礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

どうかこの際終戦の決定を一時延ばし……(大西瀧治郎)

2020-04-16 03:14:05 | コラムと名言

◎どうかこの際終戦の決定を一時延ばし……(大西瀧治郎)

 雑誌『自由国民』第一九巻二号(一九四六年二月)から、迫水久常の「降伏時の真相」を紹介している。本日は、その十四回目。

 陛下・再び平和を御主張
      慟哭裡に・再建の光明を見る
 大西〔瀧治郎〕中将は十三日の午後十一時頃、前に述べた〔東郷茂徳〕外務大臣と軍部両総長〔梅津美治郎・豊田副武〕との会談の席に突然現はれた。高松宮〔宣仁親王〕様に拝謁した結果を軍令部総長に報告せんとするためであつた。
 大西君は高松宮様の御意見は極めてはつきりしてをられて、到底これを翻させらるゝ見込みなきを報告した後、唯、若し軍に於て真に陛下の御信頼をかち得べき作戦を策出するに於ては、或は御翻意願ふことも可能ならずやと思考するが故に、どうかこの際終戦の決定を一時延ばし、若干の時日の猶予を得て真に最後の作戦を策出したいと嘆願した。そして曰く
「私は今次戦争勃発以来戦争をどうすればよいかといふことを日夜考へつゞけて来た積りだつた。併しこの両三日になつて考へて見ると、これまで戦争を考へた考へ方が、如何に真に真剣なるものに及ばなかつたかが判つた。私はこの両三日程戦争を真剣に考へたことはない。我々は自分では気がつかずにゐたが真に戦争のことを考へたことはなかつたのだ。この点は国民の全部がさうではなからうか。今此の真剣さを以て考へたら、必ずよい作戦が策出せられ、陛下を御安心させ申上げることが出来よう」
と、言葉は吶々〈トツトツ〉として声涙共に下つた。居合せたもの一同感に打たれたが、両総長は黙して語られなかつた。会合が終つてから、大西君は独り残つて私〔迫水久常〕の手を握つて何かよい考へはないかといつた。そして淋しく帰つて行つた。終戦直後自刃した彼の為め私は無限の感慨を覚える。【以下、次回】

 この記述によれば、十三日にあった東郷茂徳(しげのり)外務大臣、梅津美治郎(うめづ・よしじろう)参謀総長、豊田副武(そえむ)軍令部総長による三者会談に、内閣書記官長である迫水久常は同席していた。迫水は、突然、その席にあらわれた大西瀧治郎中将(軍令部次長)の訴えを、リアルタイムで聴いていたのである。だからこそ、その訴えを、このように記すことができたのである。とはいえ、大西中将が、「必ずよい作戦が策出せられ」云々と訴えたというのは、迫水の婉曲話法であろう。大西中将は実際には、この席で、「二〇〇〇万人特攻計画」をブチあげたものと思われる。なお、大西中将の「二〇〇〇万人特攻計画」ウィキペディア「大西瀧治郎」の項を参照されたい。

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