◎澤柳政太郎君の無責任
『日本及日本人』第五百五十四号(一九一一年三月一五日)「南北正閏論」特集から、菊池謙二郎の「南北朝対等論を駁す」という論文を紹介している。本日は、同論文の「余論」の五回目(最後)。
▲就いて一言したいのは澤柳政太郎氏の言説である。氏は過日東京朝日新聞記者に語りて小学校の教科書などには学者の異説を入るべきではない普通の説を載すべきものであるとといひて、小学日本歴史に南北朝対等説を入れた事を非難せられた。是実に我輩の怪訝〈ケゲン〉に湛へざる事である。そもそも小学日本歴史は明治三十七年〔一九〇四〕に出来たのである。明治三十七年は澤柳君が普通学務局長在職中ではあるまいか。君が普通学務局長在職中に出来た所の小学日本歴史は南北朝に就いてはどういふ筆法を用ひてあるか君は御存知であるか、あれには正しく南北朝を対等にして居りますぞ。『同時に二天皇あり』と書いてありますぞ。御歴代表中に南北朝の天皇を対等に書いてありますぞ。我輩は文部省の内規を知らぬが普通学務局長は小学校の事項を鞅掌〈オウショウ〉するといふ事なれば定めて小学校の教科書編纂に就いても責任はあることと思ふ。然るに自己が今文部省内に奉職せぬからといふて在職中に出来た教科書を白々しく非難するのは実に無責任ではあるまいか。
かくいふと菊池といふ男は他の一旦の過言を捉て得たりと突込む酷い奴だと思ふ人もあるかも知らぬが我輩とても人の過誤を見出して之を責めて喜ぶのではない。是は公徳の為めに自分の毀誉褒貶を顧みずして言ふのである、又殊に澤柳君であるから言ふのである。澤柳君は教育界に功労のない事ではないが又実に我教育界に害毒を流した人である。かの突飛〈トッピ〉な仮字遣ひや漢字制限は小学児童にどれほど害を及ぼしたか分からぬのである。小学児童の学力を非常に低下し従つて小学校と中学校との連絡を滅茶々々にしたのである。この害毒は今日特に甚しく感ぜらるるのである。是は澤柳君御自身も知らぬことはあるまい。知つて責任を感ずるなれば教育界より隠退すべきが当然であらうと思ふ。隠退せぬ所を以て見ると澤柳君は責任を感ずることの薄い人ではあるまいか。それであるから自己在職中に出来た教科書を攻撃するのであると思ふ。澤柳君は校長論や教師論や修身書や孝道などいふ書を著はして大に修養を鼓吹せらるる人であるから我輩は特に此機会を捉へて苦言するのである、尋常一様の人であるなら我輩は決してかゝる苦言を呈せぬのである。偶々喜田博士の休職を耳にして気の毒の感に堪へざると同時に澤柳君の無責任を感ずることも一層深くなつたからかたがた一言したのである。
澤柳政太郎(一八六五~一九二七)は、文部官僚、教育者。一九一七年(大正六)に、成城小学校を創立。明日は、話題を変えます。
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