◎雑誌『真相』の休刊と復刊
昨日、所用があって久しぶりに都内に出たので、ついでに神田神保町の古書展に立ち寄った。雑誌『真相』のバックナンバーを見つけ、四冊を入手した。うち三冊は大きめで(B5判)、表紙が派手なデザインのものだったが、うち一冊は小さめで(A5判)、表紙は文字のみが並ぶ地味なものだった。
A5判の一冊は、1954年(昭和29)3月発行の通巻61号である。その51ページに、「読者の皆さんへのおねがい」という一文が載っていた。引用してみよう。
読者の皆さんへのおねがい
「真相」も復刊以来五号、経営もようやく確立のいとぐちにつきました。ひとえにみなさんの御協力によるものと、誌上より厚く御礼申上げます。
しかし、「真相」が国民各層のあいだに歓迎され、浸透するにしたがって、保守反動勢力の側からの妨害工作も手がこんできます。今はまだ公表する時期ではありませんが、すでに干渉がはじまっているのです。
もう一つは、資力不足のために、十分な宣伝ができません。反動新聞のデマ記事にたいする批判もやらなければならないが、新聞を批判すれば広告をのせてくれない。(旧「真相」当時はよくありました)
そこで、読者のみなさんにお願いしたいことは、旧読者の方でもまだ「真相」の復刊を知らない人も多いので、ぜひ周囲の方やお知り合いに「真相」が復刊していること、読者になってくれるように、口から口へとお伝えねがいたいのです。特に、地方の宣伝が不足ですから、よろしく御協力ねがいます。
雑誌『真相』は、一度、休刊となり、通巻57号から復刊されたということがあったらしい。たぶん、その復刊の際、同誌は判型を小さくし、表紙のデザインも地味なもの変えたのだろう、と推測した。【この話、続く】
昨日、所用があって久しぶりに都内に出たので、ついでに神田神保町の古書展に立ち寄った。雑誌『真相』のバックナンバーを見つけ、四冊を入手した。うち三冊は大きめで(B5判)、表紙が派手なデザインのものだったが、うち一冊は小さめで(A5判)、表紙は文字のみが並ぶ地味なものだった。
A5判の一冊は、1954年(昭和29)3月発行の通巻61号である。その51ページに、「読者の皆さんへのおねがい」という一文が載っていた。引用してみよう。
読者の皆さんへのおねがい
「真相」も復刊以来五号、経営もようやく確立のいとぐちにつきました。ひとえにみなさんの御協力によるものと、誌上より厚く御礼申上げます。
しかし、「真相」が国民各層のあいだに歓迎され、浸透するにしたがって、保守反動勢力の側からの妨害工作も手がこんできます。今はまだ公表する時期ではありませんが、すでに干渉がはじまっているのです。
もう一つは、資力不足のために、十分な宣伝ができません。反動新聞のデマ記事にたいする批判もやらなければならないが、新聞を批判すれば広告をのせてくれない。(旧「真相」当時はよくありました)
そこで、読者のみなさんにお願いしたいことは、旧読者の方でもまだ「真相」の復刊を知らない人も多いので、ぜひ周囲の方やお知り合いに「真相」が復刊していること、読者になってくれるように、口から口へとお伝えねがいたいのです。特に、地方の宣伝が不足ですから、よろしく御協力ねがいます。
雑誌『真相』は、一度、休刊となり、通巻57号から復刊されたということがあったらしい。たぶん、その復刊の際、同誌は判型を小さくし、表紙のデザインも地味なもの変えたのだろう、と推測した。【この話、続く】
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