vai vai vai 2

登るのが好きな43歳。
愛犬2頭との遊び記事や自転車、山登りなど、
日々のことを綴ります。

2011 JAPANCUP チャレンジレース参戦レポート

2011-10-25 10:03:08 | 自転車
午前3:00起床、
4:00出発。
高速代節約のため、関沢から。

7:30 宇都宮森林公園着。
道中、野菜ジュース・甘いパン・チーズたっぷりパン、
は~ちみつレモン摂取。
体内の保水に気を遣う。

10:00 定刻どおりチャレンジレース・第一組スタート。

10:03 僕の第2組、スタート。

スタート後はいつもどおり集団ハイスピードで
古賀志へ。

古賀志の登り口、先頭グループはもうとっくに
はるか先を走っている。
それにしてもペースが速い。
リア26に早く落としたいが、落とせば置いていかれるので
しばらくガマン。
周りのペースがやっと落ち着き、自分のペースで登れるように。
早くも売り切れかけてる(笑

路面は・・というよりしっかり雨降りなので、
ウェットどころか水が浮いている。
リアがたまに空転する。
下りは厳重注意だ。

ひぃひぃ言いながら古賀志山頂へ到着すると、
DNSの兄が山頂まで登って来ていてくれた!
応援嬉しかった~。

古賀志が終わり、
一気に下る。
みな安全ラインを行くが、
僕は登りが遅いぶん、下りでかせがなくてはいけない。

急な下りが終わってからも、
県道までは下り基調。
ここで良いペースの人を見つけておくと、
県道で飛ばしつつも回せるので、
抜かずにペースを合わせる。

そして県道で一緒に・・・の予定が、
後ろからズバッと行かれて置き去りに(笑
少し追いかけるが開く一方だった。

結局、一周目の県道~田野~萩~公民館~射撃場まで一人旅。

後ろからもだれも来ず、ガマンの走りが続きエライきつかった。

県道で抜いた選手がやっと追いついてきてくれて、
鶴カントリー手前のグネグネ道は少し楽に走れた。

そうやって走っているうちに、
さきほどぶち抜かれた選手のいるグループにも
鶴手前で追いついた。
ロードレースの不思議。

鶴を終え、ゴールラインへ向け高速で下り中、
参加者ではない人も一緒に高速で下っていて、
どう動くか分からないのでブレーキを握るはめに。
何か気持ちがザワつく感じ。

スタート・ゴールラインを越えて、
さぁ・古賀志へ!

さっき山頂に居た兄キが、
今度は赤川湖畔キャンプ場に。笑
次はきっとゴールに向かってくれるだろう。

そしていよいよ最後の古賀志!

ここで気持ち的に負けた走りをすると、
今後一年後悔し続けることになるので、
古賀志の山頂がゴールのつもりで踏む。
もうたいしてスピードアップしないけど気持ちの問題。

残り500mのつづらからが一番キツイのだけど、
応援してくれる人たちもそこが一番多い。
みんな真剣に声援を送ってくれる。
あれってほんとに力になるのですよ。
立ち上がれないタイミングでも立てますから。

残り100m。
もうすぐ山頂というところで一応もがいた。
たぶん悲鳴あげながら(笑)
そしたら僕に付いていた人がいたらしく、
後ろから「あぁ~っ・・」って聞こえた。笑

さ!古賀志は終わった!

古賀志の後の下りそして県道に向けて
良いペースで走ることが出来た。
この辺りで大体顔ぶれが決まった感じ。
そしてなんとな~くローテーションのような感じになり、
もちろん僕も出来るだけ前に出て走った。

萩の道のアップダウンでそのメンバーがかなりバラけて、
最終周回コースに入る頃には僕を含めて4人に。

一人強い人が居て、
15mほど先に行ってしまった。
僕ともう一人で追うけど、縮まらない。
でも絶対縮まるハズだと信じて追う。

差は5m。
ゴールまではあと400mぐらいだったか。

その選手はまだ足が残っているようで、
引き離され気味になるが、ここでやめたら絶対後悔する。
後ろに人の気配はするけど、少し離したか。

残り250m。
ゴールに向けて左に曲がる。
最後、スプリントで勝負!と、
ホームストレートに入ったとき。

・・と、レースだったのはここまで。

以下、
この後起こったことを箇条書きにします。


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・チャレンジレース終了後にスタートするオープンレースの選手の一団が、
 スタート位置取りのためにコース内になだれ込んできていた。

・我々はラストスパート態勢に入っており、
 オープン出場選手の一団に突っ込んでいく形になった。

・僕を含む一緒に走っていた選手たちが大声を上げて危険を知らせるが、
 全く尊重されず。

・すでに急ブレーキをし、徐行態勢にあった僕にオープン選手が幅寄せをしてきた。

・左側から寄せられ接触、落車。

・すぐに立ち上がり、乗車しゴールへ向かう。

・危険を知らせる大声、そして怒りから来る大声を上げたことで
 やっと停車した後方のオープン選手たち。

・30mほど自転車に乗ってゴールへ向かうが、ゴール前はすでに
 スタート場所取り終了したオープン選手たちで埋まっていた。

・再び自転車を降り、自転車を頭の上に持ち上げる形でその一団に入っていった。

・「お願いだからゴールさせてよ頼むよ」と声を掛けやっと通してもらえる状態。

・右後ろにもう一人同じようにしているチャレンジの選手が居たと思う。

・自転車を持ち上げた状態のままゴールライン通過。

以上。

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こんな状態でのゴールでしたが、
ゴールラインを通過したことでリザルトに完走扱いとして記録が残りました。
一部始終を見ていた人の話しによると、どんな形を取ってでもゴールラインを通過したのは
僕を含めて4~5人で、後続の選手はエスケープせざるを得なかったようです。
(その方たちはDNFです。)

こうなった原因と発端もわかったので
今後のためにレース責任者に報告しました。

もちろん今回のことはレース責任者にもしっかりと把握されており、
今後のために要改善事項としてしっかり対処するつもりだそうです。

かなり悩みましたが連絡してよかったと思っています。

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こんな感じで最後不完全燃焼となった今年のジャパンカップ・チャレンジレース。

けど、あと30秒速く走れていればコース内がクリアな状態でゴールラインを
通過することが出来たわけですよ。

去年はもうちょっと速く走れていたわけですし、
来年に向けて課題が出来たなぁなんて思っています。

落車して右けつっぺたと両膝の擦過傷、
あちこちの打撲が痛みますが、この痛みと悔しさを忘れたくないですね。

今年はvai vai vai!っぷりが足りなかった。
ちくしょー、なのだ。