礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

近衛文麿の「遺書」の表記について

2019-10-05 02:42:32 | コラムと名言

◎近衛文麿の「遺書」の表記について

 以前、このブログで、「近衛文麿が自殺の数時間前に書いた遺書」というコラムを書いたことがある。そのときは、岡義武著『近衛文麿』(岩波新書、一九七二)から、当該の遺書を引用した。
 その後、共同通信社「近衛日記」編集委員会編『近衛日記』(共同通信社、一九六八)を読むと、ここにも、その遺書が引用されていた。
ただし、この両著に引用されている遺書は、用字、「テン」の打ち方など、微細なところで表記が異なっている。参考までに、以下に、両方の「遺書」を対照しておきたい。初めに引用するのが、共同通信社『近衛日記』の一一二ページにあったもので、あとのは、岩波新書『近衛文麿』の二三三ページにあったものである。

   「遺 書」
 僕は支那事変以来多くの政治上過誤を犯した。之に対して深く責任を感じて居るが、所謂戦争犯罪人として米国の法廷に於て裁判を受ける事は堪え難い事である。殊に僕は支那事変に責任を感ずればこそ、此事変解決を最大の使命とした。そして此解決の唯一の途は米国との諒解にありとの結論に達し、日米交渉に全力を尽したのである。その米国から今、犯罪人として指名を受ける事は誠に残念に思ふ。
 しかし僕の志は知る人ぞ知る。僕は米国に於てさへ、そこに多少の知己が存することを確信する。戦争に伴ふ昻奮と激情と、勝てる者の行き過ぎた増長と、敗れた者の過度の卑屈と、故意の中傷と誤解に本づく流言蜚語と是等一切の所謂輿論なるものもいつか冷静さを取り戻し、正常に復する時も来よう。
其時初めて、神の法廷に於て正義の判決が下されよう。
   (昭和二十年十二月十六日記、原文のまま。)

 僕は支那事変以来多くの政治上過誤を犯した。之に対して深く責任を感じて居るが、所謂戦争犯罪人として米国の法廷に於て裁判を受ける事は堪へ難い事である。殊に僕は支那事変に責任を感ずればこそ、此事変解決を最大の使命とした。そして、此解決の唯一の途は米国との諒解にありとの結論に達し、日米交渉に全力を尽くしたのである。その米国から今犯罪人として指名を受ける事は、誠に残念に思ふ。
 しかし、僕の志は知る人ぞ知る。僕は米国に於てさへそこに多少の知己が存することを確信する。戦争に伴ふ昻奮と激情と勝てる者の行き過ぎた増長と敗れた者の過度の卑屈と故意の中傷と誤解に本づく流言蜚語と是等一切の所謂輿論なるものも、いつか冷静さを取り戻し、正常に復する時も来よう。是時始めて神の法廷に於て正義の判決が下されよう。

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