kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

真田丸船賃六文波枕 十七

2016-09-13 19:47:40 | 真田丸

 

 

貼り付けた画像_2016_03_16_12_42

 

「大一大万大吉・だいいちだいまんだいきち」

 

意味は

 

大  : 天下

   一  : 一人の人間

    大万 : 万人、多くの人

     大吉 : 幸福、安寧、平和

 

「一人がみんなのために、みんなが一人のために力を尽くせば

天下が安泰になる」

 

という意味が込められています。

 

御存知、石田三成の旗印です。

 

そんな三成さん、いよいよ…

 

この方は、こんなにも実直な方だったのですね。

 

とにかく秀吉に死の直前、頼まれたことを忘れず、その通りにして行こうと

 

必死になって…

 

見ていると、なんと世渡りの下手な、不器用な人だったんだなあ~

 

と思います。

 

実際、今の政界にしろ実業界にしろ、

 

やっぱり石田三成型の人は…どうでしょうね。

 

疲れて、めんどくさがられて、損な人生。

 

 

前回、大谷刑部が三成に語られたこと、

 

それを聞いていた三成。

 

切ない…

 

もう、二人とも覚悟をした言葉ですよね。

 

大谷刑部は、自分の病状のことと、もう三成に勝ち目は残ってないということ。

 

それを分かりながら加勢すると伝え、さらに三成に発破をかけた。

 

三成には大谷刑部の心が伝わったのでしょうね。

 

涙ぐんで、決心が固まった様子でした。

 

いいシーンでした。

 

感涙。

 

そうして、家康はだんだん、したたかさが露わになってきました。

 

狸おやじ全開。

 

内野聖陽さまが憎たらしく見えてきたあ(ーー;)

 

 

さて今夜はまだ見ていない第36回「勝負」の録画を見ます。

はい、遅れてるんです(^_^;)

 

 

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句会に行きました

2016-09-13 00:06:48 | 俳句・和歌

 

9月11日は、ふたつの俳壇の合同句会に参加させてもらいました。

 

場違いでした。

 

皆さん、すごい方ばかりで俳句を見せて頂いて、意気消沈してました。

 

でも最後まで一生懸命参加しましたよ。

 

もちろん、私の句なんか互選の一票も入りません。

 

あたりまえですけどね。

 

でも、とても勉強になりました。

 

同じものを見ても、こんな風に見て詠み上げられてすごいなあ~と。

 

各先生のお話も聞けました。

 

私が選ばせて頂いた句の中に恩師の句と、最高点を取られた方の句があったことは

 

うれしかったです。

 

「私も見る目あるやん」

 

なんて、ひとり悦に入ってました(^_^;)

 

 

早く終わりましたので、ちょっと遠回りしようと思い、

 

帰る方向とは反対に歩いて行きました。

 

たしか、近くに弘文天皇の御陵があるとか。

 

 

『 弘文天皇(648-672)は天智天皇の皇子である大友皇子。

天智天皇が大津京で没すると、皇位継承をめぐって

実の叔父である大海人皇子(おおあまのおうじ)(?-686)と

古代最大の内乱・壬申の乱(天武元年・672)で争い自害

享年、25歳

 

大友皇子はずっと天皇と認められた記録がなく、

 明治時代初期になってようやく39代弘文天皇となる

それからすぐに、長等山麓の一古墳が陵墓に選定され、

死地である「山前(やまさき)」の名をとって

長等山前陵(ながらやまさきりょう)と命名される』


(この「山前」とはどこかという事には諸説あり)





一度見てこようかなと思い、キョロキョロしながら歩いていくと、

 

運よく標識があり、迷わず行けました。

 

あと少しで着くという所からがとても静かで怖さを感じた程です。

 

一方はシーンとしたビルの下の大きな駐車場。

 

もう一方は鬱蒼とした繁みです。

 

おどおどしながらも、御陵に着きました。

 

 

整然としてピーンと張りつめたような空気が漂っています。

 

小さな小屋のような事務所でしょうか?一棟ありましたが

 

カーテンも引かれ、誰も居そうにないです。

 

更に道は有るのですが暗い山の中へ入って行くので、早々にUターン、

 

表の道に着くと人がいてほっとしました。

 

結局、三井寺~皇子が丘~JRの大津京~大津のイオンまで歩きました。

 

でも、以前に比べもっと先まで歩こ!という気持ちが弱まってました。

 

ダメですね~

 

やっぱり暑いですね、西日。

 

そんな1日でしたが、1万歩近く歩きました。

 

久々です。

 

夜はすっかり疲れて早く寝ました。

 

俳句、難しいですね、でも考えるのは楽しいです。

 

また、15日締切りの俳句6句が待ってます。

 

あ、句会で頂いたお菓子、おいしかったです。

 

「大坂道頓堀名物たこやきまんじゅう」 

 

 

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アオマツムシとナミテントウと三日月

2016-09-09 00:05:10 | 四季折々に

 

きのう、外で見かけた虫、

「アオマツムシ・青松虫」

バッタ目コオロギ科マツムシ亜科

 

夏、樹上に、夏の終わりは低い所に

雄が樹上で『フィリリリリ…』と大きな声で鳴く。

この写真のアオマツムシは背中が緑一色なので、雌。

雄の背中は灰色の模様がある。

本州、四国、九州の平地、林、山地の樹上に生息する。

中国から来た、帰化昆虫。

 

と書いてありました。

 

まるで、笹の葉を乗せてる様に見えます。

3cmくらいでした。

 

 

ナミテントウ

アブラムシを食べるということは、益虫?

ナミテントウには、

星2つ! と 星4つ!

が居るそうです。

 

日本全国に分布し、晩秋には越冬のため民家に近づくとか、

 

あれま、まだ晩秋とは言い難いですよね~

 

因みにテントウムシは夏の季語

 

残暑たっぷり。

蒸し暑いッたらないです。

 

でも、暦によるとあと1週間ほどで十五夜ですね。

 

今は三日月。

昨日の夜と、今日のまだ明るいうちに撮ってみました。

 

9月7日

 

 

9月8日

 

 確かにちょっと太りました。

 

 

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こおろぎ

2016-09-06 19:28:23 | 生きもの

 

今朝、家の中にこんな虫がいました。

 

いつの間に来たのでしょうか。

 

1センチ5ミリ位と小さいです、こおろぎと思うのですが。

 

外へ逃がしてやろうか…

 

とりあえず、

 

 

プラスチックのカップの中に

 

リンゴとブドウを小さく切って入れてみました。

 

驚いたように、カップ内を一周回って、ブドウの上は通過。

 

そしてリンゴの上でピタッと止まりました。

 

その後は、リンゴから離れません。

 

でも、プラスチックに囲まれてあんまりですよね。

 

次はジャムの空きビンに土と小石と、枯葉と枯れ枝を入れて、

 

今度はキュウリの輪切りを入れてみました。

 

移し替える時、飛び出してしまい、オオ~ッと!

 

ホップ!

 

 ステップと行く前にパカッと手でふさぎ、

 

そおっと瓶の中へ

 

危ない所でした

 

 

 

瓶の中に移って、ウロウロすることがあるのは、

 

快適になったのかもしれません♪

 

今夜、鳴くでしょうか…?

 

 

明日も晴れるのかな、暑いなあ~

 

 

 

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真田丸船賃六文波枕 十六

2016-09-04 19:42:16 | 真田丸

 

いよいよ、犬伏の別れですね。

 

とにかく勉強を学生時代おろそかにしたもので、

 

「そんな別れがあったのか!」 と(@_@;)

 

 

真田家の皆様、一世一代の決断を迫られることになるんですよね。

 

父昌幸と次男信繫 vs 長男信幸、この方後継ぎさんですね。

 

さて、これは仲違いなのか、それともチラホラ耳にする、

 

「真田」を絶やさないためどちらかが生き残れるように別れて戦う計画

 

三谷幸喜さんはとにかく「真田丸」を史実に忠実に脚本を作るということなので、

 

 さあ、どっちでしょ。

 

 

 

 

秀吉の言い残した

 

『政は十人の大名の合意がなければ決められない』

 

それに逆らうように、家康は大名同士の政略結婚を決めるなどはみ出してきましたね。

 

三成と家康、それぞれに大名を宴に招けば、

 

伊達氏、宇喜多氏をはじめ主な大名は家康の屋敷へ 

 

ここらあたりから家康は、確たる意志を持って台頭してくるんですよね。

 

そうそう、こんなこと言ってましたね。

 

 

『 ん~、イケルかもしれないな 』

  

 

天下統一をしっかり描いてきたんですね。

 

ちょっとお堅い三成さんが怒り心頭、

 

いや、お堅いのではなくあくまで自分は豊臣家を守り抜くという

 

義に溢れる熱い武士なのですね。

 

大谷刑部や信繫の、いさめるのも聞かず

 

家康暗殺計画を立ててしまいましたが、

 

「壁に耳有り障子に目有り」

 

江雪斎にこれを知られ、家康にバレてしまいました。

 

ここぞと、家康は三成に謹慎命令発令!

 

信繫や上杉景勝は三成を守ろうとします。

 

景勝さん、三成を鎧の上からギュッと抱きしめ、諌めておられました。

 

 

そうなんですよ、この大河ドラマ、スキンシップが多過ぎる気がするんですが…

 

とにかく、お話する時に顔が近い!

 

喜び合う時は、頬をピチャピチャ叩いたり、抱き合ったり。

 

これは三谷さん流ということでしょうね。

 

ほぼ400年後にこの世に生を受けた私でさえ、こんなには~

 

実はうらやましかったりして。

 

 

さて、今までのことがどういう風に犬伏の別れに繋がって行くのか。

 

もう、8時まで時間がありません。

 

BSご覧になる方なら、もう知っておられる。

 

ぎりぎりに、書けました。

 

いつもとんとご無沙汰の「真田丸船賃六文波枕」

 

お読みいただき本当にありがとうございました。

 

最終回まで、出来る限りがんばってアップしたいと思います。

 

それではまた、お会いできる日まで

 

 

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東大赤門

2016-09-02 11:34:24 | 旅行

 

 

東京大学の赤門て、何なのか?

 

そんなことをずっと前から思いながらも、尋ねるでもなし、調べるでもなし。

 

今回見て来ました。

 

 

 

 

案内板によると、

 

赤門は、朱塗りの御守殿門(重要文化財)

 

文政10年(1827)、加賀藩主前田斉泰に嫁いだ11代将軍徳川家斉の息女

溶姫を迎えるために造られた門です。

 

そういうことだったのですね。

江戸時代の遺構だったのですね。 

 

 

 赤門の両側はこんな塀で囲まれていました。



  安田講堂

 

 

正門

 

 

 

こちらは総合図書館? 歴史を感じる建物ですね。

 

 

この向かい側辺りに東大オフィシャルショップがありまして、

おみやげ買いました。 

 

体力式アミノ酸ゼリー と 蚊帳生地製のふきん

 

銀杏緑茶 と ユーグレナ・クッキー

 

クッキー、甘さはかなり抑えてあります。

お味は…ミドリムシ…

 

オンラインストアも開設されてるそうですよ。

 

ご縁の有りようもない東京大学にちょっと触れることが出来た時間でした。

 

しまそだちさんがおっしゃってた「三四郎池」すぐそばにあったんですね、残念です。

 

 

 

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明治神宮

2016-09-01 23:45:30 | 旅行

 

代々木競技場から明治神宮へ行きました。

五輪橋

 

この橋を、例えば「マラソン」「競歩」などの選手が走ったのかもしれないなあ~

とか思いながら歩きました。

 

五輪橋の下には山手線の電車が走ってました。

 

沢山の人が歩いておられましたが、電車や五輪橋を写してるのは私くらいなもの(^_^;)

 

東京都心の路線図、すごいですね。

もうグチャグチャにもつれた毛糸見たいです。

 

…え?私の人間関係だろうって?

いえいえ、流し素麺ですよ、私(*^^)v

 

明治神宮はすぐでした。

 

大きくてとてもきれいな鳥居でした。

 

明治神宮は、以前から森が見たかったんです。

NHKで、神宮の森の出来るまでをスペシャル番組にして放送してました。

 

 明治神宮がある「代々木」

ここは昔からそう呼ばれていたそうです。

 

江戸時代は近江彦根藩井伊家の下屋敷であったものが、明治維新後

政府に献上され、南豊島御料地となっていました。

 

明治神宮が出来る頃、代々木は荒れ果てていました。

 

大正初期、そこを都会の中に育つ「永遠の森」にしようと、学者さん達が考えました。

 

到達した理想の森は

 

「自然林」

  

100年先を見据えた長期計画でした。

 

大正時代の東京はすでに公害が出始めて都内の古木は枯れ出していて、

学者さんは100年先には照葉樹しか残らないと結論しました。

 

公害に加え代々木は関東ローム層で、水気を好む針葉樹は育たないのです。

 

そのために、幾つかの段階に分けて計画を練り上げました。

 

第一段階は、明治神宮の周りが枯野ではいけないので、

元々そこに残っていた松などを生かしながら

成長の早い針葉樹(杉、モミ、ヒノキ等)を植え、見た目の体裁を整える。

 

言わば、仮歯みたいなもんですか、

その間に将来森の主役となるであろう樫、椎、楠の常緑広葉樹を植えました。

 

第二段階 : 成長の早い針葉樹が元々あった松を追い抜き、松は枯れて減っていきます。

 

第三段階 : 樫や椎などの常緑広葉樹が増え、松や針葉樹は僅かとなる。

 

第四段階 : 広葉樹がどんどん成長して主木となり大きく育ち、その二代目も育って行く。

 

 

春には芽吹き、夏には青葉が茂り、秋は紅葉、

そして冬、葉を落としてじっと春を待つ。

 

大きく育った木々に、昆虫や鳥が来て、小動物が住んで豊かな森となる。

 

そんな神宮の森が見たくて

 

 参道

 

代々この地にモミの巨木があったので、「代々木」という地名になったというその巨木

今の木は数代目の木だそうです。

 

本殿

近くからの撮影は禁止でした。

 

 

 

 

 

この日、結婚式がある様で、神殿へ向かうところを見ることが出来ました。

なんと、お嫁さんは金髪の外人さんで、観光の外人さんも見とれておられました。 

 

それから、参道に珍しいものを見ました。

 

 

ワインの樽が献上されています。

明治天皇がワインをたしなまれるのを聞いたブルゴーニュの醸造元各社より

献上されるそうです。

 

それにもちろん、

 

日本酒の酒樽もありましたよ♪

 

どちらもいいですね(^^♪

  

大正時代に100年先を見据えて、人工的に作られた「神宮の森」は

 

今は「自然林」の姿を成し、ほぼ自力で育っているそうです。

 

そして、今、森の有り方が見直されているとか。

 

適材適所、森の木々も生き物もあるべき所にあってこそ ということなのですね。

 

で、人間も。

 

(追記 : 森作りの計画が持ち上がった時、当時の総理大臣大隈重信は、

伊勢神宮や日光東照宮のように杉木立の荘厳な森を作るようにと

言ったのですが、学者さん達は断固、聞き入れず、

「自然の森」への道を押し通したということです。)

 

 

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