数年前まで、町内会のわが家の組は、9軒で成り立っていた。
回覧板を回すにも、どんなに長くてもおよそ5日間もあれば、回り切っていた。
手ごろで(?)ちょうどいい規模だなあと思っていた。
ここはもともと農地、つまり田んぼだった。
それが埋め立てられて、住宅地になった。
それでも、わが家のある場所は、造成されたのは他よりも遅かった。
袋小路を挟んで、向かい合って3軒ずつの住宅。
そして、わが家のある片側では、かつてのあぜ道を挟んでやはり3軒が建っている。
それで9軒が建っている。
町内会の組長の仕事も、9年に1度やればいい、という周り順だった。
そうやって、30年余り仲良くやってきた。
ところが、近年、事情が変わった。
・高齢化に伴い、Aさん宅ではご主人が亡くなり、その奥様が独り暮らしを続けていたが、老齢化して娘の住む県外の老人施設へと移っていった。
・Bさん宅のご夫婦は、町内会でも重職にあった方だったが、実家が空いてしまったとの理由で、ここの家を売り、引っ越していってしまった。
・Cさん宅のご主人は、80代後半になっても元気にしていて、側溝掃除では重い側溝のふたを自力で持ち上げたり、冬の降雪時には朝早くから雪かきをしたりしていた方だったが、2年前に亡くなられた。
その奥様も、その1年後、後を追うように逝ってしまった。
・Dさん宅は、高齢夫婦となって回覧板を回すもの大儀だからという理由で、町内会費は払うが回覧板はいらない、と言うようになり、付き合いが減った。
現在、町内のこの組は、半減に近い5軒となり、それでやりくりするようになっている。
回覧板が回ってくるのも早くなって、2日もあれば十分だ。
組長の仕事が回るのも、数年ですぐに来る。
先日の町内祭りの巡行で町内を歩いて回ってみると、かつては住宅が建っていた土地なのに、今や雑草が生い茂ったり、「売地」の看板が立っていたりしているのが目立った。
みんな、若いときには、家を建てるということを夢に見て働き、住宅ローンを払って、がんばって建てた家だっただろうになあ…と思う。
そして、子どもたちを育て、その子どもたちが巣立っていき、戻って来ない…。
みんなどこの家もそんな事情なのだろうなあ…。
きっと、こんな地域は今の日本ならきっと各地に見られていることだろう。
この住宅街、そしてわが家も例外ではないなあ…。
そう考えると、この家にたまった過去の遺物や不要なものを、体が動くうちに片付けないと、と思う。
「終活」にもっと身を入れなくてはいけないな、と考えるこの頃でもある。
なんかせつないなあ…。
実家は昔は夜になると酔っ払いが良く歩いていたんですけど、今は本当にシーンとしていて、歩いてる人なし、住宅地の様…。(夜、西堀ローサは歩いているの俺一人状態がほとんどって感じ。)
ゴミと言えば母親が亡くなった時、要らないモノ全部捨てましたけど、45ℓゴミ袋12個でしたね〜。実家を建て壊した時は50袋以上でしたけど…。なんでこんなのとっていたんだってのばっかり。
私は良くクラシックコンサート行きますけど、もうすぐ60歳になる私がまだ若手って感じですからね〜。高齢化半端ないって感じでしょうか。(最近、首都圏や札幌、金沢のクラシックホールに良く行きますけど、新潟がダントツで高齢化率No.1です。)
戦術で一番難しいのは撤退戦って言いますけど、今の日本はそんな感じなんでしょうね。
これからもよろしくお願いします。
お母さまやご実家の建て壊しの件など、生々しい実態ですね。ウチも似たようなものだなと、今思っています。自分のもの、母が遺したものなど、本当にすごい量になりますね。でも、片付けなくてはなあ、と
思いつつ、ちょっとやっては途方に暮れそうな感じです。まあ、少しずつでもなんとかしていこうと思っています。