ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

無冠に終わった赤組団長の姿が、子どもたちの心を動かす…

2013-07-06 09:30:49 | 「育」業
新潟県の小学校では、大半の学校が運動会は、5月下旬の開催だ。
ひと月以上たったが、子どもたちの思いがあふれたいい運動会になった。

運動会は、一般に、赤白の対抗戦である。
赤白は、源氏と平氏に由来しているという説が強いのだという。
児童生徒数が多いところでは、赤白ではなく、青や黄、紫や緑なども入っての対抗戦となるところもあるだろう。
だが、当校では、もっとも一般的な赤白の対抗戦であった。

対抗して、勝負を争うのは、2つある。
まず徒競走や興味走、団体戦などの入った「競技の部」である。
まずは、これこそが、運動会の一番の勝負である。

次の勝負は、「応援の部」である。
赤組あるいは白組が一つのチームとなって、集団で応援を演技し、そのできばえを評価してもらい、どちらが優れていたかを判定し、勝負を決めるのだ。
この判定が難しい。
評価の項目がしっかりしておれば、それに基づいて採点してもらうことで、1位・2位が決まる。

ところが、これを採点する大人が、時々変な思いやりを入れる。
思いやりと言いながら、判官びいきを行う。競技で負けているチームに、応援の投票を入れるのだ。
午後の部の最初に行われた応援合戦は、白組の方が評価が高かったのである。
確かに白組の方が、まとまってきびきびしたよい動きを見せていた。
そこに判官びいきが加わることが多いので、白組、応援の部はもらったな、と思えた。
競技は赤組の勝ち、応援は白組の勝ち、と両チーム1つずつ優勝で、ちょうどよいだろう。
皆、そのような思いを持っていた。

ところが、午後の部に行われた様々な団体戦で、ことごとく白組が勝ってしまった。
白組、大逆転の2冠であった。
無冠に終わった赤組。競技に応援に懸命にがんばったけれども及ばなかった。

責任感から赤組の団長の女の子は、涙にむせんだ。
酷なことに、赤組・白組の団長には、閉会式の壇上で感想を発表するという大役も残っていたのだった。
感想発表の壇上で、感情が高ぶって次から次へと涙があふれ、なかなか言葉を出せない赤組の団長。
突然、敵側だった白組の列から、太く大きな言葉がかけられた。
「がんばれ!」
そして、その言葉に呼応して、閉会式に並ぶ子どもたちから、赤白や学年に関係なく、「がんばれ!」の声が次々に飛んだ。
赤組団長は、泣きながらも懸命に声をふりしぼって話し出した。
「応援賞も、優勝もとれなかったけど、みんながあきらめずにがんばってくれてよかったです。ありがとうございました。」

下の学年の子どもたちは、次のように思いを語っている。
「応援団長の二人は、人一倍がんばっていて、応援団も力を合わせてがんばっていたので、涙が出そうになりました。」
「結果的に白組がW優勝できたけど、赤がいなかったら楽しくない運動会になったし、赤組がいたからこそ、この運動会は成功したんだということを学びました。」
「協力・全力で本気でがんばりましたが、白組にW優勝をとられてしまいました。みんなの個性を大切にして、来年こそW優勝してみせます。」
「応援団長が泣きました。そんなに、全力を尽くしてがんばったんだな。…私はその時そう思いました。…そうだ。私もああなりたい。みんなのためにがんばれる今年の赤組の団長さんのように!」

これが、両者1つずつの優勝、ということだったら、このような感動は味わえなかったことだろう。
全力を尽くし、集中してがんばったからこそ味わえる、負けの無念さ。
互いに全力を尽くしたからこそ味わえる勝利の素晴らしさ。
自分たちが勝ったからよかった、ではなく、敗者に対しても励ましの言葉をかけられる子どもが育っていること。
無念さを味わいながらもがんばった赤組団長の姿に、心から感じるものが多かった下級生たち。

子どもたちは、こうした経験を積み重ね、成長していく。


様々に全力を尽くし、思いの表れたすがすがしい運動会となった。
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