礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

失意の森脇将光を支えた三人の女性

2017-12-10 06:34:27 | コラムと名言

◎失意の森脇将光を支えた三人の女性

 昨日の続きである。森脇将光著『三年の歴史』(森脇文庫、一九五五)から、「花三輪」という文章を紹介してみたい。

  花 三 輪

 私は著書「風と共に去り風と共に来りぬ」で、時の権勢が〝金〟や〝女〟と結びつく疑獄の真相を、忌憚なく発表したが、他事を語るに私事を秘めるは卑怯であると、まっ先に、私には妻を含めて三人の女性のあることを、周囲の反対を押切って公表した。これは昔話になるが、人徳ゆたかな人として知られた渋沢栄一老が、五人の女性を共に愛されていた。老はこれを世に秘し匿す〈カクス〉ため、殊のほか気苦労されたときく、その甲斐あって、この秘事は余り世間で知られぬまゝに過ぎている。そうした生き方が世の常ではあるに相違ない。
 しかし私はそうは思わない。人間は神ではない人である。誤ち多いのが人の世の姿である。
 そうしたことを社会に秘し匿すことから、社会の清浄さは、毀されてゆくのではなかろうか。常々そう思っている私は、良きも悪しきもあるがまゝの姿を、そのまゝそっくり社会に顕現して生きてゆく、そうした生き方の中に、常に聖なるもの、神とか仏とかいうでもあろうものへ、秒一秒近づかんとする努力精進をつゞけるところに、神でない人間の生きとし生ける人生の価値があるのではなかろうか。
 私はそういうあり方の方が、すなをで卒直で素朴で、純粋であるとさえ思う。
 それはともかく、正当な意味から、また社会生活の純理から考えれば、一人でない女性をもつことは、よくないこと、私も思う。思いつゝ、そうでなかった私は、いろいろな理由はあるにしても、人性の弱さにまけた、一個の敗残者といえるであろう。
 私が世に公表してから、全国から寄せられた書評の中に、三人の女性について、ときに叱正、ときに質問もあった。
 私はこれらを有難くうけて心の糧〈カテ〉とする考えであ.る。人の道の純理からして、それらにお答えする資格のないことを、従順に認める。
 青天白日の身となって、わが家に帰ってみれば、原子爆弾を投下された跡にみるような、無修な廃墟となっていたという、前古未曽有の大椿事。
 崩れおち崩れさる私の精神、生きながら生けるでもない私の五体。死人にも等しい無感応、次第次第に死の深淵に導かれゆく私。
 それを声なき声にひきもどされ、かすかながらも生気をとりもどし、悲嘆のどん底から、迷蒙を解いて、やがて獅子奮迅の努力の日は来るのであるが――私を死の誘惑から遠ざけ、ほのぼの生気を与えてくれたものは何か?
 妻をはじめとする二人の女性が、悲運な私を見拾てるでもなく、平隠な日にいや増す愛情の支えと、献身的な奉仕を与えてくれたためであった。
 もしこの三人の清純にして無垢なるものがなかったなら、私は既に崩れ去っていたであろう。
 ロスチャイルドは、破産に瀕し、死を覚悟した瞬間彼の妻が、
「世界のすべてを失うとも花一輪私というものが側にある」
 との一言にはげまされ、沮喪の意気をとりもどし、やがて天下の大富豪となったときくが、私は一輪ならぬ三輪の花にはげまされ、今ある、きょうの日があるのである。
 三人の女は、まさに私に第二の人生を恵んでくれた、天来の福音者でもあろう。
 世の批判はいろいろあろうとも、私は現実に、彼女たちによって救われたと疑うこともなく、固く固く信じている。
 私は二人の女性に天を仰いで、深く謝すると共に、日本の全女性に頭〈コウベ〉を垂れて、感謝したくさえなる。
   29・4・24

 以上は、森脇将光が「ある新聞社に寄稿した」文章を、そのまま引用したものと思われる。ただし、「花三輪」という文章は、これで終わりではなく、そのあとに、これに倍する続きがある。その続きは次回。

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