院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

老人と過去の記憶

2011年02月23日 | 日記

もう、7~8年前のことになりますが、普通の施術では難しい感じのお客さんがみえられまして~

一連の施術を試みたのですが状態が安定せず、師に伺うことにして連絡し状況を説明すると、「秘儀をやってみなさい」と云われたのですが、当時、私にはそれほど自信が無く、ましてや疑いが多少なりともあり、とりあえず行ってみることにして、お客さんを壁方向に座らせ、背中から5~6発連続で気を打ち込んで反応をみてたのです。

お客さんには事前に、何かあったら深呼吸してくださいと言ってあったので、秘儀を行っている最中に深呼吸が始まったので、何か体に変化があらわれたのかと思いながら続けていたわけです。

秘儀が終わり、お客さんは安定してきましたが完全回復ではなかった。

一度で完全にはできない時も多々ありますが、疑いながら行っていたのと、まだ未熟だったこともあり真剣さが足りなかったと反省した記憶があります。

そんのことをいつも行っているわけではありませんが・・・。

それはさて置いて、お客さんと色々話して行く中で、「どんな想いでも何処かに通じてしまう」ような話しをしていたところ、以前同じことを話してくれた人が居たと話し始め、「数年前、何をしても長続きしなくて・・・、いい加減自分に愛想が尽きてしまって公園のベンチでふて寝をしてたら見慣れない老人が話しかけてきて、先生と同じことを話してくれたと・・・」。

一度きりしか会わなかった老人の言葉が気になっていたけど、その内忘れてしまって・・・、今、思いだしたと。

その老人が、今度は私に語りかけてくれて・・・。

本人には会いませんでしたが、インスピレーションで語りかけてくれた。

あたりが急に清々しい磁場になり後頭部から肩にかけて熱くなり、優しく語りかけてくれている。

邪悪なものとは、まるっきり対象的な慈愛に充ち包み込んでくれる体感。

十数年前、老人がそのお客さんに話している過去の記憶を見させていただいた。

優しい慈眼で、これからの私の人生の指針を話されて遠ざかって行かれた。

どこの誰かも聞かずにいましたが、いずれ再開できると話されたので、私もその時期が来るまでに徳力を積み上げようと思ったものです。

こんなことを書いて、「お前はイタコか?」などと思うかも知れませんが、そんなことは誰でもできることなんです。

コツさえつかめば何方でもできる。

先祖の思いを聞くことなど、それほど難しいことではないわけです。

既成概念を外して、常に、不平不満を言わず思わず、もちろん愚痴のひとつも話しても思わないようにする。

日々の感謝を土台として正しさとは何かを追求して行くわけです。

自分の立場が危かろうと取り越し苦労や不平不満より、これからできること、自助努力を優先させる思考に切り替えれば良いだけの話し、実に簡単、しかし今までの自分と決別するのにはそれなりの時間がかかりますね、ときどき猜疑心が入りますから、しかし自分が変わると人生観がガラッと変わって行きますのでお勧めしたいところです。

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