◎事件前日における下山総裁の奇妙な言動
月刊誌『真相』の第61号(1954年3月)から、「『下山事件』他殺白書」という記事を紹介している。本日は、その二回目。
1「自殺説」にひそむナゾナゾ
暗夜に色のみえた証人たち
それによれば、下山総裁は、五日午前九時三十五分三越南口から入り、店内とその附近を歩いた(約四十五分間)のち、午前十一時半すぎ地下鉄浅草行に乗り(地下鉄に乗るまでの一時間が不明)、午後一時四十三分五反野駅で下車(二時間以上もかかっている)、午後二時から五時半ごろまで末広旅館で休憩し、午後六時ごろから轢断現場をうろついていたというわけである。
この間に目撃された「下山総裁」はいずれも一人で、その間殺されたとは考えられないというのが捜査本部の断定である。
この十七人の目撃者のうち九人が轢断現場で「下山総裁らしい人物」を目撃したことを細かに証言しているが、その証言はいずれも事件後二週間近くもたったあとで、しかも薄暗がかりにもかかわらず、洋服の色、ネクタイの有無、頭髪の分け方から体格、体重の推定、所持品のあるなしまで刻明にみんなが記憶しているということは他の事件では例のないことであり、玄人の警視庁が素人の目撃者をこれほど信用したこともまことに珍しい例なのである。
しかし、だからといってその九人の証言がまったくデタラメだということはもちろんできない。しかし、これらの人たちが見た人物が下山総裁だったとただちに断定したことには、玄人らしくない早合点も感じられるし、そこに大きな心理的な陥穽〈カンセイ〉があると見られるが、そのことは後章で詳しく述べることにしよう。
さて、つぎに事件前日の下山総裁の奇妙な言動であるが、失踪前日の四日、下山総裁は午後三時すぎ警視庁総監室に現われたが、イスにもかけず立ったまま黙っているので、田中〔栄一〕総監と対談中だった岩沢元消防部長が座をはずそうとすると「いやかまわないんです」といってはじめて腰をおろし、「通りがかりに寄ったのです」といい、別に何の用もなそうにしていたが、二、三岩沢氏と言葉を交してそのまま帰って行った。これを田中総監は「普段と様子が違うと思った」と証言している。
ついで、法務庁の柳川長官室に現われ、横柄な態度で「電話を貸して下さい」と、いきなり長官の机の電話をとり「キウチさんですか……」といって電話を切り、突然柳川長官に向って「わたしの父も裁判官をしていたから、裁判官の待遇はよく分ります」といってサッサと出て行ってしまった。柳川長官は頭がどうかしているのじゃないかと思ったと証言。それから約一時間半ほどして東京駅二階の国鉄公安局長官室に芥川〔治〕局長を訪ねたが、まるで落着かず、芥川長官が「お茶をいれましょう」と用意しかけると「いらない」と断りながら、いきなり芥川長官ののみかけの茶を一気にのみほしたり、アイスクリームをすすめても「いらない」と断りながら、眼の前にあった人のものをとって忙しく口に運び、しかもポタポタとたらしているのにもまったく気づかない様子であった。そこへ橋本課長が新聞を買ってきて総裁に見せると「三万七千の首を切ったか……」とつぶやき、「帰る」といって部屋を出て行った。〈6~7ページ〉【以下、次回】
文中、「法務庁の柳川長官」とあるのは、たぶん、法務府法務総裁官房長の柳川真文(やながわ・まふみ、1903~1985)のことであろう。
月刊誌『真相』の第61号(1954年3月)から、「『下山事件』他殺白書」という記事を紹介している。本日は、その二回目。
1「自殺説」にひそむナゾナゾ
暗夜に色のみえた証人たち
それによれば、下山総裁は、五日午前九時三十五分三越南口から入り、店内とその附近を歩いた(約四十五分間)のち、午前十一時半すぎ地下鉄浅草行に乗り(地下鉄に乗るまでの一時間が不明)、午後一時四十三分五反野駅で下車(二時間以上もかかっている)、午後二時から五時半ごろまで末広旅館で休憩し、午後六時ごろから轢断現場をうろついていたというわけである。
この間に目撃された「下山総裁」はいずれも一人で、その間殺されたとは考えられないというのが捜査本部の断定である。
この十七人の目撃者のうち九人が轢断現場で「下山総裁らしい人物」を目撃したことを細かに証言しているが、その証言はいずれも事件後二週間近くもたったあとで、しかも薄暗がかりにもかかわらず、洋服の色、ネクタイの有無、頭髪の分け方から体格、体重の推定、所持品のあるなしまで刻明にみんなが記憶しているということは他の事件では例のないことであり、玄人の警視庁が素人の目撃者をこれほど信用したこともまことに珍しい例なのである。
しかし、だからといってその九人の証言がまったくデタラメだということはもちろんできない。しかし、これらの人たちが見た人物が下山総裁だったとただちに断定したことには、玄人らしくない早合点も感じられるし、そこに大きな心理的な陥穽〈カンセイ〉があると見られるが、そのことは後章で詳しく述べることにしよう。
さて、つぎに事件前日の下山総裁の奇妙な言動であるが、失踪前日の四日、下山総裁は午後三時すぎ警視庁総監室に現われたが、イスにもかけず立ったまま黙っているので、田中〔栄一〕総監と対談中だった岩沢元消防部長が座をはずそうとすると「いやかまわないんです」といってはじめて腰をおろし、「通りがかりに寄ったのです」といい、別に何の用もなそうにしていたが、二、三岩沢氏と言葉を交してそのまま帰って行った。これを田中総監は「普段と様子が違うと思った」と証言している。
ついで、法務庁の柳川長官室に現われ、横柄な態度で「電話を貸して下さい」と、いきなり長官の机の電話をとり「キウチさんですか……」といって電話を切り、突然柳川長官に向って「わたしの父も裁判官をしていたから、裁判官の待遇はよく分ります」といってサッサと出て行ってしまった。柳川長官は頭がどうかしているのじゃないかと思ったと証言。それから約一時間半ほどして東京駅二階の国鉄公安局長官室に芥川〔治〕局長を訪ねたが、まるで落着かず、芥川長官が「お茶をいれましょう」と用意しかけると「いらない」と断りながら、いきなり芥川長官ののみかけの茶を一気にのみほしたり、アイスクリームをすすめても「いらない」と断りながら、眼の前にあった人のものをとって忙しく口に運び、しかもポタポタとたらしているのにもまったく気づかない様子であった。そこへ橋本課長が新聞を買ってきて総裁に見せると「三万七千の首を切ったか……」とつぶやき、「帰る」といって部屋を出て行った。〈6~7ページ〉【以下、次回】
文中、「法務庁の柳川長官」とあるのは、たぶん、法務府法務総裁官房長の柳川真文(やながわ・まふみ、1903~1985)のことであろう。
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