礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

わしは革命軍の捕虜になっていたのさ(中村長次郎)

2021-01-29 02:18:11 | コラムと名言

◎わしは革命軍の捕虜になっていたのさ(中村長次郎)

 石橋恒喜『昭和の反乱』下巻(高木書房、一九七九年二月)から、「二十二 やった! 革命だ――」の章を紹介している。
 本日は、その二回目で、「捕虜となった写真班」の節。

 捕虜となった写真班
 有楽町でバスから飛び降りると、一気に三階の編集局まで駆け上がった。もちろん、局内は火事場のような騒ぎである。西荻窪のような田園地帯に住んでいる社会部記者はまれなので、部員のほとんどは出勤していた。デスクの安島誉〈アジマ・シゲル〉が、私を見てホッとした顔をした。
「待っていたぞ。君は臨時デスクをやってくれ」
 私はたずねた。「いったい、何が起こったのだ。渡辺〔錠太郎〕大将邸が襲撃されたことは、特報で知っている。だが、警視庁前にいる兵隊は何かね、歩三の襟章をつけていたが……」 
 デスクは顔をこわばらせながら答えた。
「革命軍だよ、とうとう君の予言が的中した」
「えっ! 本当か?」――私は思わず飛び上がった。しかし、ぐずぐずしてはいられない。すぐデスクの隣りに陣取って、事件のあらましを聞いた。
「決起した革命軍は在京部隊らしいこと、襲撃された個所は総理大臣官邸、内大臣官邸、侍従長邸、大蔵大臣私邸、教育総監私邸、内務大臣官邸、湯河原の伊藤屋別館、警視庁などであること。岡田〔啓介〕首相、斎藤〔實〕内大臣、鈴木〔貫太郎〕侍従長、高橋〔是清〕蔵相、渡辺教育総監、牧野〔伸顕〕前内大臣らは生死不明、後藤〔文夫〕内相だけは無事であったこと、陸軍省、内務省、警視庁などが武装集団の包囲下にあるため、くわしいことはさっぱり分からないこと」
 などであった。そして、「事件の報道については、一切禁止の通達があったから注意してくれたまえ」といって、一通の書類をさし出した。
 見ると、それは内務省警保局長名による通達である。「本日、東京市その他における軍隊の不穏行動並びにこれに関連する記事は、一切これを新聞紙に掲載せざるよう通達する」とある。
 さらにデスクは、声をひそめてこうささやいた。
「実はけさ五時ごろ、首相官邸から『いま軍隊が襲ってきた』との通報があった。ただちに宿直中の写真部の中村長次郎君が飛んでいったのだが、未だに帰ってこない。間違いがないといいんだが……」
 カメラマンの中村は社内切っての名物男。陽気な楽天家だ。われわれは彼を〝ガラッパチの長次郎〟こと「ガラ長さん」と呼んでいた。まさか革命軍が〝報道陣〟に危害を加えることはあるまい、とは考えたものの、勇敢なガラ長さんのこととて、流弾にあたる可能性もある。私も腕組みして考え込んだ。
 しばらくすると、〝帰ってきた、帰ってきた〟というざわめきがする。見ると青ざめた顔をして、中村が姿を現わした。
「いやあ、えらいこっちゃ。岡田首相はやられたよ。わしはいままで革命軍の捕虜になっていたのさ」
 と、一部始終を語ってくれた。
「けさ宿直当番にあたっていた私(中村)が、ふとんに入ったばかりのとき、首相官邸から電話だという。電話は官邸の職員の松沢氏からだった。
『いま官邸に軍隊が入ってきた……私はこれから逃げます』
 といって電話は切れた。自分は自動車部へ飛んでいった。まだ五時をちょっと過ぎたばかりである。外は暗いので、車はライトをつけて走った。霞ケ関に出て、官邸の近くに立っている兵隊に〝えらい人に会わせてくれ〟というと、兵士が後から銃剣をつきつけながら案内してくれた。そこには数名の将校がいた。私はたばこを宿直室に置き忘れてきたので、〝たばこがあったらください〟とかたわらの将校にいうと、ゴールデンバットを出してくれた。チェリーが欲しいというと〝栗原〟と彼はかたわらの将校に声をかけた。そこではじめて栗原〔安秀〕中尉の名前を知ったのだが、彼はポケットにチェリーをいっぱい持っていた。将校たちとたき火にあたっていると、『これから陸相官邸へ行くから自動車を貸せ。君は助手席に乗れ』という。陸相官邸へ行くと、ちょうど射たれた将校が運び出されるところだった(注、磯部浅一に射たれた軍事課員・片倉衷)。陸相官邸から警視庁をまわって、首相官邸に帰ると、栗原中尉は『わしたち尊皇義軍は、貧乏人をすくうために決起したのだ。これがその趣意書だ』と蹶起趣意書を見せてくれた。そこで自分は、『これを新間で天下に知らせなければだめじゃないですか。これから帰って大々的に書きますから、帰してください』といったら、『それもそうだ。よしっ! 帰れ』と釈放してくれた。自分が官邸へ着いた時は襲撃直後のこととて、一時はどうなることかと思ったよ」
 彼はこう語りながら、「その蹶起趣意書はこれだ」といって、ガリ版刷りの檄文を示した。署名を見ると、「陸軍歩兵大尉野中四郎外同志一同」とある。私は首をかしげた。なぜかというのに、私は一部将校のおもだったものは、ほとんど知っていた。だが、「野中四郎」の名は、これまで耳にしたことがなかった。早速、「陸軍実役停年名簿」で調べてみたら、彼は陸士三十六期生で歩三の第七中隊長。歩一の山口〔一太郎〕からみると三期も後輩である。どうもおかしい。いったい、週番司令・山口はどうしたのだろう? 不審に思ったが、彼が決起部隊の総指揮官でないことを知って、ホッと胸をなでおろした。【以下、次回】

 首相官邸までやってきた東京日日新聞記者に対し、栗原安秀中尉は、「これから陸相官邸へ行くから自動車を貸せ。君は助手席に乗れ」と言ったという。この東京日日新聞記者は、石橋恒喜著『昭和の反乱』によれば、中村長次郎である。しかし、三浦寅吉執筆「反乱軍本拠突入記」によれば、その記者は三浦自身であるという。
『昭和の反乱』によれば、中村記者は、宿直中のところ、「松沢」という人物から電話を受け、すぐに社の自動車で出発している。一方、三浦記者は、自宅で就寝中、同じく「松沢」から電話を受け、新聞社に連絡を入れたあと、タクシーを拾って新聞社に向かった。社に着いたときには、中村記者は、すでに出発していたという。
 ということであれば、最初に首相官邸までやってきたのは、中村記者である可能性が高い。栗原中尉と一緒に陸相官邸に行ったのも、たぶん、中村記者だったと思われる。もちろん、断定はしない。
 なお、「ゴールデンバット」も「チェリー」も、専売局が販売していたタバコの名称。ともに十本入りだが、チェリーのほうが、少し高級。

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