kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

じゃっどん西郷どん27

2018-10-14 18:13:23 | 西郷どん

 

さすがに、台風には致し方なかった大河ドラマ「西郷どん」 

大河ドラマが放送中止になるなんて今までにありました?

 

西郷どんの舞台になった、奄美大島、徳之島、沖永良部島

毎年、台風の直撃する島ですよね

 

鹿児島の枕崎も

 

台風警報発令

枕崎南南東 風力3 965ミリバール

なんて、数字は適当ですがこんな名調子が流れていた、昭和

昭和を遡ること、約100年

西郷どんの話に移さなくては(;´∀`)

 

そんな、遠い島での暮らしから幾ばくかの月日が流れ、

温かい人々に助けられ命をつないだ島暮しの頃の西郷どんは

ここにはいない

大政奉還を越え

戦の鬼と化した西郷どんは、

すべての民が安心出来る世をつくる、この言葉を忘れてる…

 

 

 

第37回 江戸無血開城~西郷と慶喜

 

鳥羽伏見の戦いで、

新政府軍と旧幕府軍はぶつかり、激しい戦いとなった

そんな時に岩倉具視は偽の「錦の御旗」を掲げ

一気に新政府軍は優勢となり、慶喜は大阪城を抜け出し江戸へ逃げた

 

江戸へ逃げた…

 

慶喜とはどんなひとだったのかなあ~?

諸説ある中、心が反応したフレーズがありました

 

幼少期から聡明にして文武に長け、

徳川家の期待を常に一身に背負い続けた徳川慶喜

それどもようやく3度目の正直で将軍職に就いたときには、

徳川幕府はすでに沈みかかった泥舟状態でした”


言わば、

二百五十年余り続く老舗の後継者にまつりあげられた御曹司

しかし会社はすでに経営は傾きかけ、

社員たちも、もう言うことを聞かない


と、大変な時にトップに据えられたのですね、慶喜さん

徳川は永遠に不滅!と思っていたかどうかは分かりませんが、

ずう~っと戦もなく続いた江戸幕府ですから

経験のない戦なんか、したくもないのが道理ですよね

 

慶喜は秀才だったんですね~


ですが、敵前逃亡する自己保身の人と、厳しい評価が残っています


「西郷どん」では、その悪評を打ち消すようなセリフがありました


慶喜はやって来た西郷どんにどう責任を取れば許されるのか、

切腹覚悟の白装束で西郷どんに会って、


『フランスのロッシュは、幕府を援助する代わり、

薩摩をよこせ、と言った

その時逃げるしかなかった

逃げなければ、戦は長引き、その時こそ日本は終わる

日本は異国の手に渡る

日本中でフランスとエゲレスが戦い、勝者が日本を乗っ取るのを防ぐため

私には逃げるしかなかった…』


西郷どんもこの言葉には、感じ入ったようで


『慶喜様でなく、あなたはひー様だったのでのでございもすな

おやっとさあでございもした』


いいシーンでした


一方、このドラマの時代考証をされている歴史家の磯田道史さんは、

こんな風に慶喜を表現されてます

『平時の慶喜、乱世の西郷、つまり、気の毒な将軍…

なるほどね



戦のない時代なら、上手く将軍を務めただろうに、

250年も戦のない幕府の中にいた徳川のDNAは、戦に対応するような

突発事項には、とんとだめだった

ということなのですね

のんびり、ゆるりと生きたかったひー様


その点、西郷どんは何度も死にかけながらも生き永らえた人

ちぇっそ~~!

きばれえ~~!

ですもん


じゃっどん、西郷どん、それにひー様

心が通じてよかったですね♪


それにしても、「錦の御旗」を掲げたことが、

 それほどに日本の歴史が大きく動いたことに係わってたとは

知らなかった…

鶴瓶さんのお手柄?

いやいや、岩倉具視さんのです(;´∀`)

 

「龍馬伝」だの「篤姫」だの「八重の桜」だの、

ぼぉ~~っと見てたのね~(T_T) 

 


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