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NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02007年010月009日(火)タガが馬鹿になってる・・・

2007-10-09 | 休み
キッズステーションをちらと見たら、『キョロちゃん』が
やっていて、何だかわかんないうちに嗚咽が出てて自分でも引く。

探してみたら、ニコ動にある…なんでもあるのね、ここは。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1176074

キョロちゃんみたいに無為になれたら…
リアルタイムでも見てたけれど、今見ると来るっ。
大地監督はすんごいな。数年前見たOVAでも
さらっと聾唖の主人公を出したりしてるし。

ちがった本郷監督だ…でも本郷監督の『クレしん』とかも
良いよなぁ。原監督も。

02007年010月009日(火)論座とガンダム

2007-10-09 | 休み
お金が無いのに、今月の予算を割り込みそうなのに
どうかしているので思いつきでモノを買ってしまう僕は
大変に馬鹿なのですが、新聞に載っていた広告が薄っすらと
残っていたためか、柄にも無く『論座』なんか手に取ってる。

「連帯」の二文字にどうにも引かれて、理論社会学的な
モノが繰り広げられるのかと期待して買ったら
どうも違ってがっかりだったけれど、内容的には
面白く読めて、働くって大変だなとか思ってしまった。

だけれどこれらはどうでも良いのです。何で『論座』なんか
買ったのか、読み出して分かる。理解できた。井上陽水だ。
井上陽水のインタビューだ。無意識にこれが読みたかったんだ。
「軽やか」とはこの人を形容するためにあるのかも知れない。


硬くて、ガチガチに、大変まじめにインタビューの下準備を
してきたであろうインタビュアーの記者さんが井上陽水の
手のひらの上でころころされてる雰囲気が伝わってくる大変
捉えどころの無い、でもどこか心地の良いインタビューだ。

井上陽水から何か示唆的で、政治的な言質を導きだそうとする
記者の本意を見抜いて?けれどもそこに悪意は無くて軽やかで
そういう意図をふらっとよけてしまうような空気感が柔らかだ。
ロッキンオンに井上陽水のインタビューなんてあったっけ。

それでもって、どんなに否定をしようが、慎ましく臨もうとも
井上陽水が見る社会は人より少し斜めに、もしくは違って見える
らしく、非常に強烈なカウンターがある。記者がどうにかしなくとも
きっと出ちゃうんでしょう、この人の感覚は。


インタビュー全体を包む黄昏た感じが読んでて心地よくて
血気盛んな記者がやり込められる、煙に巻かれてる様子が
面白い上に、流れるように井上陽水が話題を展開してゆく
過程がとっても楽しい読み物にもなっててよかです、これ。
自分や社会に対する恐怖感の考えも非常に共感で。


02007年010月008日(月)後ろ向きに妄想で迷惑かける

2007-10-08 | 休み
ちょっとしたこと、多分その人的には大きな悩み事で
けど生きるか死ぬかみたいな大きな問題ではなかった
のだけれど、勝手に頭の中で誇大変換してしまって
ヘンテコなことをメールする。そうして迷惑かける。


そのあとの向こうのフォローに申し訳なくなる。
すんごいありがたく思う。


02007年010月007日(日)後輩根性と雑談

2007-10-07 | 休み
バイト先の先輩陣が揃いも揃って皆が皆僕よりも微妙に年下
だので何だか今一言葉遣いを上手いこと使うことが出来ない。
いや、今に始まったことじゃないし、友達だろうが何だろうが
誰彼かまわず、敬語で話しかけてしまう。でもしっくりくる。

そのせいなのか、何なのかしらないが、どうも僕の性根的に
後輩魂と云うべきか、後輩根性が染み付いていて、いやそもそも
生まれ持ってのものなのか、何か下からと云うか大上段から
上から目線みたいなものは無いように思う。てか苦手だ。

そしたら最近新しいバイトの人が入ってきた。ということで
今度は自動的に、逃れがたく、正真正銘に先輩になるわけで
指導とかしたりしなくてはいかんようで、如何せん中高大と
先輩経験が皆無なので、どこか地に足の着いていない感覚が。


とか思ってたら、家のポストにはこの前受けた会社からの
不採用通知があった。二日続けて頂くと凹む。さすがに。
そんでもってバイト終わって帰ろうと思ったら、パクラレタ…自転車。


昨日の朝日の朝刊の文化面に死を考えの中に含んでいる人へ向けた
『一編の詩があなたを強く抱きしめる時がある』という詩集が紹介
されてた。各界の著名人たちが詩をあげている中で、紙面で引用
されていたビート武さんの詩がとても引き付けるものがあった。

蔓延する紋切り型の、誰が言ったかわからない価値観に騙されるな
といった強烈な内容。何を為すとかじゃなくて、人生に意味は無く
何も無くても良いのだと。生きて、死ぬだけで大したもんだと仰る。
笑いや映画の世界で何かを為した人だからこその台詞のようだけれど
そう、誰かに云ってもらえたらやっぱり救われる思いがする。

02007年010月006日(土)悲しみロックフェスティバル

2007-10-06 | 休み
悲しみとかそういうものに際したときに、どう対応するかは
人それぞれに異なるらしい。僕は悲しみには悲しみで答える、
悲しい歌を聴いたり、悲しいマンガを読んだりする。

また人によっては、真逆の感情を歌った楽しい歌や励ます歌を
聴いたり、するらしい。ただ僕個人としてはどうもそういう形で
悲しみはどうにか出来ないと思える。

悲しみに蓋をしたところで、悲しみは無くなるどころか逆に
悲しみはそのまま、もしくはより大きくなってそのあとに
良くない形で悲しみが噴出してしまうんじゃないかと思う。

悲しみはどこかに行ってしまわない。生まれてしまった感情は
きちんとよりそって昇華されてあげなくてはどうしようも無くなる。
何が悲しいのか、何で悲しいのか、それをしっかりと知らなくちゃ。


いや、どうしようもないことが原因なら別だよ。
どうしようもないもの。