勝部真長 訳編「夢酔独言 - 勝小吉自伝 -」角川書店 (文庫 1974/1).
「おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまりあるめえとおもふ.だから,孫やひこのために、はなしてきかせるが、よくよく「不法者」「馬鹿者」の戒めにするがいゝぜ」という出だし.ただしこれは口語訳.原文は東洋文庫にあるらしい.
読むものがないので書棚から引っ張り出した.奥付は50年くらい前.当時なぜこれを読んだのだろう.
どうやら同じ口語訳がそのまま 2015 年に講談社学術文庫入りしたらしい.講談社版の惹句を転載すると*****
勝海舟 (1823-1899) の父、勝小吉 (1802-1850) の自伝。江戸有数の剣客にして、放蕩の不良旗本。浅草・吉原の顔役、刀剣ブローカーでもあった。身持ちの悪さに父親により三年余り座敷牢に入れられ、その間に生まれたのが麟太郎(海舟)。四二歳、天保の改革のときに不行跡から隠居謹慎となり、夢酔と称し、自己の来し方を子孫への戒めとして著したのが本書。幕末頽唐期の江戸裏社会を知る夢酔老の面目躍如たる、率直端的な独特の文体が、妖気を放ち心に迫る。*****
巻末に訳編者・勝部真長(かつべ みたけ) による「夢酔と海舟 - 父と子 -」と題する文章があって,少々脱線が多いきらいはあるが,これを読めば本文は読まなくてもいいくらいの出来.Wikipedia によれば勝部は和辻哲郎に師事した哲学者で,お茶大教授であった.日本を守る国民会議(現:日本会議)代表委員を務めたとあるが,要出典ともある.
子母沢寛の小吉と海舟をモデルとした小説「父子鷹」1956 は新聞に連載された,高校時代 ? に読んだ覚えがある.勝部は,子母沢の小吉像はかっこいいが,どこか江戸っ子の軽薄さがつきまとうと言う.夢酔独言の「おれ」はつねに苦渋を含んで,訳のわからないモヤモヤを抱えて悩んでいるとも良う.そこが,坂口安吾「安吾史譚」に評価されたポイントだろう.
小吉 40 台前半の著だが,著者が死んだとき海舟はまだ 27 歳だった.本人はもちろん,海舟の生前にも刊行されなかったという.
「おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまりあるめえとおもふ.だから,孫やひこのために、はなしてきかせるが、よくよく「不法者」「馬鹿者」の戒めにするがいゝぜ」という出だし.ただしこれは口語訳.原文は東洋文庫にあるらしい.
読むものがないので書棚から引っ張り出した.奥付は50年くらい前.当時なぜこれを読んだのだろう.
どうやら同じ口語訳がそのまま 2015 年に講談社学術文庫入りしたらしい.講談社版の惹句を転載すると*****
勝海舟 (1823-1899) の父、勝小吉 (1802-1850) の自伝。江戸有数の剣客にして、放蕩の不良旗本。浅草・吉原の顔役、刀剣ブローカーでもあった。身持ちの悪さに父親により三年余り座敷牢に入れられ、その間に生まれたのが麟太郎(海舟)。四二歳、天保の改革のときに不行跡から隠居謹慎となり、夢酔と称し、自己の来し方を子孫への戒めとして著したのが本書。幕末頽唐期の江戸裏社会を知る夢酔老の面目躍如たる、率直端的な独特の文体が、妖気を放ち心に迫る。*****
巻末に訳編者・勝部真長(かつべ みたけ) による「夢酔と海舟 - 父と子 -」と題する文章があって,少々脱線が多いきらいはあるが,これを読めば本文は読まなくてもいいくらいの出来.Wikipedia によれば勝部は和辻哲郎に師事した哲学者で,お茶大教授であった.日本を守る国民会議(現:日本会議)代表委員を務めたとあるが,要出典ともある.
子母沢寛の小吉と海舟をモデルとした小説「父子鷹」1956 は新聞に連載された,高校時代 ? に読んだ覚えがある.勝部は,子母沢の小吉像はかっこいいが,どこか江戸っ子の軽薄さがつきまとうと言う.夢酔独言の「おれ」はつねに苦渋を含んで,訳のわからないモヤモヤを抱えて悩んでいるとも良う.そこが,坂口安吾「安吾史譚」に評価されたポイントだろう.
小吉 40 台前半の著だが,著者が死んだとき海舟はまだ 27 歳だった.本人はもちろん,海舟の生前にも刊行されなかったという.