◎青木茂雄氏の尾高朝雄論を掲載する
グーブログの投稿期限まで、残り数か月となったが、ここで、当ブログへの投稿者のおひとり青木茂雄氏の論考を掲載させていただきたい。タイトルは、「尾高朝雄『社会団体の理論の基礎づけ』を読む」。
今のところ、「1」から「3」までの原稿をいただいている。本日、掲載するのは、「1」にあたる部分である。なお、尾高朝雄(おだか・ともお、1899~1956)は、高名な法哲学者で、その学問をさらに発展させようとしていた矢先に、ペニシリン・ショックで亡くなったことで知られている。
尾高朝雄『社会団体の理論の基礎づけ』を読む 青木 茂雄
1.尾高『社会団体の理論の基礎づけ』について
尾高朝雄は1929年から1932年にかけてのヨーロッパ留学の最後に『社会団体の理論の基礎づけ』と題する長文をドイツ語で執筆し、それがヴィーンで1932年にシュプリンガー社から刊行されている。A5判で本文全279ページの大部のものである (1)。まだ日本国内では翻訳刊行はされていないが、尾高が『国家構造論』の序で「本書の前身」と述べている通り、尾高研究の上では必須の文献であることは間違いない。
この書の執筆に至る事情は序文にやや詳しく書かれているので以下に抜粋して紹介する。(筆者による大意訳。筆者の解釈〈または思い違い?〉によりやや変形されている所もあるのでご容赦願いたい。以下同様)。
序(Vorwort)
私は、 帝国日本政府の委任により、 1929年の春よりヨーロッパに滞在し、 法哲学及び社会学の領域における更なる研究に没頭できるという、 有難い境遇を得た。 そして私は、 すでに長いこと心に抱いてきた、 社会団体の理論(Lehre)を哲学的に基礎づけるという企てを実現することが可能となったのであった。 この作業に、 私はまずヴィーンで、 次にフライブルクで、 そして最後にヴィーンで没頭した。 私の滞在地のこれらのつながりは、 私の思考の発展と密接に関連している。
社会団体の現存領域(Daseinssphäre)を基礎づけようとする私の努力は、 まず第一にハンス・ケルゼン教授の純粋法学とその「ヴィーン学派」との接触へと導いた。 これらの理論の批判的な探究から、 私は二つの根本的な成果を得た。 第一に、このような観点から私は純粋法学から教えられた途を追及したのだが、統一的な(einheitlich)、 そして自分自身に同一的な(in sich identisch)社会団体が、独立した認識の対象、 つまりただひたすらに観念的な精神形象の領域(die Sphäre der ideale Geistesgebilde)の対象に属することができる。 第二にしかしながら、 そして、この確認は、純粋法学の定説と相違するものなのだが、社会団体は一般的に諸規範の複合体と同一化されるものではないし、国家は特殊的に法規範と同一化されるものではないのである。
社会団体の現存領域の確定とその存在様式から、更なる原理的な問題が結果として生じる。即ち、どのようにして社会団体は、観念的な精神形象(idealen Geistesgebilde)として、その歴史的かつ社会的世界に現実に存在しているものとして、これを対象として観察されるだろうか? このような問題設定は、フライブルクにて、この著書が捧げられているエドムント・フッサール教授のもとでひきおこされた。そして私の研究は継続され、先験的(超越論的)な現象学的な哲学の基礎の上に観念的な対象の現実性(Wirklichkeit)という課題を研究した。そして、ようやくフッサールの現象学的認識批判を、具体的かつ観念的精神形象の対象領域に適用することを通じ、また「意味的な(sinnhaft)」直観が「範疇的な(kategorialen)」直観のひとつであり、 超感覚的な自己認識の形式と並列的であるとの指摘を通して、その適用の更なる進展により、私は次の考えに達した。即ち、社会団体はその現実性を、その団体に即応した(entsprechend)「意味的な」直観の中で示す。もしその社会団体が内的な調和のある共同性の関係(vergemeinschaftende Beziehungen)がその団体に属している人々によって基礎づけられるならば。(『Grundlegung der Lehre vom Sozialen Verband』、以下『Grundlegung』と略、s.Ⅵ)
尾高の論究の筋道が本人によって手際よくまとめられている。また、この序で示された、〈社会団体の現実性は、その団体に即応した「意味的な」直観により示される〉、というのが、序の持つ位置を考えるならば、尾高がこの書の中で示した到達点であると考えられる。もとより、その具体的な検証が必要なのはいうまでもないが。最後に尾高は、自分の学説に影響を与えた人々に対して、次のように謝している。
研究をさらに続けていく中で、私は多くのドイツの哲学者と社会学者の研究仲間に出会った。わけてもディルタイ、ヘーゲル、ジンメル、マックス・ヴェーバーの業績からは深い影響を受けている。これらの論者の論を深めるにあたって、私は特に日本の恩師たち、京都大学の西田幾多郎教授と米田庄太郎教授に多くを負っている。その講義とゼミナールにおいて私が得たものは、学問内容と学問的刺激のまさに尽きることのない源泉であった。同様に、京都の臼井二尚(じしょう)博士との長年にわたる共同研究は、私の考えの発展の上に大きな影響を与えた。博士は、経験的に受け取ることのできる社会的事実の領域から、具体的且つ観念的な意味の領域へと社会科学的な認識への視点の転換の必然性について私に示唆してくれたからである。
私は、ヴィーンのフェリックス・カウフマン博士とアルフレート・シュッツ博士に対しては最大限の感謝をしなければならない。二人には、最大の決意と細心の注意で、私の労作物であるこの原稿と校正刷りを通覧していただき、内容と形式の上においての様々な提案を通して、有益な支援を与えていただいた。同様に、フライブルクのオイゲン・フィンク博士にも多大な感謝をしなければならない。フィンク博士からは先験的(超越論的)現象学の意味をご教示いただいた。それは、本書の第二章での展開の大きな助けとなっている。私が常に闘わなければならなかった言語的困難さについては、ヴィーンのフリッツ・ヴァイス博士との熱心な共同作業によりかなり軽減された。このような人達による友好的な支援なしには、この比較的に限られた時間で、しかも広範囲にわたる学問的な労作を外国語によって完成させることは、私にはとうてい不可能であった。
ヴィーン ハイリゲンュタット、 1932年 3月末 尾高 朝雄
(『Grundlegung』 s.Ⅵ )
◇ ◇ ◇
『社会理論研究』25号で、尾高関係の文章を書いた(2)際に、「社会団体理論」の研究が必須であると書いた。書いた以上読まなければならないと思い、原本を入手して浅い語学力を省みずに読み始めた。日本人が書いただけあって、ドイツ語独特の言い回しもなく、ドイツ語としては比較的平明であり、 中級程度の語学の素養があれば一応は読み進めることは可能である、ように見えた。 そういうわけで、八カ月かけて読み了えた。さて、読み了えたところが、頭の中は真っ白なのである。いままで何を読んできたのか。読んでいる時は解った気がした。しかし、悲しいことにただそれだけなのである。たとえて言えば、乗船している船の航跡がほどなくして跡形もなく海上に消え去るように…。
言語の壁は想像以上に大きいのである。私の、大変に苦労してここまで読んできたドイツ語の語彙群は私の日常生活の中では跡形もなく消え去るのである。やはり、母語である日本語で考えるしかないのか。
日本語に翻訳し、それをもとに考えるしかないのか。そう思い直して、いくつか抜粋してでも訳文を作成することを思い立ったが、そもそもこの本の内容は、複雑多岐にわたり、論理は幾重にも込み入っていてなかなか一筋縄には行かない。
そこで、今回は取り敢えず、序文(Vorwort)と緒論(Einleitung)の抄訳だけに限った。しかし、やってみて訳文作成の作業がいかに難しいものであるかを痛感すると同時に、訳を作成してみないとその内容は本当には解らないことも痛感した。
注
(1)『社会団体の理論の基礎づけ』(Grundlegung der Lehre vom Sozialen Verband)は、ヴィーンのVerlag von Julius Springer社から刊行された。
現在でもアマゾンを通して入手可能。英訳はあるが、 日本での邦訳刊行はまだなされていない。刊行はされていないが、全文の日本語訳は2024年にすでに藤田伊織氏によってなされている。インターネットで閲覧可能であり、grundelegungjtext00000re.epubからダウンロードが可能である。原文は長大であるため、訳文も大部のものとなっており、翻訳にあたっての苦労がしのばれる。私も今回訳文を作成するにあたり所々参考にさせていただいた。この場で感謝したい。
(2)『社会理論研究』25号(社会理論学会、2024年12月)所収 青木茂雄「尾高朝雄『国家構造論』を読む」
グーブログの投稿期限まで、残り数か月となったが、ここで、当ブログへの投稿者のおひとり青木茂雄氏の論考を掲載させていただきたい。タイトルは、「尾高朝雄『社会団体の理論の基礎づけ』を読む」。
今のところ、「1」から「3」までの原稿をいただいている。本日、掲載するのは、「1」にあたる部分である。なお、尾高朝雄(おだか・ともお、1899~1956)は、高名な法哲学者で、その学問をさらに発展させようとしていた矢先に、ペニシリン・ショックで亡くなったことで知られている。
尾高朝雄『社会団体の理論の基礎づけ』を読む 青木 茂雄
1.尾高『社会団体の理論の基礎づけ』について
尾高朝雄は1929年から1932年にかけてのヨーロッパ留学の最後に『社会団体の理論の基礎づけ』と題する長文をドイツ語で執筆し、それがヴィーンで1932年にシュプリンガー社から刊行されている。A5判で本文全279ページの大部のものである (1)。まだ日本国内では翻訳刊行はされていないが、尾高が『国家構造論』の序で「本書の前身」と述べている通り、尾高研究の上では必須の文献であることは間違いない。
この書の執筆に至る事情は序文にやや詳しく書かれているので以下に抜粋して紹介する。(筆者による大意訳。筆者の解釈〈または思い違い?〉によりやや変形されている所もあるのでご容赦願いたい。以下同様)。
序(Vorwort)
私は、 帝国日本政府の委任により、 1929年の春よりヨーロッパに滞在し、 法哲学及び社会学の領域における更なる研究に没頭できるという、 有難い境遇を得た。 そして私は、 すでに長いこと心に抱いてきた、 社会団体の理論(Lehre)を哲学的に基礎づけるという企てを実現することが可能となったのであった。 この作業に、 私はまずヴィーンで、 次にフライブルクで、 そして最後にヴィーンで没頭した。 私の滞在地のこれらのつながりは、 私の思考の発展と密接に関連している。
社会団体の現存領域(Daseinssphäre)を基礎づけようとする私の努力は、 まず第一にハンス・ケルゼン教授の純粋法学とその「ヴィーン学派」との接触へと導いた。 これらの理論の批判的な探究から、 私は二つの根本的な成果を得た。 第一に、このような観点から私は純粋法学から教えられた途を追及したのだが、統一的な(einheitlich)、 そして自分自身に同一的な(in sich identisch)社会団体が、独立した認識の対象、 つまりただひたすらに観念的な精神形象の領域(die Sphäre der ideale Geistesgebilde)の対象に属することができる。 第二にしかしながら、 そして、この確認は、純粋法学の定説と相違するものなのだが、社会団体は一般的に諸規範の複合体と同一化されるものではないし、国家は特殊的に法規範と同一化されるものではないのである。
社会団体の現存領域の確定とその存在様式から、更なる原理的な問題が結果として生じる。即ち、どのようにして社会団体は、観念的な精神形象(idealen Geistesgebilde)として、その歴史的かつ社会的世界に現実に存在しているものとして、これを対象として観察されるだろうか? このような問題設定は、フライブルクにて、この著書が捧げられているエドムント・フッサール教授のもとでひきおこされた。そして私の研究は継続され、先験的(超越論的)な現象学的な哲学の基礎の上に観念的な対象の現実性(Wirklichkeit)という課題を研究した。そして、ようやくフッサールの現象学的認識批判を、具体的かつ観念的精神形象の対象領域に適用することを通じ、また「意味的な(sinnhaft)」直観が「範疇的な(kategorialen)」直観のひとつであり、 超感覚的な自己認識の形式と並列的であるとの指摘を通して、その適用の更なる進展により、私は次の考えに達した。即ち、社会団体はその現実性を、その団体に即応した(entsprechend)「意味的な」直観の中で示す。もしその社会団体が内的な調和のある共同性の関係(vergemeinschaftende Beziehungen)がその団体に属している人々によって基礎づけられるならば。(『Grundlegung der Lehre vom Sozialen Verband』、以下『Grundlegung』と略、s.Ⅵ)
尾高の論究の筋道が本人によって手際よくまとめられている。また、この序で示された、〈社会団体の現実性は、その団体に即応した「意味的な」直観により示される〉、というのが、序の持つ位置を考えるならば、尾高がこの書の中で示した到達点であると考えられる。もとより、その具体的な検証が必要なのはいうまでもないが。最後に尾高は、自分の学説に影響を与えた人々に対して、次のように謝している。
研究をさらに続けていく中で、私は多くのドイツの哲学者と社会学者の研究仲間に出会った。わけてもディルタイ、ヘーゲル、ジンメル、マックス・ヴェーバーの業績からは深い影響を受けている。これらの論者の論を深めるにあたって、私は特に日本の恩師たち、京都大学の西田幾多郎教授と米田庄太郎教授に多くを負っている。その講義とゼミナールにおいて私が得たものは、学問内容と学問的刺激のまさに尽きることのない源泉であった。同様に、京都の臼井二尚(じしょう)博士との長年にわたる共同研究は、私の考えの発展の上に大きな影響を与えた。博士は、経験的に受け取ることのできる社会的事実の領域から、具体的且つ観念的な意味の領域へと社会科学的な認識への視点の転換の必然性について私に示唆してくれたからである。
私は、ヴィーンのフェリックス・カウフマン博士とアルフレート・シュッツ博士に対しては最大限の感謝をしなければならない。二人には、最大の決意と細心の注意で、私の労作物であるこの原稿と校正刷りを通覧していただき、内容と形式の上においての様々な提案を通して、有益な支援を与えていただいた。同様に、フライブルクのオイゲン・フィンク博士にも多大な感謝をしなければならない。フィンク博士からは先験的(超越論的)現象学の意味をご教示いただいた。それは、本書の第二章での展開の大きな助けとなっている。私が常に闘わなければならなかった言語的困難さについては、ヴィーンのフリッツ・ヴァイス博士との熱心な共同作業によりかなり軽減された。このような人達による友好的な支援なしには、この比較的に限られた時間で、しかも広範囲にわたる学問的な労作を外国語によって完成させることは、私にはとうてい不可能であった。
ヴィーン ハイリゲンュタット、 1932年 3月末 尾高 朝雄
(『Grundlegung』 s.Ⅵ )
◇ ◇ ◇
『社会理論研究』25号で、尾高関係の文章を書いた(2)際に、「社会団体理論」の研究が必須であると書いた。書いた以上読まなければならないと思い、原本を入手して浅い語学力を省みずに読み始めた。日本人が書いただけあって、ドイツ語独特の言い回しもなく、ドイツ語としては比較的平明であり、 中級程度の語学の素養があれば一応は読み進めることは可能である、ように見えた。 そういうわけで、八カ月かけて読み了えた。さて、読み了えたところが、頭の中は真っ白なのである。いままで何を読んできたのか。読んでいる時は解った気がした。しかし、悲しいことにただそれだけなのである。たとえて言えば、乗船している船の航跡がほどなくして跡形もなく海上に消え去るように…。
言語の壁は想像以上に大きいのである。私の、大変に苦労してここまで読んできたドイツ語の語彙群は私の日常生活の中では跡形もなく消え去るのである。やはり、母語である日本語で考えるしかないのか。
日本語に翻訳し、それをもとに考えるしかないのか。そう思い直して、いくつか抜粋してでも訳文を作成することを思い立ったが、そもそもこの本の内容は、複雑多岐にわたり、論理は幾重にも込み入っていてなかなか一筋縄には行かない。
そこで、今回は取り敢えず、序文(Vorwort)と緒論(Einleitung)の抄訳だけに限った。しかし、やってみて訳文作成の作業がいかに難しいものであるかを痛感すると同時に、訳を作成してみないとその内容は本当には解らないことも痛感した。
注
(1)『社会団体の理論の基礎づけ』(Grundlegung der Lehre vom Sozialen Verband)は、ヴィーンのVerlag von Julius Springer社から刊行された。
現在でもアマゾンを通して入手可能。英訳はあるが、 日本での邦訳刊行はまだなされていない。刊行はされていないが、全文の日本語訳は2024年にすでに藤田伊織氏によってなされている。インターネットで閲覧可能であり、grundelegungjtext00000re.epubからダウンロードが可能である。原文は長大であるため、訳文も大部のものとなっており、翻訳にあたっての苦労がしのばれる。私も今回訳文を作成するにあたり所々参考にさせていただいた。この場で感謝したい。
(2)『社会理論研究』25号(社会理論学会、2024年12月)所収 青木茂雄「尾高朝雄『国家構造論』を読む」
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