埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

今日のつい一言 2016.4

2016-04-01 20:17:39 | 意見交流
 NHKが熊本地震発生を受けて開いた災害対策本部会議で、本部長を務める籾井勝人会長が「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」と指示していたことが22日、関係者の話で分かった。(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/articles/20160423/k00/00m/040/126000c
「住民の不安をかき立てないよう」とは一見もっともらしくはあるが、つまりは「大本営発表」の発想であって、これほど国民を侮った物言いはないのではないか? 真実がどうであるかを判断の基準にしたいのであって、そのような報道がなされていないのではないかという不信感が生じたとき、デマが入り込んでくるのである。(4月23日)

 松本文明内閣府副大臣が、熊本地震の現地対策本部長をたった5日で交代になり、事実上の更迭というニュースが報じられた。
 一般紙では、熊本と政府を結んだ16日のテレビ会議で、自分たちへの食事の差し入れを要請していたことを指摘されたのがきっかけだとされている。しかし、西日本新聞によるとどうやらその程度の問題ではないようだ。

 関係者によると、松本氏は食事におにぎりが配られたときに「こんな食事じゃ戦はできない」と不満を口にした。避難所への支援物資配布を巡って「物資は十分に持ってきている。被災者に行き届かないのは、あんたらの責任だ。政府に文句は言うな」と、地元の自治体職員に声を荒らげたこともあったという。(西日本新聞経済電子版)

 「おにぎり」の件について本人は「そういう事実はない」と否定。また、菅官房長官は交代理由を「体力面を考慮した」とし、河野防災担当相は「交代は予定通り」と強調したという。
 一方、政府関係者は西日本新聞の取材に「(松本氏は)県との連携がうまくいっていなかった」と認め、別の関係者も、松本氏が本部長を続ければ「政権に大打撃となる。早め早めに手を打った」と話したという。
 いずれにしても現場の把握と当事者意識が欠落している限り、「国」が前面に立つというのが少しも役に立たないばかりか、いかに障害となるかをまたも証明してしまった。大規模災害対策を口実に「緊急事態条項」を持ち出してきたときのために、この人の名前をよく覚えておこう。(4月22日)

 熊本地震はいまだ進行中である。規模も、範囲も、被災の実態も、まだ全容を把握できる状態にはいたっていない。だが、というより、だからこそ、川内原発との関連については一言せずにはいられない。たとえ、中間報告的にでもである。
 茶髪で注目された共産党の池内さおり衆院議員がツイッターで「川内原発今すぐ止めよ。正気の沙汰か!」と発信し、程なくしてツイートを削除したという。どうしてかと不思議に思っていたが、一斉に「政治利用だ」(※)との批判が巻き起こり、「おまえが一番正気じゃない」「被災地で電気が止まれば人命に関わるのがわからないのか」などと炎上を起こしたからだということが分かった。
 「被災地で電気が止まれば」というのは、原発が停止していた期間も電力不足に陥ったことが一度もなかったという、ごく最近に経験したばかりの事実を忘れたふりをした脅迫である。ついでにいうと、被災地で停電が続いているのは断線した電線によって二次災害が起こるのを避けるために送電を停止しているのであって、電力が不足しているのではない。今、緊急に必要とされているのは電力ではない。

 「いたずらに不安をあおるな」などと訳知り顔でのたまう連中もいるが、「中央構造線断層帯」の活発化を指摘する地質学者もいる中で、不安を感じる人の方が正常な神経の持ち主であることは間違いない。不安を感じない人間は、よほど鈍感であるか、本人が自覚しているかどうかはともかく、結局は「他人事」(困っている人や不安を感じている人がいるがそれは自分ではない、当事者でない自分は口を出さない)と思っているからだ。
 だが、ひとたび原発事故が発生すれば被害は鹿児島や九州には限らない。福島原発事故ではまかり間違えば東日本全体が潰滅、首都は大阪に移転せざるを得なかっただろうといわれている。そこまでの惨事にいたらなかったとはいえ、放射能汚染は続いており、広くいえば世界中に影響を及ぼしているのである。こと原発に関しては国民の一人一人が、世界に対して、そして未来の子ども達に対して責任を負っていると思わなければならない。
 そんなことまでは考えられないという人にとっても、ともかく地震があるたびに不安を覚えたり、避難計画を確認しなければならない電源とはおさらばしなくてはならないのである。
  ※
 斎藤美奈子氏が川内原発を「止めない理由」を分析している。①やっと再稼働にこぎ着けたのに、そう簡単に止められるかという意地。②ここで止めたら二度と稼働できなくなるという不安。③危機を乗り切れれば日本の原発の安全性が立証できるという期待。④停止を求める声に屈したら負けだという面子。⑤停止に伴うリスクを負いたくないという自己保身。(東京新聞・本音のコラム)
 斎藤氏は背後に「様々な関係者の思惑」を感じるといっているが、現内閣の姿勢だけでなく、国と地方自治体、原発を「ベースロード電源」と位置づけた通産省、そしてもちろん電力各社という政・財・官の欲得と意地と保身と、そして無責任が入り混じっているのだろう。
 まるで③を先取りするかのように、原子力規制委員会は20日に高浜原発1・2号機 の再稼働に向けた安全審査の合格証にあたる「審査書」を正式決定した。だが、運転開始から40年の老朽化した原発の再稼働をこうもたやすく認めてしまうなら規制基準なんてまるでザルといっしょだ。
  ※
 少々意地の悪い考え方だが、私なりにもうひとつ「止めない理由」を考えた。それは「停止させても無駄だ」というものである。
 制御棒を挿入し、スクラムすることで原発は運転を停止する。だが、そこまでだったら福島でも自動停止は作動したのである。問題はその後も燃料棒を冷却し続けなければならず、全電源を喪失した福島原発では空だきになった原発が暴走し、ついにメルトダウンを引き起こしたのだ。
 もしかして原発を再稼働させた連中はこんなふうに考えているのではないか? 「今、原発を停止させたって大地震や大規模噴火で重要な配管が損傷したり、電源が喪失する事態になれば同じ事だ」と。
 だとすれば、原発の再稼働というのは伸るか反るかの大ばくちだということになる。国民はその大ばくちに乗っていいのか? 一蓮托生でいいのか? 
 私は真っ平なのである。日本はただちに原発を放棄し、廃炉と放射性廃棄物の処理に全力を尽くすべきだと思うのである。

(※川内原発について言及することが「政治利用」だとか、「便乗」だとか、それこそ過敏に反応している人々に言いたい。これを機会にオスプレイを国民に認知させようといか、大規模災害に備えて憲法に「緊急事態条項」を設置しようとか言いだしていることの方を、まさに「政治利用」というのではないかね?
 だが、「救援物資の運搬にオスプレイを」というのは米軍の方から申し出があったというのはどうやら嘘らしいし、「青空避難所の解消を」などと言いだして熊本県知事から「地元の事情が分かっていない」と一蹴された翌日、本震によって多くの家屋が倒壊し、大恥をかいた河野防災担当相をみるまでもなく、現場も把握できず、当事者意識もない連中に絶大の権限を与えることが被災地を救うことになるなどというのは絵空事にすぎない。)
《参考》
http://lite-ra.com/2016/04/post-2168.html


 熊本地震は現在も進行中であり、被災者の苦悩や不安を思えば、軽々な物言いはつつしまなければならない。だが、閣僚たちの相次ぐ発言を耳にしては、やはり一言せずにはいられない。

 15日、菅官房長官は、熊本地震に関連し、大災害時などの対応を定める緊急事態条項を憲法改正で新設することについて「極めて重く大切な課題だ」と述べた。
 16日、丸川原子力防災担当相は、運転中の九州電力川内原発について、観測された地震動が自動停止させる基準値を下回っているとして「現在のところ、原子力規制委員会は停止させる必要はないと判断している」と報告した。

 丸川担当相の論理にしたがえば、原発を停止させるのは「自動停止させる基準値」に達したときであり、つまりは「事故直前」でなければ「必要はない」ということになる。
 だが、福島原発でも地震時の「自動停止」は作動したのである。その後に襲ってきた津波による全電源喪失が「想定外」(本当に「想定外」であったかどうかは疑問視されている)であったのだとされている。
 気象庁も「かつて例のない」という連続的・発展的な今回の地震の状況や、阿蘇山の噴火活動を鑑みて、「危険回避」「安全確認」のための原発停止はあって当然ではないのか?

 自民党改憲草案にいう「緊急事態条項」は、かかる事態にあたって規制委員会の判断を超えて「超法規的」に原発を停止させるような働きをするのだろうか? いや、おそらくそんなことはあり得ない。福島原発事故でも「国民の動揺を避けるため」情報が隠されたり、報道規制がされていたことが明らかになりつつあるが、それらをもっとやりやすくするように効力を発揮するに違いない。
 必要なことは「緊急事態条項」を発動させて国民の自由および権利を制限することではなく、憲法の理念である基本的人権の尊重を徹底させることでなければならない。そう、災害時であればこそ最優先される課題として。(4月17日)

 安倍首相は「核安全保障サミット」(アメリカで開催中)で次のような演説を行ったとのこと。昨日に引き続いて怒り心頭だ。これでは日本列島は「核」まみれだ。

 「日本は二度とあのような事故を起こさないとの決意の下、原子力の平和的利用を再びリードすべく歩み始めた。」

 つまりは原発再稼働・推進の宣言だ。だが、「事故を起こさないとの決意」があれば事故は起きないのだろうか? まずは増え続ける汚染水ですら手に負えていない福島原発の事故処理に全力を尽くす「決意」が必要なのではないだろうか?(4月2日)

トランプ氏は「米国は世界の警察官はできない。米国が国力衰退の道を進めば、日韓の核兵器の保有はあり得る」と述べ、北朝鮮や中国への抑止力として日韓の核保有を認めた。(3月26日)

 おおさか維新の会の松井一郎代表(大阪府知事)は29日、日本の核兵器保有の是非について「何も持たないのか、抑止力として持つのか、という議論をしなければならないのではないか」と語った。(3月29日)

 政府は1日の閣議で、「憲法9条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」とする答弁書を決定した。そのうえで「非核三原則により、政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している」との見解を示した。(4月1日)

 日本国憲法のどこを見たら核兵器の保有を容認していると解釈できるのだろうか? 日本の「核兵器保有論」はこれまでにもあった。だが、過激さをウリにしている一部のお調子者の発言ではなく、政府として閣議決定したというのはレベルの違う問題だ。世界と日本が変わろうとしているということなのだろうが、だからこそ変えてはならないもの、変わってはならないものがあるはずだ。(4月1日)
 ※まずは「核兵器」=「抑止兵器」などという単細胞的な発想を捨て去らなければならない。ヒロシマ、ナガサキの原子雲の下で何が起こったかについて想像したこともない人物に、いつまでも勝手な発言をさせていてはならない。 

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