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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「自分の墓はこの等身大の著書である」小野武夫

2013-11-08 04:29:55 | 日記

◎「自分の墓はこの等身大の著書である」小野武夫

 昨日の続きである。『社会経済史学』第一六巻第一号(一九五〇)に掲載された入交好脩「小野武夫先生の思い出」の後半部分を紹介する。

 こゝに、先生の御生涯を顧るに、それは真実を愛せられ、虚飾を却け〈シリゾケ〉られた文字通り「日本農民精神」を堅持された学者であつたといふ一語に尽きるであらう。それは、先生が、大正十三年二月上梓されたその著「農民経済史研究」(厳松堂書店刊)の巻頭に、「其一生を農夫にて終りし祖父重五郎の在りし昔を偲び、謹みて此著を其奥津城〈オクツキ〉に捧ぐ」として「顧望三十年」なる「回顧録」を識されてゐることによつても明白であらう。
 当時の先生は、既に斯学界に不抜の地歩を確立され、前記の学位〔農学博士〕をも獲得されようとする時代であつたが、しかも先生はその回顧録に率直なる感想を綴られて、故山に眠らるゝ祖父君〈ソフギミ〉を偲ばれたのであつた。こゝに私は、先生の真骨頂とも称すべきものがあつたと思ふのである。その長逝より溯及すること僅々十月〈トツキ〉に過ぎない四月下旬の或る日、偶々〈タマタマ〉公務を帯びて、熊本市より遥る遥る〈ハルバル〉上京された唯一の骨肉たる御令弟の来訪を歓び〈ヨロコビ〉迎えられた先生は、旧川辺村の古地図を壁間〈ヘキカン〉に掲げさせられ、久振りに故郷の山河を偲ばれ揺籃の昔に還られた由〈ヨシ〉である。こゝにも達観された晩年の先生には、最早その死期の遠からざるを予知されて居られたのではないかとさえ感ぜられるのである。
 事実、愈々〈イヨイヨ〉再起の覚束ない〈オボツカナイ〉ことを悟らろゝと倶に〈トモニ〉、一切の養生論に耳を藉さず〈カサズ〉、一途〈イチズ〉に研究の道に精進されたのであつた。唯先生の如き優れたる学者であるにも拘らず、多年心血を傾注された法政大学に真実の後継者と称すべき愛弟子〈マナデシ〉のないことは、確かに晩年の先生の寂寥の種であつたことゝ想像されるのである。尤も故戸谷敏之〈トヤ・トシユキ〉君の如きは、この最も囑望された後継者となるべき候補者であつたが、無謀なる戦争の犠牲となられ、比島〔フィリピン諸島〕戦線に陣歿されたことは、先生のためにも返す返すも遺憾の極みであつた。
 しかし、かゝる寂寥の明け暮れの中にも遠くソヴエツト連邦に抑留の身となられていた二令息が相次いで帰還されたことは、先生の御気持を如何に明朗ならしめたかは測り知れぬものがあつたことであらう。しかも御長男は、早稲田大学理工部講師として、専攻こそは異るとはいへ、同じく学究道に進まれることゝなつたことは、先生も定めし御満足であつたであらう。
 先生こそは、文字通り努力の人として六十四年の御生涯を終へられたのであるが、遂に一回も学究道を踏み脱さるゝ〈フミハズサルル〉ことなく、等身大の編著書を斯学界に遺されて〈ノコサレテ〉不滅の金字塔を確立されたのである。しかもこの陰に、終始先生に影の如く奉仕された令夫人の内助の功も、亦永く銘記さるべきであらう。
私は、六月七日の夜先生の遺言に基いて、簡素なる基督〈キリスト〉教式によつて近親の方々と在郷教授農民大学の方々とで営まれた、最後の御通夜に列席した。美しい生花に埋れた遺骸を納めた御棺の上には、聖書・讃美歌と最後の労作である「農政学概論」が飾られてゐた。平常から告別式の盛儀や墓石の大を誇ることの愚を誡めて〈イマシメテ〉「自分の墓はこの等身大の著書である」と屡々〈シバシバ〉述懐されてゐた。先生の面影を偲んで、今更にその学恩の深さを痛感しつゝ霊前を去り得なかつたのであつた。
〔先生の「年譜」並びに「著作目録」の詳細に就いては、小野武夫博士還暦記念論文集刊行会編「東洋農業経済史研究」(日本評論社刊昭和二十三年五月)の「付録」を参照せられたい。〕

 以上が、入交好脩「小野武夫先生の思い出」の後半部分である。昨日、紹介した前半部分と合わせて、これで同追悼文の全文を紹介したことになる。
 なお、小野武夫博士については、当ブログ開設当初から、何度も取り上げた。「ワラの揉み音はノックの代り」(昨年六月二五日)は、博士の名エッセイを紹介した記事である。『東洋農業経済史研究』に掲載された「年譜」も紹介したことがある(本年六月二二日以降)。ここで、すべてを列挙することはしないが、参照していただければさいわいである。

今日の名言 2013・11・8

◎自分の墓はこの等身大の著書である

 農業経済学者の小野武夫博士の言葉。入交好脩が、小野武夫博士の追悼文「小野武夫先生の思い出」の中で紹介している。上記コラム参照。

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