礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

森脇将光と映画『ゾラの生涯』

2017-12-09 01:18:44 | コラムと名言

◎森脇将光と映画『ゾラの生涯』

 森脇将光〈モリワキ・マサミツ〉といっても、今の若い人は、何らのイメージも思い浮かばないと思うが、私ぐらいの年齢の者にとっては、きわめて印象の深い人物のひとりである。この人の名前は、中学生のころから、新聞で目にし、ラジオやテレビで耳にしてきた。当時の国民の多くは、この人物に対し、「脱税王」というイメージを思い描いていた。もちろん、私も、そのひとりであった。しかし、森脇本人からすれば、当然、言い分もあったことだろう。
 先日、書棚を整理していたところ、森脇将光著『三年の歴史』(森脇文庫、一九五五)という本が出てきた。何十年も前から持っている本だが、まだ読んだことはなかったと思う。今のところ、まだ、拾い読みの段階だが、すこぶる面白い本である。
 本日は、同書から、「河井検事との人生雑談に想う」という文章を紹介してみたい。

  河井検事との人生雑談に想う

 昭和二十八年〔一九五三〕暮迫るころ、私は、東京地検に河井検事を訪れた。私の告訴状から志賀はすでに捕われ、その時猪股が逮捕された事をはじめて知らされた。河井検事と人生雑談の末、
「森脇さん、君のほしいものは何だね、金かね、それとも……」
 と問われたとき、私は即座に、
「……私のほしいのはゾラの生涯であります」
 と答え、ながながと次のような話をした。
「いまから十数年、いや二十数年にもなりましょうか妻と一緒にゾラの生涯という映画を観たことがあります。屋根裏に住む三文文士のゾラが、女優ナナとの奇遇から、それを取材して書いた小説によって、一躍文名を馳せ、やがて一八九七年スパイの嫌疑で、捕われの身となっていたユダヤ人の大尉ドレフュスが、無罪であることが判明したにもかゝわらず、ときの政府が軍部、王党派、保守主義者と結んで、反ユダヤ主義、排外主義をあおって、事件を、闇から闇へ葬ろうとしたことがあります。共和主義者、社会主義者はこぞってこれを攻撃し、フランスは二つの陣営に分れて、激しく対立したのです。ゾラはドレフュス擁護の立場をとり、一八九八年一月〝余は糾弾す〟という公開状を投げて、痛烈に軍当局を攻め、一大反響をまきおこしたが、遂にゾラは誹謗罪に処されて、ロンドンに亡命を余儀なくされたのであります。しかしゾラはなおも節を屈せず時の政府をつるべ打ちに痛罵しつゞけ、遂にフランス政府を崩壊にみちびいた辺りに、私は限りない共感を覚えました。それは自由と正義の国フランスを護るためだったのです。爾来私は、『私のほしいのはゾラの生涯である』などといゝつゞけ、妻などから、『貴方には、そんな大それたことなど出来やしないくせに、そんなことを口にするなど馬鹿か気違いだ』と笑いひやかされておりました。
 それでも私には、そんな憧れの夢を捨て去ることが出来ず、いまだに時に口にしては、ひやかされたり笑われたり、ばかだと云われたりしているのであります。
 この外同じく若いころ観た映画の中で、今でも深く印象に残っているのは、〝ロスチャィルド〟と〝ジークフリード〟であります。〝ロスチャイルド〟は彼が破産に瀕し自殺もしかねまじきときに妻から『貴方は世界のすべてを失うとも、花一輪私というものが側にある』とはげまされ、心機一転、再起復活に精進してやがて全欧州の金融を一手に握る大富豪になったという、そのいきさつに無限の興味と、はげましをうけたことでありました。また〝ジークフリード〟は、彼が王子の時、竜退治に行ってその竜から流れ出る鮮血によって、不死身の洗礼を受けるのでしたが、そのとき偶然、もみじの葉が舞いおちて、彼の背中にぴたりととまり、その個所だけは、遂に不死身の洗礼をうけることが出来なかったのでした。その秘密を知るものは、ジークフリードの妃とハーゲンたゞ二人であったのですが、その後、狩を催したある日ジークフリードは一本の矢に射抜かれて、敢え無き最期を遂げてしまったのです。予期もせぬこの出来事に悲嘆にくれた妃は、不思議にも自分とハーゲンとしか知らない、不死身の洗礼をうけなかった秘密の個所を射抜かれていることから、ハーゲンをふくめた謀略の仕打ちであることを探知し、その恨みを、はらすことを決意し、辛酸粒苦して遂にこれを成就したという、その妻の赤心に深い共鳴を覚えたものでありました」
 と語った一節を思い出す。それは忘れもしない昭和二十八年暮迫るころで、河井検事も並々ならぬ苦労と努力の捜査の結果志賀米平、猪股功がようやく逮捕こう留されて間もない、寒々とした夜のことであった。
  ゾラの生涯と私
 それからはしなくも、翌二十九年〔一九五四〕一月七日、東京地検の『山下汽船』に対する手入から造船、陸運疑獄に進展するに至るのであるが、……その後ときどき河井検事の呼出しをうけて出頭すると、検事はひやかしとも笑いともつかず、
「君、去年の暮に、『自分のほしいものはゾラの生涯だ』と云ったねェ、それがそろそろ近づいたじゃないかね……」
 などと云われることも一再ならずあった。
 私は河井検事も人が悪い、ちょっと口にしたことをとっこにとって、人をひやかすなどあまりに皮肉だとさえ思っていた。
 その後次第に疑獄汚職は雲を呼び風をはらんで鳴動をつづけ、ゆく所を知らぬという様相を呈するようになってから、ジャーナリストでも世間でも、これは吉田内閣〔第五次吉田茂内閣〕の命とりになるぞと喧伝されるようになった。遂に自由党の台所にまで火がつくようになり、吉田内閣は未曽有の指揮権発動をもってこれをくいとめたが、ほうはいとしてまきおこされた国民の批判の前には、抗することが出来ず、みじめな崩壊をするに至った。
 そうした天下の出来事は、決して一市井人の私ごときの、為し得た技ではない。しかし世間は疑獄の火付役といった手前、吉田内閣を潰したのは、私であるとさえ極限するに至ったのだ。
 それはともかくとして、青春のころ、映画を観たふとした感覚から、妻に笑われひやかされながらも、ゾラの生涯がほしいと云いつゞけ、はしなくも二十八年〔一九五三〕御用じまいも間近にひかえた暮迫るころ、問わるゝまゝに熱を帯びて、河井検事にこんなことを話したなど思うにつけ、河井検事の皮肉なひやかしの言葉もふくめて、まことしやかにそのようになったとも、云えば云えぬこともない。こう考えてくると、事実がそうであろうとなかろうと、若き日の私の夢が、ついに実現したのだ、と考えられないこともない。
  ロスチャイルドと私
 そんなこ思うにつけ、次第にまた、こんなことまで思うようになった。〝ロスチャイルド〟それも私は地でやってのけているのではなかろうか。何故なら二十七年〔一九五二〕しかけられた謀略によって、無一文の境涯となり、どん底の運命に幾たび死を思ったことか。この苦悩と憂鬱に閉された、廃墟のたゝずみのうちに、死の誘惑から常に私を支えてくれたものは、愛する者たちの、純情可憐な真実心であった。
 この清潔な愛情の支えがなかったら、私の運命もいまいずこにさ迷っていることであろう。
 私はその支えにはげまされ、遂に獅子王のごとく奮いたち奮迅の努力をつゞけることが出来た。そして遂にいまでは、昔に優る基盤と力を回復するに至ったからである。
 一方は世界の大富豪、私はようやくにして、糊口をしのぐ安穏さを得たにしか過ぎない。
 従ってその功なった姿は、天地霄壤〈テンチショウジョウ〉の差はあろうとも、それを一本に貫く、精神の流れは同一だ。私はそう考えそう確信する。私はこうした気持を、ある新聞社に寄稿したことがある。こゝにこれを添えておこう。

 切りは良くないが、ここまでが「河井検事との人生雑談に想う」と題された文章であって、このあと、「花三輪」という文章が続く(「花三輪」の紹介は、次回)。
 この文章で森脇将光は、みずからを、フランスの文豪エミール・ゾラに擬している。エミール・ゾラといえば、ユダヤ人の大尉ドレフュスが冤罪に陥れられていること(ドレフュス事件)を知り、これを救おうと尽力した文学者である。映画『ゾラの生涯』(ワーナーブラザーズ)は、ドレフュス事件における活躍を中心に、ゾラの生涯を描いた作品である。一九三七年(昭和一二)に作られた映画だが、日本での公開は、一九四八年(昭和二三)だったという。
 エミール・ゾラは、社会の不正義に対し、敢然と立ち向かった人だった。この文章を読む限り、森脇将光もまた、みずからを、社会の不正義と闘う者としてイメージしているようである。しかし、「脱税王」森脇将光は、みずからをむしろ、罪に陥れられたドレフュスに擬すべきだったのかもしれない。
 文中、「河井検事」とあるのは、「東京地検特捜部生みの親」として知られる河井信太郎〈ノブタロウ〉のことである。おそらく河井は、「自分のほしいものはゾラの生涯だ」という森脇の言葉を聞き逃さず、彼の正義感に訴えながら、政財界にひそむ「不正義」の実態を彼から聞き取り、そこから疑獄事件を摘発していったのではなかったか。【この話、続く】

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