増刷実費を、支払って&受け取って、
終わりにする、っちゅう手はないんかね!?
結局、日本文学館の嘘っぱちコンテスト商法に乗せられた“なりすまし二人組”の仲間割れっ
ちゅうのが真相じゃん! 「特別賞」ってのは、福引なら全員もらえる等外のテッシュ1個のこと。
特別にみんなにあげるっていう意味なんだよ。ところが、この賞状1枚でたちまち作家病
の症状があらわれる人が多くて、日本文学館の商状に貢献するんだとか。まったく罪作りな会社だぜ。
「某自費出版会社との契約を巡るトラブル顛末記」
http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/MYBLOG/yblog.html
と題するブログをアップしている旦那がいる。(「顛末」は「顚末」にしたいね。)
この旦那が彼のブログタイトルで「トラブル」と表現している出来事のあらましは、おおむね次のとおりである。
【ある出版社から本を出しました。 初版は、著者(私)が全額費用を負担しました。それが売れ切れたために増刷することになりました。増刷については出版社が全額費用を負担し、出版社の採算ラインに達するまで売れなかった場合、その達しなかった分を著者が買い取るという「覚書」を取り交わして増刷が実現しました。増刷したのはいいのですが、やはり売れませんでした。 】(以上【 】内は、きょう4月4日午前零時アップの彼自身のブログ内の記述をそのままコピーして引用した。ところが、この完成版をアップしようと同日午後6時半段階で確認すると、「著者(私)」の文言のうち、「(私)」が削除されていた。小手先ちゃんちゃんはやめてもらいたい。)
売れ残りゃ、約束どおり買い取らにゃならん、で、買取費用はどうなるんか、ゼニ勘定はどうなるんかというかなり簡単な問題なのである、もともとはね。覚書というタイトルの契約書だってあるんですからね。
ところが、ところが……。
さて、さて、私は、昨2014年6月、この方からの初めてのメールがクンちゃんブログメッセージ窓口経由で着信して以来、しばしばメールをもらい、ときたま返信しているという関わりを持っている。ごく最近になって、私はこの方を便宜上「慈悲」と呼んでいるので、当記事でも「慈悲」という呼称を使わせてもらう。「慈悲」は「自費」の同音というだけの話である。
もうひとり、重要な登場人物がいる。この方(慈悲)のお友達というか知人というか、後輩的職場仲間というか、そんな関係の方で、やはり便宜上「雲助」と呼ばせてもらう別の方である。(いずれも敬称略。ご勘弁!)
雲助は原稿を書く人のようで、自分の作品を書籍化したいと願っていた。しかし、周知のとおり、無名の書き手の作品が所謂持込みによって本になるより、駱駝が針の穴を通るほうがはるかにたやすい、というのが冷厳なる現実である。
一方、原稿を書く人(これは原稿料を得る作家やフリーランス、給料という形で報酬を得ている新聞雑誌ほかの各種スタッフライターから、目先は無報酬の文学賞応募者や同人誌関係者までを含む)というものに顕著かつ特異な事実として、「自分の原稿はすばらしいと思い込んでいる」という傾向がある。賞ねらいの人びとのなかには、自分が受賞しないのはもっぱら審査員連中の眼が曇っているからだ、と信じている人は多い。自分の作品が日の目を見さえすれば必ず売れる!だいたい、あの審査員という連中、作家とか抜かしているけど、あいつらの書いているくそ原稿は……
たちまち話が脱線していくのがクンちゃんの悪い癖で、話を戻すが、前述の「原稿を書く人」のひとりであろう雲助は、自分の作品の書籍化がなかなか進捗しない現実に傷心の日々を送っていたに違いない。そんな雲助の目にとまったのが、悪いことに嘘っぱち日本文学館の嘘っぱちコンテスト。たちまち「特別賞」の賞状1枚が送られてくる。それは雲助にとって、黒雲を割ってさしこむ太陽の輝きのような僥倖、貴重な貴重な「紙っぺら1枚」だったのかもしれない。
そのあとは、歴戦の営業担当者の言いなり。たぶん「雲助先生」とかなんとかおだてられつつ、結局てめえで金を出す出版を決意していくことになる。
契約に至る段階で雲助には難題がふたつあった。
ひとつは、自費の自費たるゆえんであるゼニが目下のところ、無い!
もうひとつは、勤務先の役所に出版の事実を知られるとうまくない、という思い。
雲助の勤務先はえらく厳正な職場で、自費出版なんてとんでもない、という雰囲気なんだそうだ。
もっとも、公務員一般にこういう危惧を持つ人は多く、現役時代、私のところに回ってきたこの種の相談は数多い。印税(著作権使用料)と国家・地方公務員の兼職禁止や副業禁止規定とのかねあいである。また実際に、内規で出版の際の届出制度等を設けているところもある。しかし、商業出版における官学系統学者=見做しを含む国家公務員、地方公務員の刊行物の多さをみれば、出版はこれらの規定に抵触しないとみて間違いない。(このように、すぐ脱線してしまいます!)
で、本を出せば売れるのは間違いないから、そうなると各種媒体への露出など、とかく人目につくことになろう、これは困った、どうしたらよいか、悩みに悩んだ雲助。かつての先輩であり、いまはフリーの身になっている慈悲に相談を持ちかける。
「オレの代わりに、著者になってくれませんか。ゼニも貸してくれると助かるんですが…」というようなことだったらしい。
これは、一見、委任による代理(法定代理に対する「任意代理」)が成立したように見えるが、代理の範囲を超えた“本人なりすまし”を含むものである。妄想も著しいが、なんせ、記者会見等に雲助が出ざるを得ない場面が出来した場合は、慈悲が本人として登場することになっていたというのだ。あきれた、魂消たよ、まったく。
このような次第で“なりすまし二人組”が成立し、ふたりはこのセンで日本文学館の自費話に乗り、問題の雲助作品は刊行されるのである。費用は慈悲がいったん全額を立て替え、のちに雲助は全額を返済している。
ここでひとつ重要な問題がある。このからくりを日本文学館は知っていたかどうか、という点だが、「知っていた。すべて説明して契約した」というのだ。目先の契約欲しさからさもありなん、と思うが、なけなしの自らの社会的存在意義をさらに危うくする判断だったことは間違いない。
というようなわけで、途中ははしょるが、初版第一刷300部は売り切った(と、日本文学館が言っているというが、とんだお笑い種の可能性が強い。これまた「特別賞」なんじゃないの?それは次回に。)ことになったので、慈悲はうっかり「増刷すりゃ、もっと売れるんじゃないか」と思っちゃったらしい。雲助のほうは増刷には乗り気ではなく、そりゃそうだよ、たかだか300部(著者渡し
やがて、慈悲主導の1000部増刷が実行されるにいたり、いよいよ紛糾の幕がするするっとあがっていくのである。
(この項おわり。次回は増刷から波及した問題を、検証という水準ではなく、思いつくままにおさらいします。)
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