礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

すべてを見抜いた栗林中尉は部下を制し……

2021-12-16 00:19:00 | コラムと名言

◎すべてを見抜いた栗林中尉は部下を制し……

 映画『二・二六事件 脱出』(東映東京、一九六二)の話を続ける。
 インターネットのホームページ「映画.com」は、昨日も利用させていただいたが、同ホームページは、この映画を以下のように紹介している(https://eiga.com/movie/69740/)。

 二・二六事件 脱出
劇場公開日 1962年3月14日
1962年製作/96分/日本
配給:東映

 解 説
小坂慶助原作『特高』より、「右門捕物帖 卍蜘蛛」の高岩肇が脚色、「万年太郎と姐御社員」の小林恒夫が監督した二・二六事件の裏面史。撮影は「石松社員は男でござる」の藤井静。

 ストーリー
昭和十一年二月二十六日の未明。降りしきる雪をつき、国体の擁護開顕を志して決起した青年将校のうち、栗林中尉の率いる一隊は首相官邸を襲ったが、折から投宿中の首相と酷似の義弟杉尾大佐を首相と思い込んで射殺、付近一帯に警戒線を張った。隣接の秘書官官舎にいた速水書記官長は急遽、麹町憲兵分隊に救援を求めたが、警戒線の厳重を理由に断られた。これより先、武装警官隊を満載して駈けつけたトラックも、包囲部隊の市田少尉に遮られて走り去った。速水は福井秘書官を従え、首相の遺骸に香華を供えると申し出、邸内に入った。決起部隊が首相と信ずる遺骸が杉尾大佐と知った速水は、さらに女中部屋の押入れに首相が生存していることを認め、宮内省に諸角海相を訪ねて首相救出のため陸戦隊の出動を求めたが、徒らに陸海両軍を刺激してはという懸念から拒絶された。また湯村内大臣からは周囲の情勢から、明日首相に対する勅使差遣を奏上しなければならないので、明正午までに首相を救出して欲しいと頼まれ、焦躁と不安にさいなまれるのだった。一方、ひそかに官邸内に潜入していて逃げ帰った篠原上等兵から首相の存命を知った麹町憲兵分隊の特高係小宮曹長は部下二名と警戒線を突破、秘書官官舎の速水と図って首相の近親者十一名を選んで遺骸に焼香させると称して邸内に入れ、首相の脱出をまんまと成功させた。杉尾大佐の遺骸を運び出そうとした速水は、栗林中尉に「首相の写真とこの遺骸とは違う」と詰めよられ、窮地に陥った。関軍曹が女中のとめに首実検を迫った。しかし、今はすべてを見抜いた栗林中尉は部下を制し、遺骸の室から出た。まもなく、ラジオは「宮内省発表、昨二十六日、即死を伝えられた岡部総理大臣は…」と臨時ニュースを報じた。官邸の正面ホールに塑像のように立ちつくす栗林中尉の姿があった。表門に整列した兵隊の銃剣が、雪と太陽にキラキラと光芒を放っていた。かくて岡部総理は救出されたが、歴史の波はとどめることができず、日本は日中戦争から太平洋戦争へとひきずり込まれていった。

 この「ストーリー」のうち、下線を引いた箇所は、次のように訂正する必要がある。

速水書記官長   → 速水秘書官
福井秘書官を従え → 福井秘書官とともに
湯村内大臣    → 湯村宮内大臣

 三國連太郎が演じた「速水友常」(モデルは迫水久常)の役職は、「書記官長」ではなく「内閣総理大臣秘書官」である。実際、映画の中でも、速水は「速水秘書官」と呼びかけられている。ちなみに、当時の内閣書記官長は、白根竹介(しらね・たけすけ)であった。
「速水秘書官」と、中山昭二が演じた「福井秘書官」(モデルは福田耕)とは、ともに「内閣総理大臣秘書官」であるから、速水が福井を「従え」ることはありえない。
 江川宇礼雄が演じたのは「湯村宮内大臣」(モデルは湯浅倉平)であって、「内大臣」ではない。ちなみに、内大臣・斎藤實は、蹶起部隊によって暗殺されている。
 なお、上記の「ストーリー」によれば、江原真二郎が演じた「栗林中尉」(モデルは栗原安秀)は、官邸日本間から「遺骸」を運び出す直前、それが首相のものではないと気づいたことになっている。
 最初に映画を観たとき私は、そうは捉えなかったので、その部分を、もう一度、再生してみた。たしかに栗林中尉は、遺骸が首相のものではないと気づいたようにも見える。しかし、半信半疑という感じになっているようでもあった。どちらとも断言はしにくいが、映画としては、「すべてを見抜いた栗林中尉は……」といった設定になっていた可能性がある。
 だとすれば、一昨日、掲げた七項目(この映画で「史実あるいは原作と異なっている箇所」七項目)のうち「6」は、次のようにすべきであった。

6 映画では、ひつぎ搬出の際、栗原安秀中尉は、衛兵の指摘を受けて、遺骸が岡田首相のものでないことを見抜いた。しかし、史実では、栗原中尉は、遺骸が岡田首相のものでないことに、最後まで気づかなかった。

 ただし、一昨日の「6」を、今から書き換えることはしない。
 明日は、小坂慶助の『特高』(啓友社、一九五三)を、少し読んでみたい。

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