礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

オイ、名案が浮んだぞ(小坂憲兵曹長)

2021-12-17 00:27:52 | コラムと名言

◎オイ、名案が浮んだぞ(小坂憲兵曹長)

 このブログを始めたころ、小坂慶助『特高』(啓友社、一九五三)という本を古書展で入手し、ブログで紹介したことがある。
 そのときは、同書の「Ⅲ 二・二六事件秘史」の初めのほうを紹介したが、本日は、その最後のほうを紹介してみたい。

     一〇、救 出 の 計 画
 裏玄関正面の総理応接間は、十坪位の広さで、その調度は豪勢なものである。三人共に身体の埋るようなソフアーに身を沈めると、昨日以来の身心の疲れが一度に出たような気がした。
 「岡田総理は未だ無事でいる事を確認して来た。警戒配置の状況はどうだった!」
 「官邸内は屍歩哨だけです。巡察は、一時間毎に下士官以下のがあり、其の間に臨時の将校巡察があります。屍歩哨の控所は裏門脇の衛兵所です。日本間附近には兵隊の出入する処は有りません! 屋外は庭園の芝生の処にと表官邸と日本間の境の処の〔ママ〕立哨しています」
 と青柳〔利一〕軍曹が報告した。
 「裏門は警察官詰所が衛兵所となって、長は歩一の軍曹です。歩哨は裏門に二名立哨しています。控兵は二十五名です。外囲の交替は表玄関内の記者俱楽部が本部となってやっているようです」
 と、小倉伍長が報告した。
 「隣室には、屍歩哨がいるから大きな声で話すな! 洩れでもしたら大変な事になるぞ」
 と念を押した。
 「いよいよ実行だが二人共、現在の情勢下で最善の手段を考えて見て呉れ、お互いに命を懸けた仕事だから、充分に検討した上で決定する事にしよう! 総理が現在無事でいる以上慌ててやる必要はない。絶好のチャンスを侍って決行すれば良い!」
 「そうですね! 慌ててやる事はないですね、良く考えましょう!」
 と青柳が云った。現在の官邸の出入口は正門と裏門の二つに限られている、「如何にしてこの重囲を脱出するか」と、云う考えで頭は一杯だった。万一総理の生存を発見でもされたら一体どうなる。総理と運命を共にするか? 憲兵が来たために折角生き延びた総理が殺された。となると問題となる。憲兵も叛乱軍の仲間であったと云われても、弁解の余地もない。命を賭して救出に来た真意も、逆に汚名を被むる結果となる。いくら考えても名案は浮んで来ない、気持ちばかり苛々して頭の中は火の様だった。
 どの位の時間が経ったか判らないが随分長いように思えた。此時不図〈フト〉、これは官邸の誰かを一人加える事だと考え付いた。そうすれば最悪の場合でも、我々が乗り込んで来た真意は理解して貰へる。加えるとすれば女中二人と先刻正門に見えた、柳田〔官邸受付〕の三人だけだ。女では問題にならない、柳田! これも先刻の態度では役立たないと思い巡ぐらしていると、突然遠くの部屋から電話の鈴〈リン〉が頻りと嗚っているのに気が付いた。この鈴の音にヒントを得て、福田〔耕〕秘書官が頭に浮んだ。昨日朝しつこく電話を掛けて、憲兵の派遣方を要求して来た福田秘書官、そうだ福田秘書官を仲間に入れる事だ。今迄余りにも官邸内にばかり気を取られ、これに気が付かなかった事が、可笑しい〈オカシイ〉位だった。
 「オイ青柳! 小倉! 名案が浮んだぞ!」
 自分の声の余りにも大きかったのに自分で驚いた。この突然の言葉に両人もハットして私を見詰めると、倚子を引き寄せるようにして、私の傍〈ソバ〉に寄り額を集めた。
 「総理の脱出には福田秘書官を仲間に入れる事だ! 官邸の状況には詳しいし、万一失敗しても我々の真意は通ずる、一応福田さんに相談して、事を運ぶと云う事も良いと思い付いたのだがどうだろう! それに福田さんとしても、良い智慧がないとも限らない」
この提案に両人共は流石〈サスガ〉は班長だと感心したような顔付きで
 「結構です! 本当に良い思い付きですが――併し、福田秘書官は官舎にいるでしょうか?」 
 と、青柳が心配そうな顔で云った。
 「昨日の朝! 分隊に何回も電話を掛けて来て、官舎から一歩も出られないから、何とかして呉れと云うていたから、未だ官舎に罐詰になっていると思う。俺が秘書官々舎に行って連れて来る! それ迄青柳は寝室の〔ママ〕女中部屋の中間位にいて、情勢を見ていて呉れ! 小倉は裏門附近で、衛兵司令以下を上手に懐柔していて呉れ!」
 衆議一決! 私は先程正門の警官詰所で拾った、コルト式拳銃を軍服の物入れの中で、しっかりと握り締めて立上った。【以下、次回】

 文中に、「表官邸と日本間」という言葉が出てくる。「表官邸」は、文字通りの官邸であり、「日本間」は首相は起居する邸宅である。また、「屍歩哨」という言葉が出てくる。読みは、「しほしょう」だと思うが、確信はない。参考までに、映画『二・二六事件 脱出』(東映東京、一九六二)では、会話の中で、「しかばね兵」という言葉が、何回か使われていた。

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