板倉聖宣「かわりだねの科学者たち」に,「藤森良蔵と考え方研究社」という章があった.紀伊国屋書店 Web Store の紹介によれば
*****藤森良蔵は受験数学の神様。「考え方研究社」を創設して,日本の受験産業の創始者でもあった。受験生のための「正義の味方」としての,その「坊ちゃん」的奮闘ぶりを描きだす。*****
板倉さんは,「昔から受験生たちは受験勉強に苦しめられてきたとだけは言えない,多くの学生は受験勉強を通してはじめて学ぶことのおもしろさを知った」とし,横森は「普通の科学者や教師よりもずっと,日本の科学や教育に大きな貢献をした」と続けている.
横森 (1882-1946) は東京物理学校数学撰科に入学するのだが,これは数学が苦手だったためという.東京物理学校 (東京理科大の前身) は,入るに易く出るに難いことで有名だったというが,ここをストレートで卒業する.その後教師の職を得ては上層部と衝突することを繰り返す.保科百助の私塾で教えたりする.「日土大学」という,カルチュアセンター的なことも試みている.
冒頭の写真は,ヤフオクに出ていた彼の著書「三角法 学び方 考え方と解き方」の一部だが,このような何冊かの受験参考書は戦前のベストセラーであったという.「かん詰め」と「びん詰め」という言葉が横森の発明で,長い式の中で a+b にカッコをつけて (a+b) とするのはびん詰めであり,c=a+b とおくのがかん詰めである.かん詰めはコンパクトだが,びん詰めは中身が見える...
この章は16トンに旺文社,チャート式,大學への数学,中田義元,佐藤忠...といったコトゃヒトを思い出させた.16トンも浪人して予備校にかよった口だが,そこでの講師...お名前は残念ながら失念した,のこんな言葉を記憶している.
*****君たちはツルカメ算が方程式を使えばあっさり解けることを知っているだろう.受験数学というのはツルカメ算みたいなもの.手法が限られた中でマニアックな問題を解いたところで,それだけのことである.それはどの学科にも言えることだと思う.今度受験に失敗したら,第2第3の志望校に入るなり,社会に出るなりすることを勧める.*****