礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

内村鑑三、福沢諭吉の「拝金宗」を痛罵(1897)

2013-10-01 03:39:15 | 日記

◎内村鑑三、福沢諭吉の「拝金宗」を痛罵(1897)

 昨日の続きである。亀井俊介訳『内村鑑三英文論説翻訳編 上』(岩波書店、一九八四)に載っている内村鑑三のエッセイの中から、本日は、「拝金宗の結果」を紹介したい。引用するのは、その前半部分である(一二七~一二八ページ)。

 拝金宗の結果 Fruit of Mammonism
 もし人間の主目的が金を得ることだったら、その目的のために彼のしないことがあるのだろうか。彼の外面的行状〈ギョウジョウ〉がいかに非の打ちどころなく、処世の仕方がいかに円滑で順調であっても、彼の内面の生は利己心そのものであり、いつか、何らかの形で、彼は自分のすべての行動の根底にある内なる原則を外にあらわさざるをえない。
 拝金宗は福沢論吉氏の過去三十年間ほど公然と宣言してきたところである。氏はわが国におけるその使徒の中心者である。氏は学校を所有し、自分の保護の下におかれた若者たちに氏の邪悪な原則がしみこむことも意に介さないでいる。氏はまた新聞、上流階級を支持者とし日本最大と宣伝する有名な『時事〔新報〕』を所有する。こうして、わが国における氏の影響力は小さくない。氏は日本社会全体の尊敬を得ている。「三田聖人」というのが、氏にたてまつられた称号だ。氏はわが金銭愛好の同胞にうやまわれ称讃されて、新日本が生むことのできる最も立派な紳士として通っている。氏には財産があり、氏の弟子も財産を築き、師弟一体となって、その奇妙な信仰により幸福を獲得したということで、拝金宗の「真理を証明」してきた。われらすべて、氏と氏の弟子たちがなしたごとくなすべきではなかろうか――武士道〈サムライズム〉をすて、金を得る「最良の策」になると見きわめた限りでのみ正直であるべきではなかろうか。
 だが、いまやついに、恐ろしい事実が暴露された。使徒おんみずからの養子――名は福沢桃介〈トウスケ〉――が、偽りの電報を捏造し、それを父の新聞『時事新報』にのせ、株式取引によって三万円をもうけることに成功したのだ。この詐欺行為は『万朝報〈ヨロズチョウホウ〉』の耳に達し、われわれは四日前の本紙〔万朝報〕上に事件の全貌を公表した。だがいままでのところ、『時事』はわれわれの記事に対し明確な否定をしていない。社会に加えた重大な侮辱にも気づいていないといった恰好で、自己流の言い逃れ話を続けるだけである。【後略】

 福沢諭吉がその生前、「拝金主義者」として批判されていたことは知っていた。そのことを、『知られざる福沢諭吉』(平凡社新書、二〇〇六)なる拙著で紹介したこともあった。しかし、内村鑑三が、ここまで過激な表現で、「拝金宗」批判をおこなっていたとは知らなかった。
 一八九七年(明治三〇)五月九日に『万朝報』英文欄に載った記事である(無署名)。

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