◎愛知県小牧市のブラジル人少年殺害事件(1997)
本日は、柏木隆法さんの「隆法窟日乗」から、2月28日の分を紹介させていただくことにする(通しナンバー306)。
拙が外国人出稼ぎ労働者の子供や帰国子女を集中的に勉強を見てきたのは次のような話あある。20数年前、拙の従兄が急死し、愛知県春日井市にある火葬場に行った時のことである。その日、檀那寺の都合で火葬に立ち合えず、拙が袈裟をつけて誦経〈ズキョウ〉をすることになった。従兄を竈に送ってから待合室にいると、外国人から「わたしたちの葬式もやってほしい」と片言でいってきた。拙は正式の僧侶ではないからと丁重にことわったのだが、一歩外に出ると外国人ばかり4,50人はいた。黒人もいたからてっきりアメりカ人と思つていたら、中川〔中川剛マックス氏〕がこいつらブラジル人だという。あまりの多さに驚いた。よく聞くとこの3日前、小牧市でブラジル人少年が日本人不良グループから袋叩きに遭って死亡する事件があった。その少年の葬式だという。棺の窓から覗くと青年というより少年なのである。中川も頼むから拙は「偽坊主だよ」と断っておいて、誦経をやった。えらく感謝された。ブラジル人だからプロテスタントかと思っていたら、牧師が立ち会うのは埋葬のときだけで、遺骨はブラジルに帰るというから宗教上の引導を渡すことができない。形だけでも葬儀をやりたいというから引き受けた。これがきっかけとなって拙宅にブラジル人が来るようになってきた。いろいろと悩みも聞いた。否、聞かされた。一番多かったのは、子供の教育のことであった。学校へ行っても授業についていけず、言葉も通じないから苛めにも遭う。中学も出ていないから、働くこともできず、外国人の子供は好意で通学を認めているだけで義務教育ではないから町をほっつき歩くか、公園に屯するか、居場所がないから日本人の市民から「不気味」といって嫌われる。こんな問題が拙に降りかかった。仕方がないのでその中の少年の一人、中2の勉強をみた。一年後、見事に公立高校に入学した。また次の年も別のブラジル人がきた。日本人の自閉症の少年も頼まれた。感じたのは如何に社会的差別が教育の障壁になっているか、市の教育委員会は御存知あるまい。ボランティアで外国人学級の特殊教室をやってくれと市から頼まれたがことわった。そのころは愛知教育大学と愛知大学の講師をやっていたし、文筆活動もあるからギリギリ面倒をみられるのは1人か2人である。こんな僅かな活動でも拙の町から外国人出稼ぎ子弟の不良化はピタリと止まった。皆、高校を自指すようになってきたからだ。最近起こった未成年の事件はそれほど大げさに対処を考える事件ではない。家族や学校が少し気を付ければ防げることが多い。その防止は中卒を阻止することだと思う。それで相当違ってくる。工業高校や高等専門学校からの大学入試の枠を出来る限り取り払い、少なくとも資格の点で独学の者からも受け入れることを可能とすれば努力の道が開けるのではないか。こうでもしないと15歳の年齢を超えた者に学校教育を受けることができないために日本語を覚える機会を失うのではないだろうか。拙が教えて高校へ進んだ外国人は全員、大学へ行った。チャンスさえあれば放っておいても自然に成長する。その幼児教育を施すのは大人の仕事なのである。これは国境や人種・性別に関係ない。マックス〔中川剛マックス氏〕が自分で高校を選び、大学を選び、大学院へ行き、そして今度は大学院博士課程へと進むことになった。拙が勧めたわけではない。自分で自分の意志を通した。教育とはこうあるベきだと思う。子供がグレるというが未青年であれば親の責任は大である。大人としてやるべきことは山とある。たった一人だが今は大学院にまで進んだマックスを喜びたい。
ここに、小牧市でブラジル人少年が殺された話が出てくるが、インターネットで調べると、事件が起きたのは、一九九七年一〇月六日で、エルクラノ・レイコ・ルコセビシウス君という一四歳の日系ブラジル人少年が、二〇人の日本人から集団リンチを受け、同月九日に亡くなった事件である。
柏木隆法さんの「この3日前」という記憶が正しければ、柏木さんが、この少年のために誦経をおこなったのは、一九九七年一〇月一二日ということになろう。
直接聞きましたが、エルクラーノの両親は創価学会デス。
ブラジルも小学校から落第があるので同じことですね。
ブラジル大使館領事部や京都外国語大学
田所清克教授に聞いてね。