礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

イスラム教がアジアを結ぶ(有賀アフマド)

2015-03-07 04:51:06 | コラムと名言

◎イスラム教がアジアを結ぶ(有賀アフマド)

 インターネットで、色々な言葉を検索していると、ときどき、神戸大学電子図書館が公開している珍しい新聞記事にヒットすることがある。以下の記事も、そうしてヒットした新聞記事のひとつである。一九三三年(昭和八)九月一〇日発行の『神戸新聞』より。
 一九三三年(昭和八)当時、イスラム教(清真教、マホメッド教)という宗教について把握している日本人は、そう多くはなかったと思う。そうした中で『神戸新聞』は、イスラム教の精神、および、その存在が世界情勢の中で果している意義について紹介している。
 記事は、イスラム教の伝道師・有賀阿馬土〈アルガ・アフマド〉の布教活動について紹介しながら、イスラム教が「正義のためなら武力をも辞しない」宗教であること、有賀伝道師が、イスラム教を仲介にして、「黄色人種の独立不覇な精神連盟」を実現しようと呼びかけていることを肯定的に紹介している。地方紙とはいえ、その影響力は、少なくなかったであろう。

烈々・コーランの教義
“非常時日本”に再生
燃ゆる熱砂の意気を移し
「起てよ結べアジア」の叫び

 非常時日本の宗教は非常時にふさわしい信仰を要求する〔。〕『右の頬を打たれたら左の頬を出せ』の自滅的教養はフアッシズム日本の現段階から否定される〔。〕強い宗教、能動的な信仰、白色人種の覇絆から脱して黄色人種の独立不覇な精神連盟の大同団結へ!その呱々の声は『右手に剣を握り左にコーランを』と不動の正義に立つ清真教の烽火である〔。〕清真教〈セイシンキョウ〉とはマホメツト教の同義語、本年一月布教のトップを切ると同時に燎原の火のやうに憂国の識者や軍部間に絶讚と信仰を獲得した清真教の教義、日本最初の伝道は『永年白人連盟に虐げられた数億に余るアジア民衆はがつちりスクラムを組まう』とヴイヴッドな信仰連盟のスタートを切った――

 この日本最初のマホメツト教伝道師である京都市上京区小山堀池町五二有賀阿馬土〈アルガ・アーメッド〉氏、そのドクトリンは
教 祖 マホメットのの正統を伝へる内容をそのままに只儀式上の形式を日本化したもの目下神戸市葺合〈フキアイ〉区御幸通〈ゴコウドオリ〉七ノ八大矢氏方に滞在中の有賀氏は云ふ
『清真教はキリスト教の三徒一体と異つて唯一の神を信仰し、アジア七億の民衆の精神指導にあたつてゐる
 しかもその教へは正義のためなら武力をも辞しない強権を認容するから――
 現在の日本にとっては絶対に必要な宗教です、アジア民族のうち完全な、
独 立 をして黄色人種のため気をはいてゐるのは日本あるのみ、その日本が国際的に孤立となつたのは白色人種によつて成立するキリスト教の精神連盟からロツク・アウトされたものであつて、われわれは是非とも黄色人種の精神連盟をつくらなければならない、それは清真教が最高のしかして唯一の仲介者であります
と云つてこの一月の火ぶたを切つた同氏の
力 の 宗教に賛成して信者となつたものはすでに百人もあり知名の士としては元外務次官早川鉄治氏〔、〕前住友鋳銅所長山崎久太郎氏、元日本セメント会社長苗村又右衛門氏等々々、双手を上げて有力な賛助員となった人々には陸軍教育総監林銑十郎大将、海軍少将岩崎達人氏、正金銀行頭取児玉謙次氏ら二百名に達し有賀氏は『先達て〈センダッテ〉荒木〔貞夫〕陸相と一時間半にわたり
懇 談 をとげた〔。〕時非常な賛成を得ましたから今度会つた時は是非とも賛助員になつてもらヒます』と積極的な同教の進展ぶりを示して居る
 尚ほ同教は神戸在住の印度、亡命露西亜人によつて可なりの信仰者があり近く中山手二丁目に教会を設立する意向であり、有賀氏は彼れらの団体と交渉はとるが、而も独立に日本的な立場をもつて布教に従事する
覚 悟 で近く東京に本部を置き神戸ではキリスト教より転向した神戸須磨区古川町四ノ四植村龍世氏が伝道の任にあたる予定、強い信仰に燃える有賀氏は『仏教もキリスト教も退嬰的となり信仰を失つた今日清真教こそは現下の非常時日本がアジア大衆と握手する最善の生きた宗教です』と堅い自信を持つて斬新な第二段の布教活動を開始することになつてゐる(写真は書斎の有賀氏)

 写真は割愛した。記事では、「有賀阿馬土氏」の「阿馬土」に、「あゝめつど」というルビが振られていたので、上記においては〈アーメッド〉と読んでおいた。インターネット情報によれば、「有賀阿馬土」は、有賀文八郎〈アルガ・フミハチロウ〉のイスラム名であり、「阿馬土」は、「アフマド」と読むのが一般的なようだ。
 また、「キリスト教より転向した神戸須磨区古川町四ノ四植村龍世氏」とあるが、この「植村龍世氏」というのは、もとは、賀川豊彦の秘書をしていた人物と思われる。

*このブログの人気記事 2015・3・7

 

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