礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

山岡洋一訳『自由論』(光文社古典新訳文庫)について

2012-09-06 05:55:27 | 日記

◎山岡洋一訳『自由論』(光文社古典新訳文庫)について

 今月一日のコラム「J・S・ミルのモルモン教観」に対して、訂正のご指摘を含むコメントをいただいた。拙いブログではあるが、読んでいただいた方からの反応はうれしいものである。なお、訂正のご指摘については、コメント欄にご指摘をそのまま掲載し、本文のほうは元のままに留めている。
 さて、J・S・ミルの『自由論』については、その後、光文社古典新訳文庫から二種類も新訳が出ていることに気づいた。とりあえず、二〇〇六年に出た山岡洋一氏訳を図書館から借りてきたので、比較対照のために、「モルモン教」に関わる部分を引用してみよう(二〇三~二〇六ページ)。

 個人の自由がいかに軽視されているかを示す例をいくつかあげてきたが、最後にもうひとつの例をあげておきたい。イギリスの新聞がモルモン教という変わった宗教についてとりあげる必要を感じたときにかならず、この宗教を完全に抑圧するよう求めて激烈な表現を使っている事実である。新しい啓示に基づくと称する宗教があらわれ、実際には明らかな嘘の産物であって、教祖が非凡な資質を示したわけでもないのに、数十万人の信者を集め、新聞と鉄道と電報の時代にひとつの社会の基礎になったのは、まったく予想外だったし、さまざまな教訓が得られる事実であり、語るべき点がいくつもあるだろう。だがここで問題にしたいのは、もっと優れた宗教と同様に、この宗教にも追害を受けてきた歴史があることだ。この宗教の予言者であり、教祖である人物は、その教えのために暴徒に虐殺された。信徒のなかにも不法な暴力によって命を奪われたものがいる。さらに、信徒の全員が生まれ育った土地から追放され、砂漠のなかの僻地〈ヘキチ〉に追い込まれたいまになっても、イギリスでは、遠征軍を送って一般の人たちの意見にしたがうよう強制するのが正しい(実行は簡単ではないが)と公然と主張する人が多いのである。通常なら宗教の違いに寛容であるべきだと考える人が自制心を失うほど反感をもっているのは主に、モルモン教が一夫多妻制を容認しているからである。イスラム教徒やヒンズー教徒、中国人であれば問題にしないのだが、英語を話し、一種のキリスト教を信じると主張する人たちが一夫多妻制をとるとなると、抑えがたい憎悪が噴出するようだ。モルモン教の一夫多妻制に対しては、わたしは誰よりも強く反対する。その理由はいくつもあるが、とくに、白由の原則によって是認されるものではまったくなく、逆にこの原則に真っ向から反するものだからである。【中略】モルモン教徒は各国に対して一夫多妻制を認めるよう求めているわけではないし、モルモン教徒の国民に対して法律の適用を免除するよう求めているわけでもない。しかし、モルモン教という異端の宗教の信者が、当然だといえる以上に社会の敵意に譲歩し、自分たちの信条が受け入れられない国を離れ、はるかな僻地に移住して、そこを人間の住める土地に変えていったのだから、その土地で自分たちが望む法律のもとで生活するのを許さないなどとどうして主張できるのか、まったく理解しがたい。モルモン教徒が他国を侵略せず、モルモン教の流儀に不満な人には退去の自由を完全に認めているのであれば、このように主張できるのは、専制の原理に基づく場合だけではないだろうか。最近、いくつかの面で優れた実績のある論者が、本人の言葉を使えば、十字軍の例にならった文明軍をこの一夫多妻制の社会に送って、文明の退歩だと考える制度を止めさせるよう提案した。一夫多妻制はたしかに文明の退歩だとは思うが、他の社会に文明化を強制する権利がいずれかの社会にあるとは思えない。悪法に苦しんでいる人たちが支援を求めてこないかぎり、何千キロも離れた地域に住み、その社会とは無関係な人がとんでもない制度をとっていると判断したという理由でその社会に干渉し、直接に関係している人たちが完全に満足しているように思える制度を廃止するよう求めるというようなことは、とても容認できない。そうしたいのであれば、宣教師を送って説得すればいい。そして、正当な手段を使って(モルモン教の宣教師の発言を許さないといった不当な手段を使うことなく)、自国で同様の教えが広まるのを防げばいい。【後略】

 光文社古典新訳文庫は、本年になって、新たに、斉藤悦則氏が翻訳した『自由論』を出したようだ。同じ文庫で、二種類の訳が出ることになった事情については知るよしもないが、山岡洋一氏(故人)の訳に対して、批判が出ていたとの話がある(あくまでもインターネット上の噂である)。ただ、上に引用した部分を見た限りでは、山岡訳は日本語としてこなれていて明解であり、かつ、込み入った構文を駆使した原文の雰囲気を残している名訳のように思うのだが、どんなものだろうか。

今日の名言 2012・9・6

◎いま、息をしている言葉で訳された古典は、面白い

 光文社古典新訳文庫の創刊趣旨「いま、息をしている言葉で、もう一度古典を」に出てくる言葉。光文社古典新訳文庫の創刊は2006年の9月。その創刊趣旨は、同文庫の巻末に載っている。

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