ―― 兄、義姉、甥、父、みんながラモンを心から愛している。
特に義姉のマヌエラは、自分の息子のようにラモンを世話していた。
ラモンは、この辛い状態のままでいるのはもう耐えられないと言う。
まわりの愛情に背いても、自分の意志をどうしても曲げることはできない。
どうしても死にたい。
愛しているのなら、死なせてほしい、と。
避けたくても避けられない、誰にも訪れる死。
死も人生の一部である。
尊厳死というものが、普通に認められるのかどうか意見はさまざまだが、「認める」などとたやすく口にはできまい。
しかしながら、それを心から望み続ける人もいる。
「人生は苦行の連続である」と云われるが、人はこの世に生を受けた瞬間から、苦しい修行が始まると聞く。
いかなる困難や苦境に立たされても、この修行をまっとうしなければいけないのだ、と。
この映画は実話だそうだ。
これは実際に観て、各々が感じてほしい作品である。
ラモンは大好きな海を目指す。
人は風になるのだ。
あの歌のように風になって、やがて好きな場所へ向かうことができるのだろう。
26年前に、海に飛び込んだ際首の骨を折り、以後、首から下は不随となってしまった。
彼の家族 ―― 兄、義姉、甥、父、みんながラモンを心から愛している。
特に義姉のマヌエラは、自分の息子のようにラモンを世話していた。
ラモンは、この辛い状態のままでいるのはもう耐えられないと言う。
まわりの愛情に背いても、自分の意志をどうしても曲げることはできない。
どうしても死にたい。
愛しているのなら、死なせてほしい、と。
避けたくても避けられない、誰にも訪れる死。
死も人生の一部である。
尊厳死というものが、普通に認められるのかどうか意見はさまざまだが、「認める」などとたやすく口にはできまい。
しかしながら、それを心から望み続ける人もいる。
「人生は苦行の連続である」と云われるが、人はこの世に生を受けた瞬間から、苦しい修行が始まると聞く。
いかなる困難や苦境に立たされても、この修行をまっとうしなければいけないのだ、と。
この映画は実話だそうだ。
これは実際に観て、各々が感じてほしい作品である。
ラモンは大好きな海を目指す。
人は風になるのだ。
あの歌のように風になって、やがて好きな場所へ向かうことができるのだろう。
コメントいただき、ありがとうございます。
スペイン映画も、奥深い作品が多いなと、改めて思います。
『おくりびと』で、生と死について随分と考えさせられる機会が増えたようですが、やはりこれは大事なことであると思います。
abricotさんが仰って居られる尊厳死の対処も本当に難しい課題ですね。
生と死について、真剣に考えさせる作品でした。
TBさせていただきました。